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帰還
63.エポナペネの湖
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急に目の前がぱっと明るくなって、キアラはまぶしさに目を瞑った。まぶしさが落ちついてからゆっくり、おそるおそる前を見ると、まばゆい水面が広がっている。
「……ここが、エポナペネの湖です」
ククィツァたちと別れてヨラガンから北西に進み、人の住まない地域に分け入り、森を抜けた先にあった湖は、確かに、キアラが知っている池よりもずいぶん大きいようだった。
対岸が見えないくらい果てまで水面が輝いていて、ところどころ、岸から砂地が伸びていたり、背の高い木におおわれた陸地が壁のようにそびえていたり、複雑に入り組んだ形をしている。
「これが、湖、なのですか」
「はい。ファルファーラでも、特に神聖とされてきた場所です」
カガルトゥラードが開拓しようとすると何かしらの事故が起きると聞いていたので、キアラたちがファルファーラに入るのも大変なのかもしれないと思っていたのだが、特に移動に困るようなことは起きなかった。
ただ、ひたすら精霊がたくさんいる。特に今、目の前に広がっている湖の上には、水の精霊と風の精霊があふれかえっていると言ってもいい。
「……精霊が、いらっしゃるからでしょうか」
どこからがファルファーラなのかキアラはよく知らなかったが、ここまで来る途中で周りを取り巻く精霊が大幅に増えたところがあった。おそらく、その地点からがファルファーラだったのだと思う。
じっと湖を見つめたままのキアラを、先に馬を降りたユクガが抱いて降ろしてくれる。
「精霊が見えるのか」
「……いいえ。でも……いらっしゃるのは、わかります」
「……そうか」
湖に近づいていくと、キアラを迎えるように精霊が集まってきた。やはり水の精霊が多いようだが、風の精霊も、地の精霊も混ざっている。キアラに戯れかかってきて、髪を揺らして遊んだり、服を通り抜けたりと忙しい。
気ままな精霊に小さく微笑んで、キアラは後ろを振り返った。
「建物は、どちらにあるのですか」
キアラの見渡した限りでは、湖の上の建物は見当たらなかった。ただ、ここからでは見えない場所にあるのかもしれないし、もしかしたら、キアラが夢で見た場所とは違うのかもしれない。
尋ねたルガートが、生真面目に頭を下げる。
「……波の少ない入り江にございます。ここからではおいでになれませんので、ご案内いたします」
「ありがとうございます、ルガート様。お願いいたします」
お礼を言ってユクガのところに戻ると、すぐにユクガが抱き上げてくれた。そのままキアラを馬に乗せてくれて、ひらりと後ろにまたがってくる。キアラも一人で馬に乗ることくらいできるけれど、ユクガのような身のこなしはできなくて、格好いいなと思ってしまう。
そのせいというわけでもないだろうが、甲斐甲斐しいというのか過保護というのか、ユクガがそうしたいなら、少し気恥ずかしくても受け入れたくなってしまうのだから困る。
馬の向きを変えたルガートに続いて馬首を返し、ユクガの馬が機嫌よく歩いていく。ルイドは歳を取ってしまったから今回の遠征には連れてこなかったそうで、この馬はテユトというらしい。そっと手を伸ばして撫でてやると、テユトがぐっと首を上げて頭をもたげた。喜んでくれているだろうか。
「……こいつ、あからさまにやる気を出したな」
苦々しげに呟いたユクガを振り返り、そっと背中を寄せる。体を支えてくれていた腕がすぐ、答えるように引き寄せてくれた。
「そうなのですか」
「足運びがまったく違う」
キアラにはあまり違いはわからないのだが、ユクガによれば、歩き方が元気になったらしい。くすくす笑ってもう一度撫でると、テユトが満足げに鳴いて首を上下に振った。前を歩くルガートの馬を追い抜きかねない足取りだ。湖をぐるりと回り、岬を越えなければいけないのだが、確かにここまでの移動の疲れを感じさせない。
「キアラ様、あれですよ」
テユトの耳がぴこぴこと動くのを眺めつつしばらく揺られていたら、ラグノースが声を上げた。
