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一章 ご寵愛の理由
12.不可解な動悸
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紅茶はとても美味しかった。お茶菓子のマドレーヌやフロランタンも、軽食のサンドイッチやキッシュもどれも美味しい。
どんなときでも料理の味は分かる自分の豪胆さを自分で讃えたい気分だった。
皇太后陛下のお茶会は続いている。
「婚約式はひと月後に行われると聞いていますが、急ぎすぎなのではないですか?」
「婚約から結婚まで皇族は一年近くの準備期間が必要です。わたしは一刻も早くレイシーと結婚をしたいのです。遅いくらいです」
アレクサンテリ陛下の設定の中では、わたくしと一刻も早く結婚したいくらいわたくしを寵愛していることになっているようだ。それならば、わたくしも合わせて演技しなければいけないだろうか。
「わたくしもできるだけ早く婚約式の衣装を仕上げます。ジャケットはあと数日あれば完成しそうなので、わたくしの衣装だけなのですが」
「レイシー嬢が衣装を作るのですね。それはとても楽しみですわ。どんなデザインにするつもりですか? ヴェールは長いものを使いますか? それとも、短いものを?」
衣装に興味を持ってくださった皇太后陛下に、わたくしは身を乗り出す。
「デザインは、前の部分が少し短めになっていて、後ろの部分が長く床に着くようなものを考えています。ヴェールは短めで、ヴェールの刺繍もわたくしがやらせていただこうと思っています」
「まぁ、素敵なデザイン! レイシー嬢は縫物が本当に得意なのですね。わたくしにも何か作っていただけませんか?」
「皇太后陛下に使っていただけるようなものが作れるでしょうか?」
「皇帝陛下は青い蔦模様のハンカチをとても気に入って使っておられます。あれは厄除けの模様なのだと聞きました。あのように意味のある模様はあるのですか?」
「母上、レイシーの作品はレイシー自身のものか、わたしのものだけに」
「皇帝陛下、嫉妬深い男は嫌われると言っているでしょう?」
あ、ちょっと皇太后陛下の纏う空気が変わったのが分かった。
どすを聞かせてアレクサンテリ陛下を睨み付ける皇太后陛下に、アレクサンテリ陛下はまだ言いたそうにしていたが退いたようだった。
「恋愛成就の願いを込めた模様や、大事なひとの安全を願う模様は人気でしたよ。皇太后陛下がお望みでしたら、亡くなられた前皇帝陛下の冥福を祈る模様も刺繍することができます」
「レイシー嬢、あなたはなんと心の優しい方なのでしょう。前皇帝陛下にいただいた指輪や装飾品が少しあります。それを入れる小さな袋にその刺繍をしてもらうことはできますか?」
「できます。喜んでさせていただきます」
アレクサンテリ陛下のお父上の前皇帝陛下は、アレクサンテリ陛下が幼いときに亡くなったと聞いている。涙ぐんでいる皇太后陛下は前皇帝陛下を思い出しているのだろう。
「前皇帝陛下は、わたくしが皇帝陛下を産んだ後子どもを産めなくなってしまって、側妃をもらうように周囲から言われていて、わたくしもそれを勧めたのですが、頑なにそれを断って、わたくし一人を愛してくださる一途な方でした。わたくしは今も前皇帝陛下を愛しております。皇帝陛下も前皇帝陛下に似て、一途な方ですよ、レイシー嬢」
懐かしむように潤んだ瞳で語る皇太后陛下に、わたくしはちらりとアレクサンテリ陛下を見た。
アレクサンテリ陛下は想う方と結ばれなかったのかもしれない。その方を一途に想っていて、結婚をずっと拒んでこられたのだろう。
わたくしを側妃か妾妃に迎えれば、結婚しろという周囲の圧力から解放されるに違いない。
できればアレクサンテリ陛下のためにも、わたくしがお子を産めればいいのだが、アレクサンテリ陛下はわたくしとの結婚はいわゆる白い結婚だと決めていらっしゃるだろう。
