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【後日談2】トロワ・メートル
5.思い出のアミューズ
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給仕の二人が厨房にやってきたことに気がついた父が、すぐさま指示を出してくる。
「5番テーブルのアミューズだ。そのあとすぐ、甲斐様の6番テーブル分を取りに来てくれ」
それでも厨房は、いつもどおりの忙しさで料理の出来が進行していく。
蒼と共に、父とスーシェフの石田さんが準備したものを取りに行く。
「おい、蒼君。大丈夫か。表情がいつもと違うじゃないか」
父も秀星の師匠が来ていると知って、蒼の動揺を気にしているようだった。
「大丈夫でーす。たぶんっ……、いや、自信なーい。だって、俺が矢嶋シャンテに転職してきたばかりの頃の、こっわい給仕長、師匠ですもん。めっちゃ怒られたんですよー。しかも俺、めちゃくちゃ生意気だったんですよぅ」
「生意気……ははっ」
真顔でアミューズを盛り付けしていたのに、父がついに頬を緩めて笑みをこぼしていた。
「わかるなあ。若いときポルシェでイケイケだったんだろ」
「だから仕事とポルシェ関係ないじゃないですかあ。なんでいつも、ポルシェ!」
「自称・完璧主義の蒼君はさ、『俺はできる男、仕事も私生活も』ってやっていたんだろ。ポルシェが物語っていたわ。葉子を乗せようと必死でさあ」
「もう~、パパはなんでいっつもそこに戻るのかな! ホール全般を俺に任せてくれているのに、自称・完璧主義ってなんっすか。そういう心構え大事ってことっすよ!」
「まあ、けっぱれや。がんばったら寿司でも食いにいこうぜ」
「え、急に優しいし……。うん、寿司を思って、けっぱる! パパ、行ってきまーす」
「はあ。でっかい息子ができたもんだな」
厨房のあちこちから、クスクスとした笑い声が聞こえてきた。
仕込み見習いで料理人修行中の青年も、葉子がオーダーしたクラフトビールをグラスに注ぎながら笑っている。
葉子もつい微笑んでいた。こうしていつも、父と蒼の『舅と婿のかけあい』が職場を明るくしている。
そこで蒼も肩の力が抜けたようだった。
その前に葉子が先に、甲斐氏へと大沼のクラフトビールを届ける。
そのあとすぐに、アミューズのサーブへと入る。
裏方では愛嬌いっぱいの蒼も、いざホールへと一歩踏み出すと途端に凜々しいメートル・ドテルの風貌へと切り替わる。
彼と一緒に岩崎様のテーブルへとアミューズを運ぶ。
今夜は、一口飲みの小さくて短いガラスグラスに盛り付けをされている『カクテル・アミューズ』、それを白い角皿の上へと乗せたものをサーブする。
岩崎様がそれをひと目見ただけで、嬉しそうに蒼と葉子をそれぞれに見てくれた。
「これ、写真集に掲載されていたあのアミューズですね!」
輝く笑顔を見せてくれるお客様へと、蒼も優美に微笑みかける。
「さようでございます。『蓴菜とプチトマトのコンポートのカクテル』です。ただいま大沼はちょうど蓴菜の収穫期となりますので旬のものとなっております」
「わあ、これかあ! 北星さんと十和田シェフが試行錯誤されたものですよね。十和田シェフにとって思い出の一品なんですよね! それに蓴菜も初めてなんですよ。たしか、ここの湖沼群で睡蓮と同じように湖面に咲いて、粘液につつまれた若芽を食材としているんですよね」
メートル・ドテルの説明がなくとも、よくご存じの岩崎様に、蒼も『さようでございます!』と、ダラシーノモードに近いきらっとした笑顔を見せている。
さらに息子さんである岩崎様が興奮気味に、『エゴイスト』の写真集から、父『十和田政則シェフ』が選んだ思い出の写真と、コメントを寄稿したページを開いた。
探り出したページを見開きにして、ご両親に『この料理だよ。北星さんと十和田シェフが一緒に試作したものなんだ』と懸命に解説をしてくれる。
「感激です。北星さんの気持ちも入っているアミューズですね。余市産の白ワインのコンポート」
「はい。当時のまま、いまもお出ししております。蓴菜とともに、白ワインで煮付けたプチトマトコンポート。どうぞ、お楽しみくださいませ」
もう蒼の案内も必要ないと判断したのか、彼はそこからサッと身を退いたので、後ろに控えていた葉子もサーブのみで厨房に下がった。
間を置かず、今度は甲斐氏へのアミューズのサーブへ移る。
お一人様なので、蒼が――と思ったのだが。
「十和田さん。甲斐様のテーブルへのサーブをお願いしていいかな。写真を交えたお話しは、おそらく十和田さんと交わしたいと思うんだ。私情を挟まないは鉄則だけれど、十和田シェフの娘として、桐生給仕長の教え子として感じたことを、そのまま伝えてみて。もし怒られたら、俺が許可をしたと伝えるから」
「わかりました、給仕長」
「あ、俺も。それとなくそばに控えているから。でも、ふたりきりにしてみるね」
師匠を避けたいのかなと思いたくなったが、たとえ畏れている大師匠が来店しても、だからこそ蒼はダメ出しをされても自らのサーブを貫くはず。逃げも隠れもしない度胸なら誰にも負けない男だと葉子は思っている。
