烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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四章

ふたりで逃げる

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 月夜の眼前に現れたのは刀を手にした縁樹だ。彼はその刃で暁未の攻撃を受けとめ、月夜を守るように立ち塞がる。
 縁樹は簡素な鶯色の着物を身につけて素足に草履という格好だった。

「遅くなって悪い」
「縁樹さん、どうして?」

 驚いた月夜が訊ねると、縁樹は暁未の力に耐えながら早口で答えた。

「君が殺される夢を見た」
「え?」
「説明はあとだ」


 縁樹が刀をひと振りすると、暁未はその衝撃で身体を大きく弾かれ、後ろへと飛ばされた。しかし彼女は空中で反転し、踵を返すとすぐに縁樹に向かって突進してきた。

 暁未の鋭い爪が縁樹の腕と脇腹を裂き、血飛沫が空を舞った。縁樹の身体は大きく揺れ、月夜の視界は赤く染まる。

 縁樹は衝撃で膝をつき、崩れ落ちた。


「縁樹さん!」
「裏の林に向かって逃げろ」
「でも……」
「早く!」

 縁樹の黄金色の瞳が月夜に鋭く突き刺さる。その眼差しに圧倒され、月夜はその場から走りだした。

 背後で雨の音に混じって衝撃音が聞こえる。地面が割れ、木がめり込む音、そして何か大きなものが池に落下した水音が続いた。
 嫌な予感がした月夜は思わず振り返る。
 すると、池から暁未の腕が覗いてた。


「お姉さま!」

 月夜が足を止めると、こちらに走ってきた縁樹がすばやく月夜の手を取った。

「あの程度では倒せない」
「え?」
「逃げるぞ」

 月夜は縁樹に手を引かれ、屋敷を飛び出した。


 ふたりは屋敷を抜けだし、裏の林道のほうへ向かった。月夜はほとんど屋敷の外を知らないが、たまにある先祖の墓参りの帰りに深い林を通った記憶はある。

 昼間のことだったが、今は月も見えない雨の夜。林の中はほとんど闇に包まれている。
 わずかに残った妖力で夜目が利くので、うっすらと周囲の様子がうかがえた。

 雨でぬかるんだ砂利道は滑りやすく、足を取られそうになる。
 縁樹は無傷のほうの手でしっかり月夜の手を握り、もう一方の腕は深く傷ついている。彼の脇腹も血に染まり、打ちつける雨粒が赤く染まるほどだった。

 走っている途中、縁樹がつまずいて転びそうになった。


「縁樹さん、大丈夫?」

 縁樹は片膝ついて呼吸を荒らげる。
 月夜は彼の肩を掴んで謝罪の言葉を口にした。

「ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「平気だ」

 縁樹は月夜を横目で見やり、短く返答した。

 ふたりは草陰に隠れるようにして、その場に座り込む。
 縁樹が月夜の顔をうかがい、安堵したようにため息をついた。


「君が無事でよかった。間に合わなかったら後悔するところだった」
「私が殺される夢を見たって……それが予知夢なの?」

 縁樹は真顔でうなずいて説明した。


「いつもは遠く未来のことがおぼろげに視えるだけ。それなのに今夜はやけにはっきりと、君が誰かに殺される夢だった」

 どきりとして月夜は表情を強張らせる。

「近い未来、それもすぐ目の前に差し迫っている。明日まで様子を見るつもりだったが胸騒ぎがした」
「ごめんなさい。でも、ありがとう。あのままだったら本当に私は死んでしまっていたかもしれない」

 月夜は正直に今夜あったことを話した。メアリーにもらったあの薬を毎日飲んでいたこと。今日は料理に入れてたくさん食べたこと。
 それを聞いた縁樹は眉根を寄せて嘆息した。


「俺のせいか」
「違うよ。縁樹さんは悪くない。私がそうしたかったから」
「すまなかった。こうなることは予知できなかった」

 縁樹は顔を覆い隠すように手で前髪をくしゃっとかきむしった。

 縁樹の予知は突発的なもので自ら何かを知ることはできない。だから、暁未がこうなることも彼は知らなかったのだ。それは月夜も先日聞いてわかっていた。

 それなのに縁樹が自分自身を責めている。
 月夜は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「ごめんなさい。私はあまりにも浮かれていたの。あなたのおかげで外に出られるようになって、この先自由に生きていけると思ったら油断していた。両親も私に関心を示してくれて……」

 正直、両親が月夜に目を向けていることにも、わずかに喜びの気持ちがあったことは否めない。複雑だった。これほど長いあいだ虐げてきた両親に対して、月夜は憎み切れない気持ちが芽生えている。

 たとえそれが、偽りの愛情であっても。

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