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第一部 人も馬も新入隊員
第八話 ふれあい広場のお馬さん 1
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馬房で丹波の相手をしていると、外から小さい子達の声が聞こえてきた。その声に反応して、丹波は耳をピクピクさせる。
「なにが来たんだろって顔してますね。牧場では職員さん達の他に、誰かと顔を合わせることってあるんですか?」
「牧場でも見学や乗馬体験をしていたので、訪れる人はそれなりにいましたね。だから丹波も、人馴れはそこそこしていると思います。あっちにいる間、牧場の人間以外を乗せて歩くことはしませんでしたけどね」
少しソワソワしている丹波をなでながら、牧場の職員、青山さんが言った。
「馬越さん、せっかくのイベントだ、後学のために見てきたらどうかな?」
「良いんですか?」
「もちろん。本格的な騎乗訓練が始まったら、あまり見ている余裕はないだろうからね」
「ありがとうございます。じゃあ、見てきます!」
厩舎を出ると、後ろから不満げないななきが聞こえてくる。
「丹波、小さいお客さんとのふれあいはお前にはまだ早い。今日はここで留守番だ」
そんな牧野先輩の声が聞こえた。
「もしかして先輩、私もソワソワしてると思ったのかな」
実のところ子供達の声が聞こえてきた時、どんなことをするのだろうと気になった。特に態度に出したつもりはなかったけれど、先輩は私の気持ちに気づいたのかもしれない。
「さすが先輩。人と馬のことをよくわかっていらっしゃる」
後輩に対する気配りに感謝しつつ、馬場へと急ぐ。馬場では幼稚園児ぐらいであろう子供達が、柵にへばりつくようにして馬を見ていた。きゃーきゃーとかなり大きな声ではしゃいでいるようだが、さすが年の功、愛宕号も三国号も落ち着いたものだ。その前で、担当騎手の脇坂さんと久世さんが、子供達に騎馬隊の仕事の説明をしている。お二人も馬と同様に騎馬隊勤務が長いということもあって、小さいお客さん達の相手も手慣れたものだった。
―― そっか。馬に乗れるだけじゃダメなんだよね。広報活動は見学者への対応もあるわけだし ――
時間が経てば私にもできるのかなと思いつつ、先輩騎手二人の、小さなお客さんへの応対ぶりを見学させてもらう。
「どうした、馬越。丹波に厩舎から蹴り出されたか?」
隊長がのんびりした足取りで歩いてきた。
「いえ。訓練を始めたら見る余裕もないだろうから、今のうちに見学してこいと牧野先輩が」
「なるほど、そういうことか」
「二頭とも、とてもおとなしいですね」
のんびりとした様子で、子供達の前に顔をよせている二頭をながめながら言う。
「高齢ということもあるが、もともとあの二頭は子供好きでな。パトロールやパレードに参加するより、ああやって子供達の相手をするほうが好きなんだ」
「そうなんですか。馬の性格もいろいろなんですね」
「長いこといると、それぞれの馬の得意分野がはっきりしてくるのさ。丹波号はどうだろうな」
その問いかけにどうだろうと考えた。青山さんは人馴れはしていると言っていたが、馴れているのと人間のことが好きなのとはまた違う。少なくとも今の丹波は青山さんや私達はともかく、お客さんを乗せて歩くことは当分は無理そうだ。
「お前も気をつけろよ。ここでは訓練中の落馬も珍しくないことだからな。落ち方もしっかり、牧野から教えてもらえ」
「落ち方なんてあるんですか?」
そんなこと乗馬クラブでは習わなかったなと思いつつ、隊長に質問をする。
「柔道と同じだ。受け身をとったかとらなかったかで、ダメージがまったく違う。もちろん馬へのダメージもな」
「井上さんに馬の薬を塗られないよう、注意します」
「それは打撲程度ですんでいればの話だろ。骨が折れたりしたら、さすがの井上さんでも、治療は無理だからな」
