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三十八
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蔦の檻の、その先へ
――侯爵、オリビアに会いに行く
グランフェルド侯爵は、夜明け前に屋敷を出た。
馬車は使わない。
護衛も連れない。
それが、彼なりの覚悟だった。
あの蔦の檻を見てから、侯爵の世界は一度、完全に壊れている。権威は通じなかった。金も、爵位も、王への顔も。
――すべてが、意味を失った。
残ったのは、選ばされる立場に落ちた自分という事実だけ。
(……行くしかない)
ハーベルト公爵邸の門をくぐった瞬間、空気が変わる。冷たいわけではない。だが、甘さもないと本能が告げてくる。庭へ続く小径を進むと、あの木々が見えた。
異様なほど静かで、異様なほど整っている。
そして。
浮遊クッションに身を預け、半分寝ている女がいた。
オリビア・ヴェルトリナス・ハーベルト。
だらしない姿勢。
欠伸混じりの表情。
だが、この庭の“中心”だ。
侯爵は、数歩進み――
そこで止まった。
進めない。
足元の土が、拒否している。木々は動かないが、許可がないことだけは、はっきり分かる。
「……来たのね」
オリビアは、目を開けもしない。それなのに、こちらを“見ている”と分かる。侯爵は、膝を折った。貴族としてではない。父としてでもない。
――ただの人間として。
「……お願いに、参りました」
声が、震えた。オリビアは、ようやく片目を開ける。
「あら、“助けてください”じゃないの?」
淡々とした声。侯爵は、歯を食いしばった。
「……分かっています。娘は、罰を受けました。それが当然だとも、理解しています」
言葉を選ぶ余裕はない。
「ですが……一生、あの檻に――」
「出して、とは言わないのね」
オリビアが、遮る。侯爵は、はっと息を呑んだ。そして、ゆっくりと首を振った。
「……言えません」
事実だった。
彼女は、開けない。開けない理由も、分かっている。オリビアは、ふう、と小さく息を吐く。
「賢いわ」
それだけで、侯爵の背中に冷や汗が流れた。
「で」
指先でクッションを軽く叩く。
「あなた、どうしたいの?」
逃げ道は、ない。侯爵は、深く頭を下げた。
「……駒になります」
言葉が、庭に落ちる。
「財も、情報も、派閥も私が持つすべてをあなたの“利益になる形”で使ってください」
声が、低く、重い。
「条件は一つだけ」
顔を上げる。
「娘を“無意味に”は殺さないでください」
オリビアは、しばらく黙っていた。木々が、静かに揺れる。
やがて。
「勘違いしないで」
穏やかな声。
「私は、復讐しない。見せしめもしない。役に立たないものを、残す趣味がないだけ」
侯爵の喉が鳴る。
「あなたは、娘を使って派閥を拡げ、人を踏み台にしてきた。なら、今度はあなた自身が、使われる番」
視線が、はっきりと刺さる。
「それでも、いい?」
侯爵は、迷わなかった。
「……はい」
それは、屈服ではない。選択だった。
オリビアは、満足そうに目を閉じる。
「じゃあ、採用」
軽い。
あまりにも軽い。
「まずは、神殿と繋がってる裏金の流れ、全部、出して。それから、あなたの派閥“使える順”に整理しましょう」
侯爵の肩が、わずかに震えた。
だが。
「……承知しました」
その声には、覚悟があった。その瞬間。足元の土が、柔らぐ。木々が、わずかに枝を開いた。
――通行許可。
オリビアは、欠伸を噛み殺しながら言った。
「安心して、駒はね。ちゃんと使えば、長持ちするの」
侯爵は、深く、深く頭を下げた。この日。グランフェルド侯爵は、貴族としては死んだ。
だが。
オリビアの盤上に置かれた駒として、
最も有用な存在の一つに生まれ変わった。
そして、蔦の檻は――
まだ、解かれない。
それが、この取引の“前提条件”だった。
侯爵が庭を去ったあとも、
蔦の檻は――そのままだった。
太い蔓。絡み合う枝。内部からは、外の景色が“見える”だけ。
逃げ場はない。
力も通らない。
王城の中庭に運び込まれたその檻は、今や誰もが迂回する“異物”になっていた。
王は近づけず。
魔導師は触れず。
神殿は、祈ることすらできない。
そして――