皇太后陛下には嘘をついているようで申し訳ない気持ちになっているわたくしに、アレクサンテリ陛下が声をかける。
「そろそろ失礼しよう。母上、もういいでしょう」
「皇帝陛下だけお帰りになればいいのではないですか? わたくしはもう少しレイシー嬢とお話をしたいのです」
「もうだめです。レイシー、帰ろう」
手を引かれて、わたくしは四阿の椅子から立ち上がった。
「本日は本当にありがとうございました」
「とても楽しかったですわ。またお茶を致しましょうね」
「レイシーは忙しいのです。母上は邪魔をしないでください」
「皇帝陛下には聞いていません」
「母上!」
二十八歳のアレクサンテリ陛下が子どものように扱われるのは、やはり皇太后陛下がアレクサンテリ陛下のお母上だからだろう。
嫌なことは何もなかったどころか、皇太后陛下から依頼までもらってほくほくしていたわたくしは、アレクサンテリ陛下にエスコートされて皇帝宮に戻った。
皇帝宮の入り口でアレクサンテリ陛下はわたくしの手を放した。
「名残惜しいが、執務が残っているので行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、アレクサンテリ陛下」
「帰ってきたら、また、『お帰りなさい』とわたしを迎えてほしい」
「はい、必ず」
幼いころにお父上を亡くされて、皇帝になるために学んで、今のわたくしと同じ十八歳の若さで即位したアレクサンテリ陛下。
ずっと寂しかったのだろう。
「行ってらっしゃい」や「お帰りなさい」の言葉に感激しているように見える。
足早に出かけて行くアレクサンテリ陛下をわたくしは見送った。
夕食までの間、着替えたわたくしは縫物をしていた。
アレクサンテリ陛下のジャケットを早く縫い上げなければいけない。
仕事は早く、丁寧に。
手縫いではなく、ミシンを導入したので、最初はミシンに慣れなくて糸を絡ませることも多かったが、慣れてくるとかなり効率がよくなった。
ジャケットを縫い上げるのはそれほど時間はかからない。
時間がかかるのはその後の刺繍だ。
青い蔦模様の厄除けの刺繍は、主に子どもの安全を守るために使われていたが、アレクサンテリ陛下が安全であることはこの国を守るためにも非常に重要なことなので、丁寧に縫っていく。
差し色の紫と合うように、少し紫がかった青い糸にしたのだが、上質な糸なので艶があってとても美しい。
一針一針丁寧に刺繍していくと、あっという間に時間が過ぎてしまった。
一人で夕食を食べて、また部屋にこもって刺繍の続きをする。
集中していたので、侍女に声をかけられるまでわたくしは時間を忘れていた。
「皇帝陛下がお帰りになります」
「すぐに参ります」
手縫いのいいところは、いつでも中断できるところだ。ミシンではこうはいかない。区切りのいいところまで縫ってしまわないと、布がいつまでもミシンから離れないのだ。
糸から針を抜いて針山に刺して、ジャケットを置いてわたくしは玄関の方に小走りに駆けて行った。皇帝宮の中では、わたくしは少しだけ踵の高い靴を履いている。
こけなかったが慣れていないのでバランスを崩しそうになったわたくしに、走ってきたアレクサンテリ陛下が抱き留めてくれた。
かすかに香るのは香水だろうか。逞しい腕に分厚い胸板。間近で見上げる整いすぎた美しいお顔。
「お、かえりなさいませ」
「レイシー、足を捻っていないかな? 大丈夫?」
「大丈夫です。靴を買い替えたので、慣れなかったようです」
「レイシーの足を美しく見せる素敵な靴だね」
「ありがとうございます」
そっとアレクサンテリ陛下の胸を押して離れつつ、わたくしは胸の高鳴りを覚えていた。
アレクサンテリ陛下とこんなに密着したのは初めてだった。
「レイシー、ただいま」
微笑んでわたくしの手を取るアレクサンテリ陛下に伝える。
「ジャケットは縫い上がりました。後は、刺繍をするだけです」
「どんな形になったのかとても楽しみだ。明日にはレイシーの婚約式の衣装の材料が届くから、楽しみにしていてくれ」
「はい!」
