そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥

文字の大きさ
96 / 151
アレクサンテリ視点

6.皇帝になって

しおりを挟む
 生きたまま死んだような生活だった。
 皇帝としての職務は果たしつつ、わたしの心は渇いた砂漠のようで、なにも受け入れられず、誰にも心許すことができず、周囲はみんな敵に見えていた。
 幼馴染で側近のユリウスとシリルとテオは、わたしの執務を手伝おうとしたが、わたしはそれを跳ね除けた。忙しくしていれば心が死んでいても体が動く。そうすれば何とか生きていける。

 セシルを失ってから、わたしは何度もセシルのもとに行きたいと願ったことがある。
 それが死を示すことを分かっていなくても、セシルがいないこの世界に興味などなかった。
 それでも生きてきたのは、この命がセシルの救ってくれたもので、セシルがわたしが生きることを望んでくれたということだけだった。
 人間、なかなか死ねるものではないということもこの十二年で理解した。
 死のうと思って食事をしなかった時期もあったが、やせ細るわたしを見て母が泣き、食べ物を口に運んで食べさせようとするのを見ていると、死ねないと思ってしまう。
 ナイフで首を掻っ切って死のうかと思ったこともあるが、セシルが真っ赤な血に染まって倒れていく姿を思い浮かべるたびに、それを思いとどまった。

 セシルはわたしに「逃げて」と言った。
 セシルはわたしに生きてほしいと思っていた。

 セシルの作ってくれた青い蔦模様の刺繍の入った服。
 それだけがわたしをこの世に結び留めていた。
 青い刺繍に指を這わせるたびに、セシルが一針一針丁寧に刺繍してくれたのを思い出す。この刺繍にはセシルの思いが宿っている。
 血の染みは消えなかったが、それはわたしが背負っていくべき罪なのだと理解していた。

 わたしの存在がセシルの命を奪った。
 母はわたしに「幸せになってほしい」などと言ったが、わたしは幸せになってはいけない人間なのだ。
 わたしのせいで最愛のひとが死んでしまった。

 わたしをかわいがり、わたしに愛を教え、わたしを愛しんでくれた最愛のセシル。
 わたしがいなければセシルは死ぬことはなかった。わたしに出会わなければセシルは遠い国境の村で平和に暮らしていただろう。
 全てわたしの罪だった。

 夜眠ることのできないわたしのために、医者が睡眠薬を処方してくれている。
 睡眠薬での眠りは意識が一気になくなって、いきなり覚醒するというとても安らげたものではなかったが、夢を見ない分わたしは救われていた。
 夢を見ていたら、わたしは何度もセシルのことを見ていただろう。
 微笑むセシル。わたしに話しかけるセシル。刺繍をしているセシルの真剣な横顔。縫物をしていても時々わたしの方を見てくれるセシル。
 そして、属国の兵士の剣で切られて、血塗れになって倒れるセシル。

 死んでいくセシルの映像を何度も見せられたら、わたしは気が狂っていたかもしれない。

 睡眠薬を手放せないわたしを、母は心配しているようだったが、わたしは母とは距離を置いていた。
 皇帝に即位する直前、わたしの部屋に薄着の女性が現れたのも、母の手引きだったのではないかと疑っているのだ。

 皇帝宮のわたしの部屋は警備が非常に厳しい。そうでないとわたしの命を守ることはできない。その警備をかいくぐれるのは、母が手引きしたからとしか思えなかった。

 皇宮にわたしの味方などいない。
 信頼できる相手などいない。
 わたしはただ一人、皇帝として孤独だった。

 そんなわたしを周囲のものたちは恐れている様子だった。
 わたしはそれでいいと思っていた。
 誰かとなれ合うことなどしたくない。誰もわたしの心を救うことはできない。

 そのころにわたしは一冊の本と出会っていた。
 その本はこの国の教会が出したもののようで、検閲のためにわたしに一冊渡されたものだった。
 その本には次のように書いてあった。

 魂は輪廻する。
 死んだ者の魂は、輪廻転生して、また新しい体へと宿る。
 輪廻転生したものに前の記憶はなくて、新しい人生を歩むが、時折、前世の記憶があるものが生まれてくる。

