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一章 ご寵愛の理由
20.指輪ではなく指ぬきを
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仕立て職人さんたちの作業部屋に行ってから、わたくしは欲が出てしまった。
一人で自分の部屋で縫物や刺繍をするのもとても楽しいのだが、技術のある仕立て職人さんに習うのは新しい発見がある。
翌日、わたくしはアレクサンテリ陛下にお願いをしていた。
「時々わたくしが仕立て職人さんの作業部屋に通うのをお許しください。わたくしは縫物も刺繍も自己流で学んできました。仕立て職人さんたちから新しい技術を学びたいのです」
「レイシーは縫物や刺繍のことになると熱心だね」
「お願いします」
「レイシーがそこまで言うのならば許可するしかなくなるよ。レイシーと顔を合わせる仕立て職人は女性に限らせてもらうが、それは問題ないね?」
「はい! ありがとうございます!」
妃候補の地位をいただいているのだから、男性と接触するのはよくないのだろう。
そういえば、わたくしの世話をしてくれる侍女も全員女性であるし、教育係のラヴァル夫人も女性だった。昨日作業室で出会った仕立て職人さんたちも全員女性だった。
妃候補となっているわたくしが他の男性に心動かされるようなことは絶対にないのだが、アレクサンテリ陛下は徹底的にわたくしの周囲から男性を遠ざけている様子だった。
「あの、わたくし、浮気は致しません」
「わたしも浮気をするつもりはないよ。生涯レイシー一筋だよ」
それはちょっとまずいのではないでしょうか。
わたくしはアレクサンテリ陛下の妃となる身で、いつかは子どもも求められるのかもしれないけれど、アレクサンテリ陛下は周囲からの結婚を迫られるのが嫌でわたくしと仮初めの婚約をしたに違いない。本当に想う方が現れたら、わたくしは妃の身分は降りられないかもしれないが、皇帝宮から追い出されて、どこかの妃の宮殿に住まわされる可能性もあるのだ。
そうでなければ困る。
婚前交渉ははしたないとされているが、アレクサンテリ陛下は皇帝陛下なのである。子どもを持たなければいけない。血統を繋げなければいけない。
アレクサンテリ陛下の血を引く子どもが多い方がこの国は安泰になるのではないだろうか。
「アレクサンテリ陛下、それは……」
「レイシー、結婚指輪を作らせよう。指輪に飾る宝石はレイシーの目の色に合わせた、パープルサファイアがいいかもしれない」
「え!? 指輪などいりません!」
アレクサンテリ陛下に他にも妃を持ってもらうように促そうと思ったら、全く違う話題が出てきてしまって、わたくしは勢いよく断ってしまった。
いけない。アレクサンテリ陛下が贈ろうとするものは受け取るようにとラヴァル夫人に言われていたのだ。
「指輪は身に着けないかな?」
「すみません。お気持ちは嬉しいのですが、指輪を着けていると、縫物の邪魔になってしまうことがありまして」
受け取らなければいけないと分かっていても、身に着けないのはさすがに不敬なので、わたくしは正直に答える。するとアレクサンテリ陛下は少し考えて、違うことを口にした。
「金属の使いやすい指ぬきがあったらどうだろう」
「指ぬきですか?」
「レイシーの指にぴったりで、針が布に通りにくいときに針の後ろを押す、指ぬきだよ」
「指ぬきですか。それは欲しいですね」
これまでも指ぬきを使っていなかったわけではないが、市販品だったので指のサイズに合わないのと、皮で作ってあるので使いすぎてボロボロになっていた。金属の指ぬきならば耐久性もあるだろうし、針を押すのも楽かもしれない。
指ぬきが欲しいとアレクサンテリ陛下に伝えると、アレクサンテリ陛下は笑顔になった。
「最高の指ぬきを作らせるよ」
「はい、よろしくお願いします」
わたくしが指輪は付けないといえば、無理に贈ろうとしないアレクサンテリ陛下は本当に心優しい。感謝しつつ、出来上がってくる指ぬきをわたくしは楽しみにしていた。
その日はラヴァル夫人と一緒に皇帝宮の厨房に行った。
厨房にはラヴァル夫人から伝えてあったようで、女性の料理人さんだけが集めてあった。
ラヴァル夫人は料理人たちに声をかける。
「レイシー殿下がお誕生日のお茶会でご自分で一口マフィンを作られます。試作品を作るので、サポートするように」
