僕の主治医さん

鏡野ゆう

文字の大きさ
41 / 54
アヒル事件簿

第一話

しおりを挟む
僕の主治医さん第三部で、南山みなみやまさんが一時帰国後、赴任先に戻った直後からのお話です。


++++++++++



 そもそも大使館とは、海外に滞在中の邦人のサポートをしたり、外交活動の拠点になる役所の出先機関のようなものであり、金目のものがあるような場所ではない。たまに大使館に押し入ってくる人間もいたが、その多くは窃盗せっとう目的ではなく、政治的な目的をもった人間だ。

 時には武器を持って車で突っ込んでくる過激な集団も存在するので、大使館警備を担当しているのは、武装した警官だったり民間の警備員だったりと、その国の治安状況によって様々だった。

南山みなみやま君、ここ最近この地域では窃盗せっとう頻発ひんぱつしているらしいよ。君が住んでいるマンションのセキュリティは、大丈夫かい?」

 日本からこちらに戻ってきてすぐ、真鍋まなべ大使に声をかけられた。

「うちのマンションは、二十四時間警備会社の人間が管理室につめているので、余程のことがない限り大丈夫だと思います。そう言えば、パトロールしている車両が増えたような気がしていたのですが、そんなことがあったんですか」

 日本に比べると治安の悪いこの国も、在外公館があるこの一帯は、比較的安全とされている地域だった。それもあって、諸外国の大使公邸や大使館スタッフの住まいも、この地域に集中していた。

 そのあたりの治安の良さもかんがみて、結婚したら雛子ひなこさんに来てもらおうと決めたのだが、考え直すべきだろうか? いや、そんなことを言って、思いとどまるような雛子さんじゃないよな。

「大使館のセキュリティも、しっかりとしておかないといけませんね。まあここに入っても、たいしてるものはないでしょうが。ああ、パソコン機器を持っていかれる可能性はありますね。それは困るかもしれない」

 そう言うと真鍋大使は、とんでもないと言わんばかりの顔をした。

「パソコンはられても購入すれば良いが、ここの正面ホールにある絵画とつぼ。あれがいくらするか知っているかい? 一つ一つ、僕達の一生涯かかって稼ぐ金額を、軽く超える値段だそうだよ」
「そうなんですか?」

 おおよその金額を聞いて、正直驚いてしまった。具体的な金額に関しては、色々と問題になるだろうから伏せておく。

 大きな声では言えないが、不可思議な画風の油絵と派手で大きなつぼは、出勤して目にするたびに、ため息が出てしまう存在だった。同額の金を出すから受け取れと言われても、絶対にお断りだと断言できる代物しろものだとは、口が裂けても言えない。

「いつも不思議に思っていたのですが、一体あれは誰が?」
「前任の長村おさむら大使だったかな。なんでもお知り合いの画商から、退任記念に寄贈されたとか」

 だったら本人が、帰国する時に持って帰れば良いのにと思う。置いていったということは、長村大使も、あまり気に入らなかったということなんだろう。それこそ、大きな声では言えないが。

「あんな場所に置いておいて良いのですか? つぼなんて、割れたらそれまででしょうに」

 それにこう言っちゃなんだが、日本大使館の正面玄関のホールの雰囲気には、似つかわしくないように思う。これも大きな声では言えないが。

「しかたがないだろ? たまに長村元大使と親しかったお歴々がここにやってくる。あの絵とつぼがなかったら、それこそ大騒ぎさ。あと二十年ぐらいは、あの場所に置いておかなきゃいけないだろうね」

 そう言いながら、大使はため息をついた。つまり大使としても、不本意な装飾品ということらしい。

「厄介な置き土産ってやつですか」
「まあ、そうとも言うね。もちろん今の話は、僕と君との秘密だ。で、つぼと絵画の値段はともかく、思いのほか大使館には高価なものが多い。しかもその多くは、友好のあかしとして、大使館に贈られた寄贈品だ。られても僕達のふところは痛まないが、外交上非常にまずいってことになる」

 それがどんなに、こちらの好みでないものであっても。

「なるほど。念のために警備担当と、話をした方が良いかもしれませんね」
「防衛駐在官の東島とうじま一佐もまじえて、夕方に警備について話し合うことになっている。君も同席してくれ」

 防衛駐在官とは、防衛省から派遣された、軍事や安全保障に関する情報収集や交流等を任務とする自衛官だ。大使館の警備状況等は、在外公館警備対策官の仕事であり、東島一佐の職務の範疇はんちゅうではない。だが、相談できる相手は多い方が良いという大使の意見で、たびたび相談に乗ってもらっていたのだ。

「私もですか?」
「何事も経験だから」

 体よく仕事を押しつけられた気がするのは、地球の裏側から戻ってきたばかりで、疲れているからだと思っておこう。


+++


「なるほど。本日の未明にイギリス大使館に忍び込もうとしたグループを、警備員と駐在武官のアボット大佐が、取り押さえたと聞いています。未遂に終わったので大きな騒ぎにはならなかったようですが、日本大使館も他人事ではありませんね」
「そうなのかい?」

 意外な話に驚く。すでに他国の大使館で被害が出ていたとは。

「はい。今朝、大佐と顔を合わせた時に聞いた話ですので、間違いありません。富樫とがし警部も、その場で話を聞いております」
「地元警察の話では、窃盗団せっとうだんの一味だということでした」

