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第一部 人も馬も新入隊員
第二十四話 装蹄師、師匠とお弟子さん
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蹄鉄職人 ―― 正式には装蹄師という ―― の酒井さんは、お昼すぎに大きなボックスカーでやってきた。車の後ろには、蹄鉄用の道具や、鉄を熱するための道具などが積まれているそうだ。
「思っていた以上に大がかりな車なんですね」
「そりゃ、いろいろと道具が必要だからね。蹄鉄を熱したりもするし」
「移動式工房ってやつですね」
「そんなところだね」
先輩の目がタイヤに向けられているのは、きっとあの車が過積載になっていないか、気になるからだろう。
「だいじょうぶですよ、先輩。警察の施設に違反したままの状態で乗り入れるなんて、いくらなんでも普通はしないでしょ」
「それはわかってるんだけどね。もうこれは職業病かな。ここに来る前はよく、バイパスで運送会社のトラックを見ていたから」
先輩が笑う。車が厩舎を回り込んだところで、隊長が事務所から出てきた。厩舎の近くは電源がとれる場所が決まっているので、そこに誘導するためだ。
「あれ、新しいお弟子さんですか、酒井さん」
運転席に座っているのが酒井さんではないと気づいた隊長が、助手席に座っていた人に声をかけた。
「わしの孫でね。いきなり装蹄師になりたいと言い出したんで、最近は連れて回ってるんですわ」
「お孫さんが弟子入りですか。良かったじゃないですか、後継ぎさんができて」
車を誘導して止まる場所で合図を送る。車がエンジンを切ると、助手席から酒井さんが降りてきた。年齢は隊長よりもかなり年上のようだ。運転していたお孫さんが車から降り、バックドアを開けて作業の準備を始める。
「おや、もしかしてお孫さんて、お嬢さんなんですか」
隊長が目を丸くする。
「女だてらに装蹄師って、最初は反対したんやけどねえ」
「熱意に負けましたか」
「ま、そんなところですわ」
「酒井まゆみです。よろしくお願いします!」
お孫さんはかぶっていた帽子をとり、隊長に頭をさげた。
「女とか男とか、そういうので進む道を決めるのは古いんやそうで」
酒井さんはカカカカッと笑う。
「時代ですねえ。ここの責任者の成瀬です。こちらこそよろしくお願いします。お爺さんからしっかり学んで、立派な装蹄師になってください」
「ありがとうございます!」
「そろそろ腰がつらくなってきたんで、わしが元気なうちにあれこれ仕込んでおこうと思うてね。しばらくは不慣れな若造がウロチョロする思いますが、よろしく頼みます、成瀬さん」
「こちらこそ。うちにも新人が入りましてね」
隊長の指がこっちに向いた。
「馬ですか? 人ですか?」
「どちらもなんですよ」
「おやおや、それは大変や」
「比叡が引退して牧野がヒマしてるんでね。しばらくは教官をさせているんですよ」
「俺、ヒマだと思われていたのか……」
先輩がぼやく。
「ほな今日は、その新しい馬っ子からかかりましょうかね。あと、今度の葵祭で先導をする二頭の足を、念入りにって話やったかね」
「ええ。よろしくたのみます。それと新入りの人間のほうに、作業の見学をさせたいんですが、問題ありませんか?」
「もちろん」
「と、いうわけだ、馬越。邪魔にならないようにな」
「わかりました! よろしくお願いします!」
私もお孫さんと同じように、帽子をとって酒井さんに頭をさげた。
「こちらこそ。孫ともどもよろしゅう」
隊長は頑固者と言っていたが、今のところそんな様子はない。仕事が始まっていないからなのか、それとも孫さんがいるからなのか、どちらだろう。
「あの、道具を運ぶの、手伝いましょうか?」
まゆみさんが重そうな荷物を運んでいるのを見て、声をかけた。
「いやいや、孫のことはご心配なく。自分の仕事道具ぐらい自分で運べへんかったら、とても装蹄師になんてなれへんからね」
「それは師匠の意地悪ではなく、本当のことなのでお気になさらず~~」
まゆみさんはニコニコしながら、丹波の前に道具を運んでいく。
「わしを鬼みたいに言うな」
「だって本当のことでしょー。これぐらい自分で全部運べないようなら、装蹄師になるんはあきらめえて、最初の頃にお爺ちゃんゆーてたやん?」
荷物を置くと戻ってきた。そして車の中からまた荷物を引っぱり出す。