 いくつかある実例を交えての本だったが、わたしはその本が信じられなかった。
 輪廻転生……いわゆる生まれ変わりなどあるはずがない。
 あるとしたら、ひとの死とはなんなのだろう。ひとの人生とはなんなのだろう。
 死の先にあるのは虚無だけだ。 
 ひとは死んだら無に還る。
 それだけのことだ。
 そうでなければ、セシルがどこかに生まれ変わっていることになる。
 セシルの生まれ変わりを探すことなどわたしにはできないし、どんな顔でセシルに会えばいいのか分からない。
 セシルはわたしを恨んでいるだろうか。死の原因となったわたしを憎んでいるだろうか。
 わたしはセシルが恋しいと思うと共に、セシルに会えば断罪されるとも思っていた。

 わたしが身分を明らかにして、自分の名前も隠さずに伝えていれば、わたしは見つかって殺されたかもしれないが、セシルは生きていたかもしれない。
 わたしの存在がセシルを殺した。

 何度考えてもその結論になってしまって、考えるたびにガラスの破片を飲み込むように喉から胸が痛く、心は凍り付いて行った。

 セシルが目の前で死んだ瞬間以来、わたしは涙も流せなくなった。
 セシルの命を奪った原因である私に、泣く権利などないと思ってしまったのだ。

 息をするたびにただ苦しい。
 食事は砂を噛んでいるように味がしない。
 セシルの元へ行きたい。
 その気持ちは日に日に強くなっていた。

 ユリウスもシリルもテオも、わたしのことをとても心配していたが、わたしは口出しすることを許さなかった。話しかけられるのすら不快だった。
 わたしは他人と交友をしていいような人間ではない。
 わたしは罪びとなのだ。
 罪を償うために皇帝としての責務を背負って生きている。

 二度とセシルのように殺されるものが出ないように、それだけを考えていた。

 セシルはお針子になりたいと言っていた。
 わたしはセシルの夢を叶えてやりたかったが、皇帝がどのようにすればお針子になりたいと思っている国の少女たちの夢を叶えられるのか方法が分からなかった。
 この国の女性はまだ地位が低く、成人するまでは家の手伝いをさせられて、成人したらすぐにでも結婚させられて、家庭に入り、家事をして子どもを産んで、結婚相手の仕事を支える。それが常識になっていた。
 セシルは結婚などしたくないと言っていた。

 セシルの村での夜、暑くて寝苦しくて起きたら、セシルの呟きが聞こえてきたことがあった。

「いつか、わたしが結婚して子どもを産むことがあったら……」

 セシルが何を考えているか分からないけれど、結婚のことを考えているのかとわたしが耳を澄ましていると、セシルの口調が硬くなる。

「結婚なんてしない。結婚なんて女の墓場だわ」

 セシルの言葉に、わたしは起き上がって問いかけていた。

「おねえちゃん、赤ちゃんがほしいの?」
「ガーネくん、起きてたの?」

 わたしが目覚めていたことに驚くセシルの顔をじっと見つめて、返事を待っていると、セシルはため息をついて苦笑して話してくれた。

「赤ちゃんはかわいいと思うけど、自分が産むのは想像できないな。ガーネくんみたいなかわいい子だったらいいんだけど」
「ぼくとけっこんしたら、ぼくそっくりな赤ちゃんがうまれるかもしれないよ!」
「ガーネくんと結婚か。結婚できるまでに十二年もかかっちゃうね」

 そのときにはよく分かっていなかったが、わたしは六歳で、セシルは十六歳。わたしが十八歳になって成人するときには、セシルは二十八歳だった。女性は成人してすぐに結婚させられるこの国において、二十八歳まで独身でいるということは、とても難しいことだと、当時のわたしはよく分かっていなかった。
 女性には子どもを産める期間があるのだ。それを過ぎてしまうと、子どもが産めなくなってしまう。二十八歳は子どもを産むには少し年齢が高くなっているので、結婚相手を見つけるのは難しくなる年頃だということが、六歳のわたしには分からない。