よく分からない胸の動悸は治まって、わたくしは明日に届く衣装の材料のことを考える。
そのときのわたくしは、側妃や妾妃を迎えるのに婚約式などという大仰な儀式をしないことに全く気付いていなかったのだった。
どんなときでも料理の味は分かる自分の豪胆さを自分で讃えたい気分だった。
皇太后陛下のお茶会は続いている。
「婚約式はひと月後に行われると聞いていますが、急ぎすぎなのではないですか?」
「婚約から結婚まで皇族は一年近くの準備期間が必要です。わたしは一刻も早くレイシーと結婚をしたいのです。遅いくらいです」
アレクサンテリ陛下の設定の中では、わたくしと一刻も早く結婚したいくらいわたくしを寵愛していることになっているようだ。それならば、わたくしも合わせて演技しなければいけないだろうか。
「わたくしもできるだけ早く婚約式の衣装を仕上げます。ジャケットはあと数日あれば完成しそうなので、わたくしの衣装だけなのですが」
「レイシー嬢が衣装を作るのですね。それはとても楽しみですわ。どんなデザインにするつもりですか? ヴェールは長いものを使いますか? それとも、短いものを?」
衣装に興味を持ってくださった皇太后陛下に、わたくしは身を乗り出す。
「デザインは、前の部分が少し短めになっていて、後ろの部分が長く床に着くようなものを考えています。ヴェールは短めで、ヴェールの刺繍もわたくしがやらせていただこうと思っています」
「まぁ、素敵なデザイン! レイシー嬢は縫物が本当に得意なのですね。わたくしにも何か作っていただけませんか?」
「皇太后陛下に使っていただけるようなものが作れるでしょうか?」
「皇帝陛下は青い蔦模様のハンカチをとても気に入って使っておられます。あれは厄除けの模様なのだと聞きました。あのように意味のある模様はあるのですか?」
「母上、レイシーの作品はレイシー自身のものか、わたしのものだけに」
「皇帝陛下、嫉妬深い男は嫌われると言っているでしょう?」
あ、ちょっと皇太后陛下の纏う空気が変わったのが分かった。
どすを聞かせてアレクサンテリ陛下を睨み付ける皇太后陛下に、アレクサンテリ陛下はまだ言いたそうにしていたが退いたようだった。
「恋愛成就の願いを込めた模様や、大事なひとの安全を願う模様は人気でしたよ。皇太后陛下がお望みでしたら、亡くなられた前皇帝陛下の冥福を祈る模様も刺繍することができます」
「レイシー嬢、あなたはなんと心の優しい方なのでしょう。前皇帝陛下にいただいた指輪や装飾品が少しあります。それを入れる小さな袋にその刺繍をしてもらうことはできますか?」
「できます。喜んでさせていただきます」
アレクサンテリ陛下のお父上の前皇帝陛下は、アレクサンテリ陛下が幼いときに亡くなったと聞いている。涙ぐんでいる皇太后陛下は前皇帝陛下を思い出しているのだろう。
「前皇帝陛下は、わたくしが皇帝陛下を産んだ後子どもを産めなくなってしまって、側妃をもらうように周囲から言われていて、わたくしもそれを勧めたのですが、頑なにそれを断って、わたくし一人を愛してくださる一途な方でした。わたくしは今も前皇帝陛下を愛しております。皇帝陛下も前皇帝陛下に似て、一途な方ですよ、レイシー嬢」
懐かしむように潤んだ瞳で語る皇太后陛下に、わたくしはちらりとアレクサンテリ陛下を見た。
アレクサンテリ陛下は想う方と結ばれなかったのかもしれない。その方を一途に想っていて、結婚をずっと拒んでこられたのだろう。
わたくしを側妃か妾妃に迎えれば、結婚しろという周囲の圧力から解放されるに違いない。
できればアレクサンテリ陛下のためにも、わたくしがお子を産めればいいのだが、アレクサンテリ陛下はわたくしとの結婚はいわゆる白い結婚だと決めていらっしゃるだろう。
皇太后陛下には嘘をついているようで申し訳ない気持ちになっているわたくしに、アレクサンテリ陛下が声をかける。
「そろそろ失礼しよう。母上、もういいでしょう」
「皇帝陛下だけお帰りになればいいのではないですか? わたくしはもう少しレイシー嬢とお話をしたいのです」
