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しおりを挟むあの見合いの席から幾日か経ち、その事も忘れかけた頃。
シンシアはオリヴィアに付き添い、王太子であるステファンの元へと向かっていた。私的な時間の異動であれば側近のセドリックが側にいることはなく、あれから幸運にも顔を合せることはなかった。
だが、今日は公務。月に一度、神殿への祈りの後で国民への声掛けを行う大事な日である。
シンシア達も王太子夫妻に付き添い、共に外出の予定だ。しかも同じ馬車で。
逃げるように見合いの場を去ったことに後ろめたさはあったが、間違ったことはしていないとの自負はある。時間が迫っていたことも事実だし、オリヴィアが心配するだろうことも確かな事。何より、自分に気が無い男のことで悩むような心の隙間は持ち合わせていない。
彼女の中ではすでに終わったことであり、この縁は無かったことになっている。
ならば私的なことは胸に仕舞い、今日は仕事として顔を合せようと思うのだった。
オリヴィアの後ろに従い、周りを騎士に囲まれ着いた先には王太子一行がいた。
「さあ、足元に気をつけて」
「ありがとうございます。ステファン様」
仲の良い二人は王族専用の馬車に乗り込み、神殿に向かった。
それを確認すると急ぎ後続の馬車に乗り込み、シンシアとセドリックも後を追う。
ここで気の利いた男ぶりを発揮しシンシアに手でも差し出せばよいものを、生憎彼にはそのような気の利いたものを持ち合わせてはいなかった。
「シンシア様、どうぞお手を」
彼女の手を差し出してくれたのは、一緒に向かう騎士であった。
「ありがとうございます」
シンシアは目の前に差し出されたその手に素直に自らの手を重ねると、馬車に乗り込み、そして優しくほほ笑んだ。
幼い顔立ちでも不味いわけでは無い。ただ幼く見えるだけで愛らしく映るその笑顔に、若い騎士は薄っすらと耳を赤く染めていた。
それを後ろで見ていたセドリックは無表情ながら、腹の中を薄汚い物がうごめくのを感じていた。
馬車の中ではシンシアとセドリックの他にも、侍女や従者も乗り込んでいる。
向かい合わせに座りながらも、私的な会話が出来る雰囲気でないことに二人は安堵するのだった。
神殿に着いてしまえば自らの主のそばに付き従い忙しく動き、気を遣い、お互いの事を気に留める暇はない。
神殿での祈りの後、バルコニーから民に手を振り歓声に応える。
そして神殿が運営している医療施設への慰問。
王太子夫妻としてのパフォーマンスではあるが、大事な公務だ。
昼に軽食を挟み、終わった頃はすでに夕方近く。
これで今日の任務は終了と、何事もなく終わったことにシンシアはほっと肩の荷を下ろした。これよりは王宮に戻り、オリヴィア達は一人息子のグランドと共に家族の時間だ。
シンシアは神殿との事後調整のために騎士を一人残し、いつものように神官の元へと進むのだった。
話し合いが終わった頃はすでに辺りは日も暮れ、暗くなっていた。
護衛の騎士を従え馬車に向かうと、そこには思いもかけない人の姿があった。
「 …… 」
「セドリック殿。いかがされました? まだご用事が?」
馬車の側にセドリックの姿を見つけたシンシアは思わず足が止まり、無言で息を呑んだ。
そんな彼女の後ろから声をかけたのは護衛騎士だ。
馬車に乗り遅れたのかしら? と、そんなシンシアの要らぬ心配に、
「いや、私も少し用事があったので、皆には先に帰ってもらった。
悪いが一緒に馬車を使わせてもらいたい」
(それはそうね。まさか馬車に置いて行かれるような失態を犯すはずはないわ)
と、シンシアは自分の浅はかな考えに、思わず苦笑交じりの笑みを浮かべた。
「なにか?」
シンシアの苦笑を見逃さなかったセドリックは、少しだけ怒気を含んだ声色で問いかける。その声色に気が付いたシンシアは自分の笑みに腹を立てたと悟り、素直に謝ろうと声を出しかけた時だった。
「大方、私が馬車に乗り遅れたとでも思ったのだろう? そんな愚かな間違いは犯さないし、君に迷惑をかけることをするつもりもないのだが」
