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君は誰にも 2
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重い木の扉のクラシックなバーに、アルミロ・カペーチェがジャンとサムエルを呼び出したのは久しぶりのことだったが、いつもはカウンターの一番奥に座って、サムエルとの間にアルミロを挟むジャンが、今はアルミロとの間にサムエルを挟んで一番手前に座っていることに、聡いアルミロが気付かないはずがなかった。そうでなくとも、ジャンがアルミロに声をかけると、サムエルが露骨に割り込んでくるのにも、アルミロは笑いが抑えきれない。
「そのうちくっ付くだろうとは思ったけど……そんなに、牽制する?」
くすくすと笑い声を漏らすアルミロに、ダイエットコーラを飲むサムエルは、ちらりとジャンを見る。つまみのナッツを頼んでから、ジャンはウイスキーのロックのグラスを持ち上げた。
「アーロは……僕より細いし、ジャンと付き合ってたから」
言い訳のように口を開いたサムエルに、アルミロが朱色の目でジャンを見る。カットグラスに口を付けていたジャンは、わずかに肩を竦めた。
「サムって、かっこいいのに自信ないんだね。ジャンは、無駄に偉そうで自信満々なのにな」
αのサムエルとβのジャン。性格的には逆ではないかと揶揄するアルミロに、ジャンがナッツを摘まんで投げる。受け止めて、アルミロはそれを口に入れた。
「αとかβとか、どういう性格が典型的なんて、そんなの統計的なもので、例外があって普通だろう」
「君のそういう考え方、好き」
ぽろりと零して微笑んでから、サムエルがアルミロのにやけ面に赤面する。
「あぁ、その感じじゃ、サムがそっちなんだ」
納得されてジャンが緑色の目を冷ややかに細めた。
「俺は突っ込まれる方はできないからな」
しない、ではなく、できない、とジャンが口にしたのが、サムエルは少々気になったが、きっぱりとした物言いに聞いてはいけないような気がして、話題を別のものに変える。
「ハロは、どうしたの?」
このバーで飲むときは大抵アルミロが連れてくる会社の後輩の名前を出すと、困ったようにアルミロが微笑んだ。
「発情期で、仕事も休んでるよ」
「発情期……」
成人男性でΩのハーロルト・メランヒトンは健康で正常なので、三ヶ月ごとに発情期がやってくるのは当然のことである。薬で抑えない主義の彼は、フリーのαに誘いをかけたりして発情期をしのいでいるようだった。サムエルもハーロルトに声をかけられたし、βでもαっぽく見えるジャンも声をかけられたという。
Ωのフェロモンの威力はよく知っているし、フェロモンがなくとも発情期の潤んだ瞳や欲情した甘い声が、αのみならず相手を誘うことはよく分かっていた。だから、今日ハーロルトが来ていないことに、自分の身よりもジャンのことを考えてサムエルはほっと胸を撫で下ろす。
「すごく……失礼かもしれないけど、ハロに……研究の協力をお願いしたら、嫌がられるかな?」
一方で安堵しておきながら、一方で薬の開発のために発情期のΩが必要ということを思い出して利用しようとする自分に自己嫌悪を抱きつつ、サムエルがアルミロに問いかけると、「自分で聞いてみたら?」という軽い答えが返って来た。
「ハロは結構理性的な人格だし、ちゃんと話せば通じない相手じゃないよ」
連絡先を渡されてサムエルは複雑な笑顔でアルミロに礼を言う。被験者として薬を服用しているαの数は少ない。その中で、発情期のΩに今の段階で会うことに賛成してくれそうなαは思い付く限りでは、ゼロに近い。となれば、実験台になるのはサムエルと開発に携わる数人のαだろう。
