そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥

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一章 ご寵愛の理由

27.アレクサンテリ陛下のお名前の入ったハンカチ

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 作業室で縫物を習っていると、仕立て職人さんがわたくしの手をちらちらと見ている気がする。
 刺繍糸を通した針の後ろを指ぬきで押すわたくしに、仕立て職人さんが恐る恐るといった様子で聞いてきた。

「妃殿下、その指輪は……」
「アレクサンテリ陛下が指ぬきだと言ってくださいました」
「指ぬき……確かに女性の指輪にしては幅が広いですが、薬指に付けていらっしゃるし……いえ、何でもありません。指ぬきです」

 わたくしも何かおかしいと思っていたけれど、アレクサンテリ陛下が指ぬきだと主張するのでそのままにしていた。やはりこれは指輪なのではないだろうか。
 そう思いつつ、ハンカチに青い蔦模様の刺繍を入れて、アレクサンテリ陛下のお名前も入れる。

 アレクサンテリ陛下はわたくしの刺繍したハンカチを使っているが、それはわたくしがアレクサンテリ陛下に贈ったものではない。わたくしが学生時代に帝都の店に卸していたものを、アレクサンテリ陛下が買ってくださったものだ。
 せっかく使ってくださるのだから、わたくしはアレクサンテリ陛下のためにハンカチを作って使ってほしいと思うようになったのだ。
 青い蔦模様の刺繍はアレクサンテリ陛下にとっては大切な思い出で、わたくしにとっても夢の中で何度も見た大切な模様だった。
 傷だらけで下着一枚で村外れに倒れていたガーネくんのために作った服に入れた刺繡。
 わたしではなくセシルの記憶なのだが、夢の中なのに現実味を帯びて、一針一針自分で刺したかのような感覚になっている。

 わたくしは貴族であるので貧しい平民だったセシルよりは手はきれいな自信があるのだが、それでも他の貴族の令嬢に比べると、庭仕事もするし、縫物もするので手が荒れている自覚もあった。
 皇帝宮に来てから侍女が毎日わたくしの手に高級なクリームを塗ってくれて、マッサージもしてくれるのでかなりきれいにはなったのだが、家庭菜園で土を触るので爪は短く切っているし、庶民のような手ではあると思う。

 作業室で数枚のハンカチの刺繍を終えて、午後からはラヴァル夫人の妃教育を受ける。
 貴族の学園で習っていたことが役に立ってはいるのだが、属国の全ての言語やマナーまでは網羅できていないのでしっかりと教えてもらう。

「この国はヴァレン帝国の属国となってからテーブルや椅子を使うようになりましたが、賓客をもてなすときには床の上に敷かれた絨毯にクッションを置いて、床の上で食事を振舞うのが礼儀となっております」
「床の上で食事をするだなんて考えたことがありません」
「この国のための客室が皇宮にはありますので、そこで実際に経験してみるのがいいでしょう。食事も正式には手で食べるのがマナーとなっておりますが、そこはスプーンやフォークを使ってもよいことになっております」

 そういう国もあるのだとしっかりと覚える。
 アレクサンテリ陛下と共に属国に視察に行くことがあるかもしれないし、属国の使者を迎えることがあるかもしれない。ヴァレン帝国の支配下にあるので、ほとんどの国がヴァレン帝国のマナーに合わせ、会話もヴァレン帝国の共通語で行うのだが、稀にそうでない場合もあるらしいのだ。

「今日のお茶はこちらでなさいますか? お茶室に移動されますか?」

 侍女に聞かれてそんな時間になっていたのだと気付く。
 わたくしがラヴァル夫人に視線で確認すると、「こちらでよろしいでしょうか?」とラヴァル夫人が言ってくれたのでわたくしは「こちらでお願いします」と侍女に言った。
 大抵の場合部屋の机について、横にラヴァル夫人が椅子を持って来て座って妃教育を行うのだが、お茶の時間はソファセットに移る。
 この部屋は書斎と応接室のようになっていて、机と椅子のセットとソファセットがある。
 この部屋の隣の部屋にミシンを設置してもらって、縫物や編み物の材料も全部置いているのだが、そこはすっかりとわたくしの作業部屋になっていた。

 ソファセットにお茶の用意がされて、香りのいい紅茶を飲みながらラヴァル夫人と話をする。お茶の時間も妃教育の一環なので、マナーが守れているかは気を付けている。

「今日は午前中に作業室に行かれたようですね」
「はい。アレクサンテリ陛下のハンカチに刺繍を入れていました」
「レイシー殿下が皇帝陛下のために刺繍したハンカチですか。皇帝陛下もお喜びになるでしょう」
「美しい指ぬきをいただいたので、お礼をしたかったのです。わたくしができることはこれくらいしかないので」
「皇帝陛下はレイシー殿下が刺繍したハンカチを大事に使われています。どんなプレゼントよりも嬉しいと思いますよ」

 ラヴァル夫人にそう言ってもらえると安心する。
 その後は雑談の合間にもお茶菓子の由来や紅茶の原産地の話を興味深く聞いて、わたくしは夕方までラヴァル夫人の妃教育を受けた。