ある朝。音もなく、変化が起きた。
きしり。
ごく、ごく小さく。蔦の一部が、緩む。開いたのは、人一人が通れるほどではない。
指が、外に出る。
顔が、少し見える。
――空気が、入った。
「……っ」
ロザリア・フォン・グランフェルドは、
その変化に、息を呑んだ。
乾いた空気。
朝の匂い。
人の気配。
希望が、胸に灯る。
「お父様……?」
声は、震えていた。
だが。
その瞬間。蔦が、ぴたりと止まる。それ以上は、開かない。
まるで――
「聞こえている」と伝えるように。
同じ頃。
ハーベルト公爵邸の庭で、オリビアは浮遊クッションに寝転びながら、指先を軽く動かしていた。マリエルが、隣で控える。
「……姉様。今のは?」
「水と空気の調整」
あっさり。
「完全密閉は、学習効率が悪いのよ」
マリエルは、少し考え――理解した。
「……希望を与えたのですね」
「違うわ」
オリビアは、目を閉じたまま言う。
「“行動と結果が連動している”って、分からせただけ」
一拍。
「檻は、罰じゃない。環境よ」
マリエルの背筋が、すっと伸びた。
「……では」
「ええ」
オリビアは、欠伸を噛み殺す。
「父親が“役に立てば”もう少し、開く」
「役に立たなければ?」
オリビアは、笑わない。
「閉じるだけ」
王城。
檻の前で、
ロザリアの父――グランフェルド侯爵は、
その“わずかな隙間”を見つめていた。
娘の指が、そこにある。完全には、届かない。
だが。
(……生きている)
それだけで、心臓が痛むほどだった。彼は、理解している。これは、情けではない。取引だ。そして。
(……働け、ということだな)
侯爵は、静かに背を正した。娘を救うために。
いや――
娘を“檻から出す資格”を得るために。蔦の檻は、黙っている。
だが確かに、父の覚悟を――待っていた。
――侯爵、オリビアに会いに行く
グランフェルド侯爵は、夜明け前に屋敷を出た。
馬車は使わない。
護衛も連れない。
それが、彼なりの覚悟だった。
あの蔦の檻を見てから、侯爵の世界は一度、完全に壊れている。権威は通じなかった。金も、爵位も、王への顔も。
――すべてが、意味を失った。
残ったのは、選ばされる立場に落ちた自分という事実だけ。
(……行くしかない)
ハーベルト公爵邸の門をくぐった瞬間、空気が変わる。冷たいわけではない。だが、甘さもないと本能が告げてくる。庭へ続く小径を進むと、あの木々が見えた。
異様なほど静かで、異様なほど整っている。
そして。
浮遊クッションに身を預け、半分寝ている女がいた。
オリビア・ヴェルトリナス・ハーベルト。
だらしない姿勢。
欠伸混じりの表情。
だが、この庭の“中心”だ。
侯爵は、数歩進み――
そこで止まった。
進めない。
足元の土が、拒否している。木々は動かないが、許可がないことだけは、はっきり分かる。
「……来たのね」
オリビアは、目を開けもしない。それなのに、こちらを“見ている”と分かる。侯爵は、膝を折った。貴族としてではない。父としてでもない。
――ただの人間として。
「……お願いに、参りました」
声が、震えた。オリビアは、ようやく片目を開ける。
「あら、“助けてください”じゃないの?」
淡々とした声。侯爵は、歯を食いしばった。
「……分かっています。娘は、罰を受けました。それが当然だとも、理解しています」
言葉を選ぶ余裕はない。
「ですが……一生、あの檻に――」
「出して、とは言わないのね」
オリビアが、遮る。侯爵は、はっと息を呑んだ。そして、ゆっくりと首を振った。
「……言えません」
事実だった。
彼女は、開けない。開けない理由も、分かっている。オリビアは、ふう、と小さく息を吐く。
「賢いわ」
それだけで、侯爵の背中に冷や汗が流れた。
「で」
指先でクッションを軽く叩く。
「あなた、どうしたいの?」
逃げ道は、ない。侯爵は、深く頭を下げた。
「……駒になります」
言葉が、庭に落ちる。
「財も、情報も、派閥も私が持つすべてをあなたの“利益になる形”で使ってください」
声が、低く、重い。
「条件は一つだけ」
顔を上げる。
「娘を“無意味に”は殺さないでください」
オリビアは、しばらく黙っていた。木々が、静かに揺れる。
やがて。
「勘違いしないで」
穏やかな声。
