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東京・江田島編 GW
第一話 新年度
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新年度になればどこの省庁でも少なからず新しい人が入省してくるわけで、当然のことながら情報本部で入省一年目で一番下の私の下にも誰か入ってくるんだろうなって思ってた。
「え、今年は本省から誰もこっちにはこないんですか?」
堅田部長からの言葉に思わずそんな声をあげてしまった。高島さんから陸海空自衛隊の制服組からは何人か新しくやってくる人がいると聞いていた。だけど肝心の防衛省からの人間はゼロだなんてちょっとがっかりだ。
「脱最下層できると思っていたのに無念だ……」
ってことは今年一年も最年少の最下層住人で決定ってことになる。別に先輩風を吹かせたいわけじゃないし上の人達に偉そうにされているわけじゃないけれど、ちょっとがっかり。
「まあまあ。年齢と勤続年数が全てじゃないだろ?」
「そうですか? だけど年功序列って言葉は今も健在ですよね?」
それに少なくとも勤続年数によってもらえるお給料の額は違ってくるわけだし。
「自衛隊は実力主義だよ、建前的にはね」
「建前ってなんですか建前って。それにその話は制服組さんの話でしょ? こちらはお堅いお役人集団ですもの。余程のことがない限り退官するまで年功序列だと思います……」
私が憂鬱そうに溜め息をつくと堅田部長が少しだけ気の毒そうな顔をして笑った。
「まあ気持ちは分からなくもないよ。だが部署が部署なだけにそう簡単に人材を補充するわけにはいかないんだ。自衛隊からくる人間も陸海空の情報部にいた連中がほとんどで、こっちから元の部署に戻っていった人間の穴埋めとして最低限の補充しかしないんだから」
「その辺の事情は分かっていますけどね……」
情報本部は世界各地から様々な情報が入ってくる部署だ。それこそ超国家機密レベルの情報で日本の安全保障に直結するものが幾つも飛び込んでくる。だからここにくることを希望してもかなり厳しい身上調査をされてふるいにかけられるという噂だった。つまり今年度はその段階で希望者が全員ふるい落とされたってことになる。
「門真さんは既に重要な任務を任されたわけだし入省二年目にしては破格の待遇だと思うけどなあ。これって“余程のこと”じゃないのかな?」
部長が首を傾げながら言った。
「どこが破格かまったく実感できませんよ。お給料だってそんなに上がらなかったし」
「公務員の給与と昇給は法律で定められたものだから、そこに文句を言うなら国会議員に言わないと」
「分かってます。だけど言わずにはいられません。私、これから少なくとも二年間は遠距離何とかで出費がかさむばかりなんですから」
もちろんお金が惜しいから篠塚さんのところに会いに行く回数を減らそうとかそんなことを思っているわけじゃない。だけど昇給率だけ見ると「破格な待遇」とまでは思えない。あの時だって米俵みたいな扱いを受けただけなんだから。そりゃあ篠塚さんと出会えたことに対しては感謝しているけれど。
「ああ、そうだった。篠塚三尉は今年度から江田島だったね。ゴールデンウィークの新幹線のチケットは買ったかい?」
「はい。大型連休だから早めにとっておかないと立って行くことになるわよって高島さんに言われたので往復の特急券と乗車券をちゃんと買いました」
「そうか。門真さんには優秀な礼さんがついているから愚問だったかな」
「そこでさりげなく惚気ないでください」
「惚気てなんていないよ。礼さんが優秀なのは本当だから」
そう答えた部長の顔がヘニャッとだらしなくにやけたものになった。
なんで気がつかなかったのかなあ、私。二人が夫婦だったことを知った後に改めて部長が高島さんのことを話している時を注意深く観察してみたら、とにかく部長の惚気方が凄いってことに気がついた。なにがどう凄いのかうまく説明できないんだけど、惚気るチャンスは絶対に逃さないと言うかとにかく部長の惚気のタイミングは凄いの一言に尽きる。そしてそれがまったく嫌味じゃないところが摩訶不思議なところだった。
「さて、じゃあそろそろ仕事の顔に戻ろうか。こんなところを見られたら君達は遊んでいるのかって偉い人に叱られちゃうからね」
「はい」
部長と私がやって来たのは首相官邸。部長が保安ゲートで防衛省情報本部から訪問したことを告げて警備担当者がそれを確認する。それから身分証明書を提示して入館許可証をもらって首から下げると中に入った。
少し前に入館パスの発行を乱発した政権があったために官邸のセキュリティは一事期かなり酷かったらしく、今はそのようなことが二度とないようにと以前よりかなり厳重になったと聞いている。とは言え私達にとってはこの程度のことはいつものことなので特に厳しくなったとは思わないんだけど、中にはそう思わない人達もいるってことらしい。
