逆転の花嫁はヤンデレ王子に愛されすぎて困っています

蜂蜜あやね

文字の大きさ
21 / 28

20

しおりを挟む
「ねぇ、完璧少女リリアンヌ様のファンの私が言うのもなんだけどさ――いいの?」
 レベッカがノルティアの遺跡へ向かう準備をしながら、リリーの方を振り向いた。
 剣、松明、書き取り用のメモとペン、携帯食。ひとつひとつを手早くカバンに詰め込みながら、探るような目を向けてくる。
「いいって、何が?」
「そりゃあ、あんたの婚約者フィアンセ様のことよ。だって――アシュレイ王子は“できない子のリリー”が好きなんでしょ?」
「え? 私そんなこと、レベッカに話したっけ?」
 鋭い指摘に、リリーは思わず戸惑う。
 いくら親友とはいえ、アシュレイのことを詳しく話した覚えなどない。
「リリアンヌ様のファン一号の私の直感!」
 レベッカは胸を張り、続ける。
「だってさ、フランシスの頃から知ってるもん。
 アシュレイ王子、あんたの子分みたいに後ろをついて歩いてたじゃん」
 フランシス学院初等部。
 貴族の子女が通う名門校で、リリーとアシュレイは幼馴染として共に学んでいた。
 もちろん、レベッカも当時の二人を知っている。
「子分って……そんな風に見えてたの?」
 自覚のなかった“偉そうな自分”を思い出して、リリーは思わず頭を抱えた。
 そういえばアシュレイにも言われた。“昔の君は怖かった”と。
「それなのに今は真逆だよね」
 レベッカがくすりと笑う。
 「前はリリーが王子を引っ張ってた。
 でも今は、王子がリリーを守ってる。……ね、まさに“逆転”って感じしない?」
「逆転……」
 その言葉を口にした瞬間、リリーの心に電流が走った。
 ――逆転の女神ノルティア。
 まるで、その名が呼応するように。
「そう。あの頃はリリーがいつも王子の前にいた。
 でも今は?なんか王子はどう考えてもできないリリーのこと好きって感じするじゃん。まぁ王子も男だからね、自分についてくる女の方が好きなんじゃないの?」
 からっと笑うレベッカに、リリーはただ小さく頷くしかなかった。
 けれどその胸の奥で、何かが確かに動き始めていた。

昼のうちに支度を終えた二人は、王家の森の奥――ノルティアの石碑がある岩場へと向かった。
 昼間はまだ人の気配が残る場所だが、今日は騎士団も学者もいない。
 静まり返った森の中で、松明の明かりだけが頼りだった。
「ここが……」
 レベッカが息を整え、石碑を見上げる。
 昼とは違い、夜の光が岩肌の文字を淡く照らし出している。
 「確かに“正転”とは書いてるんだけどねぇ」
 しばらくメモと照らし合わせたあと、レベッカが眉を寄せた。
 「何をどうしたらリリーが戻るのかはさっぱりわからないわ。ごめん。役に立てなくて」
 「そんなことないよ。来てくれただけで十分」
 リリーは首を振りながら、石碑にそっと手を触れた。
 ひんやりとした岩肌。
 あのとき――確かに光ったはずなのに。
 「……何も、起きない」
 呟いた声が、森に吸い込まれていく。
 レベッカも覗き込むが、ただ風が髪を揺らすだけだった。
 「ねぇ、前に光ったって言ってたけど……条件があるのかもね。
 夜の時間とか、月の位置とか、リリー自身の何かとか」
 「私の……何か?」
 リリーは石碑を見つめる。
 自分の中の“できない自分”と“昔の完璧な自分”の境界が、今どこにあるのかさえわからなかった。
 触れても、願っても、何も動かない。
 「……ごめん。今日はもう帰ろっか」
 レベッカの声に頷くしかなかった。
 二人は松明を消し、下山を始めた。
 冷たい夜風が頬を撫でる。
 背後で、石碑がかすかに月光を反射した気がした。
 けれど振り向いても、そこにはただ静かな闇があるだけだった。

 

