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芝居
しおりを挟む「コンラート殿、こちらがローレンス、デリン家の公子です」
重々しく紹介されたのは、山の学校に行っているはずの兄貴だった。
豊かな赤い髪に均整の取れた筋肉。磨き上げられた戦士の体がまぶしい。あの堂々たる立ち姿は常に俺の目標で憧れだった。俺も成長したら、ああいう体型を手に入れたい。それが、俺が魔道学園でもこっそり訓練を続けている理由だ。
その兄貴はよそいきのいかめしい顔で俺を見ていた。北の戦士の盛装である毛皮をきちんと身にまとい、顔には戦化粧を施している。その恰好でいかにも魔道学園といった繊細な家具の横に立つと違和感が半端ない。ちょっと腕を振っただけで調度品を吹き飛ばしてしまいそうだ。それでも、俺にはこっそりと目配せをして見せた。
とはいえ、今年は戦士見習いから戦士になるという大切な年だったはずだ。それなのに、なぜ魔道学園に留学?
留学という言葉自体にも違和感がある。最近まで戦士の敵は魔法士で、国境をめぐって争っていた歴史がある。過去に北の出身者が入学したことはあるかもしれない。ただ、北の戦士が魔道学園に留学するなんて、初めてじゃないだろうか。偽装して入った俺をのぞいて、だけど。
「ローレンス殿、アルフィン・コンラートだ。デリン家の当主にはいろいろと世話になった。小さいころ、会ったことがあるんだが、覚えているかな」
兄貴はにやりとした。いつもの明るい笑いだった。
「は、初めまして、アルフィン様。ローレンス・コンラー……デリンです」
俺はカチカチになって挨拶をした。もうどう振舞ったらいいものか。危うく、変な名前を名乗るところだった。
「はははは、覚えていなかったか。仕方ないな」
兄貴は二人の神官がいる前でも余裕だった。どっかりと机に寄りかかり、腕を組んでいる。ただゆったりしているように見えて目だけは油断なく神官たちの動きを追っていた。
すごいな、戦士の鏡だ。魔道学園で生まれる魔法士たちは北の戦士の天敵、敵地にもかかわらず普段と変わりない。さすがは兄貴。度胸がある。
「ローレンス、アルフィン殿はこれからしばらくこちらの学園に逗留されるご予定だ。君の一族はコンラート家と親しいと聞いている。案内役を頼むとの父上からの言伝だ」
兄貴の態度に押されているのか校長先生のほうが落ち着きない。兄貴の素晴らしい筋肉に押されているな。ひそかに敵を威嚇する兄貴を俺は誇らしく思う。
「校長先生、敬語使わなくてもいいですよ。今から一生徒になるわけで」
兄貴は豪快に笑った。こんなに一生徒という言葉が似合わない生徒はいないと思う。
校長先生は咳払いをした。
「そうですか、それではアルフィン、後で宿舎には別のものが案内します。ローレンス、彼に学園の施設を紹介してください」
「俺、僕がですか?」
まだ混乱している俺にドネイ先生がささやいた。
「突然のことですが、よろしく頼みますよ。たぶん、いい人ですよ。きっと」
なんだか語尾が自信なさそうだった。
「ははは、案内を頼むよ」
いつの間にか兄貴は俺の後ろに立っていた。そして、肩をつかまれた。きっと本人は優しくしているつもりなんだろうけれど、十分痛い。俺は兄貴につまみ出されるように校長室を出る。
外に出ると、イーサンが待っていた。
「何の話だった……あ?この人?」
イーサンも兄貴を見て固まっている。
「いやぁ、君がイーサンか」
兄貴がイーサンの前に立った。兄貴の体でイーサンが隠れてしまう。
「そうですが、貴方は」
イーサン、語尾が震えているぞ。いつも冷静な彼がここまで動揺するとは。
「我が名はアルフィン・コンラート。よろしく」
兄貴はイーサンの手をつかんで無理やり握手をした。
「ランスからの手紙でいろいろ聞いている。ずいぶん世話になったようだ」
「コンラート? 北の野蛮……失礼、王国の?」
いつもは冷静なイーサンも目を白黒させている。それはそうだろう。いきなり部屋から毛皮を着た赤毛の大男が現れ、親し気にふるまうのだから。
「ははは、細かいことはいい。まずは食事だ」
兄貴はさっさと食堂のほうに向かう。
「新たな出会いを歓迎して宴会をするぞ」
「宴会って、え?」
俺たちは慌てて後を追う。兄貴は迷わず食堂に突き進んだ。俺が案内するまでもない。きっと北の戦士の直感で目的地を見つけたのだろう。食べることに関しては俺以上に執着しているからな。
