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すれ違い
しおりを挟む「ヨトウムシじゃな」
「……これが、あの」
虫食いだらけになってしまった白菜の芽を野崎さんと調べながら、俺は歯を食いしばった。
話には聞いていたんだ。夜行性で、昼にはほとんど姿を現さず土中にいるイモムシ。
そのため見つけづらくて、気がついたときには芽を食い荒らされて成虫の蛾に千個以上の卵を産みつけられているという。
白菜の芽にネットを掛けたからと思って、ちょっと安心していた。
どこかに隙間があったのかもしれない。
「こいつにはわしも未だよくやられる。農薬も使ってたんじゃろう?」
「……農薬というか、虫よけの薬品ですが」
「やることをやっていたのならば、これはもう仕方ない。白菜をほぼ壊滅させてしまった、というのも経験じゃ。切り替えてゆこう」
慰めの言葉がむしろ心に刺さる。
果たして俺はやることをやれていたのだろうか。
被せたネットのチェックを毎日念入りにしていたか。
芽吹いた葉の様子をもっとちゃんと見ていれば、予兆に気づけたのではないか。
虫除けの魔法に頼り切りでなく、農薬も使っていたらまた違ってたかもしれない。
様々なことが頭によぎる。
だが、全ては後の祭りだ。
野崎さんの言う通り、切り替えていかないと。
「……レムネアちゃんの様子は?」
「まだ部屋から出てくる気配がなくて――」
――――。
風邪から復帰したレムネアが、畑の惨状を見て部屋に閉じこもり丸一日が経っている。
虫に食い荒らされた畑を見て、彼女は呆然とした顔をしていた。
信じられないという表情だった。
しゃがみ込み、虫食いだらけの若芽をそっと触った彼女は俺の方に振り向くと。
「私が虫よけの魔法を掛け忘れていたばっかりに……」
それは違う、と俺は答えた。
俺がレムネアに頼り切ってたのが悪いんであって、彼女のせいじゃない。
おまえが気にすることじゃないと言った。
これは本心だ。
責任は俺にあるんだ。レムネアはよくやってくれていた。
そう伝えたつもりだったのだけど、なぜか彼女はボロボロと涙をこぼし始めた。
レムネアは抜け殻にでもなったように無表情となり、家へと戻っていった。
以降、部屋から出てこない。
食事を持って行っても口を付けず、部屋を暗くして隅で膝を抱えて座っているだけだった。
――――。
「それは心配、じゃの」
「はい……」
レムネアの奴、本当に気にしないでいいのに。
農業一年目なんか失敗しても当たり前なんだ。それに、資金だってまだカツカツなわけじゃない。失敗を受け入れる余裕だってある。
だから大きな問題じゃない。
そう伝えても、彼女は部屋から出てこなかった。
「んん、そうか。……ともあれ、食事も取らないのは困った話じゃ。ウチに朝どりの美味しいトマトがあるから、持って行っておやりなさい。レムネアちゃんはトマトとチーズの組み合わせが好きなのじゃろう?」
「ありがとうございます、お言葉に甘えさせてください」
◇◆◇◆
家に帰った俺は、レムネアが好きなトマトとチーズの料理を作って彼女の部屋の前へと赴いた。
「レムネア、食事の用意ができたぞ。入っていいか?」
「…………」
部屋の中から返事はない。
「――入るぞ」
田舎の大きな平屋建てだ。部屋の戸に鍵などと言った洒落たものは付いていない。
プライバシー、なにそれの時代からの建物だったことに今日は少し感謝をしながら、強引にレムネアの部屋に入っていく。
「ほら、トマトとチーズを焼いてオリーブオイルを掛けたものだ。美味しいぞ?」
相変わらず彼女は、部屋の隅でうずくまっていた。
膝を抱えて座ったままこちらを見ようともせず、顔を伏せたままだった。
「俺もここで食べさせて貰うからさ、一緒に食べよう。ほら」
食事くらいはとってくれよ、心配で仕方ない。