「わたしは、一生結婚はしたくないかな」
「どうして?」
「結婚したら、自由じゃなくなっちゃうからね」
「どうしてけっこんすると自由じゃなくなっちゃうの?」

 女性のこともよく分かっていなかったわたしが問いかけると、セシルは困ったように笑って答えてくれた。

「女のひとは結婚したら、子どもを産んで育てて、家庭に入らなきゃいけないの。夫に従わなきゃいけないし、夫の仕事を支えないといけない。わたしは夫の仕事を支えるんじゃなくて、自分で仕事をしたいんだ」
「女のひとはどうして、夫にしたがわないといけないの?」
「なんでだろうね。そういう社会だからかな」

 当時のわたしよりも十歳年上のセシルもどうしてこんな社会なのか分かっていなかった。分からないが、それが理不尽で、結婚などしたくないと言っている。
 わたしは将来皇帝になるので国のことは何でも変えられると信じていた。

「ぼくが変えるよ」
「え?」
「ぼくが、この国を変える。そしたら、おねえちゃんはぼくとけっこんしてくれる?」

 この国を変える。
 そのことを意識し始めたわたしの言葉を、セシルは本気にしてくれなかった。

「そんなことはいいから、寝ちゃおう。明日、起きれなくなるよ?」
「おねえちゃん、へんじして!」
「はいはい、そんなことがあったらね」

 それでも、この国を変えたらセシルが結婚してくれるかもしれないという希望を持って、わたしは眠りについた。

 今考えるとわたしは幼くて愚かだったのだ。
 国を変えることなど皇帝ならば簡単だと思っていたが、皇帝がすることには全て議会が関わってくる。議会の承認なしには皇帝も簡単に国を動かしたりできない。
 セシルの望んだ女性に自由のある社会を作ろうとしても、方法が分からないし、皇帝になってもわたしはあまりにも無力だった。

 セシルとの約束を守りたい。
 それがわたしにできる唯一の贖罪なのに、それすらもうまくいかない。

 わたしは生きることの意味を見失っていた。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

元貧乏貴族の大公夫人、大富豪の旦那様に溺愛されながら人生を謳歌する!

楠ノ木雫
恋愛
 貧乏な実家を救うための結婚だった……はずなのに!?  貧乏貴族に生まれたテトラは実は転生者。毎日身を粉にして領民達と一緒に働いてきた。だけど、この家には借金があり、借金取りである商会の商会長から結婚の話を出されてしまっている。彼らはこの貴族の爵位が欲しいらしいけれど、結婚なんてしたくない。  けれどとある日、奴らのせいで仕事を潰された。これでは生活が出来ない。絶体絶命だったその時、とあるお偉いさんが手紙を持ってきた。その中に書いてあったのは……この国の大公様との結婚話ですって!?  ※他サイトにも投稿しています。

前世の記憶を取り戻した元クズ令嬢は毎日が楽しくてたまりません

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のソフィーナは、非常に我が儘で傲慢で、どしうようもないクズ令嬢だった。そんなソフィーナだったが、事故の影響で前世の記憶をとり戻す。 前世では体が弱く、やりたい事も何もできずに短い生涯を終えた彼女は、過去の自分の行いを恥、真面目に生きるとともに前世でできなかったと事を目いっぱい楽しもうと、新たな人生を歩み始めた。 外を出て美味しい空気を吸う、綺麗な花々を見る、些細な事でも幸せを感じるソフィーナは、険悪だった兄との関係もあっという間に改善させた。 もちろん、本人にはそんな自覚はない。ただ、今までの行いを詫びただけだ。そう、なぜか彼女には、人を魅了させる力を持っていたのだ。 そんな中、この国の王太子でもあるファラオ殿下の15歳のお誕生日パーティに参加する事になったソフィーナは… どうしようもないクズだった令嬢が、前世の記憶を取り戻し、次々と周りを虜にしながら本当の幸せを掴むまでのお話しです。 カクヨムでも同時連載してます。 よろしくお願いします。

