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本編
第二十六話 三匹の特作隊員?
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「あ……」
校門を出たところで路肩に車を止めてこちらに手を振っているのは私服の矢野さんと下山さん。矢野さんとは骨折した信吾さんをお迎えに来てくれている時に顔を合わせていたのですっかり顔馴染みになっていた。
「こんにちはー。どうしたんですか、もしかして信吾さんが皆さんを困らせたりしてます?」
「いえいえ。三佐に言われましてね、実地訓練を兼ねてちょっと」
「はい?」
どういうことか分からなくて首を傾げる。
「今日は帰宅時がお一人だと聞いていたので、お迎えにあがりました」
「そうなんですか? すみません、もしかして職権乱用で無理やり押しつけたんじゃ?」
そう言えば朝に今日はみゅうさんもいないし帰宅する時は一人なんだって話をしたことを思い出した。
「御心配なく。俺達は実のところ志願してここに来ているわけですし」
「?」
「安住も来てるんですけど、ちょっと別行動でして」
「はあ」
「暑いでしょ、車の中が涼しいから詳しい話は走りながらでも」
後部シートに乗せてもらうと、矢野さんが運転席、助手席に下山さんがそれぞれおさまった。
「自宅に直行せずにあちらこちら回る予定なんですが、この後に何か差し迫った予定はありますか?」
「いえ、前期試験も今日までだったので特にこれと言って……」
「良かった。安住、準備は良いかー?」
ダッシュボードのポケットに差しこまれた携帯電話。どうやらハンズフリーの状態になっているらしい。
『おお。なんだかワクワクしてきたぞ』
「任務だってこと忘れるなよ? 三佐の奥さんだっているんだからな」
『安住ちゃん達にお任せ~。奥さん御安心ください、我々がついてますから』
安心も何も事情が全く飲み込めないんだけどな。そんな私の戸惑いを知ってか知らずか、矢野さんと下山さんはサングラスをかけてからこっちを見てニヤリと笑う。
「チョイ悪オヤジっぽいでしょ?」
「お前はチンピラに見えるぞ」
「ひでえな……何とかっていう中国の俳優みたいでかっこいいぞって嫁には言われたのに」
「嫁ともどもその何とかって役者に謝れ」
『三人で楽しくするのはよせ。俺が嫉妬しちゃうぞ?』
「あのう……一体なにがどうなっているか誰か説明して欲しい、です」
「ああ、すみません」
矢野さんの眉が少し下がった。
「奈緒さんの亡くなったお父さんのお嫁さん、いや元嫁さんか。彼女が探偵を雇いましてね、貴女が住んでいる場所を探ってるんですよ」
「探偵?」
探偵だなんて小説とかドラマの中の存在だとばかり思ってた。実際にそんな仕事をしている人っているんだって別のところで感心する。
「そうそう。そんなことにお金かけるより大人しく引き下がっておいた方が身の為だと思うんだけどねえ、ほら、奈緒さんの旦那さん、俺達の上官で特作だから」
「えっとお……」
ああ、事情が分からないと理解できないよねって下山さんが笑った。
「俺達の所属している部隊ってのは嫁達からも聞いていると思うけど、そりゃもう機密でガッチガチに固められた対テロ活動を前提とした特殊な部隊なわけ。同じ自衛隊内の式典でさえ顔を隠して参加だから、どの程度かって想像つくよね」
「身内にも顔を見せないんですか?」
顔を隠すってどうするんだろ、まさかお面じゃないよね?