「心得ました」
声を揃えて言う料理人さんたちに、わたくしは「よろしくお願いします」と挨拶をしてマフィンを一緒に作っていった。
昨日の今日なのに、小さなマフィン型も用意されていて、問題なくマフィンは作ることができた。
出来上がったマフィンはわたくしたちと厨房の料理人さんたちで試食した。
甘さもちょうどよくて、とても美味しくできていた。
「お誕生日のお茶会の数日前から作り始めるので、そのときにはまたよろしくお願いします」
わたくしは料理人さんたちに挨拶をして、食堂に移動した。
昼食を食べた後は、わたくしは中庭に移動していた。
そろそろ夏の花が終わって、花壇が空いてきているのだ。
花壇の空いたスペースにジャガイモやナスやキュウリの苗を植えていく。
苗は庭師さんたちが揃えていてくれたようなので、花壇の空いたスペースに畝を作って植えていった。
たっぷりと水をかけて、土塗れの手を洗って汗を拭いていると、アレクサンテリ陛下が中庭に面した廊下を歩いてくる。
わたくしに気付いていないようだったので、そっと近付いてみると、アレクサンテリ陛下は婚約式で貴族たちに向けていたような冷たい表情をしていた。
声をかけられずにいると、アレクサンテリ陛下がこちらを見る。
わたくしは作業用にディアン子爵家から持ってきた地味な服を着ていたので使用人と間違われるかもしれないと思っていた。
しかし、アレクサンテリ陛下はわたくしに気付いた瞬間、ぱっと表情を変えて、明るく微笑んだ。
「レイシー、今日は一緒にお茶ができるかもしれないと思って早く帰ってきたよ」
「おかえりなさいませ、アレクサンテリ陛下」
「ただいま、レイシー」
そのまま近寄ってこようとするアレクサンテリ陛下に、わたくしは慌てて手で止める。
「今庭仕事をしていたので、汚れています。それに、汗もかいているし……」
「レイシー、お茶室で待っているから、着替えておいで」
「はい。着替えてまいります」
それ以上接近しないでくれたので、わたくしはアレクサンテリ陛下を汚すことはなかった。
なんとなくアレクサンテリ陛下にハグをされるような気になっていたことに、わたくしは恥じらってしまう。
これまでアレクサンテリ陛下はわたくしにそのように気安く触れてきたことはないし、手の甲に口付けされたのも一回だけだ。それ以外ではエスコートしていただくときにわたくしがアレクサンテリ陛下の肘に手を添えたり、アレクサンテリ陛下の手に手を乗せたりするくらいだ。
妃候補なのにあまりにも接触が少ないと言われてしまいそうだが、これは白い結婚かもしれないので、わたくしはある程度はそんなものなのだろうと思っていた。白い結婚ではなくて、子どもが必要になったときでも、アレクサンテリ陛下を受け入れる覚悟はしている。
子どもを作るためにわたくしは政略結婚をさせられる立場なのだし、それを拒むことはできなかった。
アレクサンテリ陛下の子どもならばかわいいのだろうか。
――おねえちゃん! だいすき!
夢の中のガーネくんの声が聞こえた気がした。
アレクサンテリ陛下は白銀の髪に柘榴の瞳。ガーネくんは銀髪に柘榴の瞳。アレクサンテリ陛下との間に子どもが生まれたら、ガーネくんのようなかわいい子に育つのかもしれない。
夢の中のことだが、妙に現実味のあるガーネくんの姿を思い出して、わたくしはそんなことを考えていた。
お茶室ではアレクサンテリ陛下と一緒にお茶をした。
アレクサンテリ陛下は指ぬきのサンプルを持って来ていた。
指輪よりも幅が広いそれは、宝石で飾られている気がするが、平たい部分が確かに針を押すのに役に立ちそうだ。
「ここにパープルサファイアを飾ろうと思っている」
「それ、どうしても必要ですか? シンプルな指ぬきで構わないのですが」
「いや、妃の指ぬきなのだ。それなりに格調高いものでなければいけない」
そう言われると反対できなくなってしまう。
ただでさえ指輪はお断りしたのだ。幅の広い指輪のように見えるその指ぬきを受け取らないわけにはいかないだろう。
「パープルサファイアは小ぶりのものにして、邪魔にならないようにする。パープルサファイアが飾られていないところで針を押してほしい」
「分かりました。ありがとうございます」
「それでは、このデザインで注文しよう」
アレクサンテリ陛下がそれで満足されるならば問題ないだろう。
