66 / 69
五章
新しいくらし
しおりを挟む
月夜が屋敷の門をくぐり抜けるとそこは、外の世界だった。これまで何度か外出したものの、今までと違って清々しいのは、すべてを断ち切った解放感からなのかもしれない。
桜の花びらがひらひらと舞った。
ずっと間近で見てみたかった満開の桜だ。
青空と淡い紅の色が交じって穏やかで優しく目に映る。
縁樹が傘を差して月夜に直接太陽が当たらないように配慮してくれた。
「君の妖力は戻っている」
「ありがとう、縁樹さん。迷惑を、かけてしまうわ」
結局、月夜の体質は完全に変わることはないだろう。本当は堂々と日光の下で縁樹と歩いていたいが、それを叶えるためにあの夜のようなことになったらと月夜は不安に思ってしまう。
「心配しなくていい。どうにでもなる」
縁樹は軽い口調でさらりと言った。
それが月夜の心までも軽くしてくれる。彼といれば何も心配はないのだと思わせてくれる。
月夜の髪がさらっと風に揺れた。
それを見た縁樹は真顔で言った。
「君の髪はまるで桜みたいだ」
「え?」
「太陽の光に照らされた桜のような色をしている」
「そんなことを言われたのは初めて」
月夜が目を丸くしていると、縁樹は急に自分の発言に恥ずかしくなったのか頬を赤らめて顔を背けた。
月夜の朱華色の髪は明るい空の下では淡く赤みがかっている。光に当たれば白銀に輝くだろう。しかし今は傘の下で明るい茶髪が、暗い奥の部屋にいた頃よりも艶やかにきらめいていた。
月夜が足を止めてじっと桜を眺めていると、縁樹が声をかけた。
「少し歩く?」
「え、でも……」
「大丈夫。俺がついてる」
縁樹は傘を持つ手を変えて、もう片方の腕で月夜の肩を抱き寄せた。
月夜はどきりとして頬を赤らめ、身を固くする。
「これなら日に当たらない」
「え、えっと……」
「ああ、悪い。嫌なら別に……」
「嫌じゃないわ」
月夜はとっさに縁樹の袖を引っ張ってくっついた。
風が吹いて桜の花びらがさあっと散った。
それは遠く鮮やかな新緑の中に溶けこみ、真っ青の空へ舞い上がる。
月夜は目を輝かせながらその光景に見惚れた。
溢れそうになる涙が桜の花を淡く滲ませて、より一層美しく見えた。
*
目が覚めるとそこは、見慣れない部屋だった。今まで暮らしてきた部屋とは違い、広くて天井も高い。
何より異なるのは、月夜が眠っていた布団は西洋式の寝台の上に敷かれたものだということ。ふわふわであまりにも心地よくて、昨夜は横たわるとすぐに寝入ってしまった。
布団から出て素足で床に立つと、冷たい感触がなかった。なぜなら絨毯が敷かれてあるからだ。素足のままでもよかったが、どうやら屋内ではスリッパを履くらしい。
部屋には他に西洋家具や簡易洋卓と椅子、それに骨董品などが置かれている。どれもこれも家では見たことのないものばかりで月夜は戸惑った。
驚くのはそれだけではなかった。
しばらくすると女性の使用人が数人やって来て、月夜の世話を始めたのだ。彼女たちはにっこり笑い、てきぱきと月夜の着替えを手伝った。
「あの、自分でできるので」
そう言っても彼女たちは聞かず、あっという間に月夜は浅緋の着物に着替えさせられた。髪は伸ばしたまま、きちんと整えられている。
使用人に案内されて食事部屋へ行くと、洋卓に数々の料理が並んでいた。根野菜の煮物とたまご焼き、焼き魚と漬物、湯豆腐に天ぷらまである。
使用人に促されて椅子に座ると、すぐに白飯と味噌汁が運ばれてきた。
「朝からご馳走……」
こんなに食べられるだろうか、と月夜は訝しく思いながらも、腹の虫は豪快に鳴った。
しばらくすると縁樹が現れた。彼は浴衣姿で髪は長いまま緩く一つにまとめてある。帯が緩いせいか胸もとがはだけており、月夜は目のやり場に困った。
「おはよう、縁樹さん」
月夜が笑顔で挨拶をすると、縁樹はまだ開ききっていない瞼をどうにか持ち上げると黙ってうなずいた。
縁樹が朝に弱いことを前もって聞いていたので月夜はそれほど戸惑うこともなかった。
桜の花びらがひらひらと舞った。
ずっと間近で見てみたかった満開の桜だ。
青空と淡い紅の色が交じって穏やかで優しく目に映る。
縁樹が傘を差して月夜に直接太陽が当たらないように配慮してくれた。
「君の妖力は戻っている」
「ありがとう、縁樹さん。迷惑を、かけてしまうわ」
結局、月夜の体質は完全に変わることはないだろう。本当は堂々と日光の下で縁樹と歩いていたいが、それを叶えるためにあの夜のようなことになったらと月夜は不安に思ってしまう。
「心配しなくていい。どうにでもなる」
縁樹は軽い口調でさらりと言った。
それが月夜の心までも軽くしてくれる。彼といれば何も心配はないのだと思わせてくれる。
月夜の髪がさらっと風に揺れた。
それを見た縁樹は真顔で言った。
「君の髪はまるで桜みたいだ」
「え?」
「太陽の光に照らされた桜のような色をしている」
「そんなことを言われたのは初めて」
月夜が目を丸くしていると、縁樹は急に自分の発言に恥ずかしくなったのか頬を赤らめて顔を背けた。
月夜の朱華色の髪は明るい空の下では淡く赤みがかっている。光に当たれば白銀に輝くだろう。しかし今は傘の下で明るい茶髪が、暗い奥の部屋にいた頃よりも艶やかにきらめいていた。
月夜が足を止めてじっと桜を眺めていると、縁樹が声をかけた。
「少し歩く?」
「え、でも……」
「大丈夫。俺がついてる」
縁樹は傘を持つ手を変えて、もう片方の腕で月夜の肩を抱き寄せた。
月夜はどきりとして頬を赤らめ、身を固くする。
「これなら日に当たらない」
「え、えっと……」
「ああ、悪い。嫌なら別に……」
「嫌じゃないわ」
月夜はとっさに縁樹の袖を引っ張ってくっついた。
風が吹いて桜の花びらがさあっと散った。
それは遠く鮮やかな新緑の中に溶けこみ、真っ青の空へ舞い上がる。
月夜は目を輝かせながらその光景に見惚れた。
溢れそうになる涙が桜の花を淡く滲ませて、より一層美しく見えた。
*
目が覚めるとそこは、見慣れない部屋だった。今まで暮らしてきた部屋とは違い、広くて天井も高い。
何より異なるのは、月夜が眠っていた布団は西洋式の寝台の上に敷かれたものだということ。ふわふわであまりにも心地よくて、昨夜は横たわるとすぐに寝入ってしまった。
布団から出て素足で床に立つと、冷たい感触がなかった。なぜなら絨毯が敷かれてあるからだ。素足のままでもよかったが、どうやら屋内ではスリッパを履くらしい。
部屋には他に西洋家具や簡易洋卓と椅子、それに骨董品などが置かれている。どれもこれも家では見たことのないものばかりで月夜は戸惑った。
驚くのはそれだけではなかった。
しばらくすると女性の使用人が数人やって来て、月夜の世話を始めたのだ。彼女たちはにっこり笑い、てきぱきと月夜の着替えを手伝った。
「あの、自分でできるので」
そう言っても彼女たちは聞かず、あっという間に月夜は浅緋の着物に着替えさせられた。髪は伸ばしたまま、きちんと整えられている。
使用人に案内されて食事部屋へ行くと、洋卓に数々の料理が並んでいた。根野菜の煮物とたまご焼き、焼き魚と漬物、湯豆腐に天ぷらまである。
使用人に促されて椅子に座ると、すぐに白飯と味噌汁が運ばれてきた。
「朝からご馳走……」
こんなに食べられるだろうか、と月夜は訝しく思いながらも、腹の虫は豪快に鳴った。
しばらくすると縁樹が現れた。彼は浴衣姿で髪は長いまま緩く一つにまとめてある。帯が緩いせいか胸もとがはだけており、月夜は目のやり場に困った。