「うん。ま、どんなもので顔を隠しているかは暇な時にでも三佐に聞いてくれれば良いよ。でね、奈緒さんの住んでいる場所を調べるってことはつまり森永三佐の住所を調べるってことなわけだ。そこまでは分かるよね?」
「……はい」
「三佐は階級で分かる通り特作ではそれなりに上の地位にいる人だし、そんな人の住所をこそこそ調べ回ったりしてるもんだから、上でこいつは誰だ?ってことになっちゃったわけよ。下手すりゃこの探偵さん、テロリスト扱い。可哀想にね?」
「え……テ、テロリスト扱いですか?! 調べただけなのに?」
そ、そんなに大変なことなの?! 私、てっきり押しかけてきて騒ぎが大きくなったら嫌だなあ程度にしか考えてなかったんだけど。
『そうだよー? 俺達の情報を得る為に家族を利用するなんてことが無いとは限らないからね。今の日本にはそんなことする輩はいないと信じたいけど、まあ人の心なんて分からないから』
「馬鹿だよねー。外患誘致の共謀罪で取り調べ受けたばかりなのにさ、特作の人間の住所を探るなんて死刑執行の書類に自分でサインしちゃったも同然じゃん?」
「そのぐらいヤバいことになってるんですよ、貴方のお父さんの元奥さん。あの様子からして分かってないと思いますけどね」
私もここでその話を聞かされるまで分かってなかったよ。そりゃ確かに信吾さんからは旦那は陸自の自衛官だとまでは話していいが所属しているのが特作だとは絶対に言うなとは言われていたよ? だけどテロリスト扱いされちゃうほどのことなんだ?
「あの……ってことは、本当は官舎住まいの方が安全だったんじゃ?」
今の場所にお引っ越ししたのって本当は良くないことだったのかな。
「いや、それは心配ないと思います。あそこは重光先生が紹介された物件でしょ? だったら警備は万全だから」
「そうなんですか、良かった」
「ま、三佐のことだから絶対に官舎には住ませなかったと思うけどね、奈緒さんのこと」
「はい?」
「だってさ、今回だって自分がいないところで俺達と奈緒さんを会わせるのどんだけ嫌がってたと思う? あんたはガキかって言いたくなるよ、上官に対してアレだけど。だから絶対に官舎住まいはしないと思ってた」
どんだけ溺愛モードなんだかねえと三人で笑っている。どういうことかよく分からなくてと首を傾げている私の顔を見た下山さんが“あらら”と呟いた。
「もしかして奈緒さん、三佐に溺愛されているって自覚ないとか?」
「え?」
「……今の返事で分かった。自覚ないんだ、そうなんだ」
「えっとお……?」
リア充だ~とか新婚でゲロ甘だ~とか男性三人に寄ってたかって散々言われちゃって物凄く恥ずかしいんだけどなあ。
「とにかく今の住まいは安全だから心配の必要は無いですよ」
矢野さんに心配することないって言われて一安心。私のせいで信吾さんのお仕事に支障が出たら嫌だもん。そんな私の様子を見た下山さんが笑った。
「ほんと、可愛いよね、奈緒さん。三佐がベタ惚れするのも分かる気がするよ」
『おい、そんなこと言ったら三佐に言いつけるぞ』
「なんだよ、ここだけの話だし、正直な感想だろうが。だいたい俺は嫁一筋なんだからな、他の女に色目なんて使ったりしねーよ。今のは客観的に意見を述べたまで」
「それで、その探偵さんっていうのは今も?」
また三人の言い合いが始まっちゃいそうだったので慌てて質問を挟み込む。
「ああ、話の途中だったね、ゴメンゴメン。振り返ったりしないでね、そのまま前を向いたままで。うん、さっきから俺達を尾行してるよ。なかなか良い腕だけどね、あと一歩ってとこかな。で、そいつを安住が尾行している状態」
「どうするつもりなんですか?」
「俺達、親切だからさ。ちょーっと忠告してあげようと思って。ほら、俺達、自衛官は国民の生命と財産を守ることが仕事だからさ? 手を引かないと下手すると謎な集団に消されちゃうよ?ぐらいの警告はしてあげるべきだと思うんだよね。ね、親切でしょ?」
その顔つきは警告が警告するだけで終わらないことを物語っているよ。
「し、親切なんでしょうね、きっと……」
「俺達はあいつをまいて奈緒さんを家に送り届けた後、安住と合流するから。まさか、忠告するところ見たいとか言わないよね?」
い、言いませんっっ!! 見せてあげるって言われても絶対に行かない。世の中、知らない方が良いことってあるに違いないんだもの。首をぶんぶん横に振る私によしよしって頷く下山さん。