 隣に座っていた富樫警部が、一佐の言葉にうなづいた。

 富樫警部は、警察庁から出向している在外公館警備対策官で、大使館の警備計画などの立案を担当している人間だ。本来、防衛駐在官とは一緒に仕事をしないのだが、今では真鍋大使の意見を尊重し、組織の壁を越えて大使館、そして大使館スタッフの安全確保のために、一佐と情報共有につとめてくれている。

 そして今回の件では、すでに情報を集めてくれているようだった。

「捕まったのは一部ということですので、まだ安心はできません。日本の窃盗団だと、一部が逮捕されるとほとぼりが冷めるまで、残りの連中はおとなしくしているのが常ですが」
「これはいよいよ、本気で対処しなくてはならないようだね。メンデス警部補、あなたの意見はどうですか?」

 大使館の警備責任者として同席しているのは、地元警察のメンデス警部補だ。彼は大の日本びいきで、日本語も驚くほど堪能たんのうだった。お蔭で全員が日本語で話し合うことができるので、非常に助かっている。

「同じグループの人間は隠れるかもしれませんが、他のグループは逆にチャンスとばかりに、盗みに入る可能性は高いでしょう。今朝の事件を聞いて、私なりに警備の配置とシフトを考えてみましたので、みなさんに意見をお聞きしたいと思います」

 警部は、机の上に大使館の大まかな地図を広げて、説明を始めた。


+++++


『やっと相談を始めたみたいだよ。人間ってのんきだよね』
『そういう君はどうなのさ。こんなふうにのんきに会議に出てきて良いの? パトロールとかしないの?』

 とたんにパトロールとかかっこいいよねーと、うらやましがる声があちこちからあがった。

『それはキャンディ警部の仕事だよ。僕は関係ないねー』
『キャンディ警部ってなんだよー』
『だっていつも、ミント味のキャンディをなめてるんだよ』

 キャンディ警部とは、たまに見かける警察官だ。本当の名前はメンなんとかって言うんだけど、忘れた。とにかく外国の人間なのに、信じられないぐらい日本語が上手なのだ。きっと生まれる前は、日本に住んでいたに違いない。

『甘いものばかり食べてたら、トーニョービョーになるって、ご主人様が言ってたよ』
『違うよ、甘いもの食べなくても、トニョービョーになるんだって、言ってたんだよ』
『トーニョービョー? トニョービョー? どっち?』
『トーニョービョーじゃない? たしかカルテってのに書かれてたよ、漢字だったからよくわかんないけど』
『へえ、僕、そこまで見てなかった。次からちゃんと見ておこう』

 いつの間にか話題は、カルテの話で盛り上がっている。

『ところで今日の議題はなんなのさ』
『ああ、そうだった。外国に行くんだしさ、英語は覚えなきゃいけないんじゃないかって話でね。金ぴか君が英語が得意だから、英会話教室を開こうと思って』

 その言葉と同時に、目がくらむような、まぶしい光に包まれた。

『まったくもう、このまぶしさはなんとかならないのー?』
『スミマセン。ご主人様ガ毎日ミガクモノデスカラ、マスマス光ッテシマッテ』
『みがくのって銀細工だよね? 金ぴかちゃんはみがかなくても良いんじゃないの?』
『ソウナンデスガ……』

 僕達の言葉は、まだまだご主人様には届かないようだ。

 そして今日は僕達に必要なのは、まずテキストよりもサングラスだよねという意見が出され、満場一致まんじょういっちで可決された。
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。 【本編完結】【小話】 ※小説家になろうでも公開中※

月弥総合病院

御月様(旧名 僕君☽☽‪︎)
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。 また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。 (小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!

白衣の下 第一章 悪魔的破天荒な医者と超真面目な女子大生の愛情物語り。先生無茶振りはやめてください‼️

高野マキ
ライト文芸
弟の主治医と女子大生の甘くて切ない愛情物語り。こんなに溺愛する相手にめぐり会う事は二度と無い。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

『 ゆりかご 』 

設楽理沙
ライト文芸
  - - - - - 非公開予定でしたがもうしばらく公開します。- - - - ◉2025.7.2~……本文を少し見直ししています。 " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。 ―――― 「静かな夜のあとに」― 大人の再生を描く愛の物語 『静寂の夜を越えて、彼女はもう一度、愛を信じた――』 過去の痛み(不倫・別離)を“夜”として象徴し、 そのあとに芽吹く新しい愛を暗示。 [大人の再生と静かな愛] “嵐のような過去を静かに受け入れて、その先にある光を見つめる”  読後に“しっとりとした再生”を感じていただければ――――。 ――――            ・・・・・・・・・・ 芹 あさみ  36歳  専業主婦    娘:  ゆみ  中学2年生 13才 芹 裕輔   39歳  会社経営   息子: 拓哉   小学2年生  8才  早乙女京平  28歳  会社員  (家庭の事情があり、ホストクラブでアルバイト) 浅野エリカ   35歳  看護師 浅野マイケル  40歳  会社員 ❧イラストはAI生成画像自作  

【光陵学園大学附属病院】鏡野ゆう短編集

鏡野ゆう
ライト文芸
長編ではない【光陵学園大学附属病院】関連のお話をまとめました。 ※小説家になろう、自サイトでも公開中※

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

処理中です...