 ノルティアの遺跡を訪れた翌日、王都はいつも通りの朝を迎えていた。
 けれど、リリーの心だけが落ち着かなかった。
 (何も起こらなかった……)
 昨夜の石碑の冷たさが、まだ指先に残っている。
 “正転”という言葉だけが頭の中で反響し、意味も手がかりも掴めないまま時だけが過ぎていく。
「リリー」
 その声に肩が跳ねた。
 顔を上げると、アシュレイが立っていた。
 陽光の差す回廊で、彼は穏やかな笑みを浮かべている。
 「昨日はどこに行ってたの?」
 「え、あ……少し調べ物を」
 「調べ物?」
 軽く問い返す声が、思いのほか近い。
 アシュレイが一歩近づく。
 その距離は、手を伸ばせば触れられるほどだった。
 香り立つような風が間を通り抜け、リリーは息を詰めた。
 「最近の君、少し変だよ」
 低い声。
 いつもの穏やかさの奥に、わずかな苛立ちが混じっていた。
 「何か……僕に隠してる?」
 「隠してなんて――」
 言いかけた瞬間、アシュレイの手が伸び、リリーの頬に触れた。
 驚いて顔を上げると、その瞳がまっすぐに自分を見つめている。
 「目が合わない」
 囁くような声が落ちた。
 「君が僕を避けると、すぐわかる」
 「そ、そんなこと――」
 否定の言葉は震えていた。
 胸の奥に隠した“昨夜の遺跡”の記憶が、ばれてしまいそうで怖い。
 アシュレイはゆっくり手を離し、ため息をついた。
 「……リリー。僕は君に、無理をしてほしくない」
 その言葉は優しいのに、なぜか冷たく聞こえた。
 「でも……私、無理なんてしてない」
 リリーは思わず言い返していた。
 「何もできないままじゃ嫌なの。
 何も知らないまま、あなたの隣に立っているのは――もっと、嫌」
 アシュレイの瞳が、かすかに揺れる。
 沈黙。
 ふたりの間に流れる空気が重く、熱を帯びた。
 「……君は、本当に僕を困らせる天才だね」
 ようやく口を開いたアシュレイが、苦笑する。
 けれどその笑みは、どこか寂しげだった。
 「リリー、お願いだから……何か勝手なこと、してないよね?」
 その言い方が少しだけ怖くて、リリーは視線を逸らした。
 「……してない、と思う」
 思う――。
 そう答えた瞬間、自分でもその曖昧さに気づく。
 アシュレイの表情がかすかに陰った。
 「……そっか。ならいい」
 彼は一歩下がり、表情を整える。
 「僕は君を信じてるよ。だから……何があっても、君も僕を信じて」
 「……うん」
 リリーは頷くしかなかった。
 その瞬間、アシュレイがふっと笑う。
 そしてリリーの手を取り、そっと唇を寄せた。
 驚くほど自然な動作で。
 「君の手、冷たい」
 彼の息が触れたところが熱を帯びて、リリーの身体がびくりと震えた。
 「……気をつけて。風邪をひくよ」
 そう言って、アシュレイは踵を返した。
 残されたリリーの掌には、彼の体温がまだ確かに残っている。
 (……ごめん、アシュレイ)
 誰にも聞こえないように呟いて、リリーは握った手を胸に押し当てた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【一話完結】極秘任務で使いたいから自白剤を作ってくれと言った近衛騎士団長が自分語りをしてくる件について

紬あおい
恋愛
近衛騎士団長直々の依頼で自白剤を作ることになったリンネ。 極秘任務の筈が騎士団長は、切々と自分語りを始め、おかしなことに…?

【完結】 初恋を終わらせたら、何故か攫われて溺愛されました

紬あおい
恋愛
姉の恋人に片思いをして10年目。 突然の婚約発表で、自分だけが知らなかった事実を突き付けられたサラーシュ。 悲しむ間もなく攫われて、溺愛されるお話。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

【完結】 表情筋が死んでるあなたが私を溺愛する

紬あおい
恋愛
第一印象は、無口で無表情な石像。 そんなあなたが私に見せる姿は溺愛。 孤独な辺境伯と、一見何不自由なく暮らしてきた令嬢。 そんな二人の破茶滅茶な婚約から幸せになるまでのお話。 そして、孤独な辺境伯にそっと寄り添ってきたのは、小さな妖精だった。

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

【完結】 1年であなたを落としたいと婚約式で告げた結果

紬あおい
恋愛
婚約式の日に明かされた事実と約束。 1年の期限を設け、2人に訪れた結末は? いろいろ順番がおかしい2人の恋のお話。

認知しろとは言ってない〜ヤンデレ化した元カレに溺愛されちゃいました〜

鳴宮鶉子
恋愛
認知しろとは言ってない〜ヤンデレ化した元カレに溺愛されちゃいました〜

【完結】お父様(悪人顔・強面)似のウブな辺境伯令嬢は白い?結婚を望みます。

カヨワイさつき
恋愛
魔物討伐で功績を上げた男勝りの辺境伯の5女は、"子だねがない"とウワサがある王子と政略結婚結婚する事になってしまった。"3年間子ども出来なければ離縁出来る・白い結婚・夜の夫婦生活はダメ"と悪人顔で強面の父(愛妻家で子煩悩)と約束した。だが婚姻後、初夜で……。

処理中です...