馬の背中はそれなりの高さがある。そこから振り落とされでもしたら、打撲どころではすまされない。馬の気性や人間との相性とは別に、十分に気をつけなければならないことだ。
「気をつけます。それからお行儀よくなるように、がんばって丹波を教育します」
「よろしく頼むぞ。それとだ、たぶん察していると思うが、お前が騎手としてモノにならなかったら、丹波は牧野に任せることになる。馬の訓練も大事だが、お前自身の鍛錬もしっかりするように」
「はい!」
騎乗訓練は昨日と同じで、音羽号でするんだろうか?と少しだけ不安になった。もちろん、どの馬にでも乗れなくてはならないのはわかっている。だが、噛まれたりむしられたりの話を聞いてしまうと、水野さんには申し訳ないけど、いまいち気が乗らない。
「明日からの騎馬訓練だが、丹波がお前たちに慣れるまでは、愛宕でするように。脇坂には話をとおしてあるので、遠慮は無用だ」
「ありがとうございます。あの、牧野先輩はどうするんですか?」
「ん? あいつは音羽で問題ない。愛宕は優しい性格だからな。初心者のお前の指示にも、ちゃんと従ってくれるだろう」
その愛宕は三国とともに、小さいお客さん達を乗せて馬場を歩き始めた。最初はその高さに体を固くしていた子供達も、愛宕と三国がゆったりとしたペースで歩くおかげで、途中からはお友達や先生に手を振ったりする余裕ができたようで、乗馬をとても楽しんでいる様子だった。
「最近の子供達って、いろんな体験できてうらやましいですねえ」
「少子化が進み、どこも人不足に向けてまっしぐらだからなあ」
「ああ、そういうのもあるんですね」
大型のショッピングモールや駅前で、公安職合同のイベントをしているのを見かけたことがある。子供達は純粋に楽しんでいるが、大人には大人の差し迫った事情があるということだ。
「良かったですね、騎馬隊があって」
「まったくだ。人事からも有力な戦力だとよく言われている」
そして一時間ほど楽しむと、子供達は先生に渡された何か持って、柵ごしに二頭に向けて手を差し出した。
「?」
愛宕と三国はしずしずと近寄ると、子供達の手に口を近づけている。なにをしてるのだろう。
「あれ、なにしてるんですか……?」
「子供達が持ってるのは角砂糖だ。子供を乗せて運動したから、おやつタイムみたいなものだな」
意外と知られていないことだが、馬は甘党な子が多かったりするのだ。
「ああ、なるほど。噛まれませんか?」
「そこが愛宕と三国の賢いところで、ほとんど相手の手に触れることなく、口にエサを入れることができるんだ」
「まさに、小さいお客さん向きの才能ですね」
「亀の甲より年の功と言うが、それは馬にも当てはまることらしい」
担当騎手の脇坂さんがこちらにやってきた。
「馬越さん、これおすそ分け」
そう言って私の手にビニール袋を握らせる。中に入っているのはどうやら黒砂糖の塊のようだ。
「想定以上に子供が多くて、俺達が今日のお駄賃がわりにやる必要がなくなったから、もし良かったら丹波に食べさせてやって。馬越さんが食べても良いよ。もちろん隊長も」
「俺達は馬か」
「だってこれ、普通に俺達でも食べられるやつですし」
そう言いながら脇坂さんは、黒砂糖の塊をひとかけ、口にほうり込む。
「おい、今は勤務中だぞ?」
「隊長は今なにもみなかった。見たとしたらそれは幻覚です。馬越さんもね」
そう言うと、鼻歌を歌いながら戻っていった。
「まったく。お客さん達が来ている時は、本当に自由にし放題だな、あいつは」
隊長はやれやれと首を横にふりながら、私が持っていた袋に手をつっこむ。そして摘まみだした黒砂糖をひとかけ、口の中に放りこむ。
「そんなこと言いながら、隊長だって食べてるじゃないですか」
「それは馬越が、脇坂にかつがれてるんじゃないかと疑っているからだ。本来これは、人が食べるものだからな」
「いえ、別に私は疑ってませんよ」
「だが馬用の砂糖だと思ってたろ」
「そりゃまあ、馬用の薬があるところですし、ここ」
まあ、少しは疑ったかもしれない。もしかして脇坂さんが私の前で食べたのも、そのせいとか?