「諸君、初めまして。これから世話になるアルフィン・コンラートだ」
食堂の入り口で、兄貴は堂々と名乗りを上げた。よその村に正式に招かれた時の礼儀作法通りだ。一瞬にして、食堂中の生徒が兄貴を見て、驚きのあまりざわめきが消えた。
赤い髪と彫刻のように鍛え上げられた筋肉、そして北の戦士の盛装。兄貴の存在感は圧倒的だ。さすがは兄貴。食堂にいた帝国人どもは気迫に圧倒されている。俺は北の戦士として誇らしい気持ちが込み上げる。
兄貴はゆっくりと食堂に入ると、真ん中に陣取り、ドカリと椅子に座り込んだ。椅子がぎしりと音を立てた。
「しばし、お待ちを」
俺は急いで、料理を提供している料理人のところへ行った。一番大きな皿を取って、その上に狂ったように料理を盛っていく。まず、一皿。
まだ、平民の生徒が食堂を使う時間だったけれど厨房は慌てて貴族用の食事を用意してくれた。兄貴は王族だという話が事前に伝わっていたらしい。貴族用の食事は本当に豪華でおいしいからな。
俺は何をしていいのかわからなくて立ち尽くしているイーサンの手を引っ張った。
「おまえも手伝えよ」
「……なんなんだよ。これ」
イーサンは俺と兄貴をチラチラと見ながら、皿に料理を持っていく。
「北の流儀なんだよ。賓客にはたっぷりの御馳走を、まず、出すのが礼儀なんだ」
俺はものすごい勢いで皿を満たすと、兄貴の前に並べて行く。イーサンも俺に倣ったので、あっという間に兄貴の前にはごちそうが並んだ。
一通り、料理が並ぶと兄貴は満足そうに目を細めた。それからおもむろに目の前の盃を取る。
「それでは、迎え入れてくれたこの学園に感謝を。我らの新たな出会いを祝して」
俺が用意したブドウジュースを兄貴は掲げた。残念ながら酒は普段、提供されていないからな。
「精霊のみ恵みに感謝を」
「感謝を」
俺とイーサンも同じように盃を掲げる。中身はただの水だった。
それから兄貴はおもむろに目の前の皿を空にし始めた。皿が空くとすかさず俺がお代わりを用意する。
「これが、うまいと評判の学園の食堂か。本当に、うまいな」
兄貴が厨房に向かって陽気に手を振った。いつも俺には嫌がらせをする調理人も、何とも言えない顔をしているのが面白い。兄貴は軽蔑すべき蛮族の出ではあるが、王族。どう扱っていいのかわからないのだろう。
食堂中の人たちが兄貴の食事をするところを見ていた。外見だけでも人目を惹く兄貴だ。曲芸のように食べまくるものだから、皆、あっけにとられて眺めている。
「さぁ、みんなで食卓を囲もう。一緒に食べてくれ、デリン殿。ハーシェル殿、他の諸君」
兄貴は俺達だけでなく、周りの生徒にも呼びかけをする。
食堂にいた平民の生徒たちが一斉に目を伏せるか、明後日のほうを向いた。
「あー、アルフィン様、ここでは家門を名乗ることは禁じられています。我らのことは名前でお呼びください」
イーサンが慌てて釘を刺した。
「ふむ。何と呼べばいい」
兄貴は面白そうに俺たちを見る。
「下の名前か、あだ名でお願いします。僕はイーサン。彼はラーク」
「ふん」兄貴は目をぐるりと回した。「なるほど、ここではあだ名で呼ぶのか。ならば……」
兄貴は大げさに手を俺に向かって差し伸べた。
「ここにいるデリンは、わが父の兄弟の家門。ならば、その子弟は我の兄弟も同然」
わざとらしく張り上げた声は食堂中に響き渡る。
「どうだ、デリン殿、我を兄と呼んではくれまいか。そう、これからは我のことを兄貴と呼んでくれ」
芝居がかった仕草の合間に兄貴はにやりと合図を送ってきた。
なるほど。さすが兄貴。頭がいい。俺がついつい兄貴と呼び掛けてしまうことを見越して、こういう芝居を打ってくれているのだ。
「わかりました。我らが父のかわした兄弟の誓い、その忠実なる子孫も継承いたしましょう」
北ではだれもが知る有名な芝居の一説だった。北では芝居は娯楽の一番手で、老いも若きもみな演じて遊ぶのだ。俺も、兄貴もこの芝居は十八番だ。だから次の展開もわかっている。
兄貴は椅子を蹴倒して立ち上がった。
「弟よ!」
「兄貴!」
俺は机を飛び越えてその腕に飛び込む。
感動の場面だ。北の王国だったら拍手喝采が起きるところだ。
当然俺は温かい拍手を期待した……
食堂は静まり返っていた。
あれ、帝国ではこういう芝居は受けないのかな?
