白銀オメガに草原で愛を

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25.大事な人のくれたもの

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 これに乗るように、と示された箱に入ると、しばらくして箱が揺れ始めた。慌てて床に腰を下ろしてみたものの、板に座ることになるからお尻が痛いし、靴を履いたままなのでじゃりじゃりしていて、肌が当たると痛い。

 早くもくじけそうになって、キアラはそっと胸元に手を置いた。懐に入れておいた確かな感触は、ユクガがくれた簪だ。大事な人のくれた、大事なもの。

 守らせてほしいとお願いしたのは自分自身なのだから、しゃんとしなくては。

 きゅ、と唇を引き結び、キアラは周囲を見回した。よく見ると、壁際に床より高くなった段がある。上にきれいな織物がかけてあるので飾り棚かと思っていたが、もしかすると、この箱の中ではあそこに座るのかもしれない。しかし飾り棚だった場合、織物を汚してはいけないだろう。
 どちらとも判断をつけがたく、キアラはそのまま床で揺れに耐えることにした。痛みはあってもけがはすぐ治る体だし、この揺れでは今さら立ち上がるのも難しい。

 そのうちガタゴトという揺れが収まってきて箱が完全に止まったかと思うと、外から扉が開けられた。

「神子、外へ……なぜ床に……?」

 この箱では、床に座るものではないらしい。

 少し強張ってしまった足で慎重に立ち上がって、キアラは扉から後ずさった。
 正確にいえば、こちらを覗いている男が怖いのだ。ユクガにひどいことをしていたのも、頬を切り裂かれたのも恐ろしかった。

「……あなたには何もしません。外へ出てきていただけますか」
「……わかりました」

 男が扉から離れてくれたので、置かれていた踏み台を使わせてもらって箱を出る。辺りは暗くなっていたが、大きめのたき火が用意されていて、箱の近くは明るかった。

「神子様、こっちどうぞ? お腹空いたろ?」

 たき火の近くにいた別の男に招かれて、キアラは少し躊躇った。
 見知ったヨラガンの人は一人もおらず、この場にいる人は全員剣を身につけている。持っていたナイフは箱に入る前に取り上げられてしまったから、身を守るものは何もない。
 まあそもそも、料理にしかナイフを使ったことのないキアラが振り回したところで、どうにかなるものでもないとは思うが。

「……はい」

 ただ、応じる以外の選択肢もなかった。
 断ってどうするという算段はないし、相手が機嫌を悪くして襲ってくれば結局同じだ。

 大人しく傍に近づいていくと、折りたたみの椅子のようなものを勧められたので、お礼を言って腰を下ろす。すかさず差し出された皿を受け取って、キアラは少し困惑した。
 親切にしてもらっている、ような気がする。

「熱いのでお気をつけください」
「はい……ありがとう、ございます」

 ユクガにひどいことをしていた人たち、のはずだが、無理やり引っ張って言うことを聞かされたり、物を投げつけられたりなどしていない。渡された皿の中身は、不思議な薄茶色だ。少しだけ肉のにおいがするが、スープなのだろうか。
 じっと中身を見つめていたのがいけなかったのか、別の男がむすっとして顔をよそに向けた。

「お粗末すぎて神子様の口には合わねーってか」
「レテ」

 皿を渡してくれた男がたしなめるような声を出したが、むすっとした男はそのまま離れていってしまった。たしなめた男がため息をついて、キアラに視線を戻す。

「毒など入っていませんから、ご安心ください」

 初めはどうしてそんなことを言われたのか、よくわからなかった。ぱちぱちと瞬きしているキアラを、男もじっと見つめている。
 しばらくして疑っていたと思われたらしいことを理解し、キアラは慌てて首を横に振った。

「ち、違うのです、あの、初めて見たスープで、あの、私は、熱いものがすぐに、飲めないのです……」

 ヨラガンに行くまで熱いものなど食べたことがなかったから、初めて熱いスープを食べたときも、驚いてスプーンを取り落としてしまってイェノアを慌てさせたものだった。息を吹きかけて冷ますことは教えてもらったものの、それでも熱いものは熱い。
 あたふたと言い募るキアラに、スープをくれた男がわずかに表情を柔らかくする。

「それは申し訳ありません、配慮が足りませんでしたね」
「あっ、ちが、あの、そういうことではなくて」

 余計に気を遣わせてしまった。一生懸命言葉を探しても、どう言い直せばいいのかわからない。
 焦っていると隣にまた別の人が座ってきて、キアラはびくりと肩を跳ねさせた。

「……リンドベル、よせ」
「申し訳ありません。神子があまりにお可愛らしい方なので、つい」

 頬を切られた相手だ。動揺して皿を取り落としてしまい、足に熱い布がまとわりつく。

「あつ……っ」
「すぐに着替えを」
「はっ」
「神子、失礼いたします」

 怖い人に抱き上げられて、キアラはきゅっと身を固くした。そのまま箱の中に連れていかれて、飾り棚の上にそっと下ろされる。

「濡れたところが冷えてから、お召し物をお脱ぎください。今着替えを持って参りますので、少々お待ちを」

 別の誰かが持ってきてくれたらしい服と布巾を渡してくると、男は何をすることもなく箱から出ていってしまった。濡れたところを、この布巾で拭いていいのだろうか。
 慎重に懐から簪を取り出してよけておいて、ユクガのくれた帯を解き、ズボンを脱いで布巾で拭く。熱いものがかかると火傷というものになることがあるらしいから、心配してくれたのだろう。下着までくれているのは、すべて着替えろということだろうか。
 イェノアの血で茶色くなってしまった服も全て脱いで、キアラはカガルトゥラード式の服に着替えた。上着の裾が長くなったような形で、上からかぶると足首まですっぽり覆われてしまう。ズボンは用意されておらず、今までヨラガンの服に親しんでいたキアラには少し心もとなかったが、どうしようもない。