日のあるうちにエポナペネの湖に着いてから、あたりが夕暮れに染められ始めたころだった。
夕日を背に、崩れかけた石積みの建物が見える。
「……あれが……」
間違いない。
キアラの夢に出てきた場所だ。
「あそこ……あそこです、ユクガ様。あそこに行きたいです」
勢い込んで振り返ったキアラにうなずいて、ユクガが落ちつかせるように撫でてくれた。それから湖を軽く見回し、ルガートに視線を向ける。
「渡る方法はあるのか」
「以前は桟橋がございましたが……今も残っているかどうか」
桟橋というものも石で作られていたらしいのだが、手入れする人がいなければ崩れてしまうものだそうだ。それも建物とは違って、直接波にさらされる高さにある。どうなっているかわからないと前置きしつつ、ルガートが馬を進める先に、ユクガもテユトを進めてくれた。
建物には近づいたが、ルガートの言っていた通り、桟橋らしいものは崩れてしまっている。そわそわと落ちつかないキアラをユクガが下ろしてくれて、近寄ってみたものの、桟橋に下りるのも難しそうだ。
「キアラ」
振り返ると、テユトの手綱をラグノースに任せてユクガが傍まで来てくれていた。もう一度湖に目を向けたキアラの腰に、ユクガの腕が回ってくる。
「危ないぞ」
「でも、向こうに、行きたい、のです」
桟橋のあたりから建物を見ると、改めて夢で見た場所に間違いないと確信できた。あちらに行く方法を探さなければ。
しかし湖の上など、どうやって進めばいいのかキアラは知らない。カガルトゥラードの庭園で池の上に橋をかけているのは見たことがあるが、ここには橋はなさそうだ。
「船も……ないだろうな」
ユクガの声に顔を上げると、何かを探すように湖を見渡しているところだった。
「ユクガ様、船、とは、何ですか」
「……水の上を進むための、乗り物だ」
水に浮かぶので、船に乗れば川や池、湖の上を進めるのだそうだ。橋がないところは、船を使って行き来するものらしい。
けれど、ユクガも言っていた通り、それらしいものは見当たらない。
「使えそうな船がないか、このあたりを見てきます」
「……頼む」
ラグノースとリンドベルが、自分の馬にまたがり岸を回っていった。ルガートはキアラたちの傍に残って、テユトの手綱を掴んでくれている。
彼らを気にかけるべきなのだろうが、建物から意識をはがせない。キアラはまた、湖の上に視線を戻した。
どうしてもあの建物に行きたい。それも、できるだけ早く。建物を見たら気が急いて、ここで足踏みしているのがもどかしくてたまらない。
ユクガの傍を離れ、キアラは慎重に湖へと近づいた。ぽわぽわと水の上を漂っていた精霊が、気をひかれたように寄ってきてくれる。
「……神子様、足元にお気をつけください」
ルガートは、まだキアラのことを神子と呼んでいる。
「神子……」
キアラは、神子だ。精霊が祝福してくれていて、精霊の気配を感じられる。
そしてファルファーラは、精霊にあふれた国だったと聞いた。
「っ……精霊様!」
はっと気がついて、キアラは精霊に向かって呼びかけた。
「お願いです、助けてくださいませんか。私は、あの建物に行きたいのです」
言葉が通じているかわからない。
けれど、キアラが精霊の気配を感じていることは、精霊も気づいているはずだ。
湖にいた精霊も、陸地側にいた精霊もどんどん集まってきて、キアラの体にむぎゅむぎゅとくっついてくる。促されるように岸から湖を覗き込むと、水の精霊が集まっているのもわかった。
「……キアラ」
声に振り向くと、ユクガがわずかに顔をしかめてキアラに手を伸ばしていた。きょとんとしてそのまま見上げていたら、後ろから抱え込むようにユクガが寄り添ってくる。
「……何を、しようとしている」
「精霊に、あちらに行けるようお願いしました」
言葉を交わしたわけではないが、おそらく精霊はキアラを助けようとしてくれている。手を伸ばすと、今までは触れられなかったのが、ぼんやりと押し返される感触もある。もう一度湖に目を戻すと、建物のほうまで水の精霊の気配がまっすぐ伸びていた。
精霊が、道を作ってくれている。
「ユクガ様、精霊が道を作ってくださっています」
