烏の王と宵の花嫁

水川サキ

文字の大きさ
62 / 69
五章

この家を出る

しおりを挟む
 月夜が目を覚ますと、そこには縁樹の顔があった。彼の髪は長く伸びたままだったが、黒に戻っている。

 少しのあいだ夢と現実が交錯して頭がぼんやりした。
 月夜は布団に横たわり、縁樹はそばに腰を下ろしている。

「気を失ったから運んだ。ここは君の家だ」
「……縁樹さん」
「大丈夫か? うなされていたが」
「うん……変な夢を見たの。赤ちゃんの頃の夢。覚えているはずないのにね」


 意識がはっきりしてくると母の罵倒だけが記憶に残り、暁未の姿は薄れていった。きっと今までも、こうやって思いだすたびに暁未のあの笑顔だけを忘れていったのだろうと思う。

 縁樹が手を伸ばして月夜の額に触れた。その手が温かくて、月夜は安堵のため息を洩らす。
 さらっと縁樹の長い髪が月夜の頬に当たった。


「縁樹さん、その髪は……」
「ああ。これは妖力が回復するたびに伸びるんだ。面倒だから今日はこのままでいい」
「もしかして毎朝切っているの?」
「鬱陶しいから」

 縁樹は自分の髪の先端を指でくるくるさせながら真顔で言った。
 その様子がおかしくて月夜は笑ってしまった。

「そのままでも素敵」
「……そうか?」

 縁樹は怪訝な表情で眉をひそめた。
 月夜は微笑んで縁樹に礼を言う。


「助けてくれてありがとう」
「いや、俺が君に助けられた。あのままだったら俺は死んでいた」
「よかった。無事で」

 ゆっくりと昨夜の記憶が甦っていく。あまりにいろんなことが起こりすぎて、いまだに混乱しているが、月夜は気になることをぽつりぽつりと訊ねてみた。 

「家族やみんなはどうなったの?」
「無事だ。怪我人はいるが」
「そっか。よかった」

 そして、月夜の頭の中に暁未の姿がよぎり、慌てて訊いた。


「お姉さまはどうなったの?」
「意識はない。彼女は夜明けの光を浴びた。意味はわかるだろう?」

 縁樹は隠すことなく淡々と事実を告げる。
 月夜は胸の奥が締めつけられるほど苦しくなり、じわりと涙が溢れた。何も言葉を発することができず、ただ涙が頬をつたって流れる。

 縁樹が指先で月夜の頬に触れ、無言で涙をぬぐった。
 月夜はぎゅっと目を閉じて、先ほど見た夢を話した。


「お姉さまが私に笑ってくれたの。もし、私が覚醒していなければ、お姉さまと仲良く暮らせたのかしら?」

 縁樹は表情を変えることなく、ぼそりと返答する。

「わからない。過ぎたことを憂いてもどうすることもできない」
「……そうね」

 今さらそんな理想を思い描いたところで手に入るものでもないというのに、それでも月夜はそうであってほしかったと思わずにはいられないのだ。

 月夜が言葉に詰まると縁樹がふと言った。


「ただ、君の考え方次第で未来は少し変えられる」
「えっ……」
「姉を一生憎み続けるか、そうでないかで、君の未来は違ったものになるだろう」
「それは……」

 月夜が困惑の表情を浮かべると、縁樹はわずかにため息を洩らして言った。


「姉にされたことを赦せと言っているのではない。しかし、憎しみを抱えたまま生きるのは結構疲れる」

 縁樹の表情は変わらないが、ほんの少し陰りを見せた。
 月夜は静かに問いかける。

「縁樹さんにもそういう経験があったの?」
「どちらかといえば憎まれるほうが多かったな。我知らず人を傷つけることもある。人生とはそういうものだ。それに気づくかどうかもまた違った未来になる」


 長く生きてきた彼の言葉だからこそ、重みがある。月夜は黙ってうなずくことしかできなかった。

 縁樹はこれからのことを月夜に話した。両親とは話をつけてあるので、月夜の体調が回復次第この家を出ることもできるという。
 ただ両親はきちんと結納をして婚姻の儀式をおこない、一族すべてに披露することを条件にしてきたようだ。


「君はどうしたい?」

 縁樹に訊かれ、月夜はぼんやりと目線をよそへ向けた。

 一族すべてから忌み嫌われているのに祝言などおこなって誰が祝ってくれるのだろうか。そうでなくても、姉が意識のない状態で祝い事などおこなう気になれない。そもそも形だけの婚姻だというのに。


「私は……」

 月夜が言葉に詰まると、縁樹が思いがけないことを言った。

「反抗してもいいぞ」
「え……」
「俺が君の年齢のときには親の言うことなんか聞かなかったよ。たぶん」
「そうなの? でも、子は親の言うとおりに生きなくちゃいけないって……」
「君はもう大人だ。自分の人生は自分で決めるんだ」

 月夜は唇をぎゅっと噛みしめた。鼓動がどくどく高鳴る。
 少し考えて、やがてゆっくりと口を開いた。


「私はすぐにでもこの家を出たい」
「わかった。準備するから君は少し眠って体力を回復するといい」

 縁樹はそう言って、再び月夜の額に手を当てた。それが温かく心地よく感じて、月夜は目を閉じるとすうっと意識を手放した。


 数日後、月夜は妖力が戻り体調も整っていた。

 媛地家は混乱していたが、縁樹の計らいで建物の修繕を依頼することができたし、暁未はあやかし専門の医療施設へ入院することができた。
 金銭的に厳しい媛地家にとってこれはありがたいことだった。

 それらはすべて月夜が烏波巳家に嫁ぐことが前提だったが、両親はますます周囲におごり高ぶるようになった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

芙蓉は後宮で花開く

速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。 借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー カクヨムでも連載しております。

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。 行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。 けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。 そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。 氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。 「茶をお持ちいたしましょう」 それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。 冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。 遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。 そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、 梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。 香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。 濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

秘密はいつもティーカップの向こう側 ~サマープディングと癒しのレシピ~

天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。 紅茶とともに、人の心に寄り添う『食』の物語、再び。 「栄養学なんて、大嫌い!」 大学の図書館で出会った、看護学部の女学生・白石美緒。 彼女が抱える苦手意識の裏には、彼女の『過去』が絡んでいた。 大学生・藤宮湊と、フードライター・西園寺亜嵐が、食の知恵と温かさで心のすれ違いを解きほぐしていく――。 ティーハウス<ローズメリー>を舞台に贈る、『秘密はいつもティーカップの向こう側』シリーズ第2弾。 紅茶と食が導く、優しくてちょっぴり切ないハートフル・キャラ文芸。 ◆・◆・◆・◆ 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編  ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編  ・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編  ・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話 よろしければ覗いてみてください♪

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

【完結】見えてますよ!

ユユ
恋愛
“何故” 私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。 美少女でもなければ醜くもなく。 優秀でもなければ出来損ないでもなく。 高貴でも無ければ下位貴族でもない。 富豪でなければ貧乏でもない。 中の中。 自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。 唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。 そしてあの言葉が聞こえてくる。 見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。 私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。 ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。 ★注意★ ・閑話にはR18要素を含みます。  読まなくても大丈夫です。 ・作り話です。 ・合わない方はご退出願います。 ・完結しています。

隠された第四皇女

山田ランチ
恋愛
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

処理中です...