「心配することないからね。きちんと警告しておけば相手が馬鹿じゃない限りこれで問題は解決するはずだから」
普段は車で一時間もかからない距離を二時間近くかけてあちらこちらを経由しながら走り回る。途中でコンビニでも寄っておやつでも買おうか?なんて言ったりして、目的が目的じゃなかったらそれなりに楽しいドライブだった。信吾さんにそんなこと言ったら怒られちゃうだろうけどね。
「はい、到着。じゃ、そのまま部屋に戻って施錠はチェーンまできちんとすること。三佐が戻るのはそうだな、今日は八時過ぎ頃にはこっちに送り届けられると思います。あ、それとこれは三佐からの伝言。今日もお土産を買って帰るから夕飯の準備は不要、以上」
「ありがとうございます。あ、あの、この件の顛末って教えてもらえるんですか?」
「本当に知りたいの?」
「……え、いえ、いいです。今の質問は聞かなかったことにして下さい」
だよねーって顔されちゃったよ。車から降りると、急ぎ足でエントランスへと入る。矢野さんと下山さんはこっちに手を振ると、そのまま行ってしまった。私、信吾さんしか知らないから体育会系のノリな人達としか思ってなかったけど、考えようによってはとっても怖い人達なんだよね? 味方で良かったなあって今更ながら思うよ。
部屋に戻ると鍵をかけてチェーンをする。お土産かあ、なんだろう。あ、もしかして前に話をしていたお寿司屋さんの折詰かな。信吾さんは一人暮らしが長かったせいで自炊も出来るけど色んなお店の美味しいものを知っていて、テスト期間中は私が家事をしなくても良いようにって自分で作ってくれたり色々とお土産を買ってきてくれているのだ。今回は手を怪我していて作れないからってことでお土産オンリーだけど。
そして落ち着くと自分達を尾行していたらしい探偵さんの話を思い出す。
「……探偵さん、無事だと良いんだけどな」
なんだか酷い目に遭ってそうでちょっとだけ気の毒になってしまう。その人はお父さんの奥さんから仕事を依頼されただけなのにね。
+++++
テスト期間中に録画しておいたドラマを見ている時に携帯にメールが入った。信吾さんだ、あと十分ぐらいで到着だって。
「あ、そうだ」
返信に矢野さんに渡すものがあるから玄関まで来てもらうようにってお願いする。暇だからパウンドケーキを焼いたんだよね、味にうるさいみゅうさんにも好評だから美味しいと思う。いつも送迎してくれるお礼にと思って一つ余分に焼いておいたんだ。それを紙ナプキンを敷き詰めた箱に入れて小さな手提げ袋に入れた。喜んでもらえるかな。
そしてきっかり十分後、ドアチャイムが鳴る。チェーンと鍵を外してドアを開けると信吾さんが渋い顔をしていた。覗き窓を指で軽く叩きながら溜め息をついてる。
「奈緒、ちゃんとここを覗いてから開けろって何度も言ってるだろ」
「でも信吾さんしか帰ってこないし……」
「……」
「はーい、次から気をつけますぅ」
「仕方ないですよ、そんなこと今みたいな安全な日本ではなかなか習慣づけ出来ませんから」
後ろにいた矢野さんが慰めてくれた。
「ですよねえ……」
「矢野、奈緒を甘やかすな。それなりのことをきちんとしておかないと、万が一何かあった時に困るのはこっちなんだぞ?」
「はい、分かっております、三佐」
真面目な口調で同意の返事をしたものの、信吾さんが背中を向けている事をいいことに私の方を見てウィンクをしてみせた。
「それで私に何か御用でしたか、奥様」
信吾さんが顔を向けると直ぐに真面目な顔になる。
「あ、そうでした。あのね、いつも送迎して貰っているのでお礼と言っちゃなんですけど、これ、奥さんとお嬢さんに」
持っていた手提げ袋を差し出した。
「甘い匂いがしますね」
「ドライフルーツの入ったパウンドケーキです。普段はブランデー入れるんですけど今回のは風味づけにリキュール使った程度なので、お子さんにも大丈夫だと思いますよ」
「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」
「夫婦共々お世話になっちゃっているので、ほんの気持ちです」
「今日まで御苦労だったな、矢野」
会話に割り込むようにして信吾さんが口を挟んできた。ちょっと信吾さん、大人げないよ?