「私は、復讐しない。見せしめもしない。役に立たないものを、残す趣味がないだけ」
侯爵の喉が鳴る。
「あなたは、娘を使って派閥を拡げ、人を踏み台にしてきた。なら、今度はあなた自身が、使われる番」
視線が、はっきりと刺さる。
「それでも、いい?」
侯爵は、迷わなかった。
「……はい」
それは、屈服ではない。選択だった。
オリビアは、満足そうに目を閉じる。
「じゃあ、採用」
軽い。
あまりにも軽い。
「まずは、神殿と繋がってる裏金の流れ、全部、出して。それから、あなたの派閥“使える順”に整理しましょう」
侯爵の肩が、わずかに震えた。
だが。
「……承知しました」
その声には、覚悟があった。その瞬間。足元の土が、柔らぐ。木々が、わずかに枝を開いた。
――通行許可。
オリビアは、欠伸を噛み殺しながら言った。
「安心して、駒はね。ちゃんと使えば、長持ちするの」
侯爵は、深く、深く頭を下げた。この日。グランフェルド侯爵は、貴族としては死んだ。
だが。
オリビアの盤上に置かれた駒として、
最も有用な存在の一つに生まれ変わった。
そして、蔦の檻は――
まだ、解かれない。
それが、この取引の“前提条件”だった。
侯爵が庭を去ったあとも、
蔦の檻は――そのままだった。
太い蔓。絡み合う枝。内部からは、外の景色が“見える”だけ。
逃げ場はない。
力も通らない。
王城の中庭に運び込まれたその檻は、今や誰もが迂回する“異物”になっていた。
王は近づけず。
魔導師は触れず。
神殿は、祈ることすらできない。
そして――
ある朝。音もなく、変化が起きた。
きしり。
ごく、ごく小さく。蔦の一部が、緩む。開いたのは、人一人が通れるほどではない。
指が、外に出る。
顔が、少し見える。
――空気が、入った。
「……っ」
ロザリア・フォン・グランフェルドは、
その変化に、息を呑んだ。
乾いた空気。
朝の匂い。
人の気配。
希望が、胸に灯る。
「お父様……?」
声は、震えていた。
だが。
その瞬間。蔦が、ぴたりと止まる。それ以上は、開かない。
まるで――
「聞こえている」と伝えるように。
同じ頃。
ハーベルト公爵邸の庭で、オリビアは浮遊クッションに寝転びながら、指先を軽く動かしていた。マリエルが、隣で控える。
「……姉様。今のは?」
「水と空気の調整」
あっさり。
「完全密閉は、学習効率が悪いのよ」
マリエルは、少し考え――理解した。
「……希望を与えたのですね」
「違うわ」
オリビアは、目を閉じたまま言う。
「“行動と結果が連動している”って、分からせただけ」
一拍。
「檻は、罰じゃない。環境よ」
マリエルの背筋が、すっと伸びた。
「……では」
「ええ」
オリビアは、欠伸を噛み殺す。
「父親が“役に立てば”もう少し、開く」
「役に立たなければ?」
オリビアは、笑わない。
「閉じるだけ」
王城。
檻の前で、
ロザリアの父――グランフェルド侯爵は、
その“わずかな隙間”を見つめていた。
娘の指が、そこにある。完全には、届かない。
だが。
(……生きている)
それだけで、心臓が痛むほどだった。彼は、理解している。これは、情けではない。取引だ。そして。
(……働け、ということだな)
侯爵は、静かに背を正した。娘を救うために。
いや――
娘を“檻から出す資格”を得るために。蔦の檻は、黙っている。
だが確かに、父の覚悟を――待っていた。
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覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。
★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓
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第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」
第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」
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