そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥

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アレクサンテリ視点

5.皇帝即位

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 皇宮に戻ったわたしには年の近い貴族の遊び相手が選ばれて、わたしの部屋を訪ねてくることがあったけれど、わたしは一度もその子たちと遊ばなかった。

 灰色の髪に水色の目のユリウス・ノルデンは二つ年下だがしっかりした子どもだった。
 焦げ茶色の髪に青い目のシリル・ロセルは一つ年下で、明るく何度もわたしに話しかけてきていたが、わたしは相手にしなかった。
 赤い髪に緑の目のテオ・グランディは同じ年だが、やっぱりわたしが打ち解けることはなかった。

「皇太子殿下、庭であそびましょう!」
「少しはお日様の光りを浴びた方がいいですよ?」
「剣術のけいこもしましょう」

 口々に誘ってくるが、わたしはセシルの縫った服が入ったバッグを持って、部屋から動かなかった。
 四人で家庭教師に勉強を教わるときも、わたしはユリウスとシリルとテオを邪魔だとしか思っていなかった。一人で静かに勉強がしたい。そのことを母に訴えても、答えはいつも同じだった。

「ユリウス殿とシリル殿とテオ殿は将来あなたの側近になるのです。友好を深めてください」
「友好なんて、いりません」
「あなたは皇帝になるのですよ。信用できるものをそばに置かなければ」

 誰も信用したくない。
 誰とも話したくない。
 わたしが話したいのはセシルだけだった。

 セシルのことを考えるたびに、真っ赤な血の色が目に浮かんで、わたしは目の前が真っ白になる。倒れそうになったわたしを、母が抱き留めてくれた。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫です」

 もう母の前にもいたくない。
 気分が悪くなっていたが、退出させてもらってわたしは自分の部屋に戻った。
 自分の部屋に戻ると、我慢できなくて胃の中のものを全部吐いてしまう。食欲がなくて食事はほとんどとれていないので、吐いたのは胃液だけだったが、気付いた侍女がわたしを介抱して、医者が呼ばれて、わたしはベッドに寝かされた。
 ベッドに寝ても一人きり。

 セシルの体に抱き着いて眠っていた日々が懐かしく、ただただ悲しい。
 母が駆け付けてくれたが、わたしは母にも会いたくなかったので目を閉じて眠っているふりをした。
 腕にはしっかりとセシルの作ってくれた青い蔦模様の刺繍の入った服を抱いていた。
 母はわたしの髪を撫でて泣いているようだった。

「このままではこの子は死んでしまう……。助ける方法はないのですか?」
「皇太子殿下の病は体の不調から来るものではありません。心から来ているものでしょう。心の病を治すための薬はないのです」
「わたくしはどうすればいいのですか?」
「皇太子殿下の母君として皇太子殿下を愛し、心を癒して差し上げられるのは皇后陛下しかおられません」

 母がわたしを愛してくれたらわたしはこの苦しみや悲しみから抜け出せると医者は言っている。
 体の中心にぽっかりと虚ろな穴が開いたような状態で、わたしはそれを埋められる何かがあるとは思えなかった。
 セシルが死んでしまったことがつらすぎて、でもわたしのせいで死んでしまったのだからわたしは泣くこともできなくて、ただただ苦しかった。

 叔父はわたしが成人するまでは皇帝代理を続け、わたしが成人したら皇帝として即位させたのちに、皇位継承権を放棄すると宣言している。皇帝位が荒れることのないようにという配慮なのだろうが、わたしは皇帝にならなくてはならないのだと圧し掛かる重圧に耐えていた。
 わたしは生きなければいけない。
 命を懸けてわたしを守ってくれたセシルのためにも、生きなければいけない。
 けれどセシルを失った世界は色彩も温度も失っていて、食事の味も分からなくなって、息をするたびにガラスの破片を飲み込んでいるように喉と胸が痛み、何かを食べれば砂の味しかしない。