イーサンなんか俺達から離れようとしているぞ。
ここのところ帝国式になじみかけていた俺の気分はしぼみかける。だが、兄貴はそんなことお構いなしだった。
「そうだ。デリン殿は我が弟のランスによく似ている。これから、ランスと呼んでもいいだろうか。家族と離れて幾星霜、孤独な漢の頼みを聞いてくれ」
「頼むなどと滅相もない。何とでも好きなようにお呼びください。お好きなように」
「ランス!」
「兄貴!」
俺たちは熱い抱擁を交わした。これは何度も演じた義兄弟の誓いのくだりだ。
こんな燃える場面なのに、食堂の空気が一段と冷たくなったような気がする。
「……僕は失礼を」
なぜか退席しようとするイーサンを兄貴はがっしりと捕まえた。
「もちろん、イーサン、君も我のことを兄貴と呼んでもいい。いや、呼んでくれ」
いやとは言わせない。そういうふうに、兄貴の手に力がこもった。イーサンの骨がメキメキいっているのは気のせいだな。
「え、それは……あ、兄貴」
がたがたと揺さぶられて、イーサンはしぶしぶ呼びかけた。
「イーサン!」
兄貴はイーサンを抱きしめた。イーサンが絞殺される鳥のような音を出した。
「何をやっているんですか」
そこへ不思議そうな顔をしてリースがやってきた。
「もうすぐ、貴族たちがやってくる時間ですよ。この人は……」
「君は、君がリーフか。我が弟ランスが世話になっているという」
兄貴は硬直しているイーサンから腕をほどいてリーフのほうに向きなおった。
「え、ええ。僕は本屋のリーフですが。ところで、ランスって?」
リーフは眼鏡を上げて兄貴をじっと見つめた。
「ラークさん、この人だれですか?」
北の戦士を見てもさほど動揺しないとは。俺はリーフを見直した。他の帝国人どもは兄貴に恐れをなしたというのに。
「この人は……」
「話は聞いている。とても優秀な魔道具師だというではないか。その若さで素晴らしい技術を身に着けているとか」兄貴は俺の説明など待たずにリーフに話しかけた。
「いえ、それほどでも」
手放しでほめられてリーフはちょっと照れる。
「いいだろう。君も兄弟だ。私のことを兄貴と呼んでくれ」
「は?」リーフは眼鏡の奥の瞳を丸くした。
「リーフよ。我が名はアルフィン・コンラート。北の狼の血を引くもの。今からそなたは私の兄弟。コンラートの名を名乗るがいい」
ちょうどその時、貴族の連中が食堂に入ってくるところだった。兄貴の台詞は大きく、食堂のざわめきの中でもはっきり聞き取れた。
「……ラークさん。この冗談の好きな人、誰ですか?なんで、この時期に、こんな毛皮を着て歩いているんですか?」
リーフが俺にきく。
「……彼は兄貴……アルフィンさん。北からの留学生?」
本当に留学生なんだろうか。ちらりと兄貴のほうを見ると、うんうんとうなずいてくる。
「……変わった方ですね。ラークさんの家門の人ですか?」
「彼が私の家門なのだ」
兄貴は俺をさして胸を張る。
「彼も」と、イーサン。
「そなたもだ」と、リーフ。
「はい?」
「よかったな、リーフ。学園を追い出されても、働き口はあるぞ」
手紙の中で推薦しておいたかいがあったな。これでリーフはコンラート家の一員として認められた。彼の能力は俺達北の王国のものだ。俺はウキウキとリーフの耳元でささやいた。
「さぁ、宴会を始めよう。我らが新しい絆を祝して乾杯だ」
俺はさっと、果物ジュースの入った盃を差し出した。
「乾杯!」「乾杯!」
声を出したのは俺と兄貴だけだった。イーサンとリーフも盃すら手に取っていない。
帝国の奴ら、ノリが悪いな。
ふと見ると、また机の上の皿が空になっている。これはいけない。食事を絶やすべからず。これはもてなしの大原則だ。
「新しい料理を持ってまいりました」
俺は貴族特権の料理を山盛りにして兄貴の前に並べた。今から、宴会の第二部の幕開けだ。
「ふむ。それでは精霊の恵みに感謝していただこう」
「はい、精霊の恵みに感謝を」
「……感謝を」俺の必死の合図でほかの二人はとても小さな声で唱和した。
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