烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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五章

宵のとき

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 夜になると烏波巳家の屋敷は不気味なほど静かになる。
 使用人たちは全員消えてしまい、月夜は縁樹とふたりきりになる。

 縁側に立っていた月夜は広い庭を見つめた。
 庭の外壁の端から端まで目を走らせると、そこには黒い烏がずらりと並んでいた。彼らはみな、昼間に人の姿をしていた言葉を話さない使用人たちである。

 思えば最初に出会った俥夫もそうだった。
 彼らは夜になると烏になってしまう。それは縁樹の妖力が落ちるから人の姿を保てないのだ。


「月夜」

 縁樹がとなりに来てその名を呼びかけると、彼は自分の羽織を月夜の肩にかけた。

「あ、ありがとう」

 月夜は少し恥ずかしくなって頬を赤らめた。

 彼が月夜と呼び捨てにするようになったのはいつからだろうと考える。たしか彼が死にかけたときに月夜の名を呼んだときからだ。
 そんなことがあって月夜はほんの少し彼と近くなって気になっていたけれど、それでもどうしても気にかかることがあった。

「あの、縁樹さん」
「何?」

 月夜が遠慮がちに声をかけると、彼はそっけなく反応した。

 訊いていいものかどうか考えていると時間だけが過ぎていく。
 空には満ちた月が浮かんでいて月夜の髪を白銀に照らした。

 月夜は唇をぎゅっと噛んで、意を決したように問いかける。


「縁樹さんが視た私の未来の話だけど」

 縁樹は目を丸くして月夜を見つめた。何のことか一瞬判断できなかったのだろう。すぐに思いだした彼は「ああ」と反応し、目をそらした。
 月夜は不安げな表情で問う。

「私がこの先他の人と結婚するのは、本当なの?」

 それが事実だと告げられれば、月夜はどうすればいいのか、まだわからない。それでも訊かずにはいられなかった。このことがずっと頭の中で渦巻いて、何をしていても考え込んでしまうから。

 縁樹は表情を変えず、冷静に月夜を見つめてさらりと答える。


「あれは嘘だ」
「え、嘘なの?」
「あのときは、そう言えば君は諦めて俺から逃げるだろうと思ったから」
「そう、なの……?」

 月夜の鼓動がどくどく鳴り響いていた。同時にほっとした気持ちになり胸を撫で下ろす。

「気にしていたのか。悪かったな」

 縁樹はまったく悪びれた様子もなく淡々と言った。
 そのことに月夜は複雑な表情で素直に返す。


「気に、していたわ」
「ごめん。君を助けるためだった。でも、君は逃げなかったから今思えば無駄なことだったな」

 縁樹は自分の髪をくしゃっとかき上げて顔を背けた。
 月夜はじっと縁樹を見つめて、それから安堵したように笑みを洩らす。そして目頭が熱くなると、すぐに涙がこぼれ落ちた。

 縁樹がそれに気づいて振り向くと、彼は急に慌てだした。


「なぜ泣いてる? そんなに嫌だったのか」
「嫌よ」
「悪かった。ごめん。たしかに勝手に見知らぬ野郎と結婚すると言われていい気分ではないな」

 早口で弁明する縁樹に向かって月夜はぼそりと言った。

「……違う」
「え?」
「違うの……安心したの」

 月夜はこぼれ落ちる涙を拭いながら笑みを浮かべる。

「だって、私には縁樹さんしか考えられないから」

 ずっと心にしまっておいた気持ちがすんなり口から出てしまった。そのことに気づいてもすでに遅く、縁樹は驚いた顔で固まっている。

 猛烈に恥ずかしくなった月夜は真っ赤な顔でうつむいた。


「ごめんなさい。えっと……だって、私は縁樹さんしか、男の人を知らないから……他の人なんて考えられなくて……あの、迷惑だったら二度と言わな……」

 月夜が話している途中に、縁樹はとっさに月夜の手を握った。
 そして彼はよそを向いたまま言う。

「別に、迷惑じゃない」

 その言葉の意味を月夜は少し考えた。
 彼の真意を知りたいと思ったけれど、それを知るのは少し怖かった。


 庭にいた烏が一斉に飛び立った。彼らは月の光を浴びて、黒から銀色、やがて金色に変化し、そのまま空に吸いこまれるように消えていく。

 彼らはそれぞれ眠りにつき、やがて夜明けとともに戻ってくる。
 それはこれからもずっと繰り返されていくだろう。

 主人がこの世にあり続ける限り。

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