烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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二章

手のぬくもり

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 ふいに干野川のことが頭をよぎり、月夜はわずかに身体が震えた。

「寒いのか?」
「えっ……」
「震えている」

 縁樹がまっすぐ見つめてくるので月夜は羞恥に頬が熱くなり、慌てて顔を背けた。

「いいえ。ちょっと、いろいろと思い出してしまって」

 まさか干野川のことを話すわけにもいかず、月夜が戸惑っていると、縁樹はさりげなく話題を変えた。


「あれは梅の花だ。見たことある?」

 彼が指をさしたほうへ月夜が目を向けると、そこには丸みのある花が枝からいくつも咲きこぼれ、景色を紅く染めていた。
 月夜は小さく首を横に振って、梅の花を見つめた。空の青さと瑞々しい木の葉に重なって、よりいっそう紅が映えて見える。

「綺麗。桜もこんなに綺麗なのかしら?」
「もう少し暖かくなれば見られるよ」
「桜の花をこの目で見るのが夢だったの」
「ああ、知ってる。君の手紙に書いてあった」
「私の手紙が届いていたの?」

 縁樹は月夜の目をまっすぐ見つめて黙ってうなずく。
 月夜は驚き、同時に目頭が熱くなって肩を震わせながら、堪えきれずに涙をこぼした。

 やわらかい風が吹いて月夜の髪を揺らす。わずかに日の光が射して薄い朱華色の髪は淡い白銀にまばゆく光る。
 縁樹は月夜の肌に日光が当たらないよう自身の身体で遮った。

 涙を流す月夜の顔を、縁樹は真顔でじっと見つめる。


「ずっと……ずっと、お返事が届いていたか、気になっていたの」

 月夜は涙を拭い、笑みを浮かべながら唇を震わせた。
 縁樹は何も言わないが、それでもよかった。月夜にとって、これまで綴った思いが少しでも伝わっていたことが嬉しくて、それだけで充分だったから。

「まずいな」

 突如、縁樹はそうぼやいたので、月夜は驚いて目を丸くした。
 彼は頭をかきながら視線を遠くへ向けている。その表情は少しやわらいで、困惑しているようにも見えた。

「縁樹さん?」
「君を泣かせたと思われたら、香月さんに怒られる」
「え?」

 縁樹は眉根を寄せて困惑の表情のまま月夜に視線を向ける。


「そうだ。何か美味いものでもご馳走しよう」

 縁樹はもと来た道を指さして、帰るように促す。

 月夜はその際足下の小石につまずいて、ぐらりと体勢を崩した。持っていた日傘を落とすと太陽の光が容赦なく降りそそぎ、同時に転びそうになる。
 縁樹はとっさに反応して月夜の腕をしっかりと掴んだ。その反動で、月夜は縁樹の胸にぐっと押し寄せられる。


「危なっかしいな、君は」

 縁樹は日光が月夜に当たらないよう、自身の身体で覆い隠すように包み込む。
 日光に当たる恐怖よりも抱擁されたことの衝撃のほうが強く、月夜は驚き硬直した。

 からりからりと日傘が風に追いやられるように地面を転がっていく。
 しばらくふたりはその体勢でいたが、やがて太陽は雲に隠れ、縁樹は静かに月夜から離れた。そのまま彼は日傘を拾い、すっと月夜の頭上にかざした。

「……ごめんなさい。ありがとう」

 月夜はいまだ混乱しながらどうにか礼を言う。すると縁樹は落ち着いた表情で自身も詫びを口にした。

「いや、昼間に連れだした俺に非がある。君は外を歩き慣れていないのに、無理をさせて悪かった」
「そんなこと……」

 月夜にとっては最愛の祖母の墓に参らせてもらっただけでなく、憧れの外の世界に連れだしてくれた縁樹に感謝しかないというのに。


「失礼。他意はないから誤解なきよう」

 縁樹はそう言って月夜の手を握った。
 月夜はどきりとして再び驚き、身体を硬直させた。

 今までに誰かと手を繋いだことなど一度もない。
 縁樹は歩幅を月夜に合わせてゆっくり歩く。その際、月夜が日傘からはみ出ることのないように、彼は自身に月夜を引き寄せるようにしてぴったりと接している。

 月夜は動揺し、鼓動が速まり、手に汗をかいて緊張した。

 ふと思いだす。そういえば、母が姉の暁未の手を繋いでどこかへ出かけていく様子を遠目で見たことがある。
 親が子にすることを縁樹は月夜にしているのだろう。そのことに月夜は安堵と切なさが混じる複雑な思いにかられた。

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