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一章 ご寵愛の理由
22.夢は現実だったのか
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国境の小さな村での出来事。
十六歳まで生きたセシルという少女の記憶と、ガーネくんのこと。
刺繍の模様や縫物の仕方までしっかりと覚えていて、現実味のある夢だったから、ただの夢ではないだろうとは思っていた。
でも、あくまでも夢の話である。
わたくしはそれが現実に起こったことだとはあまり実感がなかった。
ガーネくんの肩にあった傷と同じ傷がアレクサンテリ陛下にあった。
夢の中のセシルとガーネくんが出会ったときはガーネくんは六歳だった。小さなかわいいガーネくんが育ってアレクサンテリ陛下になった。
あの夢は現実に起きたことで、セシルであったわたしは十六歳のときに殺されて、レイシーであるわたくしに生まれ変わった。
そう考えるのが一番分かりやすいのだが、どうしてもわたくしはそれを受け入れられない思いがあった。
ひとが生まれ変わるだなんてあり得るのだろうか。
しかも、前世の記憶を持っているだなんて。
信じられない思いを抱いていても、月日は無常に過ぎてしまう。
季節は秋に入って、わたくしはお誕生日のお茶会の準備に追われていた。
わたくしがアレクサンテリ陛下と婚約をして初めての公務である。
皇帝宮の厨房で一口マフィンは焼き上げて用意してあるし、ドレスへの刺繍も仕立て職人さんから新しい刺繍の仕方を習いながら仕上げた。
ラヴァル夫人の教育で、お茶会に参加する皇族や上位貴族や属国の要人の名前も頭に入っている。
後は当日を迎えるだけなのだが、わたくしはアレクサンテリ陛下と顔を合わせると、挙動不審になってしまっていた。
わたくしを庇ったアレクサンテリ陛下にお茶がかかってしまって、火傷をさせないために急いでアレクサンテリ陛下を脱がせて、紅茶がしみ込むのを最低限に防げたのはよかったのだが、アレクサンテリ陛下の上半身半裸姿を見てしまった。
わたくしは妃候補なのだから、アレクサンテリ陛下がお渡りになってきたら拒めるはずがない。アレクサンテリ陛下とそのような関係になっても全くおかしくはないのだが、アレクサンテリ陛下はわたくしに手を出すようなことはなさらない。
白い結婚なのかもしれないが、アレクサンテリ陛下はわたくししか妃は持たないというようなことを仰っているし、わたくしが皇帝陛下の血統を継ぐお子を産まなければ、アレクサンテリ陛下の後継者がいなくなってしまう。
もちろん、叔父君のカイエタン宰相閣下の家系から養子をもらうことはできるのかもしれないが、カイエタン宰相閣下は自ら皇位継承権を放棄しているし、皇帝の座に自分の血統のものが就くのをよしとしないかもしれない。
そうなるとわたくしが産むしかないのだが、それはアレクサンテリ陛下が納得なさって、わたくしと子どもを作ることを考えてくださらないと成立しないわけだ。
アレクサンテリ陛下のお子を産むとなると、アレクサンテリ陛下がわたくしを抱くというのはどうしても外せないのだが、わたくしは大丈夫だろうか。
アレクサンテリ陛下の上半身の半裸を見ただけで挙動不審になってしまうのに、アレクサンテリ陛下と床入りなどということになったら、自分がどうなってしまうか全く分からなくて怖い。
妃候補として皇帝宮に上がったときから覚悟をしていたつもりだったが、アレクサンテリ陛下の肌を見てしまったことによって、わたくしの覚悟は揺らいでいた。
「レイシー、お茶会ではこれを身に着けてほしい」
アレクサンテリ陛下が朝食を食べ終わった後に、部屋に帰ろうとするわたくしを引き留めて渡したのは、幅の少し広い指輪にしか見えない指ぬきだった。
台座は白金で、パープルサファイアがはめられている。
「指ぬきを、お茶会に付けて出るのですか?」
「指ぬきでもこれは装飾的な意味があるから、指輪のようにも見えるだろう?」
「指輪のようにも見えますが、指ぬきなのですよね?」
「もちろん、指ぬきだよ」
騙されている気がする。