「来週からは自分ではなく安住が送迎に伺いますので。ではこれで失礼いたします」
「ああ、御苦労」
敬礼をして私に一礼をすると矢野さんはそっとドアを閉めた。それと同時に信吾さんが施錠する。矢野さんの笑い声が聞こえてきそうだよ……。
「……信吾さん、今のはちょっと大人げないよ?」
「何の話だ?」
「矢野さんとお話していたのにわざと割り込んだでしょ?」
「なんだ、もっと矢野と話していたかったのか?」
「そうじゃないけどさあ。今日は私のことまで迎えに来てくれたし、信吾さんと私の両方が色々とお世話になってるんだから。ああいうのは良くないと思う」
「ほお?」
ほおって何? 帽子を玄関のフックに引っかけると信吾さんが目を細めてこちらを見下ろしてくる。うう、なんだか怖いよ? 嫌な予感しかしない。
「あ、あの、信吾さん、落ち着こうか? ほら、お腹空いていると人間って苛々するもんだし、うきゃっ」
まるで米俵みたいに肩に担がれてしまったよ。
「ちょっと信吾さん、手っ!! 折れてる方の手に荷物持ったままだよっ」
「心配するな、指は折れてないんだから」
「そういう問題じゃないでしょ?! 下ろしてぇ」
そのままリビングに行くとソファにボスッと乱暴に下ろされた。
「もう、酷いよぉ」
「今日は随分と楽しいドライブだったそうじゃないか」
「え? ああ、うん。普段の倍以上の時間をかけてあっちこっち走ったから、途中でアイス奢ってもらっちゃった。あ、だからってそれで罰則とかしないであげてね。私がお願いしたんだし、退屈するだろって気を遣ってくれたのは矢野さんや下山さんなんだし」
ますます不機嫌そうな顔になっちゃうし。もう困った人だよ。
「ねえ、私、お腹空いちゃった」
「……まあいいか。これ、前に話していた寿司屋のなんだがな、暑い間はナマモノはやめた方が良いだろうと思って松花堂弁当にしてもらった。寿司はまた今度な」
「わーい。おすましだけ作っておいたんだけどそれで良いかな。あと矢野さんの奥さんに教えてもらって作った鶏ハムと塩だれがあるんだけど、ちょっと食べてみる?」
奥さんを強調して言ってみる。信吾さんは苦笑いしながら頷いた。
「分かった分かった。食べるよ。矢野の嫁は調理師の資格持ってるって聞いたか?」
「うん。だからどういうものを信吾さん達に食べさせたらいいのかってのを教えてもらってるんだ。なかなか勉強になるよ。じゃ、テーブルの用意するから着替えてきて」
お弁当が入った袋を受け取ると信吾さんを寝室へと押しやる。そしてご飯を食べ始めてから改めて今日の探偵さんのことを尋ねてみた。
「探偵さんに忠告するってところまでは分かったけど、それで本当にお父さんの奥さんって諦めるのかな?」
「普通なら諦めるだろうな。実際、奈緒の住所を調べさせていたことで防衛省で問題になったのは事実だし、早晩、当局からの警告が元妻の実家に行くだろう」
「本当の目的は私の居場所を知りたいってだけなのに?」
信吾さんは肩をすくめた。
「本当の目的が問題なんじゃない。外患の共謀罪で取り調べを受けた人間が、特作所属の俺の住所を調べさせたということが問題なんだ。まったく、その辺の重要性を全く分かっていなかったんだな、あの女は。取り調べの時に自分がどうして呼ばれたか説明された筈なのに」
「……ますます学校に突撃してきそうな気がしてきた」
しばらくは今まで通りに警戒しておかなくちゃ。
「はした金とは言わんが、どう考えても貰える筈がないモノの為に全てを失うことになるかもしれないのにな。全く金持ちの考えることは分からんよ」