悪役令嬢なので最初から愛されないことはわかっていましたが、これはさすがに想定外でした。

ふまさ
恋愛
 ──こうなることがわかっていれば、はじめから好きになんてならなかったのに。  彩香だったときの思いが、ふと蘇り、フェリシアはくすりと笑ってしまった。  ありがとう、前世の記憶。おかげでわたしは、クライブ殿下を好きにならずにすんだわ。  だからあるのは、呆れと、怒りだけだった。 ※『乙女ゲームのヒロインの顔が、わたしから好きな人を奪い続けた幼なじみとそっくりでした』の、ifストーリーです。重なる文章があるため、前作は非公開とさせていただきました。読んでくれたみなさま、ありがとうございました。

枯れ専モブ令嬢のはずが…どうしてこうなった!

宵森みなと
恋愛
気づけば異世界。しかもモブ美少女な伯爵令嬢に転生していたわたくし。 静かに余生——いえ、学園生活を送る予定でしたのに、魔法暴発事件で隠していた全属性持ちがバレてしまい、なぜか王子に目をつけられ、魔法師団から訓練指導、さらには騎士団長にも出会ってしまうという急展開。 ……団長様方、どうしてそんなに推せるお顔をしていらっしゃるのですか? 枯れ専なわたくしの理性がもちません——と思いつつ、学園生活を謳歌しつつ魔法の訓練や騎士団での治療の手助けと 忙しい日々。残念ながらお子様には興味がありませんとヒロイン(自称)の取り巻きへの塩対応に、怒らせると意外に強烈パンチの言葉を話すモブ令嬢(自称) これは、恋と使命のはざまで悩む“ちんまり美少女令嬢”が、騎士団と王都を巻き込みながら心を育てていく、 ――枯れ専ヒロインのほんわか異世界成長ラブファンタジーです。

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

婚約破棄された悪役令嬢、手切れ金でもらった不毛の領地を【神の恵み(現代農業知識)】で満たしたら、塩対応だった氷の騎士様が離してくれません

夏見ナイ
恋愛
公爵令嬢アリシアは、王太子から婚約破棄された瞬間、歓喜に打ち震えた。これで退屈な悪役令嬢の役目から解放される! 前世が日本の農学徒だった彼女は、慰謝料として誰もが嫌がる不毛の辺境領地を要求し、念願の農業スローライフをスタートさせる。 土壌改良、品種改良、魔法と知識を融合させた革新的な農法で、荒れ地は次々と黄金の穀倉地帯へ。 当初アリシアを厄介者扱いしていた「氷の騎士」カイ辺境伯も、彼女の作る絶品料理に胃袋を掴まれ、不器用ながらも彼女に惹かれていく。 一方、彼女を追放した王都は深刻な食糧危機に陥り……。 これは、捨てられた令嬢が農業チートで幸せを掴む、甘くて美味しい逆転ざまぁ&領地経営ラブストーリー!

王子様とずっと一緒にいる方法

秋月真鳥
恋愛
五歳のわたくし、フィーネは姉と共に王宮へ。 そこで出会ったのは、襲われていた六歳の王太子殿下。 「フィーネ・エルネスト、助太刀します! お覚悟ー!」 身長を超える大剣で暗殺者を一掃したら、王子様の学友になっちゃった! 「フィーネ嬢、わたしと過ごしませんか?」 「王子様と一緒にいられるの!?」 毎日お茶して、一緒にお勉強して。 姉の恋の応援もして。 王子様は優しくて賢くて、まるで絵本の王子様みたい。 でも、王子様はいつか誰かと結婚してしまう。 そうしたら、わたくしは王子様のそばにいられなくなっちゃうの……? 「ずっとわたしと一緒にいる方法があると言ったら、フィーネ嬢はどうしますか?」 え? ずっと一緒にいられる方法があるの!? ――これは、五歳で出会った二人が、時間をかけて育む初恋の物語。 彼女はまだ「恋」を知らない。けれど、彼はもう決めている――。 ※貧乏子爵家の天真爛漫少女×策略王子の、ほのぼのラブコメです。 ※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

処理中です...