もしも、サムエルがハーロルトのフェロモンに反応しても、実験の場だったら止めてくれる立会人もいるし、万が一ということはないとは思っているが、もしものことが起こったら、ジャンは軽くサムエルを切り捨てそうな不安があって、ちらりと紫がかった青い目を向けると、ジャンは眠たそうにグラスの中身を飲んでいた。時間的にはそろそろジャンの就寝時間だ。
「帰る?」
瞼が重くなっているジャンは、サムエルの申し出に小さく頷く。眠気が勝るとジャンは口数が少なくなって可愛いと思うのだが、それを口にすると痛烈な皮肉を浴びせかけられそうで、カードで支払いをしていると、ジャンの耳元にアルミロがなにか囁いた。眉を潜めて苦笑したジャンの姿に、「僕の恋人なのに」と子どものような独占欲がわいてくる。
支払いを終えてジャンの二の腕を掴むと、アルミロに軽く「またね」と声をかけて車まで連れて行った。助手席に押し込んで、運転席に乗り込んだサムエルは、ジャンの胸ぐらを掴んでキスをする。舌を絡めると、じんと頭の芯が痺れるような快感が走って、股間が熱くなるが、ジャンはそれよりも眠そうだった。
「ジャン、したいんだけど」
「明後日、休みだから、明日、な」
ぽんぽんと宥めるように頭を軽く叩かれて、ジャンが助手席に沈み込む。中途半端に火のついた欲望を押さえながら運転していると、助手席からは健やかな寝息が聞こえてきていた。
連絡をとると、ハーロルトは快く了承してくれた。研究施設に来たハーロルトは、お互いの安全のために、研究者でβの女性、フィロメナ・ウルサイスが案内して来て、実験室の一室に通したようだった。
「サム、あなたは外れてもいいのよ」
同じ開発に携わっているαのジュディス・フットに言われて、サムエルは試験薬を服薬しているαの中で今回の実験に同意してくれたジュディスと、もう一人のαの女性、マルギット・ポールソンに目をやる。ジュディスはサムエルと同じ年でハイスクールも同じで、薄茶色の髪の長身の女性だった。マルギットはサムエルよりも少し若い灰色の髪の小柄な女性である。
「女性被験者だけの結果だと偏るし……」
「恋人に捨てられても責任とれませんよー」
マルギットの厳しい言葉に、サムエルはため息を吐く。ジャンのことを信じていないわけではないし、自分の理性も、開発されている薬も信じていないわけではない。それでも、いざ実験となると怯んでしまう。その怯みを見せてはいけないと、サムエルは笑顔を作った。
「大丈夫だと思う。僕が信じてないと、どうしようもないよ」
試験役についても、ジャンについても、サムエルが信じていないとどうしようもない。
隣りの部屋がマジックミラーで中が見える実験室に、サムエルが最初に入った。
小柄で細身のハーロルトは、発情期の兆候が顕著に出ていて、潤んだ薄茶色の目に、浅い吐息、サムエルを視界に入れた瞬間のまとわりつくような視線に、サムエルも警戒したが、正面の椅子に座っても誘うような香りは感じられなかった。
「あの……サム、俺が妙なこと言っても、気にしないでね」
欲望を押さえるように唾を飲み込むハーロルトの尖った喉仏が上下する。わなないた唇は、フェロモンがなくても、サムエルがフリーならばキスをしてやりたいと思っただろう。
「大丈夫、こっちこそ、そんな状態でつらいだろうに、実験に付き合わせてごめんね」
目を伏せて謝ると、ハーロルトは自分の手がサムエルに伸びないように、ぎゅっと腕を組んだまま自分の二の腕を握りしめた。
「俺も、こういう薬があったらいいなって……軽蔑しないで、俺、アーロが好きなんだ」
軽いことを言っているけれど、絶対に自分のフェロモンでは誘惑できない相手……βのアルミロに想いを寄せていると小さく呟いてから、ハーロルトは目を伏せる。潤んだ目から、長い睫毛を伝って涙の雫が零れ落ちそうな雰囲気だった。