「いやー……お金持ちの人でも分からないと思うよ、この人の考えていることなんて」
「学校はいつまでだ?」
「週明けに三日ほど何コマか行かなきゃいけない日があって、それ以後は夏休み」
「そうか。気をつけて行けよ」
「うん」
その時は思ってもみなかったんだよね、まさか本当に学校にまで突撃してくるなんてさ。
校門を出たところで路肩に車を止めてこちらに手を振っているのは私服の矢野さんと下山さん。矢野さんとは骨折した信吾さんをお迎えに来てくれている時に顔を合わせていたのですっかり顔馴染みになっていた。
「こんにちはー。どうしたんですか、もしかして信吾さんが皆さんを困らせたりしてます?」
「いえいえ。三佐に言われましてね、実地訓練を兼ねてちょっと」
「はい?」
どういうことか分からなくて首を傾げる。
「今日は帰宅時がお一人だと聞いていたので、お迎えにあがりました」
「そうなんですか? すみません、もしかして職権乱用で無理やり押しつけたんじゃ?」
そう言えば朝に今日はみゅうさんもいないし帰宅する時は一人なんだって話をしたことを思い出した。
「御心配なく。俺達は実のところ志願してここに来ているわけですし」
「?」
「安住も来てるんですけど、ちょっと別行動でして」
「はあ」
「暑いでしょ、車の中が涼しいから詳しい話は走りながらでも」
後部シートに乗せてもらうと、矢野さんが運転席、助手席に下山さんがそれぞれおさまった。
「自宅に直行せずにあちらこちら回る予定なんですが、この後に何か差し迫った予定はありますか?」
「いえ、前期試験も今日までだったので特にこれと言って……」
「良かった。安住、準備は良いかー?」
ダッシュボードのポケットに差しこまれた携帯電話。どうやらハンズフリーの状態になっているらしい。
『おお。なんだかワクワクしてきたぞ』
「任務だってこと忘れるなよ? 三佐の奥さんだっているんだからな」
『安住ちゃん達にお任せ~。奥さん御安心ください、我々がついてますから』
安心も何も事情が全く飲み込めないんだけどな。そんな私の戸惑いを知ってか知らずか、矢野さんと下山さんはサングラスをかけてからこっちを見てニヤリと笑う。
「チョイ悪オヤジっぽいでしょ?」
「お前はチンピラに見えるぞ」
「ひでえな……何とかっていう中国の俳優みたいでかっこいいぞって嫁には言われたのに」
「嫁ともどもその何とかって役者に謝れ」
『三人で楽しくするのはよせ。俺が嫉妬しちゃうぞ?』
「あのう……一体なにがどうなっているか誰か説明して欲しい、です」
「ああ、すみません」
矢野さんの眉が少し下がった。
「奈緒さんの亡くなったお父さんのお嫁さん、いや元嫁さんか。彼女が探偵を雇いましてね、貴女が住んでいる場所を探ってるんですよ」
「探偵?」
探偵だなんて小説とかドラマの中の存在だとばかり思ってた。実際にそんな仕事をしている人っているんだって別のところで感心する。
「そうそう。そんなことにお金かけるより大人しく引き下がっておいた方が身の為だと思うんだけどねえ、ほら、奈緒さんの旦那さん、俺達の上官で特作だから」
「えっとお……」
ああ、事情が分からないと理解できないよねって下山さんが笑った。
「俺達の所属している部隊ってのは嫁達からも聞いていると思うけど、そりゃもう機密でガッチガチに固められた対テロ活動を前提とした特殊な部隊なわけ。同じ自衛隊内の式典でさえ顔を隠して参加だから、どの程度かって想像つくよね」
「身内にも顔を見せないんですか?」
顔を隠すってどうするんだろ、まさかお面じゃないよね?
