忘れられない君の香

秋月真鳥

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アレクシス(受け)視点

10.アレクシスの失言

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 ヒートを引き起こす誘発剤を使ってフィリップを無理やり番にしようとしたとして、オメガの男性は捕らえられて警備兵に連れて行かれたようだ。
 アルファ用の緊急の抑制剤でフィリップがラット状態になりかけていたのも治まったようだった。ヴォルフラムもアレクシスが抱き締めていたら、落ち着いたようで少ししてお茶会の席に戻ることができた。

「今日のお茶会にフィリップ殿下が来ると知って、ヒート事故になるように仕掛けようとあのオメガはお茶会に入り込んでいたようです」
「警備が行き届いていなくて申し訳ありません」

 謝るハインケス子爵と子爵夫人に、フィリップは苦い笑みを浮かべていた。

「あのオメガは、学園にいたころからわたしのことを追いかけ続けていたのです。何度も告白されましたが、ずっと断ってきました。まさかヒート事故を起こそうとするなんて。悪いのは彼です。ハインケス子爵に落ち度はありません」

 なんとも思っていないオメガから無理やりに番にさせられそうになって相当嫌だったに違いないのに、フィリップは寛容にハインケス子爵と子爵夫人を許した。ストーカーとなってしまったかつての同級生を憐れむような目をしていたが。

「ヴォルフラムとアレクシス様も席を外されていたようですが……」
「かつての同級生がフィリップ殿下に襲い掛かるところを見て、ヴォルフラム様もショックだったのでしょう。二人で静かな部屋で休ませていただきました」
「ヴォルフラムにそんな繊細な神経があっただなんて」
「父上!」

 ハインケス子爵からは笑われてしまったが、ヴォルフラムがオメガのヒートのフェロモンに反応してしまったことは露見していないようだった。
 アクシデントもあったので、お茶会はそれでお開きになった。

「またいらしてください。ぜひお話を伺いたいですわ」
「妻はアレクシス様の大ファンでして。よろしければ、わたしたちのことも両親だと思って気軽に訪ねてきてくれると嬉しいです」

 馬車に乗り込む前にハインケス子爵と子爵夫人に言われて、アレクシスはぎこちなく頷く。貴族の結婚など政略結婚ばかりで愛情がないものだと思い込んでいたが、ハインケス子爵と子爵夫人の間には確かな愛情があるようで、自分の知っている結婚というものと違いすぎて価値観が揺らいでしまう。
 馬車の中でヴォルフラムがアレクシスに深く頭を下げた。

「他のオメガのフェロモンに当てられたからといって、あなたに抱き着いてしまうなんて、申し訳なかった。おれに抱き着かれて嫌じゃなかったか?」
「嫌では、ありませんでした」

 抱き締めたヴォルフラムの体からはあの爽やかで好ましい香りが強く漂って来ていた。あの香りを胸いっぱいに吸い込めたのだから、アレクシスもこっそりと役得だと思っているのだが、ヴォルフラムの方は自分よりもでかくてごついアレクシスに抱き締められて嫌ではなかったのだろうか。

「あなたは嫌ではなかったですか?」
「おれは、アレクシスの甘いフェロモンに包まれて幸せだった」

 夫夫なのだから、あのとき反応していたヴォルフラムの中心を慰めてあげるべきだったのかもしれない。ヒートの期間でないと男性のオメガは妊娠する確率が極めて低いし、アレクシスは娼館に身売りするために自分の後孔を張り型が入るくらいには拡張していた。
 ヒートではないがアレクシスはオメガなので少し慣らせば濡れるので、ヴォルフラムの中心を受け入れることもできたはずだ。

 そこまで考えてから、自分がヴォルフラムとの肉体関係を拒んでいないことに気付いてアレクシスは大いに慌てた。
 もう事業は立ち直って借金返済のめどは立っている。
 次のヒートではヴォルフラムはアレクシスのことを抱くだろう。
 抱いてうなじを噛んで番にするはずだ。
 それが結婚のときの契約だった。

「結婚の契約書……ハインケス子爵が作ったのではないのですか?」

 ふと疑問に思ってアレクシスが問いかけてみると、ヴォルフラムが片手で口元を押さえる。その顔が赤らんでいるのにアレクシスは気付いていた。

「おれが頼んで作ってもらった。だから、アレクシスは気にしなくていいんだ。契約を破ったからって、父が借金の肩代わりをやめることはない」
「そうだったのですね」
「すまない、黙っていて。おれがどうしてもアレクシスと結婚したくて、番になりたかったから」