「意外と体力を使う仕事だってのはわかっていたので、なりたいと思ってからは筋トレは欠かしてないんですよ」
そう言って、袖をまくって二の腕を見せてくれる。
「おお、なかなか立派な筋肉が」
「でしょ? あと背中と腰回りの筋トレもなんですよ。作業する時の姿勢もあるので、特に気をつかってます」
「なるほどー」
まゆみさんがして見せてくれた、筋トレの一部をその場でしてみる。
「そうそう、そんな感じで」
「なかなか気持ちいいですね、これ」
「あ、気に入ったのなら教えますよ。是非とも筋トレ仲間に」
「いいですね、筋トレ仲間」
そんな私達の会話を耳にした酒井さんは、ヤレヤレと首を横にふっている。
「まったく。それ以上たくましくなってどうするんや?」
「どうするんやて、装蹄師になるんやん?」
「ムキムキになりすぎて、嫁のもらい手がなくなったらどないすんねん」
「お爺ちゃん、古っ! 考えが古すぎて聞くだけでミイラになるわ」
「わしへの反論、全部それで片付づく思うてるやろ……」
道具がそろうと、酒井さんがクギ抜きを手にした。そして丹波の横に立つと、首を軽く叩くながら話しかける。
「黒駒さんか。名前は丹波か。なかなかの男前やなあ? ほな、足を見せてもらうで? よっこらせと」
丹波の足を抱え込むようにして立ち、足をあげさせる。
「ふむ、ええ感じに手入れもされとるな。足裏の手入れは合格点や」
「よかったです!」
それを聞いてまずは一安心。
「ほな、蹄鉄をはずすでー?」
酒井さんは丹波に話しかけながら作業を進めていく。
「お爺ちゃん、いつもあんな感じなんです。話しかけながらだと、馬が不安を感じることが少ないからって」
「へー……」
次々と蹄と蹄鉄をつないでいたクギを抜き、蹄鉄をはずしていく。まゆみさんはクギを拾うと、道具箱に入れ、蹄を削るカマを手にして戻ってきた。
「まゆみさんも作業をするんですか?」
「いやいや、まだ触らせてもらえませんよ。弟子として認めてもらって、まだ一ヶ月ですし」
「わしらが触るのは、お客さんの大事なお馬さんやからね。なにかあったら取り返しがつかないでしょ。実際に馬を触れるようになるのは、まだまだ先の話ですわ」
「……と師匠が申しております」
カマを渡しクギ抜きを受けとる。
「触れないながらも、役には立ってるんですよ、私。二人ですれば道具の取り換えがスムーズでしょ? いくら四本足のお馬さんでも、長時間三本足で立つのは大変なので」
「かき出しを教えてもらった時に言われました。素早く丁寧、確実にって」
「ですです。あ、蹄鉄の用意するので、話はまたあとで」
まゆみさんは蹄鉄を熱する機械のスイッチを入れた。
「お爺ちゃん、丹波さんの蹄鉄、カーブの調整なしでいけそうやけど」
はずした古い蹄鉄と新しい蹄鉄を重ねて確認をしている。
「そーかー? わしはちょっと曲げたほうがええと思うけどなあ?」
「そうなん? どの足?」
「後ろの両方や」
酒井さんは蹄を削り終えると、蹄鉄を用意しているまゆみさんの横に立った。
「ちょっと古いのかしてみ? 後ろの、ちょっとだけカーブがゆるいんや。ひろげなあかんと思うで」
「えー、わからへん……」
「そこがわかるんが一人前の装蹄師や。これがわからんうちは、まだまだやな。せいぜいお気ばり」
蹄鉄の形を整え、それを丹波の足に打ちつける。その仕事の早いこと早いこと。
「めっちゃ早いですね」
「そら、片足でずっと立たされてたら人間かてイヤですやろ? それは馬も同じですわ。はい、終わり。お疲れさん。また来月な」
丹波の背中をポンポンと叩く。
「ここの子らはみんな、お行儀のええ子ばかりで助かりますわ。中には、足を触るのさえイヤがる子もおるしね」
「音羽はどうでした?」
噛みついたりむしったりする音羽はどうなんだろうと、気になったので質問をしてみた。
「音羽君? あの子もおとなしい子やね。そう言えば今年は葵祭の先導をするそうで」
「そうなんですよ。……へー……おとなしいんだ……」
意外な答えだった。
―― ベテランの職人さんだし、逆らえないオーラを放っているのかも ――
「先導を任させるっちゅうことは、音羽君も成長したってことやね。最初の頃は、蹄を削るたびに噛みついてきてたけど」
「やっぱり噛みついてたんだ……」
それでも酒井さんからすると、おとなしい子の部類になるらしい。さすがベテラン職人。まったく負けてなかった!