 そんな風に生きていても、年月は過ぎる。
 わたしは皇帝になるためだけに生きていたので、学術の成績も非常によく、語学も属国の風習や歴史もよく学び、運動もさせられていたので体も成長して、長身の男性に育っていた。
 七歳のときくらいまではセシルの作った服の入ったバッグを手放せなかったが、今はセシルの服は大事に鍵のかかる箪笥の引き出しに入れて保存している。
 どうしても耐えられないときには、そこからセシルの作った服を取り出して、青い蔦模様の刺繍を指で撫でて、心を落ち着けた。

 十八歳でわたしが即位するときに、母や叔父はわたしを婚約させようとした。
 たくさんの女性とわたしは会わされたが、一人として興味を持てる相手はいなかった。
 わたしの心の中にはセシルしかいなかったのだ。

「皇帝陛下、婚約者を決めてください」
「わたしは生涯結婚はしません」
「そういうわけにはいかないでしょう。あなたには後継者を作る義務があります」

 説得してこようとする母に、わたしは氷よりも冷たい表情で告げた。

「義務はもう果たしています。わたしは死を選ばなかった。国のために皇帝になるために、わたしは命を捨てたいと思っても生きてきた。それで十分ではないですか。これ以上わたしになにか義務を背負わせないでください」

 静かに凍り付くような声で伝えると、母は涙を流していた。

「わたくしがつらくなかったと思っているのですか? 夫を失い、息子は死んだようになって帰ってきて、それでもわたくしはあなたを助けようとした。わたくしはあなたに幸せになってほしいだけなのです。家族を持つことで得られる幸せもあります」
「家族? 愛してもいないものを家族とは思えません」
「結婚してから芽生える愛もあります。わたくしとあなたの父上もそうでした。婚約者を持ってみるだけでも……」
「それで愛せなかったらどうするのですか? わたしも婚約者も不幸になるだけだ。次を探す? そんな失礼なことをわたしにしろと言うのですか?」

 母はただ一人父に愛された皇后で、父は他に妃を持たなかった。代々皇帝は真紅の色の瞳を持つが、この一族は生涯に一人の相手しか愛さないと言われている。
 わたしの愛した相手はもう死んでしまったのだ。

「あなたがずっと大事にしている刺繍の入った服……それが原因ですか?」
「そのことに関しては、母上でも話したくありません」

 わたしはセシルのことを誰にも話したことがなかった。
 セシルはわたしにとって唯一の相手だったし、わたしにとって生涯で一度の恋だった。
 二度と誰かをあんな風に愛することはない。
 セシルが死んでしまった今、わたしは誰も受け入れることはできなかった。

 実力行使に出たのか、わたしの部屋に薄着の女性が入り込んできたことがあった。
 皇帝に即位する直前のことだ。

「皇帝陛下、お情けをくださいませ」

 しなだれかかってくるその女性を振り払うと、わたしは手洗いに走っていた。
 胃の中に何とかおさめたものを全部吐き出してしまうわたしに、女性は驚き、怯えていた様子だった。

 望まない相手に触れられるなど、わたしは耐えられなかったし、体が拒絶反応を起こしていた。

 結果、わたしは不能だと理解されたようだった。
 それ以後、結婚の話は何度も持ち込まれたが、無理に令嬢を寝室に送り込んでくるようなことはなかった。

 春に十八歳になって成人して、わたしは皇帝に即位した。
 叔父のカイエタンがわたしの即位式を行った。

 純白の衣装に赤いマントを羽織って、冠を頂くわたしに、参列していた貴族や属国の王族や要人からため息が漏れた。
 わたしはただ、死ぬことも許されない、苦痛の日々が始まっただけという認識だったが。
 バルコニーに出て国民に手を振る間も、皇帝として宣言する間も、ただわたしは苦しく、つらいだけだった。
 この悲しみが癒える日は来ない。
 二度とセシルに会えることはない。
 セシルはただ一人のわたしの運命だった。
 わたしは運命を失って、二度と誰も愛せないと思っていた。
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