魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記

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誘惑

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 俺はまじめに歌の会に参加した。周りの人間からは避けられていたけれど、頑張った。
 その結果、俺は楽譜の読み方を覚えた。役にも立たない技能や知識が積みあがっているような気がする。あれ以来記憶は戻ってこない。合唱隊が一人増えたドネイ先生だけが喜んでいた。

「ラーク、仕事を手伝ってくださいね」
 そう言って、俺に細かい仕事を頼んでくる。
 またまた神殿の奉仕活動だ。今回は罰ではなくて、他の生徒との摩擦を減らすための方策だとわかって入るのだけれど。
 先生は先生なりに俺の立場に配慮してくれているようだった。ありがたいが、迷惑だ。

 あれから、第二王子の露骨な嫌がらせはない。逆に何もなさすぎて、不気味だ。なにか大ごとを計画しているのではないかと帰って俺は警戒感を強めていた。
 廊下を歩くときも、こうして神殿まで大量の荷物を運んでいくときも、常に注意を払っている。

「よく運んでくれましたね。ありがとう」
 神官たちが柔和にほほ笑んで俺に芋をくれた。

 これは毒殺するつもりなのでは……などとおもいつつ、芋をほおばる。おいしい。神殿のイモはどうしてこんなに甘いのか。同じ芋を植えているはずなのに、北部のイモは甘みが足らないんだよね。

 さらに余分にもらった芋をかじりつつ、俺は兄貴の部屋へ戻る。なるべく同じ道を通らないように、尾行を警戒しながら、部屋から部屋へと抜けていく。

 こういう空き部屋は気を付けないと、思いもかけないところに人がいる。
 みな考えることは同じで、人目に付きたくないときは裏の通路を通ろうとするからだ。

「……だろ」
「……やだ」
「おまえが……」

 また痴話げんかか? 俺は声の漏れる部屋を迂回する道を選んだ。空き部屋を密会場所に選ぶ生徒は多い。自分たちだけだと思っているから、お楽しみのことも結構ある。
 君たちのことは気にしないから、俺のことも見ないふりをしてほしい。

「やめ……」

 俺は立ち止まった。鈍い音。誰かが殴られている?
 おれはそっと、部屋を覗き込んだ。生徒の一人がもう一人に手を挙げている。

「おまえが言い出したことだろう」
 聞いたことのある声だった。デキウスの低い声だ。下級生を殴りつけているらしい。
「……、いってたのに……」

 殴られた相手はうめいている。

 見て見ぬふりをすることもできた。だが、相手はあのデキウスだ。いろいろと思うところがあって、俺は部屋の扉を音を立てて開けた。

 デキウスは振り返った。

「おま……」

「こんにちは、先輩。今日もお元気そうですね」
 俺が笑いかけると、先輩の顔が引きつった。

「こんなところでお見掛けするとは、驚きました。その子、下級生でしょ? 何をしているんですか? おっと、大切な剣は抜かないほうがいいですよ。怪我をしたくなければね」
 俺は自分の短剣をちらつかせる。
「このところ、物騒なので護身用の剣を持ち歩いているんですよ。とってもよく切れるんです」

 俺は扉までの道を開けるために横による。
「どうぞ、お帰りはこちらですか?」

「俺が悪いんじゃない」
 デキウスはぼそぼそと言い訳をする。
「そいつから言い寄ってきたんだ」

 だからといって、暴力はいけないと思う。俺はどうぞと手で扉の外をさした。やる気かな?一対一だと負けはないからな。
 先輩は顔を赤くして、大股に俺の前を通って部屋の外に出て行った。

 俺は相手が完全に立ち去るのを確認して、床に倒れている金髪の生徒のほうを向く。

「えっと、君…… あ」

 涙で潤んでいる青い瞳を見たときに助けるんじゃなかったと後悔した。カリアスだ。俺と目が合った彼もまた、目をそらした。

 見捨てるべきだったな。こいつはクマの子だ。

「クマの子は拾うな」北部ではよく知られた格言だ。同情心で母親からはぐれた熊の子を拾って育てた男が、大きくなった熊に食べられたという逸話からできたことわざだった。

 なんでよりによって、カリアスなんだろう。

 鍛えていないカリアスはすぐには立てない様子だった。
 仕方なく、俺は水や治療道具を取りに寮に戻って、そこにいたイーサンに服の替えを頼んだ。なんで俺はこんな面倒なことをしているのだろう。こんなにお人よしだとは自分でも思っていなかった。

 戻った時カリアスはまだ部屋の壁を背に座っていた。俺が戻るまでに立去っていてほしいと思ったが、動くのも無理だったらしい。床に座り込んでいる金髪の頭を見て、俺は自分の馬鹿さ加減を呪う。

 クマは助けるべきじゃない。どんなに愛らしい姿をしていてもだ。

 俺が触れようとするとカリアスはびくりと体を縮めた。

「痛くはしない。ちょっと傷を見るから」

 俺はボロボロになっているカリアスの服を捨てた。こんな薄っぺらな防御力皆無の服を着ているから、怪我をするんだ。

 肌を見て驚いた。いくつも青あざが付いている。これは今日できた傷じゃない。
 まさか、今日のようなことが繰り返されていた? 
 でも、貴族の子弟であるカリアスをこんな目に合わせることができる人間はいるのか?デキウスは貴族だが、そこまでの家門ではない。
 頭は混乱したけれど、俺は治療を淡々とすすめていた。傷を改め、骨に異常がないか触診する。たいした傷ではないけれど、積み重なればダメージは大きい。触れる皮膚の下の緊張を感じて、俺の心は沈む。

