白銀オメガに草原で愛を

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26.高貴と下賤

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 鳥の声で目を覚まし、キアラはそっと体を起こした。一瞬ここがどこだか混乱して、カガルトゥラードに行く馬車の中だったことを思い出す。
 キアラが大きな箱と思ったものには別の名前があって、馬車と呼ぶのだと先日教えてもらったばかりだ。基本的にキアラはこの馬車の中にいなければならず、内側からは扉が開けられないようになっている。ほりょ、の逃亡防止のためだそうだが、ほりょという言葉がよくわからなくて聞いてみたものの、言葉を濁されてしまった。
 とにかく、移動の間や寝るときも全て馬車の中で過ごさなければならないので、少々体がだるくなってしまう。

 軽く伸びをして足を下ろし、靴を履く。それから貸してもらっている上掛けをきちんと畳んで、椅子の隅のほうにまとめておく。起きてからやることといえばそれくらいのもので、あとはそっと、扉についた小さな窓から外を見てみるしかない。
 外はもう明るくなっていて、昨夜のたき火の傍で、一人の男が鍋の中身をかき混ぜている。いつも食事を作ってくれる人だ。
 その近くでローロが椅子や食器の準備をしている。ククィツァに似た人とちょっと意地悪な人は、朝に弱いそうでまだ起きていない。あの怖い人は姿が見えないが、彼ら五人以外にもたくさんの兵士が近くにいるらしく、そちらと毎朝話をしにいっているそうだ。だったらもっと固まって動けばいいのにと思ったが、ばらばらに動かなければならない都合があるらしい。

 ひと通りキアラが状況を確認したあとに、ローロと視線が合って、料理をしている人に知らせてくれる。まだローロ以外の人の名前を教えてもらっていないので、顔の区別はついても呼び分けられない。ヨラガンと違ってカガルトゥラードの人は、質問をすると怒ったり、答えてくれなかったりするから、キアラは名前を聞くことをそもそもあきらめていた。
 料理をしている人がこちらを確認して頷くと、ローロが歩いてきて扉を開けてくれる。

「おはようございます、ローロ様」

 少し困った顔をしてから、ぺこりと頭を下げて、ローロが笑みを見せてくれる。彼は喉にひどい傷跡があるのだが、そのせいで声が出せないのだそうだ。血をあげたら治るかもしれないと申し出てみたものの、本人に断られてしまった。
 そっとキアラを抱き上げて、ローロがたき火の傍まで連れていってくれる。自分で歩けるのだが、ローロはおそらく親切心で、キアラを椅子まで運んで座らせてくれている、のだと思う。言葉が交わせないから、本当のところはわからない。

「ありがとうございます、ローロ様。おはようございます」
「おはようございます、神子様。今湯をご用意しますので、少々お待ちください」
「はい、ありがとうございます」

 顔を洗うのに湯を用意してもらえるのもありがたかった。恐ろしい人や意地悪な人もいるが、キアラをどこかに連れて行こうとしている五人は親切だし、優しいと思う。

 ユクガに連れ出してもらうまでいた場所では、顔を洗うのも体を清めるのも水だった。あの頃は温かい水があることも知らなかったから、寒い時期が嫌だったのだ。たぶんあれは、辛いという言葉で表す気持ちだろう。

 料理をしてくれる人が用意してくれた湯で顔を洗い、ローロが渡してくれた布で顔と首筋を拭う。それだけでかなりさっぱりして気持ちいい。

「ありがとうございます、お二人とも」

 これだけしてもらっているのだからせめて何か手伝いたい、と思うのだが、ここではキアラは何もしてはいけないらしいので、大人しくしておく。料理を手伝おうとしたら止められ、洗濯をしようとしたら止められ、その他はずっと馬車の中だ。何もすることがない。
 ぼんやりと椅子に座って料理の様子を眺めていると、朝に弱い二人が起きてくる。

「お二人とも、おはようございます」
「あー……神子様……おはようございます」

 ククィツァに似た人は挨拶を返してくれるのだが、意地悪な人にはぷいっとそっぽを向かれてしまった。簪の件は謝ってくれたし、悪い人ではない、と思う。しかし彼はどうにもキアラが気に入らないらしいので、これもどうしようもないのかもしれない。
 お礼を言ってスープを受け取り、ふーふーと息を吹きかけて冷めるのを待つ。他の四人は食べるのが早くて、キアラがスープの半分もいかないうちにおかわりまでいってしまう。同じように食べてみたいと思っても、出来立てのスープというのはやはり熱すぎる。

 そのうちにあの恐ろしい人が戻ってきて、他の四人がそれぞれ朝の挨拶をする。少し離れた椅子に腰を下ろすのは、たぶん、キアラが怖がっているのをわかっていて、気づかってくれているのだろう。
 ただ、怖がってばかりなのはきっと失礼になるから、勇気を出さなくては、とも思う。
 スープを飲み込んでスプーンを置き、きゅっと両手を握りしめる。

「おはよう、ございます……たいちょう、様」

 ローロ以外の名前はよくわからないのだが、他の人がたいちょう、と呼んでいるから、間違いではないはずだ。
 しかし、五人が驚いた顔をしているから、何かいけなかったのかもしれない。キアラが勢いを失ってうつむくと、ややあって声がした。

「……おはようございます、神子」

 ユクガのように、落ちついた声だ。おそるおそる顔を上げると、恐ろしかったはずの人が、少し柔らかい表情でこちらを見ていた。

「ただ、隊長というのは役職であって、呼び名として相応しくありません」

 注意されてしまった。けれど、怒っている様子はない。

「……違う、のですか」
「はい。それに、あなたのような高貴な方が、我々のような下賤な兵士を様付けで呼ぶのはおやめください」

 言葉が難しくて、キアラは首を傾げて少し考えた。
 兵士というのは戦う人のことを示している言葉らしいから、それもおそらく役職、というものに分類されるのだろう。役職、というのもよくわからないが、ひとまず、呼びかけるものとして相応しくないようだ。
 それから、あなたのような、はキアラのことで、我々のような、は彼ら五人のことだ。高貴、と、下賤、がわからないと、きちんと理解できない、ような気がする。

「……お伺いしても、よろしいでしょうか」

 カガルトゥラードの人は、質問をすると不機嫌になることが多いのだが、彼らは怒らないような気がした。

「私でお答えできることであれば、何なりと」

 思っていたより、優しい人、なのだろうか。よく考えてみれば、頬を切り裂かれたとき以来、一度も暴力は振るわれていない。

「こうき、と、げせん、とは、何ですか」

 スープをこぼしてしまったときも、あの人が率先して馬車まで連れていってくれたし、急いで着替えを用意してくれた。キアラが怖がっているとわかれば、そっと距離をあけて、気づかってくれている。

「……高貴、とは身分の高い方のことです。下賤というのはその反対、身分が低く卑しいもののことです」

 キアラはまたこて、と首を傾げた。
 身分が高いというのは王様や王妃様、王子様、お姫様のことであって、キアラは王子ではない。そうでなければユクガのお嫁さんにはしてもらえなかったのだから、間違っていないはずだ。
 それに以前、水と食事を恵んでくれていた人が言っていたのだ。

「……私は、高貴、ではありません。私は全ての方にお仕えしなければいけないから、全ての方を尊ばなければならないと、お聞きしています」

 高貴な人は、誰かに仕えたりしない、と思う。全ての人に仕えなければいけないのだから、キアラこそ、下賤なもの、なのではないだろうか。

「……誰がそのようなことを?」

 その声に恐怖を覚え、キアラは体を固くした。気づけば全員の目が、キアラに向いている。

「み、水と、食事を、お恵みくださっていた、方が」
「水と食事を、恵む?」
「ヨラガンがそのような?」
「い、いいえ、カガルトゥラード、で……」

 ユクガが言っていたから、キアラがヨラガンに連れていかれる前は、カガルトゥラードのどこかにいたはずだ。水と食事を恵んでくれていた人にはあれ以来会っていないから、今どうしているのかはわからない。

 でも、そんなことより、五人が険しい顔をしているのが恐ろしい。何か言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。やはり質問などすべきではなかったのかもしれない。
 目を閉じてきゅっとうつむいたキアラに、誰かが触れてくる。思わず肩を跳ねさせてそちらを向くと、眉尻を下げたローロだった。

「ローロ様……?」

 どこか痛むのだろうか、辛そうな表情に見える。

「どうかなさいましたか、喉が痛みますか?」

 ローロはとても体が大きいので、立ち上がらないと彼の喉には手が届かない。食器を椅子に置いて彼の傍に立ち、そっと喉の辺りを撫でる。古い傷にも効くのかわからないが、やはり血を飲んでもらったほうがいいのではないだろうか。
 しかしローロは首を横に振って、キアラの頭を撫でてくれた。

「ローロ様、私の頭は痛くないです」

 痛くないと伝えたのに、どうしてかローロはますます悲しそうな顔になってしまった。
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