逆転の花嫁はヤンデレ王子に愛されすぎて困っています

蜂蜜あやね

文字の大きさ
19 / 28

18

しおりを挟む
――できないまま幸せになる運命もあるのだと、そう思っていた。
 できないままでいい。完璧じゃなくてもいい。
 そう言ってくれたアシュレイと結婚して、
 少しドジでも、彼の愛に包まれて、守るより守られて、
 女として穏やかに生きていく――
 それが、今の私にとって一番いい未来だと信じていた。
 現に、両親もメイドたちも、アシュレイも、そして国王陛下でさえ、
 私とアシュレイの結婚を心待ちにしている。
 もちろん、私だって――
 そのはずだった。
 ……今日の昼間、レベッカの話を聞くまでは。
 マイナーな神とされていた《逆転の女神ノルティア》。
 彼女の新たな遺跡が発掘されたという。
 ――いま、このタイミングで。
 それはまるで、私に“最後の決断”を迫るための
 神からの呼び声のように思えた。
 このまま“できない自分”のままで、
 アシュレイに愛され、守られて生きていくのか。
 それとも――かつての自分を、取り戻すのか。
 まだ戻れると確証があるわけじゃない。
 それでも、心が勝手に逸ってしまう。
 ああ、私は……やっぱり戻りたいんだ。
 どんなに「このままでいい」と言われても。
 あの頃の自分を、もう一度取り戻したくてたまらない。
 このままできないまま幸せになる運命があると思っていた。


「リリー、どうかしたの?」
 アシュレイの声に、リリーは慌てて首を振った。
「な、何でもないわ」
「そう? なんか心配事でもあるみたいな顔してる。……今日も騎士団でドジしちゃった?」
 優しい冗談めいた口調。
 リリーを笑わせようとしているのが分かって、思わず唇を尖らせる。
「違うわよ、もう……」
 少しだけ拗ねたように頬を膨らませるリリーに、アシュレイは微笑んだ。
 彼は、リリーがまだ騎士団に籍を置いていることに関して、何も言わない。
 おそらく、正式に結婚するまでは好きにさせようと思っているのだろう。
 何年かぶりに招かれたアシュレイの私室。
 婚約者として、穏やかな夜を過ごしている――はずだった。
 けれど、リリーの胸を占めていたのは《逆転の女神ノルティア》のことだけ。
 新たに見つかった遺跡。
 もしかしたら、あそこに何か手掛かりがあるのかもしれない。
 その思いが頭から離れず、アシュレイの口づけさえどこか上の空で受け止めてしまっていた。
 もちろん、そんなリリーの変化に気づかないアシュレイではない。
 彼女が何を考えているかまでは分からなくとも、
 何かに心を奪われていることくらいは伝わってくる。
「ねぇ、リリー。……僕に、何か言いたいことない?」
 そっと問いかける声に、リリーは一瞬だけ目を伏せ、
 そして、何かをごまかすように微笑んだ。
「ほんとに、何でもないの」
 それ以上、アシュレイは追及しなかった。
 リリーもまた、それ以上何も言わなかった。
 二人の夜は、ほんの少しだけ――
 同じ場所にいながら、別の方向を見ていた。