そう思いながら俺はフォークで焼きトマトを口に運んだ。トロトロのチーズは風味が強くなって、焼いて甘みが上がったトマトと合う。
「ん、美味しい。さあレムネアも食べろって」
「…………」
変わらず顔を伏せたまま、微動だにしない。
俺はいったん皿を置いて、大きく息をついた。
しばし無言で考える。
こういうとき、言葉ってのは空しく空回りしがちだけれども、言葉にしていかないと始まらないことも多い。……と思う。
だから敢えて、繰り返すことにした。
「ホント、おまえが気にする必要はないんだって。責任は俺にあるんだから」
彼女が俺の言う通りに、いやその枠を超えて俺の力になってくれてたことは疑いがない。そこから先の責任は、俺が取らないといけない領域だ。
それが雇い主というものだと思う。
彼女がやったこと、それは全て俺の判断の上でやってもらったことだ。
もし、誰が悪いかという話をするなら俺が悪いということになる。
レムネアは「自分が虫よけの魔法を掛け忘れていたから」と責任を感じていたみたいだが、そこだって俺がしっかりチェックした上で、掛け直して貰うことを忘れなければよかっただけの話。
「俺がもっとしっかりしてれば、こんな事にはならなかったんだ。おまえにツラい思いをさせてしまって、本当にすまないと思ってる。ごめん」
俯いてこちらを見ることもない彼女に、俺はこんこんと語った。
トマトもチーズも冷めてしまうくらいの長い時間、一方的に話し掛けていたと思う。
話し終えて、部屋が沈黙に満たされた。
やっぱりレムネアは反応してくれないか、俺が諦めかけたそのとき。
「……そんな風に言わないでください」
彼女は細い声で呟いた。
「え?」
「そんな風に言われたら、まるでケースケさまだけが悪いみたいじゃないですか。でも、違うんです。私が……いえ、私だって悪いんです。私が、私がちゃんとしていれば……!」
細いけど、力が篭った声。
「一緒に抱えたかった。責任を追及して欲しかった。だって間違いなく私のせいなんですよ? 私がうっかり、遊びにかまけてしまったから。どう取り繕っても、私が虫よけの魔法を掛け忘れていたから苗に虫が付いてしまったんですよ?」
「……レム、ネア?」
彼女は顔を上げた。
涙を流しながら、俺の目を見て話しだした。
「この世界にきて、ケースケさまに魔法を褒めて頂いて、頼って貰えて……私、本当に嬉しかった。やっと自分の居場所が見つかったって、初めて一人前になれた気がしたのに……! それなのに、このザマです。……ごめんなさい、私、やっぱり、どこまでいっても出来損ないでした。一人前でもないのに、勘違いしてました」
訴えかけるその目に、俺は言葉を失った。
「冒険者パーティーの中で味噌っかすだったあのときと、なにも変わっていなかった……!」
突然立ち上がったレムネアが、部屋を飛び出した。
慌てて追う俺。
しかし追いつけないどころか、俺の姿を確認した彼女は空に飛びあがってしまった。
「レムネアっ! 違う!」
走りながら彼女の言葉を反芻する。
『私、やっぱり、どこまでいっても出来損ないでした。一人前でもないのに、勘違いしてました』
俺はそんなつもりで彼女を責めなかったわけじゃない。
まさかそういう風に取られるなんて、思ってもいなかった。
「くそ……っ!」
レムネアを完全に見失い、俺は足を止めた。
情けない話だった。今の俺は、彼女にどういった言葉を掛ければいいのかわからない。
伝えたいのに。
俺がどれだけレムネアに感謝をしているか、伝えたいのに!
今はそれをどういう言葉に乗せればいいのか、わからない。
信じて欲しい、というには資格がないように思えてしまい、頭の中がグチャグチャになる。ああ畜生、胸が張り裂けそうだ!
◇◆◇◆
その後俺は、しばらく彼女を探し回った。
どこにいったんだレムネア……! 俺は、またおまえを傷つけてしまったのか?