 それから丁寧に服を畳んで、キアラは簪をどこにしまうか頭を悩ませることになった。カガルトゥラード式の服には、袖にも胸元にも、何かを入れておくような場所がないのだ。大事なものだから、彼らに取り上げられないように、身につけておきたい。

「神子様? お召し替えは済みました?」

 声をかけられ、キアラはとっさにユクガのくれた帯で簪を包んだ。それを服の上に置いて、ぎゅっと胸元に抱え込んでおく。

「は、はい」

 扉が外から開けられると、先ほど火の傍に招いてくれた、雰囲気が少しククィツァに似た男が立っていた。この人はあまり怖くない。

「どうぞ」
「ありがとう、ございます」

 箱から出ると、先ほどそっぽを向いてどこかに行ってしまった男も戻ってきていた。その手がキアラの抱えている服に伸びてきたので、慌てて固く抱きしめる。

「……離しなよ」
「い、嫌、です、取らないで、ください……っ」
「そんな汚いもんもういらないだろ!」

 しかし一生懸命抱え込んだところで、キアラの力では、大した抵抗にもならなかった。腕の中から勢いよく引きずり出されて、服が地面に散乱する。
 もちろん、簪も。

「あ……っ」

 傷ついたり欠けたりしなかっただろうか。
 慌てて拾おうとしたものの、服を引っ張ってきた男のほうが遥かに素早く、簪を拾い上げてしまう。

「隊長! こいつこんなもん隠してた!」

 すぐにあの怖い人に渡されてしまって、大きな手が簪を掴んだ。もしかしたら、そのまま壊されてしまうかもしれない。大事な、ユクガに初めてもらった、お土産。
 そう思うとあまりに恐ろしく、キアラは必死で男に取りすがった。

「返して、ください……っ」

 けれど、簪を持った手をキアラの手の届かないところまで上げて、男が首を横に振る。

「なりません」
「嫌……嫌です、返してください、お願いです、何でも……血も、いくらでも差し上げます、からっ」

 届かない。必死で背伸びをしても、ぴょんぴょんと跳んでみても、キアラの手はかすりもしない。ぼろぼろと涙が出てきて、前がよく見えなくて、それでも取り戻したいのに、届かない。

「おね、がい……っ」
「あー、の……これ……俺たちが神子様いじめてるみたいじゃないですか……」

 目元に何かが当てられて、余計に前が見えなくなってしまった。いやいやと首を振っても、何度でも。

「いや、い、や……っ」
「大丈夫、神子様、落ちついて。ほーら、よしよし、泣くことないから」

 誰かに抱き上げられてしまって、ぽんぽんと背中を撫でられる。泣いている場合ではなくて、簪を取り戻さなければいけないのに、そうされると我慢できなくなってしまう。

「っう、うぅ……」

 しゃくり上げて、子どものようにぐずって、どうにか落ちついた頃に顔を上げると、慰めてくれていたのはククィツァに似た男だった。

「……申し訳、ありません、子どものように……」
「いいえ、心細いのに大事なもの取り上げられたら、そりゃ泣いちゃいますよね」

 そっと下ろしてくれる仕草も優しくて、なんとか気持ちを落ちつけようと息をつく。
 しかし目の前にあの恐ろしい男が立って、キアラは体を硬くした。

「……神子」

 男が少し距離を空けて、キアラの前に膝をつく。

「申し訳ないが、この簪をあなたにお返しすることはできません」

 簪というのは軸の先が尖っているから、使い方によっては武器になる。誰かをそれで刺したり、あるいは自分で喉を突いて自決したりできてしまう。だからキアラに持たせておくことはできない。

「……ここにいる、ローロという男は手先が器用です。この簪を、飾りと軸に分解できます」

 もしキアラが納得できるなら、軸の部分を取り外し、蝶の細工の部分だけを返すことはできる。
 その言葉に合わせて、今まで特に言葉を発していなかったひときわ大きな男が静かに前に出てきた。この人がローロだろうか。

「……そうしたら、返していただけるのですか」
「ええ」
「……わかりました。お願いいたします」

 きちんと頭を下げると、なぜか妙な沈黙が流れ、キアラは困惑しつつ顔を上げた。
 五人の男が、キアラを囲んで妙な顔をしている。

「どうかなさいましたか」

 曖昧に首を振って男が簪をローロに手渡したので、キアラは慌ててそちらに駆け寄った。

「お傍にいても、いいですか」

 こくりと頷いてくれたローロの手つきは繊細で、そっと返された蝶を抱いてキアラはまた涙をこぼした。
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