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第一部 人も馬も新入隊員
第二十三話 人間も成長していたようです
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「ああ、それとだ。急な話だが今日の昼、足の裏チェックをしに、酒井さんが来てくれることになった。皆、そのつもりでいてくれ」
「足の裏?」
思わず片足をあげ、自分の靴の裏側を見た。
「人間の足の裏じゃなくて、馬の足の裏だよ。酒井さんは蹄鉄の職人さんなんだ」
「ああ、そっちの足の裏」
「酒井さんが来るってことは、蹄鉄のつけかえもするってことで良いんですよね?」
「もちろんだ」
お馬さんは蹄がのびてくるのに合わせ、二ヶ月から三ヶ月に一度ぐらいの間隔で、蹄を削ったり蹄鉄のメンテナンスをする必要があるのだ。騎馬隊の馬はアスファルトの上も歩くことが多いので、競走馬ほどてはないにしろ、それなりにメンテナンスの頻度が高いらしい。
「馬越さんは蹄鉄のつけかえ、見たことあるかい?」
「動画では見たことありますけど、実際には見たことないです」
「丹波の足も見てもらうから、あいさつも兼ねて、見学させてもらうといいよ」
「そうさせてもらいます!」
私と先輩の会話を聞いていた隊長が、アゴに手をやりながらニヤつく。
「ただし、ちょっと頑固者の爺さんだから、言葉づかいには気をつけてな」
「え、そうなんですか?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。噛みつかれたりしないから」
ギョッとなった私の表情を見て、先輩たちが笑う。
「とにかく興味深い作業だし、馬越さんのようにお馬さん好きには、たまらない作業なんじゃないかな。とは言え危険な作業でもあるし、あまりグイグイいかないようにね」
「わかりました……ていうか、そんなにグイグイしてませんよ、私」
「うーん?」
先輩の返事がなんとも微妙な声色だ。
「とにかく、邪魔だけはしないようにね。それこそ噛みつかれるかもしれないから」
「わかりましたー」
毎日のお世話で、足の裏につまったワラや泥を洗い出したりかき出したりはしているが、蹄鉄のとりはずしは見たことがない。今から見学させてもらうのが楽しみだ。邪魔だと思われて追い払われないように、控えめに見学をさせてもらおう。
「あの、頑固だからその日の気分で見学禁止ってことは、ないですよね?」
事務所へと戻っていく隊長を見送り、丹波をいつもの洗い場にひいていきながら、先輩に質問をする。
「そこは問題ないと思う。厩舎の見学をする子供たちも、何度か見学させてもらっているし」
「それを聞いて安心しました」
「ところで、馬越さんは気づいたかな」
洗い場で鞍をおろしていると、先輩が何気ない口調で言った。
「何をですか? 丹波のことですか?」
「いや、隊長がさっき言ってたこと」
「隊長が? なにか言ってましたっけ?」
なにか重要なことを聞き落としただろうか? 特に答えが必要な質問はされなかったと思うのだが。
「俺がチーム丹波にいる理由を話したろ?」
「ああ、私がモノにならなかった場合の保険だって。それは前にも聞きました」
「うん。今日の隊長は『保険だった』って言っただろ? その意味、わかったかなって話」
「どういうことです?」
首をかしげながらホースに手をのばした。
「やっぱり気づいてなかったのか。保険だった、つまり保険はすでに過去形になったってことだよ。馬越さんは騎馬隊員として合格ってことだ。おめでとう。合格になるの、ずいぶんと早かったね」
「え、そういうことだったんですか?!」
ホースを手にしたまま動きが止まる。丹波が早くしろと催促するが、その鼻面をなでながら先輩を見た。
「特に検定試験があるわけじゃないけどね。ちなみに隊長の意見に、他の隊員からの異論も特になかった。丹波の訓練はまだ必要だけど、馬越さんは騎馬隊員として本採用ってことで決定だ」
「今まで仮採用だったわけですね」
まさか私以外の人達でそんな話がされていたとは。ちょっと驚きだ。
「そういうこと。馬越さん、丹波がホースをかじってるよ」
私がさっさと洗う作業にかからないので、じれた丹波がホースを噛みはじめた。これ以上待たせると、本当に噛みちぎってしまうかもしれない。
「ちょっと丹波君、それは食べものじゃないよ! はい、お口から出して!」
