白銀オメガに草原で愛を

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帰還

59.灰かぶりの侍従

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 がたり、と馬車が動き出して、キアラはそわそわする気持ちをぐっと抑え、神妙に姿勢よく座っていた。向かいにはククィツァがゆったりとくつろいでいて、キアラの左右にはミオとシアがいる。馬車自体がおそらく大きめなので、三人で座っていても窮屈には感じない。

「ようやくだな」

 ククィツァが待ちかねたようにつぶやいて、キアラは視線を向けた。座席に片膝を立てて肘をつき、行儀がいいとは言えない姿勢だ。箱のような馬車だから囲まれているとはいえ、扉の所に窓はあって、外から見えてしまうのではないだろうか。
 ただ、それがククィツァらしくて懐かしくもあり、キアラは緩く笑みを浮かべた。

 それに気づいたのかどうか、ククィツァが座席に座り直す。

「……キアラ」
「はい、ククィツァ様」

 しかしククィツァはそこで言いよどんでしまい、キアラは大人しく待った。話したいことがあってもうまく言葉に表せないときがあるのは、キアラも知っている。

「……イェノアから、何か聞いてるか」

 一瞬にして、目の前に横たわったイェノアと草原が広がったような気がした。体が固くなって、ぎゅっと手を握りしめてしまう。
 一度目を閉じて深く息を吸い、吐いて、目を開くと、ククィツァがじっとキアラを見つめていた。

「……そちらに、座っても、よろしいでしょうか」
「ああ」

 動いている馬車の中をあまり移動するものではないだろうが、ミオやシアにも手伝ってもらいながら、キアラはそっとククィツァの隣に腰を下ろした。

 ずっと目に焼きついて、胸の奥に大事に大事にしまっておいたものを、この人にだけは伝えなければならない。

 座席に投げ出されていたククィツァの手を取り、伏せてしまいたくなる目をしっかり開けて、じっと見下ろしてくる人と視線を合わせる。

「……私は、イェノア様が戦っていらしたところは、拝見しておりません」
「……そうか」
「私が戻ったときには……イェノア様は、倒れていらっしゃいました」

 危険な場所からキアラを逃がそうとするカヤを、なんとかなだめすかしてイェノアのもとに戻った。そのときにはもう、イェノアは血まみれで地面に横たわり、イェノアの馬が不安げに周囲を歩き回っていた。
 駆け寄って助け起こそうと思ったが、そうすればイェノアの命を縮めることになるのに気がついて、キアラは急いで血を飲ませようとした。

「でも……止められて、しまいました」

 必死に頼んでも、泣きわめいても、イェノアはうんと言ってくれなかった。血の気を失って青白くなった顔で微笑み、キアラを撫でてくれただけだった。
 そうして、もうほとんど吐息にしか聞こえない声で、言った。

「ククィツァに、愛しているわ、と、伝えて、と仰いました」

 それから、サルヒとラーツァに。ユクガ、ベルリアーナ、集落の人々、皆を愛している、と教えてくれた。

「もちろんキアラ、あなたのことも、とも、仰ってくださいました」

 あの戦は、カガルトゥラードが草原や神子を手に入れようとして起こしたものだ。だからキアラにも原因があったはずなのに、イェノアは何も責めなかった。ただ、微笑んでいた。

「……私の愛したものを、どうか嫌いにならないで、どうか、守ってあげて、とおっしゃいました」

 どうにか助けたくて、でも受け入れてもらえなくて、キアラは泣くことしかできなかった。泣きながら、キアラが必死にうなずいたのを見届けて、イェノアは微笑んだまま目を閉じた。

「……ククィツァ、愛してる、と……それが……」

 言葉を続けられなくなって、キアラは口を引き結んだ。
 泣いている場合ではないのに、きちんとすべてククィツァに伝えなければいけないのに、のどが詰まって言うことを聞いてくれない。
 キアラの手の中からククィツァの手が引き抜かれて、そっと、撫でてくれる。

「……あいつは、格好いい女だな」

 涙でぼろぼろの顔を上げると、ククィツァの目も潤んではいたが、口元は弧を描いていた。

「ありがとう、キアラ」

 キアラはこらえきれなくなってうつむいた。

 一番悲しいのは、イェノアを一番大切にしていたククィツァのはずなのに、慰められているようではいけないと思うのに、涙が止まらない。涙のあふれてくる目元を袖で押さえて、ぎゅっと目をつむると、ククィツァがまた遠慮がちに撫でてくれる。

「あんまりお前を触ると、ユクガが怒るからな」

 悲しくて泣いているのについ笑ってしまって、キアラはけふけふと小さくむせた。ククィツァも笑っているような気配がして、そっと顔を上げる。

「ああ、でも泣かせたのはバレそうだな……どうあがいても怒られそうだ」
「ユクガ様は……お優しいですから、大丈夫、ですよ」
「いーや、ユクガはキアラにはだだ甘だけどな、俺には特に厳しい」

 ククィツァが真面目な顔をして言うのでますます笑ってしまって、キアラは口元を押さえた。きっとそうやって、キアラを慰めようとしてくれているのだろうククィツァの優しさに、つい甘えさせられてしまう。ククィツァだって悲しいはずなのに。
 ひとしきり笑っていたらまた涙が出てきてしまって、もうびしょびしょの袖口では拭えそうにない。