「うん。ま、どんなもので顔を隠しているかは暇な時にでも三佐に聞いてくれれば良いよ。でね、奈緒さんの住んでいる場所を調べるってことはつまり森永三佐の住所を調べるってことなわけだ。そこまでは分かるよね?」
「……はい」
「三佐は階級で分かる通り特作ではそれなりに上の地位にいる人だし、そんな人の住所をこそこそ調べ回ったりしてるもんだから、上でこいつは誰だ?ってことになっちゃったわけよ。下手すりゃこの探偵さん、テロリスト扱い。可哀想にね?」
「え……テ、テロリスト扱いですか?! 調べただけなのに?」
そ、そんなに大変なことなの?! 私、てっきり押しかけてきて騒ぎが大きくなったら嫌だなあ程度にしか考えてなかったんだけど。
『そうだよー? 俺達の情報を得る為に家族を利用するなんてことが無いとは限らないからね。今の日本にはそんなことする輩はいないと信じたいけど、まあ人の心なんて分からないから』
「馬鹿だよねー。外患誘致の共謀罪で取り調べ受けたばかりなのにさ、特作の人間の住所を探るなんて死刑執行の書類に自分でサインしちゃったも同然じゃん?」
「そのぐらいヤバいことになってるんですよ、貴方のお父さんの元奥さん。あの様子からして分かってないと思いますけどね」
私もここでその話を聞かされるまで分かってなかったよ。そりゃ確かに信吾さんからは旦那は陸自の自衛官だとまでは話していいが所属しているのが特作だとは絶対に言うなとは言われていたよ? だけどテロリスト扱いされちゃうほどのことなんだ?
「あの……ってことは、本当は官舎住まいの方が安全だったんじゃ?」
今の場所にお引っ越ししたのって本当は良くないことだったのかな。
「いや、それは心配ないと思います。あそこは重光先生が紹介された物件でしょ? だったら警備は万全だから」
「そうなんですか、良かった」
「ま、三佐のことだから絶対に官舎には住ませなかったと思うけどね、奈緒さんのこと」
「はい?」
「だってさ、今回だって自分がいないところで俺達と奈緒さんを会わせるのどんだけ嫌がってたと思う? あんたはガキかって言いたくなるよ、上官に対してアレだけど。だから絶対に官舎住まいはしないと思ってた」
どんだけ溺愛モードなんだかねえと三人で笑っている。どういうことかよく分からなくてと首を傾げている私の顔を見た下山さんが“あらら”と呟いた。
「もしかして奈緒さん、三佐に溺愛されているって自覚ないとか?」
「え?」
「……今の返事で分かった。自覚ないんだ、そうなんだ」
「えっとお……?」
リア充だ~とか新婚でゲロ甘だ~とか男性三人に寄ってたかって散々言われちゃって物凄く恥ずかしいんだけどなあ。
「とにかく今の住まいは安全だから心配の必要は無いですよ」
矢野さんに心配することないって言われて一安心。私のせいで信吾さんのお仕事に支障が出たら嫌だもん。そんな私の様子を見た下山さんが笑った。
「ほんと、可愛いよね、奈緒さん。三佐がベタ惚れするのも分かる気がするよ」
『おい、そんなこと言ったら三佐に言いつけるぞ』
「なんだよ、ここだけの話だし、正直な感想だろうが。だいたい俺は嫁一筋なんだからな、他の女に色目なんて使ったりしねーよ。今のは客観的に意見を述べたまで」
「それで、その探偵さんっていうのは今も?」
また三人の言い合いが始まっちゃいそうだったので慌てて質問を挟み込む。
「ああ、話の途中だったね、ゴメンゴメン。振り返ったりしないでね、そのまま前を向いたままで。うん、さっきから俺達を尾行してるよ。なかなか良い腕だけどね、あと一歩ってとこかな。で、そいつを安住が尾行している状態」
「どうするつもりなんですか?」
「俺達、親切だからさ。ちょーっと忠告してあげようと思って。ほら、俺達、自衛官は国民の生命と財産を守ることが仕事だからさ? 手を引かないと下手すると謎な集団に消されちゃうよ?ぐらいの警告はしてあげるべきだと思うんだよね。ね、親切でしょ?」
その顔つきは警告が警告するだけで終わらないことを物語っているよ。
「し、親切なんでしょうね、きっと……」
「俺達はあいつをまいて奈緒さんを家に送り届けた後、安住と合流するから。まさか、忠告するところ見たいとか言わないよね?」
い、言いませんっっ!! 見せてあげるって言われても絶対に行かない。世の中、知らない方が良いことってあるに違いないんだもの。首をぶんぶん横に振る私によしよしって頷く下山さん。