これはきっと、篠田給仕長なりの師匠へのサービスなのだと葉子は信じて、甲斐氏へのテーブルへ向かう。
「5番テーブルのアミューズだ。そのあとすぐ、甲斐様の6番テーブル分を取りに来てくれ」
それでも厨房は、いつもどおりの忙しさで料理の出来が進行していく。
蒼と共に、父とスーシェフの石田さんが準備したものを取りに行く。
「おい、蒼君。大丈夫か。表情がいつもと違うじゃないか」
父も秀星の師匠が来ていると知って、蒼の動揺を気にしているようだった。
「大丈夫でーす。たぶんっ……、いや、自信なーい。だって、俺が矢嶋シャンテに転職してきたばかりの頃の、こっわい給仕長、師匠ですもん。めっちゃ怒られたんですよー。しかも俺、めちゃくちゃ生意気だったんですよぅ」
「生意気……ははっ」
真顔でアミューズを盛り付けしていたのに、父がついに頬を緩めて笑みをこぼしていた。
「わかるなあ。若いときポルシェでイケイケだったんだろ」
「だから仕事とポルシェ関係ないじゃないですかあ。なんでいつも、ポルシェ!」
「自称・完璧主義の蒼君はさ、『俺はできる男、仕事も私生活も』ってやっていたんだろ。ポルシェが物語っていたわ。葉子を乗せようと必死でさあ」
「もう~、パパはなんでいっつもそこに戻るのかな! ホール全般を俺に任せてくれているのに、自称・完璧主義ってなんっすか。そういう心構え大事ってことっすよ!」
「まあ、けっぱれや。がんばったら寿司でも食いにいこうぜ」
「え、急に優しいし……。うん、寿司を思って、けっぱる! パパ、行ってきまーす」
「はあ。でっかい息子ができたもんだな」
厨房のあちこちから、クスクスとした笑い声が聞こえてきた。
仕込み見習いで料理人修行中の青年も、葉子がオーダーしたクラフトビールをグラスに注ぎながら笑っている。
葉子もつい微笑んでいた。こうしていつも、父と蒼の『舅と婿のかけあい』が職場を明るくしている。
そこで蒼も肩の力が抜けたようだった。
その前に葉子が先に、甲斐氏へと大沼のクラフトビールを届ける。
そのあとすぐに、アミューズのサーブへと入る。
裏方では愛嬌いっぱいの蒼も、いざホールへと一歩踏み出すと途端に凜々しいメートル・ドテルの風貌へと切り替わる。
彼と一緒に岩崎様のテーブルへとアミューズを運ぶ。
今夜は、一口飲みの小さくて短いガラスグラスに盛り付けをされている『カクテル・アミューズ』、それを白い角皿の上へと乗せたものをサーブする。
岩崎様がそれをひと目見ただけで、嬉しそうに蒼と葉子をそれぞれに見てくれた。
「これ、写真集に掲載されていたあのアミューズですね!」
輝く笑顔を見せてくれるお客様へと、蒼も優美に微笑みかける。
「さようでございます。『蓴菜とプチトマトのコンポートのカクテル』です。ただいま大沼はちょうど蓴菜の収穫期となりますので旬のものとなっております」
「わあ、これかあ! 北星さんと十和田シェフが試行錯誤されたものですよね。十和田シェフにとって思い出の一品なんですよね! それに蓴菜も初めてなんですよ。たしか、ここの湖沼群で睡蓮と同じように湖面に咲いて、粘液につつまれた若芽を食材としているんですよね」
メートル・ドテルの説明がなくとも、よくご存じの岩崎様に、蒼も『さようでございます!』と、ダラシーノモードに近いきらっとした笑顔を見せている。
さらに息子さんである岩崎様が興奮気味に、『エゴイスト』の写真集から、父『十和田政則シェフ』が選んだ思い出の写真と、コメントを寄稿したページを開いた。
探り出したページを見開きにして、ご両親に『この料理だよ。北星さんと十和田シェフが一緒に試作したものなんだ』と懸命に解説をしてくれる。
「感激です。北星さんの気持ちも入っているアミューズですね。余市産の白ワインのコンポート」
「はい。当時のまま、いまもお出ししております。蓴菜とともに、白ワインで煮付けたプチトマトコンポート。どうぞ、お楽しみくださいませ」
もう蒼の案内も必要ないと判断したのか、彼はそこからサッと身を退いたので、後ろに控えていた葉子もサーブのみで厨房に下がった。
間を置かず、今度は甲斐氏へのアミューズのサーブへ移る。
お一人様なので、蒼が――と思ったのだが。
「十和田さん。甲斐様のテーブルへのサーブをお願いしていいかな。写真を交えたお話しは、おそらく十和田さんと交わしたいと思うんだ。私情を挟まないは鉄則だけれど、十和田シェフの娘として、桐生給仕長の教え子として感じたことを、そのまま伝えてみて。もし怒られたら、俺が許可をしたと伝えるから」
「わかりました、給仕長」
「あ、俺も。それとなくそばに控えているから。でも、ふたりきりにしてみるね」
師匠を避けたいのかなと思いたくなったが、たとえ畏れている大師匠が来店しても、だからこそ蒼はダメ出しをされても自らのサーブを貫くはず。逃げも隠れもしない度胸なら誰にも負けない男だと葉子は思っている。
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