「神子様、こちらを……」

 どこから取り出したのか、ミオが手巾を差し出してくれる。

「……甲斐甲斐しいのは、いいけどな」

 受け取ろうとするとククィツァに腕を掴まれて、キアラはぱたりと瞬きをした。ククィツァに視線を向けると、どうしてか、ククィツァの傍に火の精霊が増えている。

「お前ら、灰だろ?」

 途端に、ミオとシアの顔色が変わった。座席に姿勢よく座っていたはずの二人が、馬車の中なのに、ククィツァに対して身構えている。

「……なぜ」
「これでも一応、俺はヨラガンの王だしなぁ……特に戦の相手のことなんて、よく調べるもんだろう?」

 ククィツァと、ミオとシアの間では、何か伝わっているらしい。おろおろと視線を行き来させても、両者がにらみあっていることしかキアラにはわからない。火の精霊たちが馬車の中を飛び回って、楽しそうにぶつかりあっている。

「お、お待ちください、ククィツァ様、ミオとシアは、ひどいことはなさいません」

 どうしてこんな雰囲気になってしまったのかよくわからないが、キアラ以外に止める人もいない。ククィツァの袖をつかんで引っ張り、戸惑いつつ訴える。

「二人とも、よい人です」
「……キアラ、しるべ灯火ともしびは知ってるな?」

 突然尋ねられて驚き、キアラは気圧されるようにしてうなずいた。ククィツァは乱暴なことをしない人だが、たまに、キアラには難しくて、何を言われたのかわからなくなってしまうときがある。
 今だって、簡単なことを聞かれたはずなのに、どうしてしるべ灯火ともしびの話が出てきたのか、わからない。

「その中に、灰って呼ばれる特殊なやつがいる」
「灰、ですか」

 しるべ灯火ともしびの用語には、基本的には火や明かりに関する言葉が使われる。それに倣って灰と呼ばれる信者たちは、総主や導士のように偉い信者の護衛をしたり、逆に暗殺したりといった、しるべ灯火ともしびの後ろ暗い仕事を担っているのだそうだ。

「孤児を拾って育てる立派な慈善組織かと思いきや、子どものころから仕込んで立派な暗殺者に仕立ててるわけだ」

 おずおずと顔を向けると、ミオとシアは痛みをこらえるようにキアラを見つめていた。怒ってククィツァに何かしようとするわけでもなく、ただ、すがるようにキアラを見ているだけだ。
 水の精霊がぽわぽわと、二人を取り巻いている。

 揺れる馬車の中で立ち上がって、少しふらつきながら、キアラはミオとシアのいる座席まで戻った。どこか怯えているようにさえ見える二人の手を取って、キアラの膝の上に乗せる。

「ククィツァ様、ミオと、シアは、私を助けてくださる人たちです」

 今の話は、ミオとシアにとって、どこかが痛む話だったのだ。
 それなら、その痛みを癒やしたいと思う。自分の国を出てまでキアラと一緒に来てくれた二人を、守りたいと思う。
 ククィツァが腕を組んで座り直して、急に、キアラはククィツァが大柄な人であることに気がついた。もし、馬車の中で争うようなことになったら、ミオとシアだけでも逃がせるだろうか。

「……キアラ、暗殺者っていうのは、例えばどこかの国王とか、例えば自分のものじゃなくなった神子とか、そういう人間を殺すのが仕事なの、わかってるよな?」

 キアラはミオを見て、それからシアを見た。二人とも顔を伏せてしまったが、キアラの膝の上の手には、ゆるく力が入っている。

「ミオもシアも、誰も傷つけません。ククィツァ様のことも、私のことも」
「言いきれる理由は?」

 少し驚いてしまって、キアラはぱちぱちと瞬きをした。ククィツァは、意地悪なことをする人ではなかったと思うけれど、変わってしまったのだろうか。

「二人は、私を守ってくださいました。総主様からも、ゲラルド様からも、他の貴族の方たちからも。カガルトゥラードにいた間、ずっと」

 詳しく理解できているわけではないだろうが、ミオとシアがうまく差配してくれたから、戦でぎりぎりに追い込まれるまで、キアラは総主に利用し尽くされなかった、と思う。ゲラルドに迫られていたころも、どう接していいかわからないキアラをさりげなく助けてくれた。カガルトゥラードの貴族に取り囲まれるようなことがなかったのも、ミオとシアが慎重に道を選んでくれていたからだ。
 教えてもらったわけではなくても、ミオとシアが、そうやってキアラを守ってきてくれていたのは、わかっている。

「私は何をお返ししたらいいですかとお聞きしたら、もし、よかったら、撫でてくださいと、それだけなのです」

 本当は、主というものは、お金を払ったり、ご飯を食べさせたり、してもらったことに対して何かを返せなければいけないものだ、とキアラは理解している。
 けれど、ミオとシアは、キアラに何も返せるものがなかったのも事実だが、何もいらないと言ってくれたに等しい。

「私は、ミオとシアを撫でるだけでは足りないと思います。ですから、ミオとシアを信じます。私では頼りないと思いますが、何かあったときには守ります。あの、これは……ククィツァ様のお求めに……足りて、いますか?」

 答えになっているだろうかと心配になって、首を傾げて尋ねると、ふっとククィツァの放っていた空気が緩んだ。火の精霊がぽわんと離れて、いつものように風の精霊に囲まれたククィツァが、座席の上で姿勢を崩す。

「……大人になったな、キアラ」
「大人、ですか」

 ヨラガンを出たころにはもう大人だったと思うのだが、何が違うのだろう。
 首を傾げたままのキアラの手に、そっと、ミオとシアの手が重ねられる。

「お前ら、よくよくキアラに仕えろよ」
「……はい」
「……我々の主は、この方だけです」

 温かな気配の地の精霊が、ふわりとキアラを包んできた。
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