ちょっと幅広の指輪のように見えるが、アレクサンテリ陛下はこれを指ぬきと断言している。アレクサンテリ陛下が断言するのならば指輪も指ぬきになるのかもしれないが、わたくしは指ぬきと言われたら、当然、これで針の後ろを押すつもりなのだが傷が付かないだろうか。
「針より頑丈な素材で作ってある。指ぬきとして使って構わないよ。レイシーとお揃いにしたくて、わたしも同じデザインの指ぬきを作ったんだ」
「アレクサンテリ陛下も縫物をなさるのですか?」
「レイシーが教えてくれるのだったら挑戦してみたいね」
やはり、これは指輪ではなく指ぬきなのか。
アレクサンテリ陛下がそこまで言うのならばそうなのだろう。
納得して受け取ったわたくしは、アレクサンテリ陛下に頭を下げた。
「ありがとうございます、アレクサンテリ陛下。大事に使います」
「いつも身に着けていてくれると嬉しい」
「指ぬきは常に身に着けるようなものではないのですが」
「特別な指ぬきなのだから構わないだろう? 使いたいときにいつでも使えるから便利かもしれない」
丸めこまれている気がするが、わたくしはその指ぬきを左手の薬指に通されてしまって、そのまま身に着けることになった。
縫物の邪魔にならないように、パープルサファイアは凹凸がないように埋め込まれている。
パープルサファイアの部分で針の後ろを押さないように気を付けなければいけないとわたくしは思っていた。
お誕生日のお茶会の当日、わたくしはアレクサンテリ陛下にエスコートされて皇宮の大広間に行った。そこにはお茶の準備がされていて、お茶菓子や軽食の並べられたテーブルから自由に食べたいものを取ってきて、用意されているテーブルについてお茶をする形式だ。
わたくしはアレクサンテリ陛下と共に決められた一番奥のテーブルについて、給仕に紅茶を入れてもらっていた。カップに紅茶が注がれると、アレクサンテリ陛下が声を上げる。
「今日はわたしの愛しい妃、レイシーのために集まってくれて感謝する。レイシーは今日、十九歳になった。若く美しいわたしの妃の素晴らしい日を共に祝ってほしい」
アレクサンテリ陛下がわたくしの代わりに挨拶をしてくれたので、わたくしはほとんど言うことがなくなってしまう。
「レイシー・ディアンです。わたくしのお誕生日のためにお集まりくださり本当にありがとうございます。立派な皇帝陛下の妃と慣れるように努力していこうと思います」
十九歳といえばもうしっかりとした大人だ。
子どもも産める年である。
妃候補としてわたくしに求められているのは、アレクサンテリ陛下のお子を産むこと、ただそれだけである。
それを果たせるかどうかを見定められている気がするのだが、誰一人として露骨にそんなことを口にする人物はいなかった。
「妃殿下、十九歳のお誕生日を心から祝福いたします。妃殿下にとって素晴らしい一年になりますように」
「妃殿下、皇帝陛下とどうか仲睦まじく、末永くお幸せになってくださいませ」
「皇帝陛下が妃殿下を選ばれたということ、本当に素晴らしく思っております。妃殿下としての務めは大変かもしれませんが、ご無理をなさらず、ゆっくりと慣れていってください」
皇宮や貴族社会は陰口や陰湿な妬みが横行していて、わたくしは恐怖を覚えていたのだが、そんなことは全くなさそうだ。
祝福する言葉にお礼を言っていると、アレクサンテリ陛下が給仕にお茶菓子と軽食を持って来させた。
軽食にはわたくしの大好きなキッシュも入っている。
「もう挨拶はいいだろう。わたしは愛しいレイシーの作ったマフィンが食べたいのだ。レイシーも好きなものを食べてほしい」
「ありがとうございます、アレクサンテリ陛下」
アレクサンテリ陛下が声をかけてくれたので、挨拶の列はやっといなくなって、わたくしはゆっくりとお茶をすることができた。
アレクサンテリ陛下のお皿にはわたくしの作った一口マフィンが三つも乗っていた。
「そんなに食べるのですか?」
「本当ならば、レイシーが作ったものはわたしが独り占めしたかったが、我慢したのだ。三つくらいいいだろう?」
拗ねた子どものように言うアレクサンテリ陛下に、ガーネくんの姿が重なる。
――おねえちゃんのマフィンはおいしいから、何個でも食べたいな! もう一個ちょうだい!