軽く眉を寄せて、ユクガが湖に視線を向ける。合わせるようにキアラも体の向きを戻し、ユクガの腕から離れて湖に向かって踏み出した。
「……ここが、エポナペネの湖です」
ククィツァたちと別れてヨラガンから北西に進み、人の住まない地域に分け入り、森を抜けた先にあった湖は、確かに、キアラが知っている池よりもずいぶん大きいようだった。
対岸が見えないくらい果てまで水面が輝いていて、ところどころ、岸から砂地が伸びていたり、背の高い木におおわれた陸地が壁のようにそびえていたり、複雑に入り組んだ形をしている。
「これが、湖、なのですか」
「はい。ファルファーラでも、特に神聖とされてきた場所です」
カガルトゥラードが開拓しようとすると何かしらの事故が起きると聞いていたので、キアラたちがファルファーラに入るのも大変なのかもしれないと思っていたのだが、特に移動に困るようなことは起きなかった。
ただ、ひたすら精霊がたくさんいる。特に今、目の前に広がっている湖の上には、水の精霊と風の精霊があふれかえっていると言ってもいい。
「……精霊が、いらっしゃるからでしょうか」
どこからがファルファーラなのかキアラはよく知らなかったが、ここまで来る途中で周りを取り巻く精霊が大幅に増えたところがあった。おそらく、その地点からがファルファーラだったのだと思う。
じっと湖を見つめたままのキアラを、先に馬を降りたユクガが抱いて降ろしてくれる。
「精霊が見えるのか」
「……いいえ。でも……いらっしゃるのは、わかります」
「……そうか」
湖に近づいていくと、キアラを迎えるように精霊が集まってきた。やはり水の精霊が多いようだが、風の精霊も、地の精霊も混ざっている。キアラに戯れかかってきて、髪を揺らして遊んだり、服を通り抜けたりと忙しい。
気ままな精霊に小さく微笑んで、キアラは後ろを振り返った。
「建物は、どちらにあるのですか」
キアラの見渡した限りでは、湖の上の建物は見当たらなかった。ただ、ここからでは見えない場所にあるのかもしれないし、もしかしたら、キアラが夢で見た場所とは違うのかもしれない。
尋ねたルガートが、生真面目に頭を下げる。
「……波の少ない入り江にございます。ここからではおいでになれませんので、ご案内いたします」
「ありがとうございます、ルガート様。お願いいたします」
お礼を言ってユクガのところに戻ると、すぐにユクガが抱き上げてくれた。そのままキアラを馬に乗せてくれて、ひらりと後ろにまたがってくる。キアラも一人で馬に乗ることくらいできるけれど、ユクガのような身のこなしはできなくて、格好いいなと思ってしまう。
そのせいというわけでもないだろうが、甲斐甲斐しいというのか過保護というのか、ユクガがそうしたいなら、少し気恥ずかしくても受け入れたくなってしまうのだから困る。
馬の向きを変えたルガートに続いて馬首を返し、ユクガの馬が機嫌よく歩いていく。ルイドは歳を取ってしまったから今回の遠征には連れてこなかったそうで、この馬はテユトというらしい。そっと手を伸ばして撫でてやると、テユトがぐっと首を上げて頭をもたげた。喜んでくれているだろうか。
「……こいつ、あからさまにやる気を出したな」
苦々しげに呟いたユクガを振り返り、そっと背中を寄せる。体を支えてくれていた腕がすぐ、答えるように引き寄せてくれた。
「そうなのですか」
「足運びがまったく違う」
キアラにはあまり違いはわからないのだが、ユクガによれば、歩き方が元気になったらしい。くすくす笑ってもう一度撫でると、テユトが満足げに鳴いて首を上下に振った。前を歩くルガートの馬を追い抜きかねない足取りだ。湖をぐるりと回り、岬を越えなければいけないのだが、確かにここまでの移動の疲れを感じさせない。
「キアラ様、あれですよ」
テユトの耳がぴこぴこと動くのを眺めつつしばらく揺られていたら、ラグノースが声を上げた。
日のあるうちにエポナペネの湖に着いてから、あたりが夕暮れに染められ始めたころだった。
夕日を背に、崩れかけた石積みの建物が見える。
「……あれが……」
間違いない。
キアラの夢に出てきた場所だ。