 今日のハインケス子爵と子爵夫人の態度から、アレクシスは二人が契約書を作ったわけではないことは察していた。二人ともアレクシスとヴォルフラムが番になったかとか、ヒートの期間中寝室を共にしたかとか、子どもはどうなっているかとか、全く聞かなかった。それどころかアレクシスに好意的で、終始優しかった。

「わたしと結婚したいだなんて、あなたは変わったひとですね」
「ずっと憧れていたんだ。アレクシス、あなたは素晴らしいひとだ。おれはあなたのことを運命ではないかと思っている」

――わたしたち、運命なんじゃないかな?
――アレクシス様とわたしは、運命の番なの。アレクシス様からはいい香りがしてくるし、わたし、アレクシス様と一緒にいると幸せな気分になる。

 十一年前に少女が口にしたことと、ヴォルフラムが今必死に言っていることが重なる。
 どうしてあのときの少女とヴォルフラムは同じ香りがするのだろう。

「わたしは……」

 十一年前、あなたと会っていませんか?

 金色の真っすぐな長い髪。目の色は緊張してじっくりと見れなかったので覚えていないが、爽やかな好ましい香り。
 どうしてもあの少女とヴォルフラムが重なってしまう。
 聞いてしまいそうになって、アレクシスはぐっと言葉を飲み込む。

 彼女はワンピースを着て髪飾りを付けた女性だった。
 ヴォルフラムは顔立ちは人形のように整っているが、間違いなく男性だ。

「アレクシス?」
「なんでもないです」

 問いかけることを諦めて、アレクシスは口を閉じた。

 冬も深まり、屋敷の庭に雪が積もるころ、バルテル侯爵家の借金は全額返済されていた。
 オメガだが強面のアレクシスに対して、強く出られない借金取りたちは、取り立てに来ても大人しく座っていたが、目の前に置かれた金貨の数を数えて、しっかりと受け取って帰って行った。若干怖がられていたような気もするのだが、アレクシスは気にしないことにした。

「果物を使ったフレーバーティーも王都で流行っていますし、ドライフルーツは大量に売れました。織物産業も盛んになって、刺繍で付加価値を付けて高値で取り引きされています。全部あなたのおかげですね」
「おれはアイデアを出しただけで、実際に実行したのはアレクシスだろう? アレクシスの実力だよ」

 借金が全額返済されたとなると、アレクシスにはもうヴォルフラムを拒む理由がなくなってしまう。
 前のヒートからそろそろ三か月で、次のヒートが近付いてきていた。

「あの……そろそろヒートなのですが……」
「あ、いや、アレクシスの心の準備ができていないなら、おれは待っても構わないよ。おれもアレクシスもまだ若いし、急ぐようなことでもないし」

 若いからこそ、欲望を抑えきれないこともあるはずなのだが、ヴォルフラムはアレクシスに対して欲望を抱いていないのだろうか。そういう対象ではなく、ただの憧れで、番になりたいというのも憧れの延長線上なのだろうか。
 求められているのかよく分からないアレクシスは勢い余って、余計なことを口にしてしまう。

挿入れるのは初めてではないので、手間は取らせないと思うのですが」

 娼館に身売りしようとしたときも、一人で抑制剤なしのヒートを乗り越えたときにも、アレクシスは後孔に張り型を挿入していた。アルファの中心はものすごい大きさだと聞いているが、張り型の一番大きなものでもヒートのアレクシスは物足りなくて苦しんだのだから、ヴォルフラムの中心も受け入れられるのではないだろうか。
 男性は初めてだと面倒で嫌がるというのを聞いたことがあったので口にしたのだが、笑顔だったヴォルフラムの表情が凍り付いてしまった。

「アレクシス……経験が……いや、そうだな。オメガはヒートの期間に体を慰めるために交わっても、応急処置として純潔は守られると貴族社会では決まっているからな」
「ヴォルフラム様?」
「すまない、少し一人になりたい」

 アレクシスを置いて部屋を出て行ったヴォルフラムを、アレクシスは追いかけることができなかった。
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