白銀オメガに草原で愛を

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草原

05.嫌なものは嫌

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 ルイドを下りてククィツァたちのユルトに近づいていくと、二人分の人影が中から出てきた。親子のように、仲良く寄り添っている。

「おかえり、二人とも」
「ただいまー、イェノア」

 手綱を投げ出してイェノアに抱きついたククィツァに構わず、馬が勝手にユルトの横へ回っていく。自分の帰る場所がわかっているのだろう。
 相変わらずだと苦笑したユクガの前に、おずおずと小さな人影が進み出てきた。

「……おかえりなさい、ユクガ様」
「……ああ、ただいま」

 ユクガとキアラは、ククィツァたちのように、熱烈に抱き合うような関係ではない。挨拶のつもりで何度か撫でてやると、キアラがそっと自分の頭を押さえた。

「どうした」
「今のは、何というのですか」

 単語を言わなかったということは、行為のことだろうか。
 確認のためにもう一度キアラに手を伸ばし、頭を撫でながら教えてやる。

「……これのことなら、撫でる、という」
「なでる」

 イェノアか誰かが、すでに撫でていそうなものだが。
 そういえば体に合った服を着ているし、きちんと靴も履いている。イェノアがうまく調達してくれたのだろう。
 イェノアに礼は言っただろうか、食べられそうなものを探して夕食を食べさせなければ、今日何をしていたのか聞いておいたほうがいいか、とやるべきことをまとめていくユクガの前で、キアラがこて、と首を傾げる。

「ユクガ様の、なでる、好きです……?」

 一瞬、何をすればいいのかわからず固まった。

「……キアラ」
「はい、ククィツァ様」

 ろくでもないことを考えていそうなククィツァがキアラを呼んで、こそこそと耳打ちしている。絶対にろくでもないことを教えている。
 しかしやめさせる前に密談が終わってしまい、キアラがとことこと近づいてきて、ユクガの服の裾を掴んだ。

「ユクガ様に、撫でていただくのは、好きです」

 そこまでろくでもないことではなかったが、ユクガの反応を見て面白がっているのは間違いないだろう。
 勘違いさせないようため息をつくのは耐えて、キアラを抱き上げ、抱え込むようにしてよしよしと撫でてやった。こうすればキアラからユクガの顔は見えないので、存分にククィツァを睨みつけることができる。

「気に入ったならいくらでも撫でてやる」

 そのうち馬の乗り方も教えなければいけない。仔馬が生まれる時期は過ぎてしまったが、市に行けば売れ残りはいるだろうか。
 いや、キアラが乗るなら気性の穏やかな馬のほうがいいし、そういう仔馬はさすがに残っていないだろう。
 それまではルイドに付き合ってもらうか、と愛馬を振り返ろうとしたユクガの耳に、小さな問いが聞こえる。

「……私から、何も差し上げていないのにですか」

 どうにも、人から何かを受け取ることが下手らしい。

「お前は撫でられていればいい」
「……わかりました」

 気づくか気づかないかくらいの繊細さで、キアラがほんの少し頬をすり寄せてくる。応えるようにまた撫でてやると、喜んでいるような気配がした。

「イェノア、キアラの服と靴を調達してくれて助かった。ありがとう」
「気にしないで。みんなにおさがりがないか聞いただけだから」

 男たちが外に出ている間、女たちは集落に残って糸を紡いだり、家仕事を片づけたりして過ごしている。その集まりで、キアラの服と靴のことを頼んでくれたようだ。

「ついでに晩ごはんも食べていって。キアラに手伝ってもらって、四人分用意したの。ね、キアラ」

 イェノアの呼びかけに答えるようにしてキアラがもぞもぞと体を起こし、頷いてみせる。

「私も、お手伝い、しました」

 手伝い、という言葉は今日知ったらしい。どこか誇らしげに見えるキアラに表情を緩ませ、ユクガはまた撫でてやった。

「なら、食べていこう」

 キアラを下ろしてルイドをククィツァたちのユルトに繋がせてもらい、水と飼い葉を与えておく。本格的な世話は帰ってからだ。
 ちょこちょこと後ろをついてくるキアラを待って、ユクガはユルトの中に入った。

「お、ごちそうだな!」

 並べられた料理を見て、ククィツァが調子のいい声を上げる。ごちそうといっても仰々しいものはなく、昨日の宴に比べればささやかな家庭料理といったものが並んでいるが、キアラを気づかってのことだろう。ククィツァはそういう配慮のできる男だ。