いつも冷静で優秀と評判の王太子の側近。冷ややかな表情は感情を映すことも無く、鋭くシンシアを見据えていた。
彼が言う通りの事を思ったのは確かだが、それは間違いだと素直に謝罪を口にしようとした矢先にこれだ。
淑女らしからぬ気の強さを持つと自負しているシンシアにとって、これはもはや宣戦布告。売られた喧嘩は買わずにはいられない。
「まさか! 優秀な側近殿がそのような愚かな間違いをするはずは無いとわかっております。私に迷惑をかけないとするそのお気持ちは大変立派でございますが、それならばなぜこのような時間までこんな場所でお待ちに? まさか私を待っていたなどと言うわけでもありませんでしょうに?」
皮肉交じりにあり得ないことを口にしてみれば、セドリックは「っ!」と言葉を飲み込んでいた。え? まさか本当に? などと驚きで彼の顔を凝視してみれば、
「この前の一件。殿下はまだ諦めてはいない。今日はよくよく話し合うようにと言われ、戻られた」
シンシアはその言葉に頭を抱え、唸りたい衝動に駆られてしまった。
「それで? 今日、二人で話をするために残られたのですか?」
「まあ、そういうことだ。話しが早くて助かる」
「話が早くって。理解は出来ても納得はしていません。先ほど、私に迷惑をかけるつもりはないとおっしゃったではありませんか。もう忘れたのですか?」
「迷惑をかけるつもりはない。しかし、これはあなたにも関係することだろう? 他ならぬ王太子からのお話だ。断るのは難しいことくらいわかるだろう?」
「いいえ、わかりません。この前、あなた様は私に言いました。これは馬鹿げた話だと。上からの命令に黙って頷くだけの人生で良いのかってね。
良いわけないでしょう!
それでも臣下として断るなんて無理だから、あの日、あの場所に行ったんです。
それを今さら……。私の中ではもうすでに終わった話しです。王太子殿下にはそのようにお伝えください」
「それが出来ないから、こうしてあなたを待っていたのだ。あなたも貴族令嬢として、王宮務めの者としてわかるだろう? そんなことも理解できないのか?」
シンシアはこんなに頭の悪い男だったのかと思い。
セドリックもまた、こんなにも令嬢らしからぬわからずやの娘だったのかと、ため息を吐いた。
「あなたのことがわかった気がする……」
ぽつりと呟いたセドリックの言葉を聞き逃さなかったシンシアは、顔を背け視線をそらした。
今までもそうだった。シンシアの見た目や家柄に引かれ声をかけて来る者達は皆、彼女の淑女らしからぬ物言いや、男を言い負かす頭脳の明晰さに舌を巻き去って行くのだ。そして、その矜持をへし折られた者はこぞって彼女を悪く言う。
「頭が良いだけの、頭でっかちのつまらない女」
「男を立てることを知らぬ、妻には向かない女」と。
その度にシンシアは心を強くし、自分を律して生きて来た。
そうしなければ一人で立つことも難しいくらいに、何度となく傷つけられてきたのだから。それでも、女性として結婚への夢を捨てることはしていない。いつかは自分を理解し、共に歩んでくれる人がいると期待もしていた。
だが、それももう終わりだと落胆してしまった。王太子からの話をぶち壊すほどの令嬢など聞いたことが無い上に、不敬も良いところだ。女としての淡い夢は金輪際見てはいけないと思い知らされた。
「今さら話すことなどありません。オリヴィア様には私からお話ししておきます。
あなた様はその旨、王太子殿下にお伝えください。では……」
シンシアは、話は終わりとばかりにセドリックに背を向けると、強い足取りで馬車に向かった。それを見たセドリックは慌てて彼女を追い、その腕を掴んだ。
「ちょっと待ってくれ。勝手に終われる問題だと思っているのか?」
シンシアの細い腕を掴み自分に向き直らせると、セドリックは彼女の顔を見て思わずその手を放してしまった。
「……ぶふっ!!」
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