アレクサンテリ陛下はガーネくんなのだろうか。
それを聞いてみる勇気は、まだわたくしにはなかった。
十六歳まで生きたセシルという少女の記憶と、ガーネくんのこと。
刺繍の模様や縫物の仕方までしっかりと覚えていて、現実味のある夢だったから、ただの夢ではないだろうとは思っていた。
でも、あくまでも夢の話である。
わたくしはそれが現実に起こったことだとはあまり実感がなかった。
ガーネくんの肩にあった傷と同じ傷がアレクサンテリ陛下にあった。
夢の中のセシルとガーネくんが出会ったときはガーネくんは六歳だった。小さなかわいいガーネくんが育ってアレクサンテリ陛下になった。
あの夢は現実に起きたことで、セシルであったわたしは十六歳のときに殺されて、レイシーであるわたくしに生まれ変わった。
そう考えるのが一番分かりやすいのだが、どうしてもわたくしはそれを受け入れられない思いがあった。
ひとが生まれ変わるだなんてあり得るのだろうか。
しかも、前世の記憶を持っているだなんて。
信じられない思いを抱いていても、月日は無常に過ぎてしまう。
季節は秋に入って、わたくしはお誕生日のお茶会の準備に追われていた。
わたくしがアレクサンテリ陛下と婚約をして初めての公務である。
皇帝宮の厨房で一口マフィンは焼き上げて用意してあるし、ドレスへの刺繍も仕立て職人さんから新しい刺繍の仕方を習いながら仕上げた。
ラヴァル夫人の教育で、お茶会に参加する皇族や上位貴族や属国の要人の名前も頭に入っている。
後は当日を迎えるだけなのだが、わたくしはアレクサンテリ陛下と顔を合わせると、挙動不審になってしまっていた。
わたくしを庇ったアレクサンテリ陛下にお茶がかかってしまって、火傷をさせないために急いでアレクサンテリ陛下を脱がせて、紅茶がしみ込むのを最低限に防げたのはよかったのだが、アレクサンテリ陛下の上半身半裸姿を見てしまった。
わたくしは妃候補なのだから、アレクサンテリ陛下がお渡りになってきたら拒めるはずがない。アレクサンテリ陛下とそのような関係になっても全くおかしくはないのだが、アレクサンテリ陛下はわたくしに手を出すようなことはなさらない。
白い結婚なのかもしれないが、アレクサンテリ陛下はわたくししか妃は持たないというようなことを仰っているし、わたくしが皇帝陛下の血統を継ぐお子を産まなければ、アレクサンテリ陛下の後継者がいなくなってしまう。
もちろん、叔父君のカイエタン宰相閣下の家系から養子をもらうことはできるのかもしれないが、カイエタン宰相閣下は自ら皇位継承権を放棄しているし、皇帝の座に自分の血統のものが就くのをよしとしないかもしれない。
そうなるとわたくしが産むしかないのだが、それはアレクサンテリ陛下が納得なさって、わたくしと子どもを作ることを考えてくださらないと成立しないわけだ。
アレクサンテリ陛下のお子を産むとなると、アレクサンテリ陛下がわたくしを抱くというのはどうしても外せないのだが、わたくしは大丈夫だろうか。
アレクサンテリ陛下の上半身の半裸を見ただけで挙動不審になってしまうのに、アレクサンテリ陛下と床入りなどということになったら、自分がどうなってしまうか全く分からなくて怖い。
妃候補として皇帝宮に上がったときから覚悟をしていたつもりだったが、アレクサンテリ陛下の肌を見てしまったことによって、わたくしの覚悟は揺らいでいた。
「レイシー、お茶会ではこれを身に着けてほしい」
アレクサンテリ陛下が朝食を食べ終わった後に、部屋に帰ろうとするわたくしを引き留めて渡したのは、幅の少し広い指輪にしか見えない指ぬきだった。
台座は白金で、パープルサファイアがはめられている。
「指ぬきを、お茶会に付けて出るのですか?」
「指ぬきでもこれは装飾的な意味があるから、指輪のようにも見えるだろう?」
「指輪のようにも見えますが、指ぬきなのですよね?」
「もちろん、指ぬきだよ」
騙されている気がする。
ちょっと幅広の指輪のように見えるが、アレクサンテリ陛下はこれを指ぬきと断言している。アレクサンテリ陛下が断言するのならば指輪も指ぬきになるのかもしれないが、わたくしは指ぬきと言われたら、当然、これで針の後ろを押すつもりなのだが傷が付かないだろうか。