「もうだめです。レイシー、帰ろう」
手を引かれて、わたくしは四阿の椅子から立ち上がった。
「本日は本当にありがとうございました」
「とても楽しかったですわ。またお茶を致しましょうね」
「レイシーは忙しいのです。母上は邪魔をしないでください」
「皇帝陛下には聞いていません」
「母上!」
二十八歳のアレクサンテリ陛下が子どものように扱われるのは、やはり皇太后陛下がアレクサンテリ陛下のお母上だからだろう。
嫌なことは何もなかったどころか、皇太后陛下から依頼までもらってほくほくしていたわたくしは、アレクサンテリ陛下にエスコートされて皇帝宮に戻った。
皇帝宮の入り口でアレクサンテリ陛下はわたくしの手を放した。
「名残惜しいが、執務が残っているので行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、アレクサンテリ陛下」
「帰ってきたら、また、『お帰りなさい』とわたしを迎えてほしい」
「はい、必ず」
幼いころにお父上を亡くされて、皇帝になるために学んで、今のわたくしと同じ十八歳の若さで即位したアレクサンテリ陛下。
ずっと寂しかったのだろう。
「行ってらっしゃい」や「お帰りなさい」の言葉に感激しているように見える。
足早に出かけて行くアレクサンテリ陛下をわたくしは見送った。
夕食までの間、着替えたわたくしは縫物をしていた。
アレクサンテリ陛下のジャケットを早く縫い上げなければいけない。
仕事は早く、丁寧に。
手縫いではなく、ミシンを導入したので、最初はミシンに慣れなくて糸を絡ませることも多かったが、慣れてくるとかなり効率がよくなった。
ジャケットを縫い上げるのはそれほど時間はかからない。
時間がかかるのはその後の刺繍だ。
青い蔦模様の厄除けの刺繍は、主に子どもの安全を守るために使われていたが、アレクサンテリ陛下が安全であることはこの国を守るためにも非常に重要なことなので、丁寧に縫っていく。
差し色の紫と合うように、少し紫がかった青い糸にしたのだが、上質な糸なので艶があってとても美しい。
一針一針丁寧に刺繍していくと、あっという間に時間が過ぎてしまった。
一人で夕食を食べて、また部屋にこもって刺繍の続きをする。
集中していたので、侍女に声をかけられるまでわたくしは時間を忘れていた。
「皇帝陛下がお帰りになります」
「すぐに参ります」
手縫いのいいところは、いつでも中断できるところだ。ミシンではこうはいかない。区切りのいいところまで縫ってしまわないと、布がいつまでもミシンから離れないのだ。
糸から針を抜いて針山に刺して、ジャケットを置いてわたくしは玄関の方に小走りに駆けて行った。皇帝宮の中では、わたくしは少しだけ踵の高い靴を履いている。
こけなかったが慣れていないのでバランスを崩しそうになったわたくしに、走ってきたアレクサンテリ陛下が抱き留めてくれた。
かすかに香るのは香水だろうか。逞しい腕に分厚い胸板。間近で見上げる整いすぎた美しいお顔。
「お、かえりなさいませ」
「レイシー、足を捻っていないかな? 大丈夫?」
「大丈夫です。靴を買い替えたので、慣れなかったようです」
「レイシーの足を美しく見せる素敵な靴だね」
「ありがとうございます」
そっとアレクサンテリ陛下の胸を押して離れつつ、わたくしは胸の高鳴りを覚えていた。
アレクサンテリ陛下とこんなに密着したのは初めてだった。
「レイシー、ただいま」
微笑んでわたくしの手を取るアレクサンテリ陛下に伝える。
「ジャケットは縫い上がりました。後は、刺繍をするだけです」
「どんな形になったのかとても楽しみだ。明日にはレイシーの婚約式の衣装の材料が届くから、楽しみにしていてくれ」
「はい!」
よく分からない胸の動悸は治まって、わたくしは明日に届く衣装の材料のことを考える。
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