パープルサファイアなどという高価なものがついている指ぬきなので、なくさないように大切に使わなければいけない。
注文してどれくらいの期間で出来上がってくるのか分からないが、わたくしはその指ぬきを一生大事にしようと思っていた。
一人で自分の部屋で縫物や刺繍をするのもとても楽しいのだが、技術のある仕立て職人さんに習うのは新しい発見がある。
翌日、わたくしはアレクサンテリ陛下にお願いをしていた。
「時々わたくしが仕立て職人さんの作業部屋に通うのをお許しください。わたくしは縫物も刺繍も自己流で学んできました。仕立て職人さんたちから新しい技術を学びたいのです」
「レイシーは縫物や刺繍のことになると熱心だね」
「お願いします」
「レイシーがそこまで言うのならば許可するしかなくなるよ。レイシーと顔を合わせる仕立て職人は女性に限らせてもらうが、それは問題ないね?」
「はい! ありがとうございます!」
妃候補の地位をいただいているのだから、男性と接触するのはよくないのだろう。
そういえば、わたくしの世話をしてくれる侍女も全員女性であるし、教育係のラヴァル夫人も女性だった。昨日作業室で出会った仕立て職人さんたちも全員女性だった。
妃候補となっているわたくしが他の男性に心動かされるようなことは絶対にないのだが、アレクサンテリ陛下は徹底的にわたくしの周囲から男性を遠ざけている様子だった。
「あの、わたくし、浮気は致しません」
「わたしも浮気をするつもりはないよ。生涯レイシー一筋だよ」
それはちょっとまずいのではないでしょうか。
わたくしはアレクサンテリ陛下の妃となる身で、いつかは子どもも求められるのかもしれないけれど、アレクサンテリ陛下は周囲からの結婚を迫られるのが嫌でわたくしと仮初めの婚約をしたに違いない。本当に想う方が現れたら、わたくしは妃の身分は降りられないかもしれないが、皇帝宮から追い出されて、どこかの妃の宮殿に住まわされる可能性もあるのだ。
そうでなければ困る。
婚前交渉ははしたないとされているが、アレクサンテリ陛下は皇帝陛下なのである。子どもを持たなければいけない。血統を繋げなければいけない。
アレクサンテリ陛下の血を引く子どもが多い方がこの国は安泰になるのではないだろうか。
「アレクサンテリ陛下、それは……」
「レイシー、結婚指輪を作らせよう。指輪に飾る宝石はレイシーの目の色に合わせた、パープルサファイアがいいかもしれない」
「え!? 指輪などいりません!」
アレクサンテリ陛下に他にも妃を持ってもらうように促そうと思ったら、全く違う話題が出てきてしまって、わたくしは勢いよく断ってしまった。
いけない。アレクサンテリ陛下が贈ろうとするものは受け取るようにとラヴァル夫人に言われていたのだ。
「指輪は身に着けないかな?」
「すみません。お気持ちは嬉しいのですが、指輪を着けていると、縫物の邪魔になってしまうことがありまして」
受け取らなければいけないと分かっていても、身に着けないのはさすがに不敬なので、わたくしは正直に答える。するとアレクサンテリ陛下は少し考えて、違うことを口にした。
「金属の使いやすい指ぬきがあったらどうだろう」
「指ぬきですか?」
「レイシーの指にぴったりで、針が布に通りにくいときに針の後ろを押す、指ぬきだよ」
「指ぬきですか。それは欲しいですね」
これまでも指ぬきを使っていなかったわけではないが、市販品だったので指のサイズに合わないのと、皮で作ってあるので使いすぎてボロボロになっていた。金属の指ぬきならば耐久性もあるだろうし、針を押すのも楽かもしれない。
指ぬきが欲しいとアレクサンテリ陛下に伝えると、アレクサンテリ陛下は笑顔になった。
「最高の指ぬきを作らせるよ」
「はい、よろしくお願いします」
わたくしが指輪は付けないといえば、無理に贈ろうとしないアレクサンテリ陛下は本当に心優しい。感謝しつつ、出来上がってくる指ぬきをわたくしは楽しみにしていた。
その日はラヴァル夫人と一緒に皇帝宮の厨房に行った。
厨房にはラヴァル夫人から伝えてあったようで、女性の料理人さんだけが集めてあった。
ラヴァル夫人は料理人たちに声をかける。
「レイシー殿下がお誕生日のお茶会でご自分で一口マフィンを作られます。試作品を作るので、サポートするように」
「心得ました」
声を揃えて言う料理人さんたちに、わたくしは「よろしくお願いします」と挨拶をしてマフィンを一緒に作っていった。