「おはよう、縁樹さん」
月夜が笑顔で挨拶をすると、縁樹はまだ開ききっていない瞼をどうにか持ち上げると黙ってうなずいた。
縁樹が朝に弱いことを前もって聞いていたので月夜はそれほど戸惑うこともなかった。
3
あなたにおすすめの小説
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
月華後宮伝
織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします!
◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――?
◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます!
◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~
【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜
天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。
行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。
けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。
そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。
氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。
「茶をお持ちいたしましょう」
それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。
冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。
遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。
そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、
梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。
香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。
濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
秘密はいつもティーカップの向こう側 ~サマープディングと癒しのレシピ~
天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。
紅茶とともに、人の心に寄り添う『食』の物語、再び。
「栄養学なんて、大嫌い!」
大学の図書館で出会った、看護学部の女学生・白石美緒。
彼女が抱える苦手意識の裏には、彼女の『過去』が絡んでいた。
大学生・藤宮湊と、フードライター・西園寺亜嵐が、食の知恵と温かさで心のすれ違いを解きほぐしていく――。
ティーハウス<ローズメリー>を舞台に贈る、『秘密はいつもティーカップの向こう側』シリーズ第2弾。
紅茶と食が導く、優しくてちょっぴり切ないハートフル・キャラ文芸。
◆・◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
【完結】見えてますよ!
ユユ
恋愛
“何故”
私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。
美少女でもなければ醜くもなく。
優秀でもなければ出来損ないでもなく。
高貴でも無ければ下位貴族でもない。
富豪でなければ貧乏でもない。
中の中。
自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。
唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。
そしてあの言葉が聞こえてくる。
見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。
私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。
ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。
★注意★
・閑話にはR18要素を含みます。
読まなくても大丈夫です。
・作り話です。
・合わない方はご退出願います。
・完結しています。
隠された第四皇女
山田ランチ
恋愛
ギルベアト帝国。
帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。
皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。
ヒュー娼館の人々
ウィノラ(娼館で育った第四皇女)
アデリータ(女将、ウィノラの育ての親)
マイノ(アデリータの弟で護衛長)
ディアンヌ、ロラ(娼婦)
デルマ、イリーゼ(高級娼婦)
皇宮の人々
ライナー・フックス(公爵家嫡男)
バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人)
ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝)
ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長)
リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属)
オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟)
エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟)
セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃)
ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡)
幻の皇女(第四皇女、死産?)
アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補)
ロタリオ(ライナーの従者)
ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長)
レナード・ハーン(子爵令息)
リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女)
ローザ(リナの侍女、魔女)
※フェッチ
力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。
ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる