白銀オメガに草原で愛を

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帰還

60.黒髪の護衛騎士

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 ヴァルヴェキアの王都を出てしばらく経ち、町に泊まって休息を取る機会も少なくなっていた。
 キアラは野営でも構わなかったし、ヨラガンからカガルトゥラードに連れていかれるときも似たようなものだったから気にならなかったのだが、ミオとシアは心配だったらしい。キアラが適当な石に腰かけようとしたら慌てて布を敷いてくれたり、座ったと思ったらすぐにひざ掛けや上着を着せかけてくれたり、宮殿にいたとき以上に甲斐甲斐しかった。
 おかげで、ククィツァに姫君とからかわれてしまう有様だ。

「もう……姫君ではありませんと、申し上げているのに」

 料理や洗濯、馬の世話を手伝おうとしても、人手は足りているから休んでおいでとヨラガンの人たちにさえ遠慮されてしまっている。これはよくない。

「何かのお役に立たないと、いけません」
「ほう?」

 後ろから抱き上げられてしまって、キアラは小さく悲鳴をあげた。ふわりと包まれた香りですぐに誰かわかったものの、驚いてしまうのは仕方ないだろう。

「ユクガ様」
「お前はいるだけでいい。俺が安らぐ」

 キアラを抱いたまま、ユクガがキアラの腰かけていた場所に座ってしまう。ミオとシアは、礼儀正しく傍に控えていて止めようとはしない。

「……私は、姫君ではありません」

 口を尖らせて訴えても、ユクガは穏やかな表情でキアラを見下ろしているだけだ。

「俺の番は、機嫌が悪いらしい」

 ユクガはヨラガンの将軍として、ククィツァの護衛と使節役を兼ねてヴァルヴェキアに滞在していた。
 そのため町に泊まるときであっても、ククィツァやキアラの安全を確保するための人員配置、兵士たちの報告を聞いたり、明日の予定を立てたりと忙しく、一緒にいられる時間は少ない。野営であればなおさら、外での休息のときもだ。
 だからこうしてユクガが傍にいてくれるだけでも、貴重な時間だった。それがわかっているから、キアラが不機嫌を保っているのは難しい。
 胸元に頭をすり寄せて甘えると、ユクガが心得たように撫でてくれる。そうしているだけで、気持ちがほわほわと柔らかくなってしまう。

「お忙しいのでは、ないのですか」
「……まだ、仕事はあるんだが」

 それならキアラが邪魔をするのもよくないだろう。
 ただ、ユクガの膝から降りようと思ってもがっちりと腰を抱えられていて、ユクガのほうが放してくれそうにない。

「ユクガ様?」
「……もっと一緒にいてやれと、追い出された」

 何度か瞬きをして、それからそっと伸び上がってユクガの肩越しに見てみると、兵士の人たちがにこにことこちらを見守っている。声が届くような距離ではないので手を振ってみたら、嬉しそうにぶんぶん振り返してもらえたが、ユクガに引き戻されてしまった。

「あいつらに構わなくていい」
「こちらを、気にかけてくださっています」
「俺はいつでもお前を気にかけている」

 きょとんと目を瞬いて、キアラはくすくすと声を漏らした。体が大きくて、口数も少なくて、精悍で凛とした人なのに、ユクガはときどき子どもっぽいところがある。
 手を伸ばして頬を撫でると、ユクガが顔をずらして手のひらに口づけてきて、キアラは照れてしまってまた笑った。

「私の胸の真ん中にも、いつもユクガ様がいらっしゃいます」
「……ああ」

 笑顔を見せてくれたものの不意にユクガがキアラを抱えて立ち上がり、わらわらと兵士が集まってきた。ミオとシアもきゅっとユクガの傍に寄ってきていて、何か起きているようなのだが、キアラにはわからない。周囲を見回しても、同じようにククィツァが兵士に囲まれているだけだ。

「ゆ、ユクガ様……?」
「抱かれていろ」
「は、はい」

 ぎゅ、とユクガの服を掴んで、キアラは身を寄せた。そろりと視線を向けた先のククィツァが見ている方向を、目でたどる。
 休憩のために隊列が止まったのは、街道を少しよけただけの場所だ。両側は林か森か、キアラには区別がつかないくらいの木が茂る場所で、あまり見通しはよくない。ククィツァはその片方をじっと見つめている。
 見上げるとユクガもそちらに視線を向けているから、何か、林か森の中に、いるのだろうか。

「何も取って食おうってわけじゃない、出てこいよ」

 ククィツァが声をかけても、しばらくは何も起きなかった。
 しかし辛抱強く待っていると、がさりと茂みが揺れて、何人かが姿を現した。

「……あのときのアルファ……」

 丁寧に地面に下ろされて背中にかばわれ、キアラはおずおずとユクガを見上げた。少し迷って、ユクガの背中にくっつき、現れた五人をそっと覗く。

「ひとまず、弁明は聞くか」
「……神子様をお慕いし、あとを追って参った。他意はない」

 ヨラガンの人たちが剣に手をかけているのに対し、隠れていた五人はそれぞれ、剣を鞘ごと外し、地面に置いた。そのまま立ち上がって数歩あとずさり、それぞれの武器から距離を取る。
 戦うつもりはないのだろう、とキアラはほっとしたが、ククィツァは眉をひそめ、軽く手を振った。
 途端に、五人が剣の切っ先に取り囲まれる。

「お、お待ちください……!」

 慌ててユクガの後ろから走り出て、キアラは五人とヨラガンの剣の間に立った。尖った切っ先が戸惑ったように引かれるが、誰も剣を収めてはくれない。

「……キアラ?」
「お待ち、ください、ククィツァ様……この方々は、敵では、ありません」

 黒髪の、五人組。キアラがヨラガンからカガルトゥラードに入るまで、守ってくれた五人だ。ルガートだけではない、ラグノース、リンドベル、レテ、ローロ、全員が、カガルトゥラードにいた間も、国境の警備という大変な仕事をしながら、キアラを気にかけてくれていた。
 ミオやシアと同じように、キアラを助けようとしてくれた人たちだ。

「カガルトゥラードの兵士が、信用できると思うか?」
「できます。この方々は、私を守ってくださいました」

 ヨラガンから連れ出されて一人ぼっちになって、恐ろしくて怯えていたキアラに、優しくしてくれた。キアラは断ってしまったけれど、できることなら、逃がそうとまでしてくれた。
 彼らが寄せてくれた心を、守らなければいけない。

 気圧されないようにぎゅっと手を握ってククィツァを見返していると、ヨラガンの兵士たちがざわついた。きょとんとして見回してみれば、キアラを見ているというより、キアラの後ろを気にしているような気がする。

 おそるおそる振り返って、キアラは目を丸くした。
 ルガートたちが、キアラに向かって膝をついている。

「お、おやめください、ルガート様、皆様」

 あたふたとキアラもルガートの前に座り、地面についているルガートの手に触れた。ゆっくりと顔を上げたルガートが、反対の手を襟元に入れる。

 引き出された細長い袋に見覚えはなかったが、どうしてか、大切なもののような気がする。

「……こちらを、お返しすべきときかと」

 震えそうになる両手をそっと差し出すと、首にかかっていた紐を外し、ルガートはキアラの手に袋を乗せてくれた。慎重に、紐を引いて袋を開け、中身を取り出す。
 きれいな緑の石で作られた蝶の飾りに、きちんと軸がついている。あのとき、キアラが尖っているものを持っていてはいけないからと、飾りの部分だけにしたはずだ。
 戸惑って見上げるキアラに薄く微笑み、ルガートがローロを振り返る。

「ローロは器用ですから」

 ふらふらと立ち上がって、キアラはローロの前にすとんと腰を下ろした。手に乗せた簪を見せて、尋ねる。

「直して、くださったのですか」

 人のよさそうな笑みを浮かべて、ローロがこくこくとうなずいてくれた。いつもの、キアラを抱っこしてくれていたときの、優しい顔だ。
 その笑顔を見たら、胸の奥からぎゅっと苦しくなって、キアラは簪を胸に抱きしめた。じわじわとせり上がってきた涙を拭って、ククィツァに向き直る。

「ここにいらっしゃるのは、カガルトゥラードの兵士、ではなくて、私を助けてくださる、方々です」

 キアラの手に、この簪が戻ってきたことで、ククィツァだってわかってくれるはずだ。
 あのころ、ユクガにもらったことが嬉しくて嬉しくて、子どものように何度も何度も、キアラはククィツァに見せていた。大事な簪であることを、ククィツァも知っているはずなのだ。

「……キアラ」

 黙ってこちらを見ているだけだったユクガが口を開いて、キアラはきゅっと身を縮めた。
 もし、ユクガもルガートたちを許さないのだとしたら、キアラには彼らを助けられないかもしれない。ユクガはとても強い戦士で、ククィツァのように、ヨラガンの偉い人だから。ヨラガンの偉い人二人が反対すれば、キアラ一人がいくら主張しても、かなわないだろう。

「……はい、ユクガ様」
「その男たちが罪を犯したとき、お前ならどうする」

 考えてもみなかった問いを投げかけられて、キアラは簪を抱く手に力を込めた。
 勇気を、持たなければ。

「私は……もし、もしこの方々が悪いことをしてしまったのなら、きっと、わけがおありなのだろうと思います。それでも、嫌な思いをした方がいるのだとしたら、それは……償わなければ、なりません」

 じっと見つめる先のユクガは、怒っているのではないだろうと思った。黄色の瞳がまっすぐキアラを見据えているのは、いつも、キアラの話を真剣に聞いてくれているときだ。旦那様、というのは少し恥ずかしいけれど、キアラを妻として迎えてくれた人は、初めて会ったときから、キアラの言葉に耳を傾けてくれた人だ。

「……そのときは、私もともに、償います」

 後ろが少しざわついたような気がしたが、キアラはユクガに視線を据えたまま、動かなかった。キアラがきちんと考えているのか、気持ちが定まっているのかを聞かれているような気がしたからだ。
 その思いを伝えるのに、揺らいでいてはいけない。

 そう思ってまっすぐユクガを見つめていたのだが、ふっとユクガがキアラから顔をそらしてしまった。

「ククィツァ」

 キアラを避けたというより、ククィツァに話しかけるためだったらしい。
 どこかほっとしてキアラも視線を向けると、ククィツァが難しい顔のままため息をつく。

「……で、お前らはどうなんだよ」

 ククィツァの視線を追うと、今度はルガートたちに行きついた。ルガートも、後ろの四人も、一度ククィツァに真剣な表情を向け、キアラに向き直ってくる。

「……かつて、主を守れず、己ばかりが落ち延びたふがいない兵士だが……だからこそ、神子様をお守りし、お支えしたいと思っている」

 そこまで思いつめなくとも、と思ったが、ルガートの気持ちはルガートのものであって、キアラが何か言うのもおかしいだろう。
 ルガートが向けてくるまっすぐな視線に、きちんと応えてうなずく。ラグノースも、リンドベルも、レテも、ローロも。立派な主になれる自信はあまりないけれど、彼らの思いにはきちんと応えたい。

「……それで? どこの人員が足りないって言ってたっけ、ユクガ」

 ククィツァがどこかわざとらしいような物言いをして、キアラは目を瞬いた。風の精霊に誘われて見上げると、ユクガがわずかに口の端を上げている。

「……特に急いでいるのは、神子の護衛だな」

 神子の護衛ということは、キアラの護衛という意味だろう。ぱっとキアラが振り向くと、ククィツァも笑みを浮かべていた。
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