白銀オメガに草原で愛を

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帰還

61.不届きにぴりり

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 おそらく国境を越えてヨラガンに入ったのだろう。キアラの周囲で遊ぶ風の精霊が増えて、服の中にまで潜りこんでくるからくすぐったい。

「……神子様」

 休憩と言われて馬車を下り、休んでおいでと皆に言われるのでキアラにはやることもない。邪魔にならないような場所に立って、精霊を自由にさせたままくすくす笑っていたら、ミオに声をかけられ、キアラが振り返るとシアも立っていた。

「どうなさいましたか、ミオ、シア」

 キアラの髪をひらひらと揺らすのが楽しいのか、たくさんの精霊が傍でさざめいている。これが、他の人にとっては風の音なのだろうか。

「あの……」

 言いよどんでしまったミオに首を傾げ、キアラは歩いていってそっとミオの手を取った。

「お話し、してください」

 ぽわぽわと、火の精霊がミオに近づいてきて肩に乗る。促されるようにミオが顔を上げて、キアラの手をぎゅっと握った。

「キアラ様と、お呼びしてもよろしいでしょうか」

 ミオとシアがとても真剣な顔をしていて、キアラはぱちぱちと瞬きをした。二人の顔を交互に見て、シアの手も取る。二人とも、ユクガやルガートのようにごつごつはしていないが、キアラより大きな手だ。

「……名前で、呼んでくださるのですか」

 カガルトゥラードでは誰にも聞かれなかったし、名前を言う機会もなかったから、ずっと神子様と呼ばれるしかなかった。だから、カガルトゥラードではキアラの名前は大切なものではないのだろうとあきらめていたのだが、ミオとシアは、キアラの名前を気にしていてくれたのだろうか。

「お許し、いただけるのでしたら」
「私たちの主は、神子でいらっしゃいますが……神子というのは、あなたの一面にすぎませんから」

 神子という生まれだけではなくて、キアラ自身を大切にしてくれている。
 それがわかって、キアラは二人の手をぎゅっと抱きしめた。こういうときに、うまく気持ちを表せたらいいのに、キアラが知っているのは嬉しいという言葉だけだ。
 胸がいっぱいになって、ほわりと温かくなって、ともすれば泣いてしまいそうなこの胸の気持ちを、どう伝えたらいいのだろう。ぽわぽわと風の精霊が周囲を取り巻いているのは、キアラと一緒に喜んでくれているのかもしれない。

「ありがとうございます、ミオ、シア……お二人に、名前で呼んでいただけるのは、とても嬉しいです」

 泣いてしまったらきっとミオとシアを困らせてしまうから、嬉しさとくすぐったさで笑っていることにして、キアラははにかみながら笑みを浮かべた。ミオとシアがそっと手を伸ばして両側から背中を撫でてくれて、その優しさがまた嬉しい。
 キアラがじんわりにじんできた目を瞬いてごまかしていると、ふとレテと目が合った。何かあったのだろうか。ユクガやククィツァは何やら話し合いを続けているようだから、移動はまだだろう。

「レテ様、何かございましたか」

 近寄って尋ねてみたものの、ぎょっとしたような表情のあと、顔をそらされてしまった。何かいけないことでもしてしまっただろうか。

「レテ様?」
「なっ、んでもねぇよ!」

 何でもない人の言い方ではないと思うのだが、話してくれそうにない。キアラが何かいけないことをしたのなら教えてほしいけれど、この様子では難しいだろう。
 困って首を傾げていたら、面白がっているような顔でラグノースが近づいてきて、レテの肩に腕を回した。

「そういうの神子様には通用しないと思うぞー?」
「うるせぇ!」

 そのままラグノースの手を払いのけて、レテはのしのしと歩いていってしまった。残されたラグノースは声を上げて笑っているが、あとを追いかけなくていいのだろうか。

「あの、ラグノース様、レテ様は何を気になさっていらっしゃったのでしょうか」
「っふ……いや、気にしなくていいですよ、神子様」
「ですが……」

 自分の足で歩いていってしまったくらいだから、けがをしていたり体調が悪かったりということはないとは思う。でも、キアラに何か言いたいことがあったなら、きちんと聞いておいたほうがいいだろう。
 ただ、ミオとシアを振り返ってみても、そっとしておいたほうがいいと言わんばかりに首を横に振られてしまった。わかっていないのはキアラだけらしい。

「それより神子様、キアラ様って名前なんですよね」

 口を尖らせ、ミオとシアにどうしてだめなのか聞こうとしたら、ラグノースに先に尋ねられてしまった。慌ててラグノースに向き直り、うなずいてみせる。

「俺もキアラ様って呼んでいいですか」
「ラグノース様も、名前で呼んでくださるのですか」
「カガルトゥラードじゃ何かとうるさかったけど、ヨラガンはそうでもなさそうですからね」

 カガルトゥラードでは、高貴な人、の名前はできるだけ呼ばず、陛下とか、神子様とか、その人の地位に見合った尊称、で呼ぶものだというのは、ミオとシアに教えてもらったのでキアラも知っている。
 尊称、というのはよくわからなかったので、キアラはほとんど名前で呼んでしまっていたが、怒られなかったのでおそらく問題なかった、はずだ。

「……ファルファーラでは、お仕えする方の名前をお呼びしても、何も言われなかったんですけどね」
「そうなのですか」

 ラグノース、リンドベルはファルファーラの生まれなのだと、ルガートが言っていた。国が滅ぼされたときに難を逃れて落ち延びたルガート、ラグノース、リンドベルの三人はそれからずっと一緒にいて、行方不明になってしまった幼い王子を探していたという。
 ファルファーラのあった土地は、ファルファーラを滅ぼした国をさらにカガルトゥラードが攻め落としたため、カガルトゥラードの領土、ということになっていた。しかしカガルトゥラードが土地を切り開こうとすると、何かと事故が起きたため、今やほとんど放棄されてしまっているそうだ。
 もはや人の暮らす土地というよりは、精霊の住む地といった趣の場所になっているらしい。

「……ラグノース様」

 はっとして、キアラはラグノースに歩み寄った。ラグノースが少したじろいだようにも見えたが、構わずすぐ近くに立って見上げる。

「はい、何ですか、キアラ様」
「大きな……中に建物がある、大きな池を、ご存じないでしょうか」

 ファルファーラは、精霊に満たされた国だったとマナヴィカから聞いている。だとしたら、あの精霊がたくさんいる建物も、ファルファーラにあるかもしれない。今まで思いつかなかったのが不思議だが、思いつかなかったものは仕方ないので置いておく。
 ただ、ラグノースからすぐに返事はなかった。にこやかだった表情をすっと消して、じっとキアラを見つめている。

「……どちらで、そのような話を?」
「……本当に、ある場所なのですか」

 信じていたとも疑っていたとも、はっきりとは言えないが、ラグノースの言葉はキアラにとって真実だった。
 何度も夢に出てきたあの場所は、キアラの夢ではなく存在していて、ラグノースは知っている。

「教えてください、どちらにあるのですか。私は、そこへ行かねばならないのです」
「えっ、いやちょっと待って待って待って、落ちついて、キアラ様」

 いつか探し出さなければと思っていたが、知っているなら教えてほしい。気が急いて詰め寄ってしまい、キアラはラグノースにたしなめられてしまった。勢い余ってラグノースの服を掴んでしまっていたのにも気がついて、慌てて後ろに下がる。

「も、申し訳ありません……」
「むしろ俺は役得……」

 ぴりり、と後ろから何かが触れたような気がして、キアラは振り返った。
 しかし後ろには、いつも通り、ミオとシアがにこやかに控えているだけだ。その笑顔のまま、にこにことミオがラグノースに問いかける。

「ラグノース殿?」
「いや、何でもないです」

 ラグノースは、ミオにここまで丁寧な話し方をしていただろうか。
 首を傾げて二人を交互に見ていると、両手を上げたラグノースが首を振った。

「勘弁してくださいよ……俺は隊長を呼んでくるので、侍従殿は将軍を呼んできていただけませんか。ちゃんと説明したほうがいいと思うんで」
「……承知しました。シア、キアラ様を」
「わかった」

 そうしてラグノースとミオが歩いていってしまい、キアラはぽかんと取り残されているしかなかった。シアは残ってくれているのだが、特段説明してくれる様子もない。

「……シア、私は、何かいけないことをしてしまったのですか」
「いいえ。今のはラグノース殿が不適切な行動をなさっただけですから、キアラ様は何一つ悪くありません」
「……し、シア……?」

 何か怒っているのだろうか。確かめたい気持ちはあるが、深く聞いてはいけない気もする。
 ひとまずミオとラグノースがユクガとルガートを呼んできてくれるようなので、キアラは大人しく待っておくことにした。
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