逆転の花嫁はヤンデレ王子に愛されすぎて困っています

蜂蜜あやね

文字の大きさ
1 / 28

序章

しおりを挟む
 ――こんなはずじゃなかったのに。
 セイラン王国王都ダレス。
 国王グラニフ・ロンド即位三十周年を祝う記念パレードの日。
 大通りは花と旗で埋め尽くされ、楽団が高らかに行進曲を奏でている。
 空には金と白の紙吹雪が舞い、まさしく祝祭の一日だった。
 その華やかさの片隅で、リリアンヌ・クラウド――通称リリーは焦っていた。
 (ルートが……思い出せない)
 昨日の夜、机に地図を広げて何度も確認した。
 国王の馬車がA通りを通れば、自分はC地区の混雑整理、そのあとF地区へ――。
 完璧に頭に叩き込んだはずなのに、朝になったらすっかり抜け落ちていた。
 初任務。絶対に失敗できない。
 なのに、頭は真っ白で足だけが動く。
「新人さん? そっちは王族の待機区域だから入らないようにね」
 近くの騎士に声をかけられ、慌てて敬礼する。
 だが気づけばもう、その“入ってはいけない”方向へ進んでいた。
 焦りと混乱で道を間違え、迷子になる新人騎士などざらにいる。
 でも――よりによって今日は王族行列の日。失敗すれば一生言われる。
 (落ち着け、落ち着け、まだ取り返せる)
 深呼吸をひとつ。
 それでも指先が冷たい。地図を握る手が震えている。
 なんでこうなるんだろう。昔は何でもできたのに。
 学問も剣術も得意で、「完璧」と呼ばれた時期が確かにあった。
 今はただの“うっかり者の騎士”。
 見た目だけは立派な制服を着ているけれど、中身はいつも空回りだ。
 人混みを抜けようとしたそのとき、陽光を反射する銀色が目に入った。
 護衛の騎士たちが列を作り、その中央で立っていた青年。
 陽を受けて光る銀髪と、紫紺の瞳。
 見間違えようがない。
 (……アシュレイ)
 喉がきゅっと詰まる。
 五年ぶりに見るその姿は、もう少年ではなかった。
 細かった肩が広くなり、立ち姿に王族らしい威厳がある。
 昔は一歩後ろを歩いていたのに、今は彼のほうがずっと遠い場所にいるようだった。
 (やだ、今の私……見られたくない)
 完璧な自分を見せたかった。
 ちゃんと騎士になれたと胸を張って会いたかった。
 でも現実は、持ち場を間違え、地図を逆さに持っている。
 慌てて踵を返した瞬間――。
 「失礼っ……!」
 ぐらり、と足を取られた。
 硬い石畳に爪先をぶつけ、派手に転ぶ。
 痛みよりも、周囲の視線が刺さる。
 顔を上げるのが怖くて、膝を抱えたまま固まった。
 そして。
 「大丈夫?」
 静かな声が頭上から落ちた。
 懐かしくて、でももう違う響き。
 顔を上げると、彼が立っていた。
 陽の光の中、影を落とすように立つその姿は、五年前とはまるで別人だった。
 「……アシュレイ、殿下」
 無意識に敬称がついた。
 呼び捨てにできない距離が、そこにできていた。
 アシュレイは護衛に視線で「下がれ」と命じ、リリーの前にしゃがむ。
 白い手袋の手が差し出される。
 見慣れたはずの仕草なのに、胸の奥が痛くなった。
 「怪我は? 顔、痛くない?」
 昔なら、そんな言葉を掛けられたらすぐに立ち上がれた。
 けれど今は、どうしても手が伸ばせなかった。
 「だいじょうぶです……すみません、私……持ち場を間違えて――」
 「いいよ。僕のところに来てくれたんだから」
 さらりと告げたその一言が、祝祭のざわめきに溶けた。
 からかうでも、叱るでもない。
 ただ穏やかに、しかし拒めないような声音で。
 「……久しぶりだね、リリー」
 短い言葉。
 けれどその響きだけで、胸の奥が強く波打つ。
 (五年……)
 長かった。
 避け続けた時間。
 彼にだけは、今の自分を見られたくなかった。
 でもこうして、よりによって最悪の形で会ってしまった。
 アシュレイは立ち上がり、リリーを見下ろした。
 その瞳の奥に何があるのか、読めない。
 怒っているわけでも、笑っているわけでもない。
 ただ、知っていたように見つめている。
 祝祭の鐘が鳴り響く。
 民衆の歓声が遠くで沸き上がり、紙吹雪が陽を受けて舞った。
 けれど、リリーの世界はその瞬間、彼の声だけで満たされていた。
 ――五年ぶりの再会。
 それが、すべての始まりだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【一話完結】極秘任務で使いたいから自白剤を作ってくれと言った近衛騎士団長が自分語りをしてくる件について

紬あおい
恋愛
近衛騎士団長直々の依頼で自白剤を作ることになったリンネ。 極秘任務の筈が騎士団長は、切々と自分語りを始め、おかしなことに…?

【完結】 初恋を終わらせたら、何故か攫われて溺愛されました

紬あおい
恋愛
姉の恋人に片思いをして10年目。 突然の婚約発表で、自分だけが知らなかった事実を突き付けられたサラーシュ。 悲しむ間もなく攫われて、溺愛されるお話。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

【完結】 表情筋が死んでるあなたが私を溺愛する

紬あおい
恋愛
第一印象は、無口で無表情な石像。 そんなあなたが私に見せる姿は溺愛。 孤独な辺境伯と、一見何不自由なく暮らしてきた令嬢。 そんな二人の破茶滅茶な婚約から幸せになるまでのお話。 そして、孤独な辺境伯にそっと寄り添ってきたのは、小さな妖精だった。

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

【完結】 1年であなたを落としたいと婚約式で告げた結果

紬あおい
恋愛
婚約式の日に明かされた事実と約束。 1年の期限を設け、2人に訪れた結末は? いろいろ順番がおかしい2人の恋のお話。

認知しろとは言ってない〜ヤンデレ化した元カレに溺愛されちゃいました〜

鳴宮鶉子
恋愛
認知しろとは言ってない〜ヤンデレ化した元カレに溺愛されちゃいました〜

【完結】お父様(悪人顔・強面)似のウブな辺境伯令嬢は白い?結婚を望みます。

カヨワイさつき
恋愛
魔物討伐で功績を上げた男勝りの辺境伯の5女は、"子だねがない"とウワサがある王子と政略結婚結婚する事になってしまった。"3年間子ども出来なければ離縁出来る・白い結婚・夜の夫婦生活はダメ"と悪人顔で強面の父(愛妻家で子煩悩)と約束した。だが婚姻後、初夜で……。

処理中です...