「俺、サムの気持ちが分かる……でも、アーロは俺には興味なくて……やっぱり俺はΩだから、αなら俺を愛してくれるのかなって……」
「自分のことに精一杯で気付かなかった……ごめん、ハロ」
再び謝ったサムエルに、ハーロルトは小さく頭を振る。指先すら触れないままに、サムエルはジュディスと交代した。
ジュディスもマルギットも問題なく、対面を終えて、ハーロルトはフィロメナに送られて帰って行った。
「Ωの発情の抑制薬はあるけど、あれって使ってると妊娠できないんだっけ?」
ふと問いかけたサムエルに、ジュディスが首を傾げる。
「大抵のはそうだと思うわ。発情期にしか男性Ωは妊娠できないからね」
発情期を抑えていると好きな相手の子どもを産むことができない。きっと、ハーロルトが産みたいのは、アルミロの子どもなのだろう。そのために、ハーロルトは危険を冒している。もしも、αの方も気を付けてフェロモンに反応しない抑制薬を使えば、Ωの発情期もある程度自由になるのかもしれない。
最初に会ったときに、ハーロルトがサムエルの研究のことを聞いて、同意してくれた意味を今更ながらに噛みしめる。
「今日はもう退勤するね」
明日はサムエルもジャンも休みなので、今日はジャンと夜の約束をしていたとそわそわするサムエルに、ジュディスがぽんとサムエルのお尻を叩いた。
「楽しんでらっしゃい」
「僕、太った?」
肉付きのいい体を指摘されたような気分になるサムエルに、ジュディスは声を上げて笑った。
合い鍵をもらっていたのでジャンが帰ってくる前に、シャワールームで念入りに準備をする。久しぶりなので、すぐにでもジャンと繋がりたい気持ちが先走って、欲望が抑えきれなくなりそうになる。ジャンが眠っている間に自分で処理もしているのだが、実際にジャンとするとなると気合も違ってくる。
昼間に見たハーロルトの潤んだ目が、ジャンのクールな緑の目と重なって、体が熱くなってしまう。
まだジャンの退勤時間まではもう少し時間があるのに、体と心の準備ができすぎてしまって、サムエルはほてった体を持て余して、バスローブでソファに座って冷たい水を飲んで誤魔化そうとしていた。
階段を上がってくる足音が聞こえる気がする。鍵を鍵穴に差し込んでガチャガチャと回す音、それから、玄関のマットで靴を拭ってゆっくりと廊下を歩いてリビングまでやってくる足音。
「ジャン」
「早かったな、サム……!?」
カバンも置いていない、上着も脱いでいないジャンに飛び付くようにして抱き付いて、キスをして体を擦り付けるサムエルに、わずかに驚いたようにジャンの目が見開かれる。
「ハロの発情期に引きずられたか?」
皮肉げに唇を斜めにするジャンに、サムエルはふるふると首を振った。
「彼の発情期には全く反応しなかったよ……僕は、ジャンが欲しい。ジャンだけが欲しかった」
ねだるように唇を軽く食むと、ジャンがサムエルの分厚い胸板を押す。
「シャワーを浴びてくるから、ちょっと待ってろ」
「待てないよ、そのままでいい」
「汗臭いから俺が嫌だ」
「ジャンの匂い好きだよ」
真正面から言われて、ジャンが額に手をやって喉の奥で笑った。
「俺は、フェロモンとか出してないからな。ほら、いい子で待ってろ」
ちゅっと音を立てて頬にキスをされて、少し湿った黒髪を撫でられて、サムエルは不承不承ソファに戻る。シャワーの音が止まって、ドライヤーの音が響き出す頃には、もう我慢が出来なくなったサムエルは、バスタオルを腰に巻き付けて洗面所で髪を乾かしていたジャンを担ぐようにしてベッドに連れて行っていた。
「盛った犬じゃないんだから、もうちょっと理性的にできないのか?」
