そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥

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アレクサンテリ視点

36.旅行の終わり

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 翌日はレイシーとボートに乗った。
 レイシーは白鳥を見たり、魚が泳いでいるのを見たりして、楽しんでいた。
 夕食後には、レイシーからお誘いがあった。

「部屋のベランダで一緒に過ごしませんか?」
「今日は晴れているし星がきれいに見えると聞いた。一緒に星を見よう」

 レイシーに答えると、わたしは身支度を整えてベランダに出た。肌寒くなっていることを気にしているのか、レイシーはカーディガンを羽織ってベランダに出てきた。
 ベランダに設置してある椅子に座ると、侍女に命じてテーブルに葡萄酒と果実水を用意してもらった。チーズやナッツやドライフルーツなどのおつまみも用意させた。
 レイシーは果実水を飲みながら、おつまみを摘まんでいた。

 日が落ちると、空は満天の星に覆われる。
 星が煌めき、大きな月が空に浮かび、湖面は鏡のように月や星を映していた。

「レイシー、星がきれいだよ」

 わたしが促すとレイシーが空を見上げる。
 その紫色の瞳も、月や星が映って夜空のようだった。

「今回の旅行、とても楽しかったです。アレクサンテリ陛下、一緒に来られて幸せでした」
「また来よう、レイシー」
「はい、来ましょう」

 約束を交わしながら、レイシーの頬にそっと手を添える。レイシーは分かっているように目を閉じた。
 レイシーの唇に触れるだけの口付けをすると、レイシーの体が震える。これ以上は怯えさせてしまうと、わたしはレイシーから離れた。

「レイシー、結婚するまでは決してレイシーには清い身でいてもらおうと思う」
「アレクサンテリ陛下がお望みなら……」
「そんなことは言わなくていいよ。レイシーの心の準備が整うのを待っている」

 十九歳といえば十分な大人だが、レイシーには無理をしてほしくないと思っていた。わたしはレイシーの心の準備が整うまではレイシーに手を出さないことを決めていた。

「結婚したそのときには」

 それでも、わたしも健全な成人男性なので、欲望は抱く。レイシーと結婚した暁には、レイシーを抱くことを我慢はできないだろう。
 わたしの言葉を聞いて、レイシーは頬を染めていた。

 「おやすみ」を言ってから部屋に戻ってわたしは、シャワーを浴びて歯も磨いた。
 寝る準備を整えてベッドに腰かけると、セシルの言葉が頭をよぎる。

「結婚は女の墓場、か」

 セシルとレイシーの考えが同じだとは思わないが、わたしはレイシーに望まないことを強いているのではないだろうか。
 結婚すればレイシーに家庭に入ってほしいというつもりはないが、妊娠、出産すればその期間はレイシーの自由を奪ってしまう。
 レイシーと体を交わせば、妊娠する可能性は高かった。
 レイシーが望まなければ子どもはいらない。皇帝の後継者が必要ならば、叔父のカイエタンの子どもたちの誰かを養子にもらえばいい。
 そうなると、レイシーとの夜の営みは必要なくなるのだが、結婚してレイシーに許されればわたしは自分を止められるか分からない。
 レイシーにも結婚した後には、きちんと意見を聞いてみたかったが、今はまだ早い気がする。
 レイシーの望むことだけを叶えたい。
 わたしはそのためなら自分の気持ちを殺すことも不可能ではないと考えていた。

 翌日、朝食を食べ終えるとわたしはレイシーに手を貸して馬車に乗せて、わたしも乗り込んで、楽しい旅行は終わりを告げる。
 馬車の窓から名残惜しそうに湖を見ているレイシーのところに行って、わたしはレイシーを後ろからすっぽりと抱き締めた。甘い香りが僅かに鼻腔をくすぐり、レイシーの体温が心地よく伝わってくる。

「この旅行は本当に楽しかった。こんなにも寛げる瞬間があるのかと思った」
「アレクサンテリ陛下は完全には休めなかったのではないですか? お仕事が別荘にも届いていたではないですか」
「あの程度は普段に比べれば大したことはない。刺繍をするレイシーの隣に座っているのは幸せな時間だった」

 わたしがレイシーに語り掛けると、レイシーは別荘でわたしが休めなかったのではないかと心配していた。届けられた書類の量は大したことがなかったし、わたしはそれよりもレイシーとゆっくり過ごせる時間が取れて幸せだった。

「皇帝宮に帰っても、わたくしが刺繍をしているときに一緒に過ごしますか?」
「いいのか?」
「はい。わたくしもアレクサンテリ陛下が横に座っていてくれて刺繍をする時間、穏やかで幸せでした」

 わたしがレイシーを抱き締め、その肩口に後ろ側から顔を埋めると、レイシーがわたしの匂いを嗅いでいた。

「アレクサンテリ陛下は、特別な香水をつけているのですか。いつもいい香りがします」
「調香師がわたしに合わせて作ってくれた香水らしいが、レイシーはまだ調香師には会っていなかったか」
「はい。お会いしたことはないです」

 香水はあまり好きではないのだが、作られてしまったのでつけていたが、それをレイシーは気にしてくれていたようだった。わたしは味覚も嗅覚も機能していなかった時期に作ってもらったものなのでよく分からないが、レイシーにとっていい香りならばよかったと思う。