「あそこ……あそこです、ユクガ様。あそこに行きたいです」
勢い込んで振り返ったキアラにうなずいて、ユクガが落ちつかせるように撫でてくれた。それから湖を軽く見回し、ルガートに視線を向ける。
「渡る方法はあるのか」
「以前は桟橋がございましたが……今も残っているかどうか」
桟橋というものも石で作られていたらしいのだが、手入れする人がいなければ崩れてしまうものだそうだ。それも建物とは違って、直接波にさらされる高さにある。どうなっているかわからないと前置きしつつ、ルガートが馬を進める先に、ユクガもテユトを進めてくれた。
建物には近づいたが、ルガートの言っていた通り、桟橋らしいものは崩れてしまっている。そわそわと落ちつかないキアラをユクガが下ろしてくれて、近寄ってみたものの、桟橋に下りるのも難しそうだ。
「キアラ」
振り返ると、テユトの手綱をラグノースに任せてユクガが傍まで来てくれていた。もう一度湖に目を向けたキアラの腰に、ユクガの腕が回ってくる。
「危ないぞ」
「でも、向こうに、行きたい、のです」
桟橋のあたりから建物を見ると、改めて夢で見た場所に間違いないと確信できた。あちらに行く方法を探さなければ。
しかし湖の上など、どうやって進めばいいのかキアラは知らない。カガルトゥラードの庭園で池の上に橋をかけているのは見たことがあるが、ここには橋はなさそうだ。
「船も……ないだろうな」
ユクガの声に顔を上げると、何かを探すように湖を見渡しているところだった。
「ユクガ様、船、とは、何ですか」
「……水の上を進むための、乗り物だ」
水に浮かぶので、船に乗れば川や池、湖の上を進めるのだそうだ。橋がないところは、船を使って行き来するものらしい。
けれど、ユクガも言っていた通り、それらしいものは見当たらない。
「使えそうな船がないか、このあたりを見てきます」
「……頼む」
ラグノースとリンドベルが、自分の馬にまたがり岸を回っていった。ルガートはキアラたちの傍に残って、テユトの手綱を掴んでくれている。
彼らを気にかけるべきなのだろうが、建物から意識をはがせない。キアラはまた、湖の上に視線を戻した。
どうしてもあの建物に行きたい。それも、できるだけ早く。建物を見たら気が急いて、ここで足踏みしているのがもどかしくてたまらない。
ユクガの傍を離れ、キアラは慎重に湖へと近づいた。ぽわぽわと水の上を漂っていた精霊が、気をひかれたように寄ってきてくれる。
「……神子様、足元にお気をつけください」
ルガートは、まだキアラのことを神子と呼んでいる。
「神子……」
キアラは、神子だ。精霊が祝福してくれていて、精霊の気配を感じられる。
そしてファルファーラは、精霊にあふれた国だったと聞いた。
「っ……精霊様!」
はっと気がついて、キアラは精霊に向かって呼びかけた。
「お願いです、助けてくださいませんか。私は、あの建物に行きたいのです」
言葉が通じているかわからない。
けれど、キアラが精霊の気配を感じていることは、精霊も気づいているはずだ。
湖にいた精霊も、陸地側にいた精霊もどんどん集まってきて、キアラの体にむぎゅむぎゅとくっついてくる。促されるように岸から湖を覗き込むと、水の精霊が集まっているのもわかった。
「……キアラ」
声に振り向くと、ユクガがわずかに顔をしかめてキアラに手を伸ばしていた。きょとんとしてそのまま見上げていたら、後ろから抱え込むようにユクガが寄り添ってくる。
「……何を、しようとしている」
「精霊に、あちらに行けるようお願いしました」
言葉を交わしたわけではないが、おそらく精霊はキアラを助けようとしてくれている。手を伸ばすと、今までは触れられなかったのが、ぼんやりと押し返される感触もある。もう一度湖に目を戻すと、建物のほうまで水の精霊の気配がまっすぐ伸びていた。
精霊が、道を作ってくれている。
「ユクガ様、精霊が道を作ってくださっています」
軽く眉を寄せて、ユクガが湖に視線を向ける。合わせるようにキアラも体の向きを戻し、ユクガの腕から離れて湖に向かって踏み出した。
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