「ジャン、本当に僕と同じ年なの? むしろ、君の性欲が薄いのが僕には信じられないんだけど!」
鼻息荒く詰め寄られて、ジャンはバスタオルを外して、サムエルに馬乗りになってキスを落とす。
「薄いわけじゃないんだが……まぁ、覚悟しとけよ」
期待した快楽に、サムエルはうっとりと目を細めてジャンを抱きしめた。
[[rb:避妊具 > ゴム]]を使ってはいるが、お互いの汗で濡れたシーツの上に横たわりながら、サムエルは心地よい疲労感と眠気の中で、ジャンの体を抱き寄せる。
「13歳くらいの頃、覚えてる?」
平たい胸を合わせるとお互いの汗が混じり、鼓動が聞こえるような気がした。
「なんかあったっけ?」
ベッドサイドのテーブルからミネラルウォーターのペットボトルを取って三分の一ほど一気に飲んだジャンは、残りをサムエルに差し出す。サムエルもそれを飲んで息を吐く。
「水泳の授業のあとで、君の服が一式、隠されたことがあったよね」
両親が離婚していて、母親との二人暮らしで、その頃から縫製の仕事をしていた母親を手伝って、キルティングや編み物で小遣い稼ぎをしていたジャンを、嘲弄の的にしていた男子のグループがあった。そのグループの仕業なのだろうとほとんど分かっていたが、証拠はなく、下着を含めた服一式を隠されて、こじ開けられたロッカーに残っていたのは、空色に白い水玉のワンピースだった。
おかま野郎、と書かれたメモと一緒に入っていたそれを、特に動揺せずにジャンは着て帰った。
「あのとき、君はかっこいいなって思ったんだ」
「裸で帰るわけにはいかないだろ」
さらりというジャンに、「それでも、怒ったり、泣いたりするものなんじゃないの? 僕だったらしてたよ」とサムエルが言う。
「それで、思い出したけど、あんた、学校中のゴミ箱をひっくり返して、俺の服を探し出して、俺の家に届けてくれたよな」
ジャンの言葉に、サムエルの火照った頬が更に赤みを増す。
「覚えてたの?」
「自分のせいじゃないのに、ゴミ箱に入ってたせいで汚れて、しかも、ソックスが片方見つからなかった、ごめんなさいって、あんた、俺の母親に泣いて謝ってた」
「やだな、恥ずかしい。そんなかっこ悪いこと、したっけ?」
目をそらすサムエルに、ジャンはふっと微笑んだ。
「かっこ悪くなかったよ」
「本当?」
問い返されて、ジャンはサムエルの汗ばんだ黒髪を撫でた。
「そのうちくっ付くだろうとは思ったけど……そんなに、牽制する?」
くすくすと笑い声を漏らすアルミロに、ダイエットコーラを飲むサムエルは、ちらりとジャンを見る。つまみのナッツを頼んでから、ジャンはウイスキーのロックのグラスを持ち上げた。
「アーロは……僕より細いし、ジャンと付き合ってたから」
言い訳のように口を開いたサムエルに、アルミロが朱色の目でジャンを見る。カットグラスに口を付けていたジャンは、わずかに肩を竦めた。
「サムって、かっこいいのに自信ないんだね。ジャンは、無駄に偉そうで自信満々なのにな」
αのサムエルとβのジャン。性格的には逆ではないかと揶揄するアルミロに、ジャンがナッツを摘まんで投げる。受け止めて、アルミロはそれを口に入れた。
「αとかβとか、どういう性格が典型的なんて、そんなの統計的なもので、例外があって普通だろう」
「君のそういう考え方、好き」
ぽろりと零して微笑んでから、サムエルがアルミロのにやけ面に赤面する。
「あぁ、その感じじゃ、サムがそっちなんだ」
納得されてジャンが緑色の目を冷ややかに細めた。
「俺は突っ込まれる方はできないからな」
しない、ではなく、できない、とジャンが口にしたのが、サムエルは少々気になったが、きっぱりとした物言いに聞いてはいけないような気がして、話題を別のものに変える。
「ハロは、どうしたの?」