 夕食の時間になるとアレクサンテリ陛下が皇帝宮に帰ってくる。
 わたくしが皇帝宮に来て最初のころは忙しくて夕食が一緒にとれない日もあったが最近は、執務を早めに終わらせて夕食の時間に間に合うように帰ってきてくれる。

「おかえりなさいませ、アレクサンテリ陛下」
「ただいま、レイシー。少し待ってて、着替えてくる」

 わたくしの手を取って、恭しく手の甲に唇を落とすアレクサンテリ陛下。自分がガーネくんだということを明かしてから、アレクサンテリ陛下はわたくしにますます甘くなったような気がする。こういうことをされると、心拍数が上がってそわそわしてしまう。

 先に食堂に行っていると、着替えたアレクサンテリ陛下が現れた。
 皇帝宮にはいくつかの食堂があって、わたくしとアレクサンテリ陛下が使うのは小さめの家族のための食堂だった。

 夕食の前にわたくしはアレクサンテリ陛下に刺繍をしたハンカチを渡した。

「とても美しい指ぬきをくださったので、そのお礼をと思ったのですが、わたくしにはこれくらいしかできませんでした。またアレクサンテリ陛下の服も縫わせていただこうと思いますので、いつでも言ってください」
「これはハンカチかな? わたしの名前が入っている」
「アレクサンテリ陛下がわたくしが刺繡を入れたハンカチを使ってくださっているのは知っていたのですが、それは学園で暮らすための資金を得るために売ったもの。アレクサンテリ陛下のために作ったものではありませんでした。これは、わたくしが心を込めてアレクサンテリ陛下のために作ったものです」

 六枚あるハンカチのどれも青い蔦模様なのだが、少しずつデザインは変えてみた。そこに紫色でアレクサンテリ陛下のお名前も刺繍してある。
 刺繍の上を指でなぞって、アレクサンテリ陛下は小さく息を吐いた。

「とても嬉しいよ。明日から毎日このハンカチを使おう。いや、使ってしまったら汚れるだろうか。やはり、レイシーからもらった記念に額に入れて飾るべきか」
「使ってください。また何枚でも作ります」
「それならば、一枚だけ額に入れて飾って、残りは使わせてもらおう」
「額に入れないでください。ハンカチなのだから使ってください」

 どうしても額に入れて飾りたいアレクサンテリ陛下と、ハンカチなのだから使ってほしいわたくしとの会話は平行線だったが、結局アレクサンテリ陛下が折れてくださって、ハンカチは使われることになった。

「レイシー、注文をしてもいいかな?」
「はい、なんでしょう?」
「結婚式の衣装なのだが、わたしの分とレイシーの分、今度は一年近く時間があるので作ってもらえるか?」

 結婚式の衣装を作る。
 それはわたくしの夢だった。
 ディアン子爵家の領地で縫物の企業を立ち上げて、結婚式の衣装を請け負う部門も作りたかった。元婚約者のレナン殿はわたくしが自分で衣装を作ることを「貧乏くさい」と馬鹿にしていたが、わたくしは職人に負けない技術を持っている自負があった。わたくしの結婚衣装を作ることにレナン殿は反対のようだったので諦めていたが、アレクサンテリ陛下はわたくしの衣装だけでなく、アレクサンテリ陛下の衣装まで作らせてくださる。

「いいのですか? わたくし、自分の結婚式の衣装は自分で作るのが夢だったのです」
「難しい部分や時間のかかるところは仕立て職人と一緒にして構わない」
「はい。仕立て職人さんの作業室に行くと新しい技術を教えてもらえるのです。そのアレクサンテリ陛下のお名前の刺繍も、縫い方を教えてもらいました」

 夢の中の記憶でも、これまでも、名前を刺繍するだなんていうことは一度もしたことがなかった。アレクサンテリ陛下のハンカチに名前を刺繍したらいいと教えてくれたのは仕立て職人さんだった。飾り文字で名前を刺繍するとデザイン的にとても映えるのだ。
 新しい技術も学べて、自分の結婚式の衣装も作ることができる。
 浮かれているわたくしに、アレクサンテリ陛下はさらに言葉を重ねた。

「造花に興味はあるかな?」
「はい! 造花は特殊な染料を使って花びらを染めて、花びら一枚一枚にこてを当てて立体的にして、芯に巻き付けて作るのです。作り方を聞いたことはありますが、染料やこてが手に入らなくて作ったことはありません」
「結婚式のブーケと花冠も作ってみる?」
「造花を作れるのですか!?」

 なんということでしょう。
 わたくしは造花まで挑戦できるとは。

「最初から本番のものを作るのは難しいだろうから、練習でいくつか作ってみて、満足ができるようなものが作れるようになったらブーケと花冠も作ってほしい」
「嬉しいです!」

 大喜びで請け負ったわたくしは気付いていなかった。
 その衣装も造花も、わたくし自身の結婚式のためのものだということは頭にあったのだが、皇帝陛下と妃の盛大なる結婚式だということは、自分で作れる喜びに紛れてしまって全く頭になかった。
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