「心配することないからね。きちんと警告しておけば相手が馬鹿じゃない限りこれで問題は解決するはずだから」
普段は車で一時間もかからない距離を二時間近くかけてあちらこちらを経由しながら走り回る。途中でコンビニでも寄っておやつでも買おうか?なんて言ったりして、目的が目的じゃなかったらそれなりに楽しいドライブだった。信吾さんにそんなこと言ったら怒られちゃうだろうけどね。
「はい、到着。じゃ、そのまま部屋に戻って施錠はチェーンまできちんとすること。三佐が戻るのはそうだな、今日は八時過ぎ頃にはこっちに送り届けられると思います。あ、それとこれは三佐からの伝言。今日もお土産を買って帰るから夕飯の準備は不要、以上」
「ありがとうございます。あ、あの、この件の顛末って教えてもらえるんですか?」
「本当に知りたいの?」
「……え、いえ、いいです。今の質問は聞かなかったことにして下さい」
だよねーって顔されちゃったよ。車から降りると、急ぎ足でエントランスへと入る。矢野さんと下山さんはこっちに手を振ると、そのまま行ってしまった。私、信吾さんしか知らないから体育会系のノリな人達としか思ってなかったけど、考えようによってはとっても怖い人達なんだよね? 味方で良かったなあって今更ながら思うよ。
部屋に戻ると鍵をかけてチェーンをする。お土産かあ、なんだろう。あ、もしかして前に話をしていたお寿司屋さんの折詰かな。信吾さんは一人暮らしが長かったせいで自炊も出来るけど色んなお店の美味しいものを知っていて、テスト期間中は私が家事をしなくても良いようにって自分で作ってくれたり色々とお土産を買ってきてくれているのだ。今回は手を怪我していて作れないからってことでお土産オンリーだけど。
そして落ち着くと自分達を尾行していたらしい探偵さんの話を思い出す。
「……探偵さん、無事だと良いんだけどな」
なんだか酷い目に遭ってそうでちょっとだけ気の毒になってしまう。その人はお父さんの奥さんから仕事を依頼されただけなのにね。
+++++
テスト期間中に録画しておいたドラマを見ている時に携帯にメールが入った。信吾さんだ、あと十分ぐらいで到着だって。
「あ、そうだ」
返信に矢野さんに渡すものがあるから玄関まで来てもらうようにってお願いする。暇だからパウンドケーキを焼いたんだよね、味にうるさいみゅうさんにも好評だから美味しいと思う。いつも送迎してくれるお礼にと思って一つ余分に焼いておいたんだ。それを紙ナプキンを敷き詰めた箱に入れて小さな手提げ袋に入れた。喜んでもらえるかな。
そしてきっかり十分後、ドアチャイムが鳴る。チェーンと鍵を外してドアを開けると信吾さんが渋い顔をしていた。覗き窓を指で軽く叩きながら溜め息をついてる。
「奈緒、ちゃんとここを覗いてから開けろって何度も言ってるだろ」
「でも信吾さんしか帰ってこないし……」
「……」
「はーい、次から気をつけますぅ」
「仕方ないですよ、そんなこと今みたいな安全な日本ではなかなか習慣づけ出来ませんから」
後ろにいた矢野さんが慰めてくれた。
「ですよねえ……」
「矢野、奈緒を甘やかすな。それなりのことをきちんとしておかないと、万が一何かあった時に困るのはこっちなんだぞ?」
「はい、分かっております、三佐」
真面目な口調で同意の返事をしたものの、信吾さんが背中を向けている事をいいことに私の方を見てウィンクをしてみせた。
「それで私に何か御用でしたか、奥様」
信吾さんが顔を向けると直ぐに真面目な顔になる。
「あ、そうでした。あのね、いつも送迎して貰っているのでお礼と言っちゃなんですけど、これ、奥さんとお嬢さんに」
持っていた手提げ袋を差し出した。
「甘い匂いがしますね」
「ドライフルーツの入ったパウンドケーキです。普段はブランデー入れるんですけど今回のは風味づけにリキュール使った程度なので、お子さんにも大丈夫だと思いますよ」
「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」
「夫婦共々お世話になっちゃっているので、ほんの気持ちです」
「今日まで御苦労だったな、矢野」
会話に割り込むようにして信吾さんが口を挟んできた。ちょっと信吾さん、大人げないよ?