このバーで飲むときは大抵アルミロが連れてくる会社の後輩の名前を出すと、困ったようにアルミロが微笑んだ。
「発情期で、仕事も休んでるよ」
「発情期……」
成人男性でΩのハーロルト・メランヒトンは健康で正常なので、三ヶ月ごとに発情期がやってくるのは当然のことである。薬で抑えない主義の彼は、フリーのαに誘いをかけたりして発情期をしのいでいるようだった。サムエルもハーロルトに声をかけられたし、βでもαっぽく見えるジャンも声をかけられたという。
Ωのフェロモンの威力はよく知っているし、フェロモンがなくとも発情期の潤んだ瞳や欲情した甘い声が、αのみならず相手を誘うことはよく分かっていた。だから、今日ハーロルトが来ていないことに、自分の身よりもジャンのことを考えてサムエルはほっと胸を撫で下ろす。
「すごく……失礼かもしれないけど、ハロに……研究の協力をお願いしたら、嫌がられるかな?」
一方で安堵しておきながら、一方で薬の開発のために発情期のΩが必要ということを思い出して利用しようとする自分に自己嫌悪を抱きつつ、サムエルがアルミロに問いかけると、「自分で聞いてみたら?」という軽い答えが返って来た。
「ハロは結構理性的な人格だし、ちゃんと話せば通じない相手じゃないよ」
連絡先を渡されてサムエルは複雑な笑顔でアルミロに礼を言う。被験者として薬を服用しているαの数は少ない。その中で、発情期のΩに今の段階で会うことに賛成してくれそうなαは思い付く限りでは、ゼロに近い。となれば、実験台になるのはサムエルと開発に携わる数人のαだろう。
もしも、サムエルがハーロルトのフェロモンに反応しても、実験の場だったら止めてくれる立会人もいるし、万が一ということはないとは思っているが、もしものことが起こったら、ジャンは軽くサムエルを切り捨てそうな不安があって、ちらりと紫がかった青い目を向けると、ジャンは眠たそうにグラスの中身を飲んでいた。時間的にはそろそろジャンの就寝時間だ。
「帰る?」
瞼が重くなっているジャンは、サムエルの申し出に小さく頷く。眠気が勝るとジャンは口数が少なくなって可愛いと思うのだが、それを口にすると痛烈な皮肉を浴びせかけられそうで、カードで支払いをしていると、ジャンの耳元にアルミロがなにか囁いた。眉を潜めて苦笑したジャンの姿に、「僕の恋人なのに」と子どものような独占欲がわいてくる。
支払いを終えてジャンの二の腕を掴むと、アルミロに軽く「またね」と声をかけて車まで連れて行った。助手席に押し込んで、運転席に乗り込んだサムエルは、ジャンの胸ぐらを掴んでキスをする。舌を絡めると、じんと頭の芯が痺れるような快感が走って、股間が熱くなるが、ジャンはそれよりも眠そうだった。
「ジャン、したいんだけど」
「明後日、休みだから、明日、な」
ぽんぽんと宥めるように頭を軽く叩かれて、ジャンが助手席に沈み込む。中途半端に火のついた欲望を押さえながら運転していると、助手席からは健やかな寝息が聞こえてきていた。
連絡をとると、ハーロルトは快く了承してくれた。研究施設に来たハーロルトは、お互いの安全のために、研究者でβの女性、フィロメナ・ウルサイスが案内して来て、実験室の一室に通したようだった。
「サム、あなたは外れてもいいのよ」
同じ開発に携わっているαのジュディス・フットに言われて、サムエルは試験薬を服薬しているαの中で今回の実験に同意してくれたジュディスと、もう一人のαの女性、マルギット・ポールソンに目をやる。ジュディスはサムエルと同じ年でハイスクールも同じで、薄茶色の髪の長身の女性だった。マルギットはサムエルよりも少し若い灰色の髪の小柄な女性である。
「女性被験者だけの結果だと偏るし……」
「恋人に捨てられても責任とれませんよー」