「もし独り占めするつもりなら、隠しておけよ。犬や猫と同じで馬も鼻がよくきく。あっという間に食い尽くされるからな」
「了解でーす」
試食しておこうと一つだけ口に入れ、ビニール袋の口をしっかりと結んでズボンのポケットに入れた。
「なにが来たんだろって顔してますね。牧場では職員さん達の他に、誰かと顔を合わせることってあるんですか?」
「牧場でも見学や乗馬体験をしていたので、訪れる人はそれなりにいましたね。だから丹波も、人馴れはそこそこしていると思います。あっちにいる間、牧場の人間以外を乗せて歩くことはしませんでしたけどね」
少しソワソワしている丹波をなでながら、牧場の職員、青山さんが言った。
「馬越さん、せっかくのイベントだ、後学のために見てきたらどうかな?」
「良いんですか?」
「もちろん。本格的な騎乗訓練が始まったら、あまり見ている余裕はないだろうからね」
「ありがとうございます。じゃあ、見てきます!」
厩舎を出ると、後ろから不満げないななきが聞こえてくる。
「丹波、小さいお客さんとのふれあいはお前にはまだ早い。今日はここで留守番だ」
そんな牧野先輩の声が聞こえた。
「もしかして先輩、私もソワソワしてると思ったのかな」
実のところ子供達の声が聞こえてきた時、どんなことをするのだろうと気になった。特に態度に出したつもりはなかったけれど、先輩は私の気持ちに気づいたのかもしれない。
「さすが先輩。人と馬のことをよくわかっていらっしゃる」
後輩に対する気配りに感謝しつつ、馬場へと急ぐ。馬場では幼稚園児ぐらいであろう子供達が、柵にへばりつくようにして馬を見ていた。きゃーきゃーとかなり大きな声ではしゃいでいるようだが、さすが年の功、愛宕号も三国号も落ち着いたものだ。その前で、担当騎手の脇坂さんと久世さんが、子供達に騎馬隊の仕事の説明をしている。お二人も馬と同様に騎馬隊勤務が長いということもあって、小さいお客さん達の相手も手慣れたものだった。
―― そっか。馬に乗れるだけじゃダメなんだよね。広報活動は見学者への対応もあるわけだし ――
時間が経てば私にもできるのかなと思いつつ、先輩騎手二人の、小さなお客さんへの応対ぶりを見学させてもらう。
「どうした、馬越。丹波に厩舎から蹴り出されたか?」
隊長がのんびりした足取りで歩いてきた。
「いえ。訓練を始めたら見る余裕もないだろうから、今のうちに見学してこいと牧野先輩が」
「なるほど、そういうことか」
「二頭とも、とてもおとなしいですね」
のんびりとした様子で、子供達の前に顔をよせている二頭をながめながら言う。
「高齢ということもあるが、もともとあの二頭は子供好きでな。パトロールやパレードに参加するより、ああやって子供達の相手をするほうが好きなんだ」
「そうなんですか。馬の性格もいろいろなんですね」
「長いこといると、それぞれの馬の得意分野がはっきりしてくるのさ。丹波号はどうだろうな」
その問いかけにどうだろうと考えた。青山さんは人馴れはしていると言っていたが、馴れているのと人間のことが好きなのとはまた違う。少なくとも今の丹波は青山さんや私達はともかく、お客さんを乗せて歩くことは当分は無理そうだ。
「お前も気をつけろよ。ここでは訓練中の落馬も珍しくないことだからな。落ち方もしっかり、牧野から教えてもらえ」
「落ち方なんてあるんですか?」
そんなこと乗馬クラブでは習わなかったなと思いつつ、隊長に質問をする。
「柔道と同じだ。受け身をとったかとらなかったかで、ダメージがまったく違う。もちろん馬へのダメージもな」
「井上さんに馬の薬を塗られないよう、注意します」
「それは打撲程度ですんでいればの話だろ。骨が折れたりしたら、さすがの井上さんでも、治療は無理だからな」
馬の背中はそれなりの高さがある。そこから振り落とされでもしたら、打撲どころではすまされない。馬の気性や人間との相性とは別に、十分に気をつけなければならないことだ。
「気をつけます。それからお行儀よくなるように、がんばって丹波を教育します」