「来週からは自分ではなく安住が送迎に伺いますので。ではこれで失礼いたします」
「ああ、御苦労」
敬礼をして私に一礼をすると矢野さんはそっとドアを閉めた。それと同時に信吾さんが施錠する。矢野さんの笑い声が聞こえてきそうだよ……。
「……信吾さん、今のはちょっと大人げないよ?」
「何の話だ?」
「矢野さんとお話していたのにわざと割り込んだでしょ?」
「なんだ、もっと矢野と話していたかったのか?」
「そうじゃないけどさあ。今日は私のことまで迎えに来てくれたし、信吾さんと私の両方が色々とお世話になってるんだから。ああいうのは良くないと思う」
「ほお?」
ほおって何? 帽子を玄関のフックに引っかけると信吾さんが目を細めてこちらを見下ろしてくる。うう、なんだか怖いよ? 嫌な予感しかしない。
「あ、あの、信吾さん、落ち着こうか? ほら、お腹空いていると人間って苛々するもんだし、うきゃっ」
まるで米俵みたいに肩に担がれてしまったよ。
「ちょっと信吾さん、手っ!! 折れてる方の手に荷物持ったままだよっ」
「心配するな、指は折れてないんだから」
「そういう問題じゃないでしょ?! 下ろしてぇ」
そのままリビングに行くとソファにボスッと乱暴に下ろされた。
「もう、酷いよぉ」
「今日は随分と楽しいドライブだったそうじゃないか」
「え? ああ、うん。普段の倍以上の時間をかけてあっちこっち走ったから、途中でアイス奢ってもらっちゃった。あ、だからってそれで罰則とかしないであげてね。私がお願いしたんだし、退屈するだろって気を遣ってくれたのは矢野さんや下山さんなんだし」
ますます不機嫌そうな顔になっちゃうし。もう困った人だよ。
「ねえ、私、お腹空いちゃった」
「……まあいいか。これ、前に話していた寿司屋のなんだがな、暑い間はナマモノはやめた方が良いだろうと思って松花堂弁当にしてもらった。寿司はまた今度な」
「わーい。おすましだけ作っておいたんだけどそれで良いかな。あと矢野さんの奥さんに教えてもらって作った鶏ハムと塩だれがあるんだけど、ちょっと食べてみる?」
奥さんを強調して言ってみる。信吾さんは苦笑いしながら頷いた。
「分かった分かった。食べるよ。矢野の嫁は調理師の資格持ってるって聞いたか?」
「うん。だからどういうものを信吾さん達に食べさせたらいいのかってのを教えてもらってるんだ。なかなか勉強になるよ。じゃ、テーブルの用意するから着替えてきて」
お弁当が入った袋を受け取ると信吾さんを寝室へと押しやる。そしてご飯を食べ始めてから改めて今日の探偵さんのことを尋ねてみた。
「探偵さんに忠告するってところまでは分かったけど、それで本当にお父さんの奥さんって諦めるのかな?」
「普通なら諦めるだろうな。実際、奈緒の住所を調べさせていたことで防衛省で問題になったのは事実だし、早晩、当局からの警告が元妻の実家に行くだろう」
「本当の目的は私の居場所を知りたいってだけなのに?」
信吾さんは肩をすくめた。
「本当の目的が問題なんじゃない。外患の共謀罪で取り調べを受けた人間が、特作所属の俺の住所を調べさせたということが問題なんだ。まったく、その辺の重要性を全く分かっていなかったんだな、あの女は。取り調べの時に自分がどうして呼ばれたか説明された筈なのに」
「……ますます学校に突撃してきそうな気がしてきた」
しばらくは今まで通りに警戒しておかなくちゃ。
「はした金とは言わんが、どう考えても貰える筈がないモノの為に全てを失うことになるかもしれないのにな。全く金持ちの考えることは分からんよ」
「いやー……お金持ちの人でも分からないと思うよ、この人の考えていることなんて」
「学校はいつまでだ?」
「週明けに三日ほど何コマか行かなきゃいけない日があって、それ以後は夏休み」
「そうか。気をつけて行けよ」
「うん」
その時は思ってもみなかったんだよね、まさか本当に学校にまで突撃してくるなんてさ。
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