「思っていた以上に大がかりな車なんですね」
「そりゃ、いろいろと道具が必要だからね。蹄鉄を熱したりもするし」
「移動式工房ってやつですね」
「そんなところだね」
先輩の目がタイヤに向けられているのは、きっとあの車が過積載になっていないか、気になるからだろう。
「だいじょうぶですよ、先輩。警察の施設に違反したままの状態で乗り入れるなんて、いくらなんでも普通はしないでしょ」
「それはわかってるんだけどね。もうこれは職業病かな。ここに来る前はよく、バイパスで運送会社のトラックを見ていたから」
先輩が笑う。車が厩舎を回り込んだところで、隊長が事務所から出てきた。厩舎の近くは電源がとれる場所が決まっているので、そこに誘導するためだ。
「あれ、新しいお弟子さんですか、酒井さん」
運転席に座っているのが酒井さんではないと気づいた隊長が、助手席に座っていた人に声をかけた。
「わしの孫でね。いきなり装蹄師になりたいと言い出したんで、最近は連れて回ってるんですわ」
「お孫さんが弟子入りですか。良かったじゃないですか、後継ぎさんができて」
車を誘導して止まる場所で合図を送る。車がエンジンを切ると、助手席から酒井さんが降りてきた。年齢は隊長よりもかなり年上のようだ。運転していたお孫さんが車から降り、バックドアを開けて作業の準備を始める。
「おや、もしかしてお孫さんて、お嬢さんなんですか」
隊長が目を丸くする。
「女だてらに装蹄師って、最初は反対したんやけどねえ」
「熱意に負けましたか」
「ま、そんなところですわ」
「酒井まゆみです。よろしくお願いします!」
お孫さんはかぶっていた帽子をとり、隊長に頭をさげた。
「女とか男とか、そういうので進む道を決めるのは古いんやそうで」
酒井さんはカカカカッと笑う。
「時代ですねえ。ここの責任者の成瀬です。こちらこそよろしくお願いします。お爺さんからしっかり学んで、立派な装蹄師になってください」
「ありがとうございます!」
「そろそろ腰がつらくなってきたんで、わしが元気なうちにあれこれ仕込んでおこうと思うてね。しばらくは不慣れな若造がウロチョロする思いますが、よろしく頼みます、成瀬さん」
「こちらこそ。うちにも新人が入りましてね」
隊長の指がこっちに向いた。
「馬ですか? 人ですか?」
「どちらもなんですよ」
「おやおや、それは大変や」
「比叡が引退して牧野がヒマしてるんでね。しばらくは教官をさせているんですよ」
「俺、ヒマだと思われていたのか……」
先輩がぼやく。
「ほな今日は、その新しい馬っ子からかかりましょうかね。あと、今度の葵祭で先導をする二頭の足を、念入りにって話やったかね」
「ええ。よろしくたのみます。それと新入りの人間のほうに、作業の見学をさせたいんですが、問題ありませんか?」
「もちろん」
「と、いうわけだ、馬越。邪魔にならないようにな」
「わかりました! よろしくお願いします!」
私もお孫さんと同じように、帽子をとって酒井さんに頭をさげた。
「こちらこそ。孫ともどもよろしゅう」
隊長は頑固者と言っていたが、今のところそんな様子はない。仕事が始まっていないからなのか、それとも孫さんがいるからなのか、どちらだろう。
「あの、道具を運ぶの、手伝いましょうか?」
まゆみさんが重そうな荷物を運んでいるのを見て、声をかけた。
「いやいや、孫のことはご心配なく。自分の仕事道具ぐらい自分で運べへんかったら、とても装蹄師になんてなれへんからね」
「それは師匠の意地悪ではなく、本当のことなのでお気になさらず~~」
まゆみさんはニコニコしながら、丹波の前に道具を運んでいく。
「わしを鬼みたいに言うな」
「だって本当のことでしょー。これぐらい自分で全部運べないようなら、装蹄師になるんはあきらめえて、最初の頃にお爺ちゃんゆーてたやん?」
荷物を置くと戻ってきた。そして車の中からまた荷物を引っぱり出す。
「意外と体力を使う仕事だってのはわかっていたので、なりたいと思ってからは筋トレは欠かしてないんですよ」
そう言って、袖をまくって二の腕を見せてくれる。
「おお、なかなか立派な筋肉が」