私からしたら一国の総理が仕事をする場所なんだもの、入るのにはあれこれ複雑な手続きが必要になるのは当然のことなんじゃないの?って思うんだけどな。
「門真さんは初めてだったね、ここに入るのは」
「はい。思っていたより静かですね。もっとザワザワしているのかと思っていました」
「まあ今は特に何も起きていないからね。これが災害が起きたり何処かの国からミサイルが飛んだりするとそりゃもう凄いことになるから」
年末のあの事件の時もきっとここは凄かったんだろうなあと思いながら部長の後ろをついていく。会議室に入ると与党の防衛部会の議員さん達が既に席に着いて待っていた。テレビで見たことしかないような議員先生達の姿を間近に見て少しだけ緊張してしまう。
「落ち着いて門真さん。先生達は君に噛みついたりしないよ。噛みつくとしたら僕か幕僚総監部の人間にだ」
部長は囁くように言うと私達が座ることになっている席へと向かった。
「持ってきた資料を配りますね」
「頼む」
持ってきたカバンに入れてあった資料をそれぞれの議員さん達の前に置いていく。殆どの議員さんは軽く頷くだけでこちらのことを見ようともしなかった。これなら噛みつかれる心配はしないでも良さそう。配り終えて私が席に着いてしばらくすると総理が部屋にやって来た。全員がさっと立ち上がる。
「今日はこちらの部会に顔を出す予定はなかったのですが、時間が空いたので出席させてもらうことにしました。皆さん、座ってください。では防衛部会の定例会を始めるとしましょう」
総理がそう言うと横に座っていた重光防衛大臣が頷いて部長の方を見た。
「では堅田二佐、周辺諸国の軍事行動と治安状況の説明を」
「分かりました。手元にお配りした資料をご覧ください」
総理大臣と言えば与党総裁で政府のトップ。そして何か有事が起きた場合は自衛隊の最高司令官となる人だ。
だからカメラの前では愛想良くしていても、実際はもっと偉そうにふんぞり返って報告を聞くだけの人だとばかり思っていた。でも実際はまったく違う。今も堅田部長の報告を熱心に聞きながら資料に目を通し、時々横に座る補佐官に紙面を指さして何か囁いていた。補佐官はそれに合わせてペンで線を引いている様子。きっと後で何か質問をするつもりでいるんだろう。
部長が報告を終えると、次は外務省の人がそれを補足する形で現地からの大使館経由の情報を付け加えていく。途中で部長が「おいおいそんな話聞いてないぞ」と何度か呟きながら首を小さく横に振った。なんだかんだ言いながらもそれぞれの省庁の縄張り意識は健在らしい。
「門真さん、戻ったらさっきの話の裏取り頼む」
外務省の報告が終った時に部長が走り書きをしたメモ書きを私に渡しながらコソコソと囁いた。
「分かりました」
あちらの単なる伝達ミスなのかたまたま会合の直前に入ってきた情報なのか、その点はきちんとしておかないといけない。馬鹿げた縄張り意識で情報が滞ってしまうことはよろしくないのだから。
その後は議員先生達の質問タイムとなった。もちろん最初に質問をしたのは総理ご自身だ。
その話を聞いていて分かったことは、多くの有益な情報を集めて報告してもそれを正しく利用できる人がいないと宝の持ち腐れなんだろうなってこと。もちろん議員先生が無能集団だと言っているわけじゃなくて日本とその国との繋がり、日本企業とその国の企業との繋がり、とにかくそういった様々な複雑な関係が絡み合っているから自衛隊で言うところの「即時行動」は国民が考えているほど簡単には出来ないってことだ。
―― 篠塚さんがこんな話し合いに参加していたら苛々して無茶苦茶怖い顔になりそう…… ――
最初に会った時の超絶不機嫌な顔を思い出して口元がむにゅむにゅとなる。
それから数時間、話し合いは政治的レベルの段階になって、私達が口出しをする次元の話ではなくなったところで今回の会合はお開きになった。恐らくここからは議員先生達が次官級の人達と頭を突き合わせて話し合うことになるんだと思う。そろそろ解散だと言われて部長がホッと息をついたのが分かった。
「ここからは先生達の仕事だ。僕達の仕事はここまで。提出した情報をきちんと役立ててくれれば良いんだけどね」
「そうですね」
「堅田二佐」
そう言いながら立ち上がったところで、三幕僚の方々を引き連れた重光防衛大臣が声をかけきたので二佐はやれやれと顔をしかめてみせた。もちろん大臣には見えないように私の方に顔を向けて。
「重光大臣、何かお持ちした情報に不備でも?」
「いや。情報本部が提出してくれた情報にはおおむね満足している。外務省との連携がたまに断線しているところが気にはなったが」
「単純な連絡ミスだとは思いますが戻りしだい確認させます」
「よろしく頼む。こちらからもあちらの担当者に念押しをしておくそうだ」
大臣がチラリと視線を向けた先では、外務大臣の先生が外務省から来た担当の人に何やら厳しい顔をして話しかけているのが見えた。
「私はあそこまで厳しく言うつもりはないから心