「レイシーは自然でいい香りなのだが」
「それはシャンプーと石鹸と、香油の香りだと思います」

 レイシーの香りを吸い込むと、レイシーが真面目に返してくる。
 それから、レイシーの興味はまた香水に戻っていた。

「わたくしが使う香水も欲しい気がします。どのような香りか気になります」
「調香師はきっと、わたしの香りとも合うものを作ってくれると思うよ」
「アレクサンテリ陛下と合う香り……」
「わたしの香りとレイシーの香りが混ざり合うと、更に深い香りになるのだ」
「そうなんですね。それは楽しみです」

 レイシーが欲しいというのならば香水を作ってもらってもいいだろう。
 近いうちに調香師を皇帝宮に呼ぼうとわたしは決めていた。

 皇帝宮に戻ると、昼食を食べて、わたしは皇宮本殿に呼ばれていたので、慌ただしく立ち上がる。

「すまない、旅行の間に溜まっている仕事があって、行かなければいけない」
「行ってらっしゃいませ、アレクサンテリ陛下」
「行ってきます、レイシー」

 出かける前にレイシーにハグをしたら、驚いたようで紫色の目を丸くしていたが、嫌がってはいない様子だったので、素早く離れてわたしは皇宮本殿に向かった。
 皇宮本殿の執務室ではユリウスとシリルが待っていた。テオは旅行中ずっとついてきてくれて、護衛をしてくれていたので、今日は休みになっている。久しぶりに妻子に会って、寛いでいることだろう。

「レイシーが香水を欲しがっている。女性の調香師を手配してほしい」
「皇帝陛下の香水を作ったものではいけないのですか?」
「レイシーを男性に会わせたくない」

 ユリウスの言葉にわたしが素直な感想を言えば、ユリウスが苦笑する。

「妃殿下が皇后となられた暁には、男性の賓客とも会うことになります。皇帝陛下が妃殿下と男性が会うことに慣れなければいけないのではないですか?」
「それは追々でいいだろう」

 今でなくてもいいと言えば、ユリウスは笑っていたようだった。
 婚約者がいて、その婚約者を深く愛しているユリウスですらレイシーには近付けたくないのだ。わたしは相当嫉妬深いと思われているかもしれないが、それも愛ゆえに仕方がないことだった。

 夕食の前には皇帝宮に戻ることができた。
 わたしは玄関ホールに迎えに来ていたレイシーを抱き締めてしまう。
 旅行に行ったせいか、レイシーと距離を詰めたい気持ちが大きくなっていた。

「おかえりなさいませ、アレクサンテリ陛下」
「ただいま、レイシー」

 レイシーを怖がらせるつもりはないので、すぐに開放すると、レイシーが「おかえりなさい」を言ってくれて、わたしが「ただいま」を言う。
 セシルが帰って来たときには、わたしが「おかえり」を言って、セシルが「ただいま」を言っていた。今とは逆だが、レイシーとの挨拶もわたしにとっては大事なものだった。

「今日はレイシーは何をしていたのかな?」
「わたくしは仕立て職人さんの作業室に行って、結婚式の衣装の刺繍の図案を考えていました」
「何かいいものがあったかな?」
「蔦模様と合うような図案もいくつかありました。それを使おうかと思っています」

 レイシーから今日の報告を聞いて、部屋に着替えに行って、レイシーと夕食を食べる。
 夕食後、レイシーが部屋に誘ってくれた。

「わたくしの部屋に来てくださいませんか?」

 レイシーを脅かさないために、部屋にはできるだけ入らないようにと気を付けていた。
 レイシーがわたしを怖がったときに、逃げ込める安全な場所がなければいけない。わたしは皇帝でレイシーは拒める立場にないのだからこそ、レイシーを尊重したい気持ちが強かった。
 そこに、レイシーからの許しがあって入ることができる。
 レイシーはそれだけわたしに心を許してくれているのだろう。
 これに驕らず、レイシーをもっと尊重しなければいけない。
 心に決めつつ、レイシーの部屋に行った。

 レイシーは部屋でわたしがソファに座ると刺繍の図案を見せてくる。

「アレクサンテリ陛下はどの図案が好きですか?」
「そうだな、これなんてどうだろう」

 その図案はレイシーが刺繍したいものなのだろう。
 華奢な細かい刺繍が並ぶ図案を示すと、レイシーは職人の顔になる。

「この布に、この図案……どうでしょう」
「レイシーが作るのならば素敵だと思うが」
「アレクサンテリ陛下はわたくしのすることを全く否定しないですよね」

 否定する要因がないから否定していないだけなのだが、レイシーはそれを好意的に感じているようだ。

「レイシーがすることは全て素晴らしいと思っているからね」
「全肯定なのですね」
「それはレイシーを愛しているからだよ」

 レイシーを愛している。
 それだけはわたしにとって間違いのない真実だった。
 レイシーといると幸せすぎて忘れてしまいそうになるが、セシルへの恋心は過去のものにできても、罪悪感は完全に消えたわけではない。
 それでも、レイシーといると未来のことを考えられる。

「わたくしもアレクサンテリ陛下を愛しています」
「レイシー」

 レイシーの言葉に、わたしはレイシーの体を優しく抱き締めた。
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