椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ

文字の大きさ
44 / 46
最終話 椿の国の…

11-1

しおりを挟む
 宮殿内にある「祝いの間」の控え室で、ようやく一人になって、雪樹はほっと息をついた。先ほどまで入れ代わり立ち代わり、侍女たちにあれやこれやと世話をやかれ、ありがたいことだが疲れてしまった。

 ――まあ一人じゃ、こんなのとても着れないけどね。

 丸椅子にちょこんと腰掛けた雪樹は、今、純白に染まっている。纏っているのは、いわゆる白無垢だ。
 最高級の絹地で仕立てられた衣装の表には白銀の糸で、皇帝・澄花家の紋章である椿が、大小様々な形で刺繍されている。また打ち掛けの裏地には、秋桜を思わせる薄紅色が使われており、年若い花嫁の愛らしさを際立たせていた。
 馬子にも衣装というが、そのとおり。長時間に及ぶ着つけが終わったあと、自分の姿を鏡で見た雪樹は、少し自虐的に、だが素直に感動した。
 いつもちんくしゃ扱いの自分が、今日はだいぶマシなんじゃないか。ちょっとだけ、ちょっとだけ……美しいかもしれない。
 長い髪は、愛用の金の髪飾りと生花でまとめられている。雪樹はウキウキとそれをいじった。

 ――蓮様は、なんて言ってくれるかしら。

 楽しみで、つい口元がだらしなく緩んでしまう。みっともないが、大目に見てもらってしかるべきだ。なぜなら本日の主役は、自分なのだから。
 ちょっと意地悪で偏屈だけれど、真面目で、誰よりも優しい幼なじみの妻になる――。
 ここまでくるのに紆余曲折あって苦労した雪樹に、だから浮かれるなと言っても、それは無理な話だろう。

「――はい? どうぞ」

 控え室の扉が叩かれた。雪樹が返事をすると、幾分歳を召した紳士が入ってくる。
 顎鬚が立派で、立ち居振る舞いは気品高く、しかし眼光は鋭い。雪樹の父親である、羽村 芭蕉だ。

「お父様……! お忙しい中、お越しいただき、ありがとうございます」
「ああ、そのままで。そんな格好じゃ、動くのも大変だろう」

 立ち上がろうとした雪樹を、芭蕉はやんわりと手で制した。
 花嫁衣装を着込んだ娘は、重装備の兵士と同じである。手足を動かすだけで一苦労なのを、察してくれたのだろう。

「……おめでとう、雪樹」

 娘の晴れ姿を前に、芭蕉は眩そうに目を細めた。

「ありがとうございます、お父様」
「おまえとこうやって気安く話せるのも、これが最後なのだな……」
「そんなこと……。お父様は、お父様です。お嫁に行っても、それは変わりませんよ」
「それはどうだろうか。おまえもきっと華やかな皇宮での生活に慣れ、侘びしかった実家での暮らしなど、忘れてしまうのではないかね?」
「……………………」

 芭蕉は皇帝の一族を快く思っていないから、彼らのもとへ嫁ぐ娘に対し、裏切られたような気持ちになっているのだろうか。だからなのか父の言葉に、若干の棘を感じる。
 しかし雪樹は、それに気づかないふりをした。
 以前ならば、父の態度にいちいち突っかかっては責めて、諌められていたことだろう。
 遠慮がないだけに衝突も多かった。それが今は他人を相手にするかのように、受け流すことができるようになっている。
 思えば家族とは、距離が近すぎたのかもしれない。
 だから親しくもなれるのだろうし、その逆だってある。
 だがよく考えてみれば、自分と彼らは同じ血が流れているだけのことなのだ。
 年齢だって性別だって違うのに、お互いを理解し、理解されたいと思っても、それはまた別の話である。
 実際雪樹だって、父母や兄のことをどれだけ分かっていたかというと、ほんのわずかだった気がするのだから。

 ――私のことは、蓮様だけが分かってくれていれば、それでいいや。

 多くを望むあまり、傷つけ合って、何になろう。
 諦念のような達観のような、そんな心境に至ったのは、雪樹が成長した証でもある。娘とのわずかなやり取りでそれを悟った芭蕉は、寂しそうに微笑みながら、椅子に腰を下ろした。