騎士団の新しい任務――それは遺跡の護衛だった。
 考古学や古代語に詳しいレベッカと、彼女の強い推薦のおかげで、リリーもその任務に就くことができた。
「リリー、私がうまく口添えしてあげたんだから、頑張るのよ! もしかしたら――“完璧少女リリアンヌ様”のお出ましかもしれないんだからね」
 ヒソヒソと、リリーにだけ聞こえる声で耳打ちする。
 レベッカはぐっと拳を握り、やる気満々だ。
 そんな明るい彼女の存在に、リリーはどこか救われていた。
 それでも、胸の奥はざわついている。
 “逆転の女神ノルティア”――
 新しく発掘されたその遺跡へ向かって、騎士団の部隊は慎重に進んでいく。
 場所は王家の森の東側。
 森というよりは、岩山に近い地形だった。
 苔むした岩々が不気味なまでに静まり返り、風の音すら吸い込んでいる。
 その中に――リリーは見覚えのある形を見つけた。
 幼い頃、誤って踏みつけて壊してしまった石碑。
 それによく似た岩が、苔の下から顔を出している。
 近づいてよく見ると、やはりその岩にも、読めない文字が刻まれていた。
 あのときも、アシュレイが言っていた。
 『リリー、これ……何か文字が刻まれてるよ』と。
 でも当時のリリーは気にも留めなかった。
 ただ、道に迷って高いところに登っただけ。
 それが――こんな形で、また自分の前に現れるなんて。
 考古学者たちが周囲の石碑を調べ、慎重に筆写を進めていく。
 リリーたち騎士団はその護衛として配置されていた。
 魔獣や野犬が出る危険地帯だ。
 レベッカの機転で、リリーの持ち場は学者たちのすぐ近くだった。
 おかげで、専門用語の意味は分からなくても、会話の断片だけは聞こえてくる。
「……“正転”という語があるな。記録では初めて見る……」
「“逆転”の対語……? ならばこれは――」
 学者たちの声が風に混じって耳に届く。
 レベッカがちらりとリリーを見て、目を輝かせた。
 ふむふむ、と頷きながら、彼女は聞き耳を立てている。
 ――正転。
 その言葉が、胸の奥で小さく反響した。
 もし、それが“元に戻す”という意味だとしたら。
 もし、ノルティアの“逆転”を正す方法が本当に存在するのなら。
 リリーの心臓が、ゆっくりと速さを増していった。
夜の風が冷たい。
 篝火の光が遠くでゆらゆらと揺れている。
 昼間は人の声と足音で賑やかだった岩場も、いまは静寂に包まれていた。
 リリーは見張り番として、その場に立っていた。
 目の前には、昼間調査が行われていた古い石碑。
 苔に覆われたその表面には、かすかに文字が刻まれているらしい――学者たちはそう言っていた。
 (……気になる)
 昼間、レベッカが隣でこっそり囁いた。
「“逆転”のほかに、“正転”って言葉も聞こえたのよ」
 彼女は学者たちの話を盗み聞きしながら、目を輝かせていた。
 リリーには意味が分からなかった。
 けれど、“正転”という響きだけが耳に残って離れない。
 (もしかして……何か関係があるの?)
 そんな考えが頭をよぎり、足が自然と石碑のほうへ向かっていた。
 見張りの持ち場を離れるのは本来いけない。
 でも、どうしても確かめたかった。
 月明かりが差し込み、岩肌が銀色に光る。
 昼間は泥で隠れていた一部の文字が、夜露に濡れて薄く浮かび上がっていた。
 「……これが……」
 しゃがみこみ、手袋の指先でそっと苔を払う。
 指の下で石がひやりと冷たく、次の瞬間――かすかな光が走った。
 「……っ!」
 リリーは思わず身を引いた。
 石碑の表面が一瞬だけ青白く輝き、すぐに静かに光を失う。
 風も音もないのに、何かが確かに“動いた”気がした。
 「……気のせい、じゃない……よね」
 呟きながら、もう一度石碑を見つめる。
 けれど、文字は相変わらず読めない。
 ただ、胸の奥でざわざわと何かが鳴っている。
 (明日、レベッカに話してみよう。きっと、あの子なら何か分かるはず)
 夜空を見上げると、雲の切れ間から月が顔を出した。
 その光が石碑を照らし、まるで女神が微笑んでいるように見えた。
 リリーは小さく息を吐き、背を向ける。
 静かな岩場に、彼女の足音だけがゆっくりと遠ざかっていった。 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【一話完結】極秘任務で使いたいから自白剤を作ってくれと言った近衛騎士団長が自分語りをしてくる件について

紬あおい
恋愛
近衛騎士団長直々の依頼で自白剤を作ることになったリンネ。 極秘任務の筈が騎士団長は、切々と自分語りを始め、おかしなことに…?

【完結】 初恋を終わらせたら、何故か攫われて溺愛されました

紬あおい
恋愛
姉の恋人に片思いをして10年目。 突然の婚約発表で、自分だけが知らなかった事実を突き付けられたサラーシュ。 悲しむ間もなく攫われて、溺愛されるお話。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

【完結】 表情筋が死んでるあなたが私を溺愛する

紬あおい
恋愛
第一印象は、無口で無表情な石像。 そんなあなたが私に見せる姿は溺愛。 孤独な辺境伯と、一見何不自由なく暮らしてきた令嬢。 そんな二人の破茶滅茶な婚約から幸せになるまでのお話。 そして、孤独な辺境伯にそっと寄り添ってきたのは、小さな妖精だった。

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

【完結】 1年であなたを落としたいと婚約式で告げた結果

紬あおい
恋愛
婚約式の日に明かされた事実と約束。 1年の期限を設け、2人に訪れた結末は? いろいろ順番がおかしい2人の恋のお話。

認知しろとは言ってない〜ヤンデレ化した元カレに溺愛されちゃいました〜

鳴宮鶉子
恋愛
認知しろとは言ってない〜ヤンデレ化した元カレに溺愛されちゃいました〜

【完結】お父様(悪人顔・強面)似のウブな辺境伯令嬢は白い?結婚を望みます。

カヨワイさつき
恋愛
魔物討伐で功績を上げた男勝りの辺境伯の5女は、"子だねがない"とウワサがある王子と政略結婚結婚する事になってしまった。"3年間子ども出来なければ離縁出来る・白い結婚・夜の夫婦生活はダメ"と悪人顔で強面の父(愛妻家で子煩悩)と約束した。だが婚姻後、初夜で……。

処理中です...