ホースを奪いとる。丹波は腹立たし気にブルルッと鼻を鳴らした。
「まったく。成長しているのに、こういうところはまだまだですねえ、丹波君」
「丹波は馬の手の存在を知ってしまったからね。鞍は俺が片づけてくるよ。それ以上待たせたら、それこそ大暴れしそうだから」
先輩は笑いながら鞍を抱える。
「毎度毎度すみません。お願いします」
「じゃあ丹波のことはよろしく頼むよ、お母さん」
そう言って厩舎へと行ってしまった。
「お母さんねえ。まだ結婚もしてないのに、こんな大きな子のお母さんとか」
ホースから出るお湯の温度を確かめて、丹波の背中にかける。そしてゴシゴシとこすった。それだけでも気持ちいいらしく、うっとりと目を閉じて体をこちらにあずけてくる。いっきに体重がかかってきてよろけた。
「重い重い! 丹波君、重心をこっちにかけすぎ!」
気持ちは5歳児でも、人間一人を乗せて全速力で疾走することができるのだ。体重の半分でもかけられたら、とてもじゃないが立っていられない。押し返すようにして体をこする。丹波も体重のかけ加減は心得ているようで、押し返すと抵抗もなく体の重心を戻した。
「しかし、本当に、毎日毎日これって大変……そういう時のための文明の利器なのに」
疲れてきたので、その場にあったブラシをつかんだ。
「これでこすったらダメですかねえ、丹波君」
「……」
やってみたら?という顔をしているが、喜んでいるふうには見えない。
「やっぱり手でやらないとダメなのかな。はあ、注文の多いお馬様ですよ、まったく……」
ため息をつきつつブラシを戻し、洗いを続ける。そして足元を洗いながら、なんとなく気になってきた。蹄鉄のプロから見て、私はちゃんと足の裏のお手入れをやれているだろうか? 自分では毎日ちゃんとやれていると思っているけれど……。そして一度気になりだすと、見てみないことには落ち着かなくなってきた。
「丹波君、ちょっと足の裏、見せてもらって良いかな?」
お湯を止めてホースを蛇口にかけると、丹波の前脚を自分の両足に挟むようにして立つ。牧場で青山さんがきちんとしていたお陰か、この場所に立つと人間が「自分の足の裏を見る」ということを、丹波はしっかりと覚えていた。そのおかげで私も、苦労することなく足の裏の掃除をすることができている。
「青山さん様様だねえ。ちゃんと足の裏を見せることを、丹波君に教えておいてくれるなんて」
丹波が牧場ですごしていた時の経験の積み重ねのお陰で、私は今こうやって無事に騎馬隊員として訓練ができるわけだ。本当にありがたい。今は無理なので、とりあえず心の中で青山さんや先輩達に手を合わせた。
「足の裏、土がつまってきてるね。とっておこうか」
足裏のつまった泥を鉄爪でかき出す。
「最近、土がつまるのが早くなったよね、丹波くーん」
ちょっと前までは、ここまでつまっていなかったのに、どうして?
「……ん? もしかして私が乗るから? 私の重さのせい……?」
私が乗るようになって、丹波の足にかかる重さも増えている。もしかして、そのせいで足の裏につまる土の量が増えているとか? 前に、乗る人より乗せる馬ほうが大変だって、先輩が言っていたし。
「あ、いやいや、丹波君が成長して重たくなってる可能性もあるよね!」
「なに独り言いってるの、馬越さん」
顔をあげると、先輩がこっちを見下ろしていた。
「え?! あ、丹波の足の泥をかき出していたんですよ!」
「それは見てわかったけど、重さがどうとかこうとか」
「いや、そこは無視してください! 聞かなかったってことで!」
そう言えばここ最近、体重計に乗っていない。丹波の背中に乗せる人間の許容範囲の体重は、いったい何キロぐらいまでだろう。あ、でも。
「なに?」
先輩が首をかしげた。どう考えても私より先輩のほうが重そうだ。丹波はそんな先輩を乗せて駆足ができるのだから、私の体重が少し増えたぐらい、なんてことはない、と思う。
「え、あ、なんでもないです。足の裏チェックのついでに、洗っておきますね」
「まーた、なにか僕に失礼なことを考えてただろ?」
「そんなこと考えてないですよ」
体を起こして腰を叩きながらホースに手をのばす。そして一通り丹波の足から裏からしっかりと洗った。
「ふー! これで完了!」
「馬越さーん」
呼ばれて顔を上げると、脇坂さんと久世さんがこっちを見ていた。
「うちのお爺ちゃん達にも馬の手サービス、短時間コースで頼んでいいかな?」
