椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ

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最終話 椿の国の…

11-2

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 羽村親子の久々の会話は、和やかに続いた。
 父は実家の近況を語り、娘は懐かしく頷く。
 話題が途切れると、雪樹は芭蕉の顔を正面から見据えた。

「お父様。私は蓮様の妻として、あの人を支えていきます」

 ――そのためなら、あなたの敵となることも厭わない。
 
 最高議会は皇帝の力を削ごうと、その財産を、手を変え品を変え、奪い取ろうとしている。その件については、雪樹が今後、目を光らせるつもりだ。
 蓮は統治者としての復権など狙ってはいない。だが運命を狂わされ、玉座に縛りつけられた彼を、これ以上惨めな立場にしたくはなかった。
 皇帝をないがしろにする敵とは戦う。そして皇宮という檻の中でも堂々と、蓮には好きなことをして、輝いて欲しい。

「……………」

 部屋の空気は張り詰め、親子の視線がぶつかる。芭蕉と雪樹、二人は既に父と娘ではなかった。
 野心ある政治家と皇帝の后。――戦いは、もう始まっているのだ。
 先に目を逸らしたのは芭蕉だ。ほんのわずかの間に数歳老けたような顔で、彼はポツリとつぶやいた。

「なぜ、こんなことになったのだろうな……」

 恐らく芭蕉は、子供たちの中でも最後に生まれた娘を、特に愛しく想っていたのだろう。できるならばいつまでも手元に置き、自らが作った家族という殻の内に留めておきたかったはずだ。
 だが雪樹には、それが息苦しかった。自分のやりたいことをやって、好きなように生きていきたかった。
 そして雪樹は、とうとう外に居場所を見つけた。――蓮の隣である。
 まだまだ未熟だが、蓮を支えて、守る。愛しているから、二人で生きていく。そのための苦労ならば喜んでする。試練だって乗り越えていく。
 不思議なものだ。芭蕉が囲った高い壁を越えて、雪樹は皇后という力ある地位に就くことになった。彼女はこれから父にも兄にも成し得なかったことを、やろうとしている。
 支配者でもなく、征服者でもなく、玉座に繋がれた奴隷でもない、そんな新しい皇帝像を作ろうとしているのだ――。

「これまで育てていただき、ありがとうございました。お父様」

 雪樹が頭を下げると、髪に挿された椿の髪飾りが揺れた。

「自分の決めたことだ。しっかりやりなさい……」

 芭蕉は娘の別れの挨拶を、瞼を閉じて噛み締めると、やがて静かに部屋を出て行った。
 入れ違うようにして、ほどなく蓮が現れた。
 今日に限っては、蓮も正装姿である。漆黒の束帯に身を包み、いつもより大きな冠をかぶっている。

「かっこいい……!」
「綺麗だな」

 同時に相手を褒め合って、恥ずかしくなったのか、二人はそっぽを向いた。

「あー……。なんだ、その、あともう少しで、式の準備ができるそうだ」
「そ、そうですか」

 これより「祝いの間」にて、霧椿皇国を守護する大神宮より遣わされた神主立会いのもと、結婚の儀が執り行われる。具体的には神様や皇帝一家のご先祖様の前で婚姻を宣言し、認めてもらうのだ。重ねて、国民の模範となるような良き夫婦となること、霧椿皇国の平和と繁栄を祈願し続けることを誓うのである。

「それにしても、いい着物だな。ここはどうなってるんだ? 帯はどう締めた? この椿の刺繍は、礼柊様の婚儀のときのと同じだな。書物には載っていたが、実際に見るのは初めてだ。ふんふん、なるほど」

 美しいものには何にでも興味を持つのが、蓮という男である。若き夫は妻の周りを忙しなくくるくる、犬のように回り、じっくり観察し始めた。雪樹は呆れながらも、したいようにさせてやる。
 もうじきこの夫の好奇心と知的欲求を、満足させられるはずだ。数ヶ月後には、二つの学校が竣工する。
 一方は高等学問所で、もう一方は皇国初の芸術学校だ。
 どちらにも一流の講師を招くことが決まっており、また学ぶ側も実力と意欲があれば、年齢、家柄、性別問わず誰でも通えるように、奨学金など様々な制度を設ける予定である。
 もちろん雪樹も、生徒としてこっそり通うつもりだ。皇后となるからにはもっと教養を身につけねばならない。蓮を守るためにも。
 知識とは、すなわち力なのだ。

「目に見たままを、瞬時に絵にできる機械があればいいのにな。そしてそれを数多の人々に、一気にバラ撒ける仕組みがあれば、世の中もっと楽しくなる」
「ふふっ。私たちが生きている間は無理かもですが、将来きっと……。人がこうしたいと想像したものは、必ず実現できますから」

 朗らかに微笑む雪樹の前に、影が差す。蓮との距離が縮まったかと思うと、唇を優しく塞がれた。

「んっ……」
「少し、口紅が濃い。おまえには、薄い色のほうが似合う」

 蓮が囁き、再び口づける。雪樹は瞼を閉じた。

「ようやくこの日が来たな。とっとと万事終わらせて、この窮屈な服を脱ぎたい」

 雪樹から離れると、蓮は詰め襟を指で広げ、うんざりと言った。
 丁度、使用人が呼びに来る。どうやら式の準備が終わったようだ。
 蓮が差し出した手につかまって、雪樹は床に立った。

「雪樹」
「はい」

 名を呼ばれて見上げると、蓮の表情は翳っている。
 こんな幸せな日にどうしたのかと雪樹が訝っていると、蓮は重たそうに口を開いた。

「初めておまえを抱いたときのこと……。すまなかった」

 そして、深々と頭を下げる。
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