敵将を捕虜にしたら夫になって、気づけば家族までできていました

蜂蜜あやね

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夜の砦に、ひとつの足音が近づいてきた。
 胸の奥で、何かが跳ねる。
 ――まさか。
 闇を割って現れたその影は、忘れようにも忘れられない男だった。
「……ソウガ」
 名前がこぼれた瞬間、喉が震える。
 逃げた男。裏切り者の烙印を押されるはずの男。
 それでも、心はその姿を求め続けていた。
「……どうして、戻ってきたの」
 問いは責めでも疑いでもなく、ただの“恐れ”だった。
 もう二度と会えないと思っていたのだ。
 ソウガは一歩、イサナへ近づく。
「ザンザを見てきた」
 短く、それでも全てを抱えた声音。
「国は……もう立て直せない。
 戦で焼けたままの街、食べ物を奪い合う民。
 俺が子どもだった頃と同じように、
 路地には親を失った孤児が座り込んでいた」
 イサナは息を止めた。
 ソウガは続ける。
「俺は、あの子どもたちをこれ以上増やしたくない。
 ザンザがロウファンに討たれることで救われるのなら――
 それがいちばんいい」
「……あなたが、それを言うの?」
「俺だから言うんだ。
 俺はザンザの外からじゃなく、中から地獄を見てきた」
 ソウガの瞳は揺らぎもしなかった。
「救えない国にしがみついて民を苦しめるほうが、裏切りだ」
 その言葉に、イサナの胸がかすかに震える。
 この男は、やはりソウガなのだ。
 戦場では敵だったが、民の命を第一に考える将――
 そして今は、一人の男として目の前に立っている。
「じゃあ……あなたは、国を捨てるの?」
「捨てるんじゃない」
 ソウガは静かに言った。
「お前の隣で、救える道を選ぶんだ。
 ザンザの将としてではなく、ひとりの男として」
 イサナの胸がぎゅっと痛む。
 ソウガはさらに一歩、距離を詰めた。
「お前と過ごしたあの日々は悪くはなかった。
 あれを俺は手放せない……」
「……あれは“なりゆき”よ」
「そうだな。なりゆきだ。
 だが――なりゆきだろうと、お前は俺の妻だ」
 唇が震えた。
(妻……)
「それに――」
 ソウガはイサナの視線を捉えたまま言った。
「妻と、産まれるかもしれない子のそばにいたいと願うのは、ごく普通の夫の感情だ」
「……まだ、産まれるかどうかもわからないわよ」
「なら――」
 ソウガの瞳がわずかに熱を帯びる。
「できるまで抱けばいい」
 イサナは息を呑んだ。
 それは義務でも甘言でもない――夫としての、本気だった。
 膝が少しだけ震えた。
「……本当に、戻ってきたのね」
「戻った。二度と逃げない」
 イサナは拳を握り、泣き笑いのような顔で言う。
「じゃあ……言っておくわよ」
 声が強くなる。
「もう離さない。
 こき使うわよ。
 子供が生まれたら世話させるし、泣いたらあやすのもあなた。
 おむつも全部替えさせる。
 ザンザの戦後処理も、民の救済も――
 ぜんぶロウファンで一緒に背負わせるから」
 ソウガは迷うことなく答えた。
「全部やる」
 イサナの目から、ぽろり、と涙が落ちた。
「……あなたって、本当に……」
 堪えきれず、ソウガの胸に飛び込む。
「私も……あなたと、生きたい」
 ソウガは静かにイサナを抱きしめる。
 その瞬間――
 一度失われたはずの夫は、
 “自分の意思で帰ってきた夫”として、すべてを選び直した。
 砦の中に、温かい未来の灯りがゆっくりと灯る





 


 
 ソウガが戻ってきた翌朝、ロウファンはただちに軍議を開いた。
「ザンザを討つ。ただし――民の命は守る。それが条件だ。」
 皇帝エンジュがそう言った瞬間、ソウガは深く頭を下げた。
「……感謝します、陛下。」
 イサナは横で息をのみ、ソウガの拳が震えているのに気づいた。
(この人は本気で……民を救おうとしている)
 その事実が胸に焼き付く。
◇◇◇
 進軍は驚くほど滑らかだった。
 ソウガが示した裏道、兵站の弱点、民家の位置を避ける攻め方――
 すべてがロウファン軍の動きを導く“正しい道”になった。
 イサナは彼の隣で馬を走らせながら、何度も思った。
(この男を……誇りに思う)
 敵将としてのソウガではない。
 夫として。
 民の未来を考える、一人の男として。
◇◇◇
 戦は最小限の衝突で終わった。
 城門が開き、ザンザ兵が次々と武器を捨てて跪く。
「降伏します! 民を……どうか、民だけは!」
 その叫びに、ソウガは前へ進んだ。
「安心しろ。ロウファンは民を傷つけない」
 兵たちは信じられないというように顔を上げる。
 イサナはソウガを横目で見て――胸の奥が熱くなる。
(あなたが願った通りに……この戦は終わったのよ)
◇◇◇
 ザンザ王は抵抗もできず降伏した。
 皇帝エンジュの勅命は短かった。
「ロウファンはザンザを保護する。民の保護を最優先とする」
 その瞬間、ソウガは深く息を吐いた。
「……やっと、終わった」
 イサナはそっと近づき、鎧越しにその腕へ触れた。
「あなたが導いた終わり方よ。
 ザンザは滅びたんじゃない。救われたの」
 ソウガはイサナに視線を向ける。
 疲れ切った顔だったが、その瞳は迷いなく澄んでいた。
「俺は……お前の国の力を信じた。
 そして……お前を信じた」
「……私もよ」
 イサナは小さな声で返した。
「あなたと、あなたの国の民を……守りたかった」
 その瞬間、ソウガはそっとイサナの指を握りしめた。 
 誰にも見えないように、ただ二人だけの秘密の仕草で。
「ありがとう。イサナ」
 その声に、胸の奥がほどけていく。


 やがて軍勢の喧騒が遠のき、二人は少し離れた丘で向き合った。
 沈みゆく陽の光が、二人の影をひとつに重ねる。
「……ソウガ。ザンザはロウファンの保護下に入る。
 あなたの国は……形としては無くなるのよ。それで良かったの?」
 問いは哀しみではなく、未来を共に歩む者の確認だった。
 ソウガは迷いなく答える。
「俺は孤児だ。家族もいない。
 国が無くなろうと……俺は一人だ」
 その言葉に、イサナは静かに笑った。
「忘れたの? あなた、自分で言ったじゃない。
 私は“あなたの妻”だって」
 そっとソウガの胸に手を当てる。
「家族は……ここにいるのよ?」
 ソウガの瞳が揺れた。
 戦場では見せたことのない、どうしても抑えきれない感情がにじむ。
(俺にも……帰る場所があるのか)
 胸が熱くなり、気づけばイサナを抱き寄せていた。
 イサナも強く抱き返し、鎧が触れ合う小さな音が、二人の鼓動のように響く。
「……早く帰りたいわね。あの屋敷に」
「ああ。あの家は……落ち着く」
 戦場ではなく、
 国境でもなく、
 剣と盾の世界でもなく。
 ――あの屋敷こそが、二人にとっての“家”だった。

 
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