 あのデキウスという野郎、本当にクズ野郎だ。

「顔、殴られたのか。どうして?」
 今は赤くはれているけれど、きっと青あざになる。

「いつものことだから」
 すねたような口調だけはいつものカリアスだった。

「立てるか? 医者の所に行こう、ちゃんと見てもらったほうがいい」

「医者に診てもらわなくても。治療用の魔道具は持っている」

「なんでこんなことに?」俺は聞いてみた。

「だから、いつものこと。僕が今日は嫌だって言ったら、あいつ殴ってきた」
 いやだって言ったら? やはりこいつはクマだ。俺は手出しをするべきではない争いに口出しをしてしまった。

「ずっとこんなことしているのか? 傷だらけになって」
 沈黙。

「おまえ、アホか? あのなぁ、相手を見て付き合えよ。暴力をふるうなんて最低な奴だぞ、僕が言うのもあれだけどやめとけ、な」

 嘲笑ってもよかったけれど、今のカリアスにそんなきつい言葉はかけられなかった。俺は黙って、打ち身用の軟膏を塗ってやった。

 長い沈黙の後、ぽつりとカリアスがつぶやく。

「あんな奴、好きじゃない」

 え? 単に趣味が悪いだけだと思っていたら、違うのか? 俺はびっくりして手を止めた。

「あの方のためだよ。あの方の味方を増やさないと。味方が、兵隊が必要だって。あいつらは僕が相手にすれば、味方をしてくれるから」

 カリアスは唇をかんだ。

 あの方って、あの変態王子? 第二王子の味方を増やすという目的で、デキウスなんかを相手にしているのか? 確かにデキウスは暴力的で、荒い仕事には向いていそうだけれど。普通に嫌だろ。俺には全く理解が及ばない。

「本気じゃないのなら、暴力をふるうような野郎を誘惑するような真似はするなよ。
 もっと自分を大切にしろよ。あの方のためって、自分の体を痛めつけてまでやることじゃないだろ。
 あいつ……あのお方はお前がこんなことをしているのを知っているのか? 知らないんだろ。こんなにボロボロになっているのに、彼は……」

「ラーク、あんたにだけはそれを言われたくない」
 カリアスが歯の隙間から声を絞り出した。

「どうしてそんなきれいごとが言えるのさ。一人だけ何も知らない顔をして。記憶喪失だって言い訳して。あんただって真っ黒だろ。

 同じことをしていたくせに」

 同じことをしていたくせに。

 頭を殴られたような気がした。

 俺は知っていた。でも、理解はしていなかった。

 お気に入り、という言葉をいうときのイーサンの表情、最初の頃の周りの視線、カリアスの俺への過剰な敵意。
 部屋に置いてあった香水の匂い、薄い布でできた煽情的な服。

 知っていたのに。まるでわかっていなかった。

「いろいろな人を惑わせて。楽しんでたんだろ。何人、堕としたんだよ。何人を相手にしたんだよ。
 そうだよ、今は仲良くしているけど、イーサン、彼にだって媚びをうってたじゃないか。最後には振られて愛想をつかされて。
 今だって、どうせ泣きついて同情を買って……」

「……黙れよ」

 俺はカリアスの肩をつかんでいた。

「黙れ」

 カリアスの唇がゆがむ。

「僕が同じことをして何が悪いの? 僕はあの人のことだけを……」

「やめろ、何やっているんだ、ラーク」

 替えの服を持ってきたイーサンが後ろに立っていた。
 俺は我に返って、手を放す。
 俺の手の跡がカリアスの薄い肌についていた。

「医務室に連れて行ってやってくれないか、イーサン」
 俺はかろうじてそれだけを伝える。

「頼んだ」


 俺は頭を冷やすために屋根に上った。俺のお気に入りになった場所だ。ここからは神殿の塔も、帝都も、何もかもを見渡せる。

「ラーク、降りて来いよ」
 イーサンが下から俺を呼んだ。俺が下りなかったので、彼も屋根に這い上がる。

「カリアスは寮まで送ったよ。医務室に行くのは嫌だと言い張ってた」

「そうか」

 俺は町を見た。屋根がどこまでも連なって見える。あの向こうに見える高い塔のあたりが王城だろうか。

「なぁ、カリアスがあんなことしているって知ってたか?」
 俺はぽつんと聞いてみた。

「いや。気が付いていなかったな」
 イーサンも町を見ていた。穏やかな口調だった。

「あいつ、傷だらけだった」
 俺たちは並んで町を見た。
「どうして、そこまでして第二王子に尽くそうとするのかな?」
 第二王子の冷たい表情を思い出す。あんな奴に仕えて、見返りなんてほとんどないだろうに。

「そりゃ、好きな相手だからだろ?」イーサンがかすかに笑った。「カリアスが何を考えてるのかわからないけど、振り向いてもらいたくて、一生懸命なんだろ?」

「そんなもんかな?」
 俺は彼の横顔をちらりと見る。イーサンの目は遠い街並みに据えられたままだ。

「そんなもんだろ」
 それを愛と呼べるのだろうか。俺にはわからなかった。

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