そんなつもりがなかったとか、言い訳にはならない。
そんなの、彼女の気持ちを考えたことがないと言ってるも同義じゃないか。
ホタル川に着いた。
二人でホタルを見て、語り合った場所だ。だけどここにはレムネアの姿はなかった。
滑り丘の上に上がってみた。
美津音ちゃんたちと滑って遊んで、二人でこの町を見渡した場所。
風の音に乗ってレムネアの声が聞こえたような気がしてハッと振り向いたが、どこにも彼女の姿はなかった。
レイジの駄菓子屋や野崎さんの家に赴いた。
二人とも、見かけることがあったら連絡すると約束してくれた。
車を出して、ホームセンターも覗いてみた。
飛んでるなら遠くにいった可能性もあると思ったからだ。
畜生、どこにいったんだレムネア。
おい種芋ども、彼女を見なかったか!? そう聞いてみるも、奴らは無言だった。
肝心なときには喋ってくれないんだな。くそぅ。
レムネアが楽しそうに笑っていた場所を俺は回っていったが、そこには彼女の面影が残っているだけでその姿はなかった。
まさか、これでもう会えないなんてことはないよな。そんなバカな話は!
「そうか、苗が壊滅ねぇ」
園芸売り場の肝っ玉かあさんこと店員さんが、腕を組んだ。
「一年目だろ? そんなこともあるさね。その経験を次に生かしていくんだね」
「俺も、そのつもりでレムネアに言葉を掛けていたのですけど……」
「ばーか」
突然呆れたような声を出されてしまい、思わず店員さんの方を見た。
「要はあんたのカミさん、旦那に他人行儀な対応をされたのがショックだったんだろ? 相手の気持ちを慮れって話だよ。まだそんなことを言ってるようじゃ、カミさんを見つけられてもうまくいかないぞ?」
店員さんは腕を組んだ。
「一緒に頑張って、一緒に喜んで、一緒に悲しんで、一緒に歩んでいると思ってた相手に、自分が悪いはずだと思っているのに『おまえは悪くない』と言われたら、そりゃあヘコむさ。鬼ごっこで言うなら豆役扱いと変わらないじゃないか」
「豆役?」
「掴まっても鬼になることはない、逃げるだけの役のことさ。小さな子に、雰囲気だけ楽しんでもらう為のルールだよ。おまえさんは、大事なカミさんをその役に据えたんだ」
言葉を返せない。
俺は彼女に気を遣ったつもりで、単に軽く扱っていただけなのかもしれない。
どんな気持ちで彼女が俺の手伝いをしてくれているか。
考えていなかったわけじゃあないけど、慣れてきて少し疎かにしていたのだろう。
「ちゃんと、苦楽を共にしてやれって話さ」
そうだよ俺も前にレムネアに言ったはずだ。
苦も楽も、一緒に味わいつくそうぜって。それは、対等であろうという言葉でもあったはずなのに。
突然、ドンと背中を叩かれた。
店員さんが笑っている。
「まあ、見かけたらちゃんと声を掛けといてやる。頑張れよ、新米!」
俺はホームセンターを後にした。
結局、この日レムネアは見つからなかったのだが、次の日になって野崎さんからスマホに連絡があった。
レムネアは今、野崎さんの家に居るそうだ。
フラフラ歩いているところを、美津音ちゃんが捕獲したらしい。
「ありがとうございます、すぐに迎えにいきますので!」
「いや、まだやめといた方がよさそうじゃ」
「え?」
「様子がおかしいし、そっとしておいてやるのが一番じゃろう。今はまだ、ケースケくんと顔を合わせられる状態じゃない」
「そう……ですか」
ショックだった。
やはり俺は彼女に嫌われてしまったのだろうか。
「……なに、悪いようにはせんよ。しばらくウチに置いておくから、安心しておくれ」
「わかりました、よろしくお願いします」
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そう言われ、頭を切り替える。
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