椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ

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幕間 身勝手な男のはなし

0-2(完)

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 雪樹の正体について、思い返してみれば、おかしなところは多々あった。
 伸びない背、今にも折れてしまいそうな細い体、米俵のひとつも抱えられないほどの貧弱な腕力……。
 何かの病気なのかとも心配し、あいつが皇宮に来るたびせっせと滋養のあるものを食べさせていたりしたのが、今思うとバカバカしい。思い込みというのは、恐ろしいものだ。
 ――女、だったとは。
 真実を知ったとき、俺はまず混乱し、そのあと狂喜した。腹の底から喜びがこみ上げてきて、止めようがなかった。今まで抱いていた女への不信感は、都合のいいことに一瞬で忘れてしまった。
 雪は俺にとって、唯一の友人だった。誰よりも分かりあえる存在――それが「女」だったならば、ずっと自分の傍に置いておける。遠慮なく、慈しんでいいのだ。
 詰まるところ俺は、誰かを愛したかったのだと思う。
 雪が性別を偽っていたことへの怒りは全くなかった。高等学問所へ入るために西国へ旅立つというその自由が羨ましくて、嫉妬はしたが。
 自分の罪の重さを知ったのは、事が済んだあと、静かに涙を流していた雪を見たときだった。雪の目は、「後宮内作法」を引き継いだあの夜の、あの女と同じだった。

 俺が嫌いだった「女」は、生来のものではない。俺たち男がそうなるよう、女たちの人生を捻じ曲げた結果、生まれるのだ。








 赤い顔をして息をする雪の頭を撫でてやると、彼女はぽかんと俺を見上げた。その澄んだ瞳は、出会った頃となんら変わらない。まだ堕ちてはいないのだと、俺は胸を撫で下ろす。
 勝手なものだ。進むべき道を歪めておきながら、まっすぐ歩け、などと思っている。

「蓮様……」

 健やかな吐息をこぼす、艶やかな小さな唇に、俺は見惚れた。
 ――貪りたい。
 だが、なんでも女にとって、口づけは特別な行為なのだそうだ。「体は許しても、唇は許さない」とか何とか、まあこれも本の受け売りだが、ともかく小説の中の女はたいていそんなことを言うのである。だから俺もこれ以上雪を傷つけまいと、なんとか自分を抑えている。
 抑えている……。

 ――ああ、本当に俺は馬鹿だ!

 何を、善人ぶっている?
 俺は雪の脇腹の下に手を入れると、ぐるっと勢い良く、彼女をひっくり返す。
 花の香りのする髪を梳いても、雪はされるがままだ。疲れて、抵抗する気力がないだけかもしれないが。
 目を閉じた彼女を見て、迷う。
 ――謝ってしまいたい。「ひどいことをして、すまなかった」、と。
 だが、それで楽になるのは、俺だけだ。雪はきっと俺を恨みきれなくなって、許し、哀れみ、自分の人生を捧げようとするかもしれない。こいつはそういうマヌケなボンクラだ。
 ――やっぱり、駄目だ。
 雪に付けた深い傷を、償うことができない。俺には、それだけの時間がない。更に最悪なことに、俺はこいつを手放せない。憎まれても、疎まれても、そばに置き、抱き続ける――。

 ――地獄に堕ちてしまえ。









「決して謝ってはいけない」。
 そういえば、侍従たちからは、そんな風に教えられてきた。皇帝である俺が、この国で許しを請う相手など、いないのだそうだ。むしろペコペコ頭を下げていては威厳がなくなると、そう説かれて育った。
 だが本当は、謝ることができるなら、謝ってしまったほうが楽なのだと、俺は知っている。
 幼い時分には、俺の遊び相手として、貴族の子息などが皇宮に連れて来られることも多かった。だがそういう奴らとは、どうもそりが合わない。
 綺麗な服を着て、上品そうな面(ツラ)をしていても、ガキはガキだ。いざ遊ぶとなれば凶暴で、そのくせケンカは弱く、すぐに泣き出す。物を知らないし、何か教えてやってもすぐにその内容を忘れてしまう。バカばっかりだ。
 ――当時の俺だって、奴らに負けず劣らず不愉快なガキだったが、それは棚に上げておく。
 ともかく俺はそんな遊び相手たちに辟易して、友達なんかいらないと不貞腐れていた。
 そのような日々の中、俺にとって特別な少年――少女と、出会った。羽村 雪樹である。確か皇帝一家とその親戚たちが一堂に会する折りがあり、雪樹もそのために皇宮へ来たのだ。
 雪は先に述べたとおり、体の小さな貧弱な子供だった。しかしそんな弱点を打ち消すほど頭が良かった。俺の知らないことをたくさん知っていたし、何を言っても返ってくる。打てば響くとは、ああいう奴のことだろう。
 こいつとなら仲良くしてやってもいい。そう思った俺は、雪樹とだけは親交を深めていった。
 そんなある日、俺たちは、記憶に残らないほど些細なことがきっかけで、言い争いになってしまった。
 俺はつい癇癪を起こして、雪樹を殴りつけた。雪樹は目に涙をためて、だがすぐに殴り返してきた。
 俺は唖然とした。人に殴られたのは、初めてのことだったからだ。まあ、あいつは非力だったから、全く痛くはなかったが……。
 そのあと怒り狂った俺は、雪樹をボコボコに殴り倒した。逆らう奴がいるということが、許せなかったのだ。
 雪樹はびーびー泣いて帰った。
 憤りと驚きの感情が失せて、冷静になってから、はたと気づいた。
 あいつは俺のことを皇子として見ているのではなく、ただのガキの、澄花 蓮として見ていたのだ、と。対等だと思っていなければ、殴り返したりはしないだろう。
 上も下もない。これが「友達」なんだ。
 ――雪を失ったら、俺は本当にひとりぼっちだ。
 今まで仲良く楽しく過ごしていたぶん、雪樹が去ったあとの孤独は耐え難いものだった。
 また来てくれるだろうか。いや、きっと無理だろう。あれだけ痛めつけてしまったのだから……。
 雪に詫びたい。そしてまた皇宮に来てほしい。
 だが周囲は、頭を下げるなんて次期皇帝には相応しくない行為だと言う。
 どうしたらいいのか。
 悶々と過ごした次の週、しかし雪樹は脳天気な笑顔を浮かべて、のこのこと皇宮へやって来たのだった。

「おまえ、この前のことは……」

 目の前で屈託なく笑っている雪樹が信じられなくて、俺は尋ねた。

「この前? 何かありましたっけ?」

 雪樹はきょとんと大きな目を丸くした。どうやら本気で忘れているらしい。

「……もういい」

 俺は脱力した。
 雪樹は記憶力がとてもいいはずなのだが、どうもそういうところが抜けているというか、あっさりし過ぎているというか……。
 それから俺は、少し、我慢することを覚えたと思う。短慮のせいで大切なものを失うのは、つらいからだ。

 ――ああ、そうだ。あのとき、もう絶対に雪樹を傷つけまいと、誓ったはずだったのに。









「んん……」

 ことを終え、雪樹は俺の腕の中で、寝息を立てている。
 あれだけひどいことをした男の側で、よくもまあ無防備に眠れるものだと、呆れてしまう。
 こいつの中身はきっと、幼い頃から変わっていないのだろう。
 人を憎んだり、恨んだりすることに、向いていない性格。俺はそれを利用しているのだ。
 雪樹の滑らかな肌に、そっと頬擦りする。
 本当はただこうやって、おまえと一緒に眠りたいのだと言ったら、こいつは信じるだろうか。笑うだろうか。




~ 終 ~
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