マルギットの厳しい言葉に、サムエルはため息を吐く。ジャンのことを信じていないわけではないし、自分の理性も、開発されている薬も信じていないわけではない。それでも、いざ実験となると怯んでしまう。その怯みを見せてはいけないと、サムエルは笑顔を作った。
「大丈夫だと思う。僕が信じてないと、どうしようもないよ」
試験役についても、ジャンについても、サムエルが信じていないとどうしようもない。
隣りの部屋がマジックミラーで中が見える実験室に、サムエルが最初に入った。
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「あの……サム、俺が妙なこと言っても、気にしないでね」
欲望を押さえるように唾を飲み込むハーロルトの尖った喉仏が上下する。わなないた唇は、フェロモンがなくても、サムエルがフリーならばキスをしてやりたいと思っただろう。
「大丈夫、こっちこそ、そんな状態でつらいだろうに、実験に付き合わせてごめんね」
目を伏せて謝ると、ハーロルトは自分の手がサムエルに伸びないように、ぎゅっと腕を組んだまま自分の二の腕を握りしめた。
「俺も、こういう薬があったらいいなって……軽蔑しないで、俺、アーロが好きなんだ」
軽いことを言っているけれど、絶対に自分のフェロモンでは誘惑できない相手……βのアルミロに想いを寄せていると小さく呟いてから、ハーロルトは目を伏せる。潤んだ目から、長い睫毛を伝って涙の雫が零れ落ちそうな雰囲気だった。
「俺、サムの気持ちが分かる……でも、アーロは俺には興味なくて……やっぱり俺はΩだから、αなら俺を愛してくれるのかなって……」
「自分のことに精一杯で気付かなかった……ごめん、ハロ」
再び謝ったサムエルに、ハーロルトは小さく頭を振る。指先すら触れないままに、サムエルはジュディスと交代した。
ジュディスもマルギットも問題なく、対面を終えて、ハーロルトはフィロメナに送られて帰って行った。
「Ωの発情の抑制薬はあるけど、あれって使ってると妊娠できないんだっけ?」
ふと問いかけたサムエルに、ジュディスが首を傾げる。
「大抵のはそうだと思うわ。発情期にしか男性Ωは妊娠できないからね」
発情期を抑えていると好きな相手の子どもを産むことができない。きっと、ハーロルトが産みたいのは、アルミロの子どもなのだろう。そのために、ハーロルトは危険を冒している。もしも、αの方も気を付けてフェロモンに反応しない抑制薬を使えば、Ωの発情期もある程度自由になるのかもしれない。
最初に会ったときに、ハーロルトがサムエルの研究のことを聞いて、同意してくれた意味を今更ながらに噛みしめる。
「今日はもう退勤するね」
明日はサムエルもジャンも休みなので、今日はジャンと夜の約束をしていたとそわそわするサムエルに、ジュディスがぽんとサムエルのお尻を叩いた。
「楽しんでらっしゃい」
「僕、太った?」
肉付きのいい体を指摘されたような気分になるサムエルに、ジュディスは声を上げて笑った。
合い鍵をもらっていたのでジャンが帰ってくる前に、シャワールームで念入りに準備をする。久しぶりなので、すぐにでもジャンと繋がりたい気持ちが先走って、欲望が抑えきれなくなりそうになる。ジャンが眠っている間に自分で処理もしているのだが、実際にジャンとするとなると気合も違ってくる。
昼間に見たハーロルトの潤んだ目が、ジャンのクールな緑の目と重なって、体が熱くなってしまう。
まだジャンの退勤時間まではもう少し時間があるのに、体と心の準備ができすぎてしまって、サムエルはほてった体を持て余して、バスローブでソファに座って冷たい水を飲んで誤魔化そうとしていた。
