逆転の花嫁はヤンデレ王子に愛されすぎて困っています

蜂蜜あやね

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王都ダレスに戻ったリリーは、グラニフ国王即位ニ十周年記念パレードの警備任務に就くことになった。
――騎士としての初任務である。
もう学生ではない。
リリアンヌ・クラウドは、正式にセイラン王国の騎士団に名を連ねる身となったのだ。
新人に与えられる任務は、もっとも無難で、もっとも安全なもの――すなわち、パレードの警備だった。
事件さえ起きなければ、定められた位置に立って一日が終わる。
多くの新人たちは肩の力を抜いて臨むが、リリーは違った。
自分が“もう完璧ではない”ことを、誰よりも知っていたからだ。
誰よりも早く現地に入り、地図を確認し、国王の馬車が通るルートを何度も頭に叩き込む。
持ち場の確認も怠らない。
――失敗だけはしたくない。
そう心に誓い、昨夜も遅くまで警備図とにらめっこしていた。
だが――今朝になって、そのすべてが頭からすっぽりと抜け落ちていた。
ルートも、立ち位置も、記憶のどこにも見当たらない。
何度目かの、同じ絶望。
それでも今回は、“騎士として”の初任務。
失敗は許されない。
焦りが胸の奥で燃え上がる。
あの森で迷子になった日と同じ――いや、それ以上の焦燥。
(思い出せ……落ち着け、リリー……!)
焦れば焦るほど足が勝手に動く。
動かずにいればいいものを、動いてしまう――それは“完璧少女”だった頃から変わらない悪癖だった。
そして、最悪の偶然が起きた。
気づけばリリーの足は、パレードの“トリ”を飾る馬車の待機場所へと向かっていた。
そこにいたのは、国王グラニフ・ロンドの子息にして、王位継承権第一位――アシュレイ・ロンド王子。
遠くで光を反射する銀髪が、春の日差しの中できらめく。
群衆のざわめきが一瞬だけ遠のいた。
リリーは思わず息を呑む。
――あれから五年。
避け続けた少年が、王都の光の中に立っていた。
 
騎士の正装をまとっていたおかげで、誰もリリーを不審には思わなかった。
アシュレイ王子の側近たちでさえ、当然のように彼女を馬車の待機場所へ迎え入れてしまう。
(しまった……!)
敬礼をしながら、リリーはじりじりと後ずさる。
何とかしてこの場を離れなければ――。
よりによって、今の自分の姿をアシュレイに見られるわけにはいかない。
“完璧”だったあの頃の自分は、もうどこにもいない。
今の自分は、剣もまともに振れない半人前の騎士だ。
(早く、離れなきゃ……!)
焦るあまり、リリーは脱兎のようにその場を抜け出そうとした。
しかし焦りすぎた足がもつれ、視界がぐらりと揺れる。
「――っ!」
次の瞬間、派手な音を立てて転んだ。
石畳に膝を打ちつけ、痛みよりも羞恥が胸を突く。
しかも、よりによって――彼の目の前で。
ポンコツである上に、不運まで背負っている。
それが、彼女の新しい肩書きのようだった。
「……やっと会えたね、リリー。」
静かな声が、耳に届いた。
リリーははっと顔を上げる。
その声は、かつて知っていた少年のものではなかった。
五年という歳月が、その声音を低く、落ち着いたものへと変えていた。
けれど、そこに宿る響きには――懐かしさと、どこか満ち足りた熱があった。
目の前に立つ青年――
銀の髪を陽光に輝かせ、紫紺の瞳に穏やかな笑みを浮かべながら、
確かな確信をもって、リリーの名を呼んでいた。
アシュレイ・ロンド。
セイラン王国第一王子。
そして、リリーがかつて“守りたい”と願った人。
 