「ところでおまえ、赤子はどうした?」
「さ、授かっていなかったようですね」

 嘘は言っていない。言ってはいないが、心苦しくて、雪樹の目は泳いだ。
 芭蕉が娘を取り返そうと、皇宮に挙兵してから、もう半年が経っている。
 残念ながら、雪樹は妊娠していなかった。
 そのせいで、今すぐにでも結婚を望んだ蓮と雪樹だったが、しかし正式に結ばれるまでに、これだけの時がかかってしまったのだ。
 霧椿皇国において、皇帝の后となれるのは、皇帝の子を産んだ女だけである。慣例どおりにするならば、雪樹も蓮の子を宿し、出産しなければ、皇后として認められないはずだった。しかし蓮はそれを良しとせず、典範そのものを変えるべく動き出したのだ。

「男と女が結ばれ、夫婦となる理由は、子供を作るためだけではない!」

 それは複雑な生い立ちを経験した蓮だからこそ、世に訴えたいことだったのだろう。
 しかし今までになかった事例を認めさせようというのだ。特に皇帝にとって、後継者の問題は重要である。
 いざ結婚したものの、雪樹との間に子ができなければどうするのだ。関係者の反発は強く、説得するのに骨が折れた。
 単純で面倒くさがりな雪樹などは、「だったら、とっとと子供を作りましょうよ」などと蓮に持ちかけ、「それでは意味がない!」と叱られたりもした。余談ではあるがその結果、皇帝の婚姻に関する定めを変えるまで、子作りは厳禁とあいなったのである。そんなわけで二人はしばらくの間妊娠する余地のない、つまり清らかで節度あるおつき合いをする羽目になった……。

 ――いきなり人のことを襲ったくせに、今になって禁欲生活とか。順番が激しくおかしい……。

 雪樹はどうにも釈然としなかったが、蓮は初志貫徹、一度決めたことをなかなか変えない人だから、しょうがないと諦めるほかなかった。
 そしてこの一連の騒動は、最後は蓮の「雪樹と添い遂げられないのなら、一生独身でいる!」という半ば脅しのような意思表明により、幕引きとなった。
 つまり周囲が根負けした形で、遂に二人の結婚は許されたのである。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

先生

藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。 町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。 ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。 だけど薫は恋愛初心者。 どうすればいいのかわからなくて…… ※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

秋色のおくりもの

藤谷 郁
恋愛
私が恋した透さんは、ご近所のお兄さん。ある日、彼に見合い話が持ち上がって―― ※エブリスタさまにも投稿します

同窓会~あの日の恋をもう一度~

小田恒子
恋愛
短大を卒業して地元の税理事務所に勤める25歳の西田結衣。 結衣はある事がきっかけで、中学時代の友人と連絡を絶っていた。 そんなある日、唯一連絡を取り合っている由美から、卒業十周年記念の同窓会があると連絡があり、全員強制参加を言い渡される。 指定された日に会場である中学校へ行くと…。 *作品途中で過去の回想が入りますので現在→中学時代等、時系列がバラバラになります。 今回の作品には章にいつの話かは記載しておりません。 ご理解の程宜しくお願いします。 表紙絵は以前、まるぶち銀河様に描いて頂いたものです。 (エブリスタで以前公開していた作品の表紙絵として頂いた物を使わせて頂いております) こちらの絵の著作権はまるぶち銀河様にある為、無断転載は固くお断りします。 *この作品は大山あかね名義で公開していた物です。 連載開始日 2019/10/15 本編完結日 2019/10/31 番外編完結日 2019/11/04 ベリーズカフェでも同時公開 その後 公開日2020/06/04 完結日 2020/06/15 *ベリーズカフェはR18仕様ではありません。 作品の無断転載はご遠慮ください。

【完結】指先が触れる距離

山田森湖
恋愛
オフィスの隣の席に座る彼女、田中美咲。 必要最低限の会話しか交わさない同僚――そのはずなのに、いつしか彼女の小さな仕草や変化に心を奪われていく。 「おはようございます」の一言、資料を受け渡すときの指先の触れ合い、ふと香るシャンプーの匂い……。 手を伸ばせば届く距離なのに、簡単には踏み込めない関係。 近いようで遠い「隣の席」から始まる、ささやかで切ないオフィスラブストーリー。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

処理中です...