「よろしく頼むぞ。それとだ、たぶん察していると思うが、お前が騎手としてモノにならなかったら、丹波は牧野に任せることになる。馬の訓練も大事だが、お前自身の鍛錬もしっかりするように」
「はい!」
騎乗訓練は昨日と同じで、音羽号でするんだろうか?と少しだけ不安になった。もちろん、どの馬にでも乗れなくてはならないのはわかっている。だが、噛まれたりむしられたりの話を聞いてしまうと、水野さんには申し訳ないけど、いまいち気が乗らない。
「明日からの騎馬訓練だが、丹波がお前たちに慣れるまでは、愛宕でするように。脇坂には話をとおしてあるので、遠慮は無用だ」
「ありがとうございます。あの、牧野先輩はどうするんですか?」
「ん? あいつは音羽で問題ない。愛宕は優しい性格だからな。初心者のお前の指示にも、ちゃんと従ってくれるだろう」
その愛宕は三国とともに、小さいお客さん達を乗せて馬場を歩き始めた。最初はその高さに体を固くしていた子供達も、愛宕と三国がゆったりとしたペースで歩くおかげで、途中からはお友達や先生に手を振ったりする余裕ができたようで、乗馬をとても楽しんでいる様子だった。
「最近の子供達って、いろんな体験できてうらやましいですねえ」
「少子化が進み、どこも人不足に向けてまっしぐらだからなあ」
「ああ、そういうのもあるんですね」
大型のショッピングモールや駅前で、公安職合同のイベントをしているのを見かけたことがある。子供達は純粋に楽しんでいるが、大人には大人の差し迫った事情があるということだ。
「良かったですね、騎馬隊があって」
「まったくだ。人事からも有力な戦力だとよく言われている」
そして一時間ほど楽しむと、子供達は先生に渡された何か持って、柵ごしに二頭に向けて手を差し出した。
「?」
愛宕と三国はしずしずと近寄ると、子供達の手に口を近づけている。なにをしてるのだろう。
「あれ、なにしてるんですか……?」
「子供達が持ってるのは角砂糖だ。子供を乗せて運動したから、おやつタイムみたいなものだな」
意外と知られていないことだが、馬は甘党な子が多かったりするのだ。
「ああ、なるほど。噛まれませんか?」
「そこが愛宕と三国の賢いところで、ほとんど相手の手に触れることなく、口にエサを入れることができるんだ」
「まさに、小さいお客さん向きの才能ですね」
「亀の甲より年の功と言うが、それは馬にも当てはまることらしい」
担当騎手の脇坂さんがこちらにやってきた。
「馬越さん、これおすそ分け」
そう言って私の手にビニール袋を握らせる。中に入っているのはどうやら黒砂糖の塊のようだ。
「想定以上に子供が多くて、俺達が今日のお駄賃がわりにやる必要がなくなったから、もし良かったら丹波に食べさせてやって。馬越さんが食べても良いよ。もちろん隊長も」
「俺達は馬か」
「だってこれ、普通に俺達でも食べられるやつですし」
そう言いながら脇坂さんは、黒砂糖の塊をひとかけ、口にほうり込む。
「おい、今は勤務中だぞ?」
「隊長は今なにもみなかった。見たとしたらそれは幻覚です。馬越さんもね」
そう言うと、鼻歌を歌いながら戻っていった。
「まったく。お客さん達が来ている時は、本当に自由にし放題だな、あいつは」
隊長はやれやれと首を横にふりながら、私が持っていた袋に手をつっこむ。そして摘まみだした黒砂糖をひとかけ、口の中に放りこむ。
「そんなこと言いながら、隊長だって食べてるじゃないですか」
「それは馬越が、脇坂にかつがれてるんじゃないかと疑っているからだ。本来これは、人が食べるものだからな」
「いえ、別に私は疑ってませんよ」
「だが馬用の砂糖だと思ってたろ」
「そりゃまあ、馬用の薬があるところですし、ここ」
まあ、少しは疑ったかもしれない。もしかして脇坂さんが私の前で食べたのも、そのせいとか?
「もし独り占めするつもりなら、隠しておけよ。犬や猫と同じで馬も鼻がよくきく。あっという間に食い尽くされるからな」
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