二人の後ろから、愛宕と三国がこっちを見つめている。私と目が合った二頭は「よろしく頼むね」と言いたげに、ブルルッと鼻を鳴らし、頭を縦に振った。
「足の裏?」
思わず片足をあげ、自分の靴の裏側を見た。
「人間の足の裏じゃなくて、馬の足の裏だよ。酒井さんは蹄鉄の職人さんなんだ」
「ああ、そっちの足の裏」
「酒井さんが来るってことは、蹄鉄のつけかえもするってことで良いんですよね?」
「もちろんだ」
お馬さんは蹄がのびてくるのに合わせ、二ヶ月から三ヶ月に一度ぐらいの間隔で、蹄を削ったり蹄鉄のメンテナンスをする必要があるのだ。騎馬隊の馬はアスファルトの上も歩くことが多いので、競走馬ほどてはないにしろ、それなりにメンテナンスの頻度が高いらしい。
「馬越さんは蹄鉄のつけかえ、見たことあるかい?」
「動画では見たことありますけど、実際には見たことないです」
「丹波の足も見てもらうから、あいさつも兼ねて、見学させてもらうといいよ」
「そうさせてもらいます!」
私と先輩の会話を聞いていた隊長が、アゴに手をやりながらニヤつく。
「ただし、ちょっと頑固者の爺さんだから、言葉づかいには気をつけてな」
「え、そうなんですか?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。噛みつかれたりしないから」
ギョッとなった私の表情を見て、先輩たちが笑う。
「とにかく興味深い作業だし、馬越さんのようにお馬さん好きには、たまらない作業なんじゃないかな。とは言え危険な作業でもあるし、あまりグイグイいかないようにね」
「わかりました……ていうか、そんなにグイグイしてませんよ、私」
「うーん?」
先輩の返事がなんとも微妙な声色だ。
「とにかく、邪魔だけはしないようにね。それこそ噛みつかれるかもしれないから」
「わかりましたー」
毎日のお世話で、足の裏につまったワラや泥を洗い出したりかき出したりはしているが、蹄鉄のとりはずしは見たことがない。今から見学させてもらうのが楽しみだ。邪魔だと思われて追い払われないように、控えめに見学をさせてもらおう。
「あの、頑固だからその日の気分で見学禁止ってことは、ないですよね?」
事務所へと戻っていく隊長を見送り、丹波をいつもの洗い場にひいていきながら、先輩に質問をする。
「そこは問題ないと思う。厩舎の見学をする子供たちも、何度か見学させてもらっているし」
「それを聞いて安心しました」
「ところで、馬越さんは気づいたかな」
洗い場で鞍をおろしていると、先輩が何気ない口調で言った。
「何をですか? 丹波のことですか?」
「いや、隊長がさっき言ってたこと」
「隊長が? なにか言ってましたっけ?」
なにか重要なことを聞き落としただろうか? 特に答えが必要な質問はされなかったと思うのだが。
「俺がチーム丹波にいる理由を話したろ?」
「ああ、私がモノにならなかった場合の保険だって。それは前にも聞きました」
「うん。今日の隊長は『保険だった』って言っただろ? その意味、わかったかなって話」
「どういうことです?」
首をかしげながらホースに手をのばした。
「やっぱり気づいてなかったのか。保険だった、つまり保険はすでに過去形になったってことだよ。馬越さんは騎馬隊員として合格ってことだ。おめでとう。合格になるの、ずいぶんと早かったね」
「え、そういうことだったんですか?!」
ホースを手にしたまま動きが止まる。丹波が早くしろと催促するが、その鼻面をなでながら先輩を見た。
「特に検定試験があるわけじゃないけどね。ちなみに隊長の意見に、他の隊員からの異論も特になかった。丹波の訓練はまだ必要だけど、馬越さんは騎馬隊員として本採用ってことで決定だ」
「今まで仮採用だったわけですね」
まさか私以外の人達でそんな話がされていたとは。ちょっと驚きだ。
「そういうこと。馬越さん、丹波がホースをかじってるよ」
私がさっさと洗う作業にかからないので、じれた丹波がホースを噛みはじめた。これ以上待たせると、本当に噛みちぎってしまうかもしれない。
「ちょっと丹波君、それは食べものじゃないよ! はい、お口から出して!」
ホースを奪いとる。丹波は腹立たし気にブルルッと鼻を鳴らした。
「まったく。成長しているのに、こういうところはまだまだですねえ、丹波君」
「丹波は馬の手の存在を知ってしまったからね。鞍は俺が片づけてくるよ。それ以上待たせたら、それこそ大暴れしそうだから」