 用意されていた円座にユクガが腰を下ろすと、キアラがおずおずと隣に座った。ククィツァの傍にはイェノアが座っているから、真似をしたのだろう。

「どれを手伝ったんだ」
「この、スープと、あの……まく、お食事、です」

 料理の名前までは覚えられなかったらしい。頷いて、薄く平たいパンを手に取って野菜と肉を巻いて口に運ぶ。
 じっと見つめられながらというのは少々居心地が悪いが、自分が作ったものを誰かに食べさせて、どんな反応をされるか、気になるのも理解はできる。手伝ったといってもおそらく、食材を渡したり、道具を渡したりといった程度で、材料を切ったり味つけや火加減を見たりはイェノアがやったのだろうが、それでもキアラにとっては大きな一歩だっただろう。

「うまいな」
「うまい……おいしい、ですか」
「ああ」

 ほんの少し、笑っただろうか。どこかぼんやりしていて表情も乏しいように見えていたが、何も感じていないわけではないのはわかってきた。もう少し笑うようになればきっとかわいいし、自発的にいろいろできるようになればもっと体も成長するだろう。

 かわいい?

「スープもうまいぞ、キアラ」
「おいしい、ですか」
「おう! 毎日でもいいくらいだ」

 調子のいいこと言って、とイェノアにつつかれているククィツァを、キアラがじっと見つめている。その横顔はどちらかというと美しいという言葉が相応しいはずで、かわいいという印象ではない。
 ユクガの視線に気づいたのか、キアラがふっと見上げてくる。

「スープは召し上がりますか」
「今から飲む」
「はい」

 保存用に煮込んだ肉と、残りの野菜を一緒に入れて作るスープもありふれたものだ。

「……うまいな」
「おいしいですか」
「ああ」

 ほとんど表情は動かないし声色も変わらないのに、いちいちキアラが喜んでいるのがわかる。
 それをいちいちかわいらしいと思っている自分にも気づいてしまった。

 かわいいという言葉には、主観が多大に含まれている。

 無言でまた肉と野菜をパンで巻いて口に運びかけ、ユクガはキアラが何も食べていないのに気づいた。

「……食え」

 パンを口元に持っていってやると、小さな口が遠慮がちに端っこを齧りとった。飲み込んだのを見計らってまた近づけ、きちんと食べさせる。
 いや。

「肉が嫌か」
「……い、いいえ……」

 嫌いでなければ、肉をよけて食べたりはしないだろう。ユクガをじっと見上げるキアラは、怖がるような顔をしている。ユクガに対する反応なのか、今までの経験からの反応なのか、どちらだろうか。
 ただ、キアラの行動を思い返してみても、嫌かと聞いて嫌だと答えがあった記憶がない。

「キアラ」
「……はい、ユクガ様」

 名前を呼んだら返事をしろと教えて、それを律儀に守っているのがいじらしい。
 キアラと接していると、どうにもむず痒い感覚になる。

「嫌なものは、嫌と言っていい」

 ぱたり、と銀色の睫毛が動く。

「肉は嫌か」

 ややあって、キアラがそっと頷いた。

「何が嫌なんだ」
「……においが、あの……」
「そうか」

 あの小部屋で食べていた肉のにおいが薄かったのか、そもそも肉を食べつけていないのか。
 食べてこなかったほうだろうと判断して、ユクガは手に持っていたパンをさっさと腹に収めた。それから新しくパンを取って野菜だけを巻き、キアラに渡してやる。

「これなら食えるな?」

 手に持ったパンとユクガの顔を交互に見つめ、キアラがほわりと空気を緩めた。

「ありがとうございます、ユクガ様」

 昨日教えたので、今日はユクガのためにパンを捧げ持って待つことはないはずだ。大事に両手でパンを抱え、ゆっくりと食べ始めるのを確認して、ほっと息をつく。

「好きなだけ食え」
「……よろしいのですか」
「食卓を囲んでいるときは、食卓についている全員で食事を楽しむものだ」

 キアラが小首を傾げたが、ユクガは向かいからの視線のほうに顔を向けた。
 浮かべている笑みの種類はともかく、ククィツァとイェノアが微笑ましそうにこちらを眺めている。

「……何だ」
「お前がそんなに甲斐甲斐しい男だったとはなぁ」
「大事にしてるのね」

 ククィツァはともかく、イェノアの言っていることは否定できない。
 返事をスープで飲み込んだユクガの横で、キアラが小さく呟いた。

「……おいしい、です」
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