「でしょ? あと背中と腰回りの筋トレもなんですよ。作業する時の姿勢もあるので、特に気をつかってます」
「なるほどー」
まゆみさんがして見せてくれた、筋トレの一部をその場でしてみる。
「そうそう、そんな感じで」
「なかなか気持ちいいですね、これ」
「あ、気に入ったのなら教えますよ。是非とも筋トレ仲間に」
「いいですね、筋トレ仲間」
そんな私達の会話を耳にした酒井さんは、ヤレヤレと首を横にふっている。
「まったく。それ以上たくましくなってどうするんや?」
「どうするんやて、装蹄師になるんやん?」
「ムキムキになりすぎて、嫁のもらい手がなくなったらどないすんねん」
「お爺ちゃん、古っ! 考えが古すぎて聞くだけでミイラになるわ」
「わしへの反論、全部それで片付づく思うてるやろ……」
道具がそろうと、酒井さんがクギ抜きを手にした。そして丹波の横に立つと、首を軽く叩くながら話しかける。
「黒駒さんか。名前は丹波か。なかなかの男前やなあ? ほな、足を見せてもらうで? よっこらせと」
丹波の足を抱え込むようにして立ち、足をあげさせる。
「ふむ、ええ感じに手入れもされとるな。足裏の手入れは合格点や」
「よかったです!」
それを聞いてまずは一安心。
「ほな、蹄鉄をはずすでー?」
酒井さんは丹波に話しかけながら作業を進めていく。
「お爺ちゃん、いつもあんな感じなんです。話しかけながらだと、馬が不安を感じることが少ないからって」
「へー……」
次々と蹄と蹄鉄をつないでいたクギを抜き、蹄鉄をはずしていく。まゆみさんはクギを拾うと、道具箱に入れ、蹄を削るカマを手にして戻ってきた。
「まゆみさんも作業をするんですか?」
「いやいや、まだ触らせてもらえませんよ。弟子として認めてもらって、まだ一ヶ月ですし」
「わしらが触るのは、お客さんの大事なお馬さんやからね。なにかあったら取り返しがつかないでしょ。実際に馬を触れるようになるのは、まだまだ先の話ですわ」
「……と師匠が申しております」
カマを渡しクギ抜きを受けとる。
「触れないながらも、役には立ってるんですよ、私。二人ですれば道具の取り換えがスムーズでしょ? いくら四本足のお馬さんでも、長時間三本足で立つのは大変なので」
「かき出しを教えてもらった時に言われました。素早く丁寧、確実にって」
「ですです。あ、蹄鉄の用意するので、話はまたあとで」
まゆみさんは蹄鉄を熱する機械のスイッチを入れた。
「お爺ちゃん、丹波さんの蹄鉄、カーブの調整なしでいけそうやけど」
はずした古い蹄鉄と新しい蹄鉄を重ねて確認をしている。
「そーかー? わしはちょっと曲げたほうがええと思うけどなあ?」
「そうなん? どの足?」
「後ろの両方や」
酒井さんは蹄を削り終えると、蹄鉄を用意しているまゆみさんの横に立った。
「ちょっと古いのかしてみ? 後ろの、ちょっとだけカーブがゆるいんや。ひろげなあかんと思うで」
「えー、わからへん……」
「そこがわかるんが一人前の装蹄師や。これがわからんうちは、まだまだやな。せいぜいお気ばり」
蹄鉄の形を整え、それを丹波の足に打ちつける。その仕事の早いこと早いこと。
「めっちゃ早いですね」
「そら、片足でずっと立たされてたら人間かてイヤですやろ? それは馬も同じですわ。はい、終わり。お疲れさん。また来月な」
丹波の背中をポンポンと叩く。
「ここの子らはみんな、お行儀のええ子ばかりで助かりますわ。中には、足を触るのさえイヤがる子もおるしね」
「音羽はどうでした?」
噛みついたりむしったりする音羽はどうなんだろうと、気になったので質問をしてみた。
「音羽君? あの子もおとなしい子やね。そう言えば今年は葵祭の先導をするそうで」
「そうなんですよ。……へー……おとなしいんだ……」
意外な答えだった。
―― ベテランの職人さんだし、逆らえないオーラを放っているのかも ――
「先導を任させるっちゅうことは、音羽君も成長したってことやね。最初の頃は、蹄を削るたびに噛みついてきてたけど」
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