先輩は笑いながら鞍を抱える。
「毎度毎度すみません。お願いします」
「じゃあ丹波のことはよろしく頼むよ、お母さん」
そう言って厩舎へと行ってしまった。
「お母さんねえ。まだ結婚もしてないのに、こんな大きな子のお母さんとか」
ホースから出るお湯の温度を確かめて、丹波の背中にかける。そしてゴシゴシとこすった。それだけでも気持ちいいらしく、うっとりと目を閉じて体をこちらにあずけてくる。いっきに体重がかかってきてよろけた。
「重い重い! 丹波君、重心をこっちにかけすぎ!」
気持ちは5歳児でも、人間一人を乗せて全速力で疾走することができるのだ。体重の半分でもかけられたら、とてもじゃないが立っていられない。押し返すようにして体をこする。丹波も体重のかけ加減は心得ているようで、押し返すと抵抗もなく体の重心を戻した。
「しかし、本当に、毎日毎日これって大変……そういう時のための文明の利器なのに」
疲れてきたので、その場にあったブラシをつかんだ。
「これでこすったらダメですかねえ、丹波君」
「……」
やってみたら?という顔をしているが、喜んでいるふうには見えない。
「やっぱり手でやらないとダメなのかな。はあ、注文の多いお馬様ですよ、まったく……」
ため息をつきつつブラシを戻し、洗いを続ける。そして足元を洗いながら、なんとなく気になってきた。蹄鉄のプロから見て、私はちゃんと足の裏のお手入れをやれているだろうか? 自分では毎日ちゃんとやれていると思っているけれど……。そして一度気になりだすと、見てみないことには落ち着かなくなってきた。
「丹波君、ちょっと足の裏、見せてもらって良いかな?」
お湯を止めてホースを蛇口にかけると、丹波の前脚を自分の両足に挟むようにして立つ。牧場で青山さんがきちんとしていたお陰か、この場所に立つと人間が「自分の足の裏を見る」ということを、丹波はしっかりと覚えていた。そのおかげで私も、苦労することなく足の裏の掃除をすることができている。
「青山さん様様だねえ。ちゃんと足の裏を見せることを、丹波君に教えておいてくれるなんて」
丹波が牧場ですごしていた時の経験の積み重ねのお陰で、私は今こうやって無事に騎馬隊員として訓練ができるわけだ。本当にありがたい。今は無理なので、とりあえず心の中で青山さんや先輩達に手を合わせた。
「足の裏、土がつまってきてるね。とっておこうか」
足裏のつまった泥を鉄爪でかき出す。
「最近、土がつまるのが早くなったよね、丹波くーん」
ちょっと前までは、ここまでつまっていなかったのに、どうして?
「……ん? もしかして私が乗るから? 私の重さのせい……?」
私が乗るようになって、丹波の足にかかる重さも増えている。もしかして、そのせいで足の裏につまる土の量が増えているとか? 前に、乗る人より乗せる馬ほうが大変だって、先輩が言っていたし。
「あ、いやいや、丹波君が成長して重たくなってる可能性もあるよね!」
「なに独り言いってるの、馬越さん」
顔をあげると、先輩がこっちを見下ろしていた。
「え?! あ、丹波の足の泥をかき出していたんですよ!」
「それは見てわかったけど、重さがどうとかこうとか」
「いや、そこは無視してください! 聞かなかったってことで!」
そう言えばここ最近、体重計に乗っていない。丹波の背中に乗せる人間の許容範囲の体重は、いったい何キロぐらいまでだろう。あ、でも。
「なに?」
先輩が首をかしげた。どう考えても私より先輩のほうが重そうだ。丹波はそんな先輩を乗せて駆足ができるのだから、私の体重が少し増えたぐらい、なんてことはない、と思う。
「え、あ、なんでもないです。足の裏チェックのついでに、洗っておきますね」
「まーた、なにか僕に失礼なことを考えてただろ?」
「そんなこと考えてないですよ」
体を起こして腰を叩きながらホースに手をのばす。そして一通り丹波の足から裏からしっかりと洗った。
「ふー! これで完了!」
「馬越さーん」
呼ばれて顔を上げると、脇坂さんと久世さんがこっちを見ていた。
「うちのお爺ちゃん達にも馬の手サービス、短時間コースで頼んでいいかな?」
二人の後ろから、愛宕と三国がこっちを見つめている。私と目が合った二頭は「よろしく頼むね」と言いたげに、ブルルッと鼻を鳴らし、頭を縦に振った。
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