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裏切りの宣告2
しおりを挟む「さあ、イザベラ。入りたまえ。こんな貧相な家で驚いただろうが、ここが俺の家だ」
「まあ、本当に。騎士団長様のお屋敷にしては、ずいぶんと質素で地味ですこと。まるで庶民の住処のようだわ」
甲高い声で女が笑う。その言葉の一つ一つが、ミミの心をナイフのように切りつけた。この家は、ミミが愛情を込めて、毎日毎日磨き上げてきた、大切な二人の城だったからだ。
ガロウはミミを完全に無視して、当たり前のようにその女を家の中に招き入れる。
その態度は、もはやミミを妻として、この家の主婦として扱ってはいなかった。まるで、そこにいるのが、ただの家具か、物の言わぬ家政婦であるかのように。
呆然と立ち尽くすミミの横を、二人は通り過ぎていく。
その瞬間、ミミの鼻腔を、あの忌まわしい香りが突き刺した。
一週間前、彼の服から香った、甘く、華やかで、むせ返るような、あの香水の匂い。
ああ、そうか。この匂いは、この女のものだったのか。
ミミは、全身の血が凍りつくのを感じながら、まるで操り人形のように、のろのろと二人の後を追った。
リビングに入った女――イザベラは、ミミが心を込めて用意した食卓を一瞥すると、あからさまに眉をひそめ、扇で口元を隠した。
「あら、庶民的なお料理ですこと。それに、安物の燭台…。ねえ、ガロウ様。わたくし、このようなものでは食欲が湧きませんわ」
「はは、すまないな。すぐに王都で一番のレストランに連れて行ってやるさ。ここは、もうじき引き払うことになるのだから、我慢してくれ」
もうじき、引き払う?
どういう、こと…?
ミミは震える声で、ガロウに問いかけた。
「ガロウ様…あの…この方は、一体…。そして、今のお話は、どういう意味なのですか…?」
ガロウはようやく、ミミの方へと視線を向けた。
だが、その灰色がかった瞳に宿っていたのは、もはやミミの知っている温かな光ではなかった。それは、吹っ切れたような、冷酷な光。まるで、道端の石ころでも見るかのような、何の感情も映さない、無慈悲な光だった。
彼は、イザベラの腰を馴れ馴れしく抱き寄せると、残酷なほど平然とした声で、宣告した。
「紹介する。彼女が俺の『真の番』、イザベラ・ヴォルフガング伯爵令嬢だ」
しん、と部屋が静まり返る。
ミミには、その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「まことの…つがい…?」
オウム返しに呟くのが精一杯だった。
真の番、とはどういうこと?番に、真も偽りもあるというの?だって、ガロウ様の番は、この私。神の前で、永遠の愛を誓った、この私のはずなのに。
そんなミミの混乱を愉しむかのように、ガロウは言葉を続けた。
「獣人の番には、稀に『間違い』が起こるそうだ。家柄や、周囲からの期待、あるいは一方の強い思い込み…そういった外的要因によって、魂が誤認してしまうことがあるらしい」
世界観の設定にある「番の間違い」 。その言葉が、ガロウの口から語られる。
ミミの足元が、ぐらり、と揺れた。
「お前との番は、それだったんだ。若さゆえの、過ち。魂の誤認によって起きた、ただの間違いだったんだよ」
「うそ…」
「嘘じゃない。俺は、先日イザベラと出会い、それを確信した。彼女こそが、俺の魂が真に求める、唯一無二の存在なのだと。彼女こそが、数百年に一度だけ現れるとされる、伝説の『運命の番』なのだと」
ガロウの言葉は、巨大な鉄槌のように、ミミが信じてきた世界のすべてを、根底から粉々に打ち砕いていった。
「嘘ですッ!!」
ミミは、自分でも驚くような、張り裂けんばかりの声で叫んでいた。
「そんなはず、ありません!だって、私たちは、ちゃんと魂の結びつきを感じたはずです!あなたと出会ったあの日、私の魂は震えました!あなたこそが運命の人なのだと、そう告げていました!あなたも、そう言ってくださったではありませんか!」
必死の形相で訴えるミミ。
そうだ、あれは幻なんかじゃない。この腕の中に抱いた幸福感も、彼の胸で感じた安らぎも、すべて本物だったはずだ。間違いなどであるはずがない。
しかし、ミミの悲痛な叫びは、甲高い、鈴を転がすような嘲笑によって、無慈悲に遮られた。
「まあ、お黙りなさいな、卑しい猫獣人」
イザベラが、ゆったりとした仕草でミミに歩み寄る。そして、頭のてっぺんからつま先まで、まるで汚らわしい虫でも見るかのような目で見下ろした。
「あなたが、ガロウ様が『間違えて』番にしてしまったという、あの子ね」
「……っ!」
「ガロウ様ほどの、高貴な上級貴族である狼獣人の魂が、あなたのような、何の取り柄もない下級の猫獣人を真の番に選ぶはずがないでしょう?少し考えれば分かりそうなものなのに。思い込みも激しいのね、本当に」
侮蔑の言葉が、容赦なくミミに突き刺さる。
イザベラはさらに続ける。
「そもそも、あなたでは、騎士団長の妻として、ガロウ様の隣に立つにはあまりにも不釣り合いだわ。そのみすぼらしい恰好。教養も、品性も感じられない。それに比べて、わたくしはヴォルフガング伯爵家の令嬢 。家柄も、美貌も、すべてにおいて、あなたとは比べ物にならない。ガロウ様の隣に立つべきは、このわたくしよ。そうでしょう?ガロウ様」
甘えを含んだ声でイザベラが振り返ると、ガロウは恍惚とした表情で頷いた。
「ああ、もちろんだ、我が愛しのイザベラ。お前こそが、俺の隣に立つべき唯一の光だ」
そして、ガロウは再びミミへと向き直る。その瞳は、もはや一片の同情すら浮かべてはいなかった。
「そういうことだ、ミミ。もう、お前は俺の妻ではない」
その最後の言葉が、引き金だった。
ミミの世界から、完全に色が、音が、消え失せた。
耳の奥で、キーン、という甲高い耳鳴りが鳴り響く。目の前の光景が、まるで水の中にあるかのようにぐにゃりと歪み、現実感を失っていく。
ああ、そうか。
全部、全部、私の勘違いだったんだ。
魂が震えたのも、運命だと感じたのも、すべて私の、愚かで、浅はかな、「思い込み」。
彼は、一度も、心の底から私を愛してなどいなかったんだ。
私が信じていた幸せは、最初から、どこにも存在しない、砂上の楼閣だったんだ。
がくん、と膝から力が抜ける。
ミミの華奢な体は、糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
床に手をつき、かろうじて倒れるのを堪える。
目の前では、ガロウとイザベラが、まるで自分などもう存在しないかのように、見せつけるように唇を重ねていた。
その光景が、スローモーションのように、ミミの瞳に焼き付く。
裏切られた。
捨てられた。
私の世界は、終わった。
意識が、暗く、冷たい闇の底へと、どこまでも沈んでいく。
最後にミミが見たのは、床に崩れ落ちる自分を、冷たい目で見下ろす、かつて愛した男と、その隣で勝ち誇ったように笑う女の姿だった。
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