昨日の今日なのに、小さなマフィン型も用意されていて、問題なくマフィンは作ることができた。
出来上がったマフィンはわたくしたちと厨房の料理人さんたちで試食した。
甘さもちょうどよくて、とても美味しくできていた。
「お誕生日のお茶会の数日前から作り始めるので、そのときにはまたよろしくお願いします」
わたくしは料理人さんたちに挨拶をして、食堂に移動した。
昼食を食べた後は、わたくしは中庭に移動していた。
そろそろ夏の花が終わって、花壇が空いてきているのだ。
花壇の空いたスペースにジャガイモやナスやキュウリの苗を植えていく。
苗は庭師さんたちが揃えていてくれたようなので、花壇の空いたスペースに畝を作って植えていった。
たっぷりと水をかけて、土塗れの手を洗って汗を拭いていると、アレクサンテリ陛下が中庭に面した廊下を歩いてくる。
わたくしに気付いていないようだったので、そっと近付いてみると、アレクサンテリ陛下は婚約式で貴族たちに向けていたような冷たい表情をしていた。
声をかけられずにいると、アレクサンテリ陛下がこちらを見る。
わたくしは作業用にディアン子爵家から持ってきた地味な服を着ていたので使用人と間違われるかもしれないと思っていた。
しかし、アレクサンテリ陛下はわたくしに気付いた瞬間、ぱっと表情を変えて、明るく微笑んだ。
「レイシー、今日は一緒にお茶ができるかもしれないと思って早く帰ってきたよ」
「おかえりなさいませ、アレクサンテリ陛下」
「ただいま、レイシー」
そのまま近寄ってこようとするアレクサンテリ陛下に、わたくしは慌てて手で止める。
「今庭仕事をしていたので、汚れています。それに、汗もかいているし……」
「レイシー、お茶室で待っているから、着替えておいで」
「はい。着替えてまいります」
それ以上接近しないでくれたので、わたくしはアレクサンテリ陛下を汚すことはなかった。
なんとなくアレクサンテリ陛下にハグをされるような気になっていたことに、わたくしは恥じらってしまう。
これまでアレクサンテリ陛下はわたくしにそのように気安く触れてきたことはないし、手の甲に口付けされたのも一回だけだ。それ以外ではエスコートしていただくときにわたくしがアレクサンテリ陛下の肘に手を添えたり、アレクサンテリ陛下の手に手を乗せたりするくらいだ。
妃候補なのにあまりにも接触が少ないと言われてしまいそうだが、これは白い結婚かもしれないので、わたくしはある程度はそんなものなのだろうと思っていた。白い結婚ではなくて、子どもが必要になったときでも、アレクサンテリ陛下を受け入れる覚悟はしている。
子どもを作るためにわたくしは政略結婚をさせられる立場なのだし、それを拒むことはできなかった。
アレクサンテリ陛下の子どもならばかわいいのだろうか。
――おねえちゃん! だいすき!
夢の中のガーネくんの声が聞こえた気がした。
アレクサンテリ陛下は白銀の髪に柘榴の瞳。ガーネくんは銀髪に柘榴の瞳。アレクサンテリ陛下との間に子どもが生まれたら、ガーネくんのようなかわいい子に育つのかもしれない。
夢の中のことだが、妙に現実味のあるガーネくんの姿を思い出して、わたくしはそんなことを考えていた。
お茶室ではアレクサンテリ陛下と一緒にお茶をした。
アレクサンテリ陛下は指ぬきのサンプルを持って来ていた。
指輪よりも幅が広いそれは、宝石で飾られている気がするが、平たい部分が確かに針を押すのに役に立ちそうだ。
「ここにパープルサファイアを飾ろうと思っている」
「それ、どうしても必要ですか? シンプルな指ぬきで構わないのですが」
「いや、妃の指ぬきなのだ。それなりに格調高いものでなければいけない」
そう言われると反対できなくなってしまう。
ただでさえ指輪はお断りしたのだ。幅の広い指輪のように見えるその指ぬきを受け取らないわけにはいかないだろう。
「パープルサファイアは小ぶりのものにして、邪魔にならないようにする。パープルサファイアが飾られていないところで針を押してほしい」
「分かりました。ありがとうございます」
「それでは、このデザインで注文しよう」
アレクサンテリ陛下がそれで満足されるならば問題ないだろう。
パープルサファイアなどという高価なものがついている指ぬきなので、なくさないように大切に使わなければいけない。
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