階段を上がってくる足音が聞こえる気がする。鍵を鍵穴に差し込んでガチャガチャと回す音、それから、玄関のマットで靴を拭ってゆっくりと廊下を歩いてリビングまでやってくる足音。
「ジャン」
「早かったな、サム……!?」
カバンも置いていない、上着も脱いでいないジャンに飛び付くようにして抱き付いて、キスをして体を擦り付けるサムエルに、わずかに驚いたようにジャンの目が見開かれる。
「ハロの発情期に引きずられたか?」
皮肉げに唇を斜めにするジャンに、サムエルはふるふると首を振った。
「彼の発情期には全く反応しなかったよ……僕は、ジャンが欲しい。ジャンだけが欲しかった」
ねだるように唇を軽く食むと、ジャンがサムエルの分厚い胸板を押す。
「シャワーを浴びてくるから、ちょっと待ってろ」
「待てないよ、そのままでいい」
「汗臭いから俺が嫌だ」
「ジャンの匂い好きだよ」
真正面から言われて、ジャンが額に手をやって喉の奥で笑った。
「俺は、フェロモンとか出してないからな。ほら、いい子で待ってろ」
ちゅっと音を立てて頬にキスをされて、少し湿った黒髪を撫でられて、サムエルは不承不承ソファに戻る。シャワーの音が止まって、ドライヤーの音が響き出す頃には、もう我慢が出来なくなったサムエルは、バスタオルを腰に巻き付けて洗面所で髪を乾かしていたジャンを担ぐようにしてベッドに連れて行っていた。
「盛った犬じゃないんだから、もうちょっと理性的にできないのか?」
「ジャン、本当に僕と同じ年なの? むしろ、君の性欲が薄いのが僕には信じられないんだけど!」
鼻息荒く詰め寄られて、ジャンはバスタオルを外して、サムエルに馬乗りになってキスを落とす。
「薄いわけじゃないんだが……まぁ、覚悟しとけよ」
期待した快楽に、サムエルはうっとりと目を細めてジャンを抱きしめた。
[[rb:避妊具 > ゴム]]を使ってはいるが、お互いの汗で濡れたシーツの上に横たわりながら、サムエルは心地よい疲労感と眠気の中で、ジャンの体を抱き寄せる。
「13歳くらいの頃、覚えてる?」
平たい胸を合わせるとお互いの汗が混じり、鼓動が聞こえるような気がした。
「なんかあったっけ?」
ベッドサイドのテーブルからミネラルウォーターのペットボトルを取って三分の一ほど一気に飲んだジャンは、残りをサムエルに差し出す。サムエルもそれを飲んで息を吐く。
「水泳の授業のあとで、君の服が一式、隠されたことがあったよね」
両親が離婚していて、母親との二人暮らしで、その頃から縫製の仕事をしていた母親を手伝って、キルティングや編み物で小遣い稼ぎをしていたジャンを、嘲弄の的にしていた男子のグループがあった。そのグループの仕業なのだろうとほとんど分かっていたが、証拠はなく、下着を含めた服一式を隠されて、こじ開けられたロッカーに残っていたのは、空色に白い水玉のワンピースだった。
おかま野郎、と書かれたメモと一緒に入っていたそれを、特に動揺せずにジャンは着て帰った。
「あのとき、君はかっこいいなって思ったんだ」
「裸で帰るわけにはいかないだろ」
さらりというジャンに、「それでも、怒ったり、泣いたりするものなんじゃないの? 僕だったらしてたよ」とサムエルが言う。
「それで、思い出したけど、あんた、学校中のゴミ箱をひっくり返して、俺の服を探し出して、俺の家に届けてくれたよな」
ジャンの言葉に、サムエルの火照った頬が更に赤みを増す。
「覚えてたの?」
「自分のせいじゃないのに、ゴミ箱に入ってたせいで汚れて、しかも、ソックスが片方見つからなかった、ごめんなさいって、あんた、俺の母親に泣いて謝ってた」
「やだな、恥ずかしい。そんなかっこ悪いこと、したっけ?」
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