五年という歳月は、アシュレイを立派な青年へと変貌させていた。
かつては少女のように可憐だった少年――その面影は、もうどこにもない。
銀色の髪はすっきりと整えられ、顎のラインは鋭く引き締まっている。
柔らかかった輪郭は跡形もなく消え、代わりに“王子”としての品格と自信が宿っていた。
ただひとつ、紫紺の瞳だけは、あの頃と同じ優しい光を讃えている。
ゆっくりと近づいてくるアシュレイ。
その身長は、すでにリリーの頭一つ分を越えていた。
見上げる角度の分だけ、過ぎ去った年月を思い知らされる。
あの頃はいつも、彼の手を引いていた。
泣きそうになると叱り、怖がる時は背中を押した。
守る側だったはずなのに――
今、彼の影は自分よりもずっと大きい。
(――変わってしまった。何もかも)
リリーは下を向き、ぎゅっと唇を噛みしめた。
あの日、幼い手を取り「私が守る」と誓ったのは自分だった。
けれど、今。
目の前に立つ青年を見上げるだけで、胸が痛む。
眩しすぎるほど立派な王子になっていて、
その輝きに、自分の影ばかりが濃くなる気がした。
(どうして……私は、こんなにも情けないんだろう)
完璧だったはずの自分。
もうどこにもいない。
足がもつれて転び、騎士としての初任務すらまともにこなせない。
剣も頭も、思い出したいことさえ思い出せない。
こんな自分で――彼に、会いたくなんてなかった。
「……やだ……見られたくなかったのに……」
誰に聞かせるでもなく、ただ小さく零れ落ちた声。
 
「そんな顔、しないでよ、リリー。
君が泣いてるところ……初めて見るから、どうしていいか分からなくなる。」
その声に、リリーははっとした。
自分が泣いている――それに今さら気づく。
守りたいと思っていた人の前で、情けなく涙を流している自分。
袖でぐいっと涙を拭い、唇をきつく結ぶ。
「……アシュレイ殿下、私は任務が……」
声が震えた。涙まじりだと分かっている。
それでも、ここから離れたかった。
「何、勝手によそよそしくしてるの?」
アシュレイの声は静かで、それでいて妙に強い。
「アシュレイでいい。
リリー、僕の相手をする以外に重要な任務なんて無いから。」
――その言葉に、リリーは息を呑む。
幼い頃のアシュレイとは違う。
声も、言葉も、仕草も。
そこに立っているのは、もう“守られる少年”ではなく、
人を惹きつける王子の顔をした青年だった。
リリーは、その雰囲気にのまれた。
逃げ出すこともできない。
ただ、心臓の音だけがやけにうるさい。
「おいで、リリー。
話したいことが、いっぱいあるんだ。」
差し出された手が、光を受けてきらめく。
その手を取ることが、何かを失うようで――
けれど、どうしても目を逸らせなかった。
「急用ができた。悪いけど、父上にはうまく言っておいて。」
アシュレイは側近にそう告げると、
リリーの手首をしっかりと掴んだ。
まるで、逃げられないように確かめるかのように。
驚いて振りほどこうとしたが、その力は思いのほか強い。
指先から伝わる熱が、鼓動を早める。
――国王即位ニ十周年のパレードは、まだ続いている。
民衆の歓声と楽団の音色が、遠くで華やかに響いていた。
けれどアシュレイは、そんなものなど一顧だにしない。
ただリリーの手を離さず、迷いのない足取りで踵を返す。
「アシュレイ……!」
小声で制止しても、彼は振り返らなかった。
その背に漂う気配は、もう“守られる少年”ではなく、
人を導く者のそれだった。
石畳を踏みしめるたびに、リリーの鼓動は速くなる。
行き先を問うこともできず、ただ手を引かれるまま歩く。
パレードの喧騒が遠ざかるにつれ、
あの華やかな音のすべてが夢だったかのように、
現実が静けさを取り戻していった。
辿り着いたのは、王城の奥――
陽光を遮る長い回廊を抜けた先にある、
王族専用の執務棟だった。
磨き上げられた白い扉の前で、アシュレイが足を止める。
扉を押し開けると、静かな空気が二人を包んだ。
「ここなら、誰にも邪魔されない。」
低い声が響く。
その声音には、かつての少年の面影など微塵もない。
リリーは咄嗟に姿勢を正した。
けれど、握られた手首の感触がまだ熱く、
心のどこかで現実感が追いついていなかった。
(……どうして、こんなことに……)
五年ぶりの再会。
騎士としての初任務の最中。
どれも彼女の想像にはなかった出来事だ。
けれど――その手を引いた青年は、迷いなく言った。
「話そう、リリー。五年前のことから……全部。」
紫紺の瞳がまっすぐに向けられる。
その奥に宿る光は、あの日の柔らかさを残しながらも、
どこか鋭く、熱を帯びていた。
リリーは、息を呑んだ。
――逃げられない。
静かな扉が音もなく閉ざされる。
外の喧噪が消え、世界が二人だけになった。
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