「針より頑丈な素材で作ってある。指ぬきとして使って構わないよ。レイシーとお揃いにしたくて、わたしも同じデザインの指ぬきを作ったんだ」
「アレクサンテリ陛下も縫物をなさるのですか?」
「レイシーが教えてくれるのだったら挑戦してみたいね」
やはり、これは指輪ではなく指ぬきなのか。
アレクサンテリ陛下がそこまで言うのならばそうなのだろう。
納得して受け取ったわたくしは、アレクサンテリ陛下に頭を下げた。
「ありがとうございます、アレクサンテリ陛下。大事に使います」
「いつも身に着けていてくれると嬉しい」
「指ぬきは常に身に着けるようなものではないのですが」
「特別な指ぬきなのだから構わないだろう? 使いたいときにいつでも使えるから便利かもしれない」
丸めこまれている気がするが、わたくしはその指ぬきを左手の薬指に通されてしまって、そのまま身に着けることになった。
縫物の邪魔にならないように、パープルサファイアは凹凸がないように埋め込まれている。
パープルサファイアの部分で針の後ろを押さないように気を付けなければいけないとわたくしは思っていた。
お誕生日のお茶会の当日、わたくしはアレクサンテリ陛下にエスコートされて皇宮の大広間に行った。そこにはお茶の準備がされていて、お茶菓子や軽食の並べられたテーブルから自由に食べたいものを取ってきて、用意されているテーブルについてお茶をする形式だ。
わたくしはアレクサンテリ陛下と共に決められた一番奥のテーブルについて、給仕に紅茶を入れてもらっていた。カップに紅茶が注がれると、アレクサンテリ陛下が声を上げる。
「今日はわたしの愛しい妃、レイシーのために集まってくれて感謝する。レイシーは今日、十九歳になった。若く美しいわたしの妃の素晴らしい日を共に祝ってほしい」
アレクサンテリ陛下がわたくしの代わりに挨拶をしてくれたので、わたくしはほとんど言うことがなくなってしまう。
「レイシー・ディアンです。わたくしのお誕生日のためにお集まりくださり本当にありがとうございます。立派な皇帝陛下の妃と慣れるように努力していこうと思います」
十九歳といえばもうしっかりとした大人だ。
子どもも産める年である。
妃候補としてわたくしに求められているのは、アレクサンテリ陛下のお子を産むこと、ただそれだけである。
それを果たせるかどうかを見定められている気がするのだが、誰一人として露骨にそんなことを口にする人物はいなかった。
「妃殿下、十九歳のお誕生日を心から祝福いたします。妃殿下にとって素晴らしい一年になりますように」
「妃殿下、皇帝陛下とどうか仲睦まじく、末永くお幸せになってくださいませ」
「皇帝陛下が妃殿下を選ばれたということ、本当に素晴らしく思っております。妃殿下としての務めは大変かもしれませんが、ご無理をなさらず、ゆっくりと慣れていってください」
皇宮や貴族社会は陰口や陰湿な妬みが横行していて、わたくしは恐怖を覚えていたのだが、そんなことは全くなさそうだ。
祝福する言葉にお礼を言っていると、アレクサンテリ陛下が給仕にお茶菓子と軽食を持って来させた。
軽食にはわたくしの大好きなキッシュも入っている。
「もう挨拶はいいだろう。わたしは愛しいレイシーの作ったマフィンが食べたいのだ。レイシーも好きなものを食べてほしい」
「ありがとうございます、アレクサンテリ陛下」
アレクサンテリ陛下が声をかけてくれたので、挨拶の列はやっといなくなって、わたくしはゆっくりとお茶をすることができた。
アレクサンテリ陛下のお皿にはわたくしの作った一口マフィンが三つも乗っていた。
「そんなに食べるのですか?」
「本当ならば、レイシーが作ったものはわたしが独り占めしたかったが、我慢したのだ。三つくらいいいだろう?」
拗ねた子どものように言うアレクサンテリ陛下に、ガーネくんの姿が重なる。
――おねえちゃんのマフィンはおいしいから、何個でも食べたいな! もう一個ちょうだい!
アレクサンテリ陛下はガーネくんなのだろうか。
それを聞いてみる勇気は、まだわたくしにはなかった。
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