白銀オメガに草原で愛を

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静嵐

51.不安定なカエミナ

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 年替わりの日がいつなのか、キアラは正確な日にちを知らなかったが、冬だったことは覚えている。
 カガルトゥラードに連れてこられたのがちょうど冬のころ、そうして一年が目まぐるしく過ぎて、次の一年では宮殿の花の移り変わりを楽しむ余裕もあった。
 その二年目以降、キアラは歳を数えるのをやめてしまった。叶わないとわかっていて、それでもあきらめきれないものを抱きながら、重ねた年月を指折り数えるのはつらかった。

「神子様、よろしいですかな」
「……はい、総主様」

 声をかけられて、キアラは静かに立ち上がった。
 自室以外ではベールをつける生活も続いているが、何年もそうして過ごしていれば、道を覚えることや、日常のちょっとした動作にはほとんど支障はなくなってしまう。

「ここは冷えますからな、どうぞこちらへ」

 冬の礼拝堂は寒いところらしいのだが、キアラの周囲には火の精霊たちが集まってきてくれるから、ほとんど寒さは感じない。
 ただ、キアラがこの生活に慣れてしまったということは、きっと、ユクガもキアラのいない生活に慣れてしまっただろうという寂しさにだけは、ひどく、手足が冷たくなるような気がする。
 礼拝堂の入り口近くの小部屋に入り、キアラは総主と向かい合って座った。

「総主様、どうかなさいましたか」

 慎重に立ち回ることをルガートと確認してからも、キアラは基本的には分け隔てなく親切であるよう心がけていた。
 誰とも親密になりすぎないと決めていても、相手に冷たくするのは性分ではないし、誰に対しても優しくしているのであれば、特定の誰かとだけ親しいと思われることはないはずだ。

「……実は、近ごろ王都でも病に侵される民が増えておりましてな」

 カガルトゥラード国内があまりよくない状況だ、というのは、キアラも聞き及んではいるところだった。ミオとシアによると、だんだんと麦の収穫量が減ってきているそうなのだ。食糧が少なくなれば満足に食べられない人々が増え、満足に食べられなければ体が弱って、病にもかかりやすくなってしまう。
 王都ではまだ影響は見られていないが、王都から遠ざかるにつれて食糧不足にあえぐ人の割合が増えている、とルガートも教えてくれていた。それがとうとう、王都にも及んできたということだろうか。

「日ごろご協力をお願いしているところ、申し訳ないのですが……いま少し、血を分けてはいただけませんか」

 ベール越しに、キアラは束の間総主を見つめた。
 カガルトゥラードに来てすぐのころは、キアラの血を分けるのは月に一度、王都での礼拝の前だった。今は月に二回、王都に出る前日と、そこから日を置いて、キアラの体調がいいときを見極めて行われている。
 それをさらに、増やしたいのだろうか。

「……私で、お役に立てるのでしたら」

 しかし断る理由もなく、キアラはゆっくりとうなずいた。
 キアラの血に病やけがを治す力があるのは確かだから、それで誰かを助けることができるのなら、惜しむこともない。

「おお……ありがとうございます、神子様。いやしかし、御身に何かあってはいけませんからな、月にもう一度、神子様のお加減を見ながら、といたしますので……」
「はい」

 もう一度うなずいたキアラにほくほく顔で礼を言うと、総主はキアラが礼拝堂を出るところまで付き添ってくれた。今はベールがあってもほとんど支障なく歩けるのだが、総主も常に手を貸してくれるので、親切な人なのだとは思う。

「それでは、改めてご連絡いたします」
「はい。お待ちしております」

 軽く膝を曲げて挨拶を済ませ、シアが差し出してくれた手を取って自分の部屋に向かう。

「……ミオ、今はどこの庭が見ごろでしょうか」
「今ですと……カエミナの庭はいかがでしょうか」

 少し風にあたりたい。そう思って尋ねた庭に足を向けて、キアラはそっと息をついた。
 今の時期ならプリアカンタも咲き誇っているかもしれないのだが、エドゥアルドの一件以来、キアラはあの庭に立ち入っていない。

「いろいろな花が、あるようですけれど……」
「ここに咲いているのは、すべてカエミナですよ」

 花びらが縮れたり、色が変わったりと変化しやすいので、変わったカエミナの花を作ろうとする貴族の愛好家も多いらしい。しかし、作り出した変化を次の種には引き継げないので、一度限りの姿として楽しむしかない。中には、特によくできたものを王家に献上する貴族もいるそうで、様々なカエミナの株が、暖かくなってきたころから、次々にこの庭に届けられるのだそうだ。

 ミオの説明を聞いていると風の精霊がふわりと傍に漂ってきて、キアラはそちらを振り返った。

「神子様もいらしていたのですか」
「ごきげんよう、エドゥアルド様」

 膝を折って頭を下げると、エドゥアルドがゆっくりと近づいてくる。その顔が疲れているようにも見えて、キアラはベールの下で眉尻を下げた。少し前から国王の体調が思わしくなく、エドゥアルドが代理で公務を行うことも増えてきているそうだ。

「陛下のお加減は、いかがですか」
「神子様の薬のおかげで、ここのところ落ちついております。お心遣い、感謝いたします」

 実際のところは、国王の体調不良はキアラがカガルトゥラードに来た少しあとから始まっていて、その治療のためにキアラの血を取る回数が増えたのだ。一度はそれで持ち直したのだが、最近ではベッドから起き上がれない日もあると聞いている。

「……私の、力が、及ばないばかりに……」
「とんでもない。神子様の薬をいただいていなければ、今ごろ父上はもっと苦しんでいたでしょう」

 エドゥアルドはそう言ってくれたが、己に向けられている声があまり好意的なものばかりでないことも、キアラは知っていた。
 麦がとれなくて苦しい思いをしているのも、国王の健康が思わしくないのもすべて、神子の力が弱いせい。
 キアラにどうしようもないことであっても、精霊に祝福された神子にはあらゆるものをよくしていく力があるように、人々は信じてしまっている。

「……アンナリーザ様は、いかがですか」

 ただ、それでキアラが思い悩んでいようとエドゥアルドに何か言うものでもない。気持ちを切り替えようと、キアラはエドゥアルドの正妃のことを口にした。

「侍医によれば、順調のようです」
「それは……安心いたしました」

 エドゥアルドの正妃はアンナリーザといって、カガルトゥラードの侯爵家出身だそうだ。すでにエドゥアルドとの間に一人、姫君が生まれているのだが、少し前に、二人目を授かったことがわかったのだった。病やけがではないが、もし体調を崩した場合には血を分ける必要があるかもしれないということもあって、キアラも気にかけている。
 医者によれば、アンナリーザの健康状態は良好、お腹の子も診察した限りでは順調に育っており、今のところ問題はないそうだ。キアラの助けが必要になることなど、ないほうがいい。

「……神子様」

 少しほっとして、そろそろ戻ったほうがいいかと振り返ろうとしたキアラの手を、エドゥアルドが握った。

「……エドゥアルド、様?」
「以前お話ししたことについて、お考えいただけていますか」

 掴まれている手をそっと引いて、キアラはおずおずと後ずさった。エドゥアルドが何の話をしたいのか、わかってはいるが、はっきりした返事をしてはいけない。

「……今は、アンナリーザ様のお体が大切なとき、と、存じます」

 ゲラルドとマナヴィカの間に、愛情はなかった。エドゥアルドとアンナリーザが、互いをどう思っているのか、キアラは知らない。しかし、子を孕んで産むことになったときに、連れ添う人には傍にいてほしいだろうと思う。そんな時期に、夫が他の誰かを妻にしようとしていたことを知ったら、アンナリーザもいい気持ちはしないだろう。

「だからこそ、我々とともに歩んでいただきたいのです。神子ではなく、王家の一員として」
「……こちらで失礼いたします、エドゥアルド様」

 エドゥアルドに軽く膝を曲げて会釈だけすると、キアラは庭をあとにした。ミオとシアがすぐにあとについてきてくれたが、戸惑っている気配は感じられる。

「……神子様」
「……失礼だったでしょうか」
「いえ……殿下がいつにも増して積極的でいらっしゃったな、と」

 カガルトゥラードの宮殿には、率直な物言いをする人は少ない。遠回しでやんわりとしていて、言葉に出されなかった意味を聞き手が読み取らなければならないことが多いのだ。エドゥアルドも公の場ではそういう話し方が常なので、今日のように、王家の一員になってほしいと直接言ってくるというのは妙ではある。

「……エドゥアルド様も、何かお困りなのでしょうか」

 ミオとシアは、基本的にキアラの傍にいて世話をするのが仕事なので、情報を集めに回るようなことはあまりできない。むしろ傍から離していると、神子が何かしようとしているのかと妙な誤解を受けかねないから、本当に用事があるときですら注意しなければならないのだ。キアラから積極的に何かを調べるというのは難しい。

しるべ灯火ともしびに戻った際に、できるだけ話を集めてみます」
「……申し訳ありません、ミオ、シア」
「それが我らの役目ですから」

 危険なことが起きなければいいのだが、キアラにはミオとシアに頼るしか術がない。
 小さくため息を漏らしたキアラの傍を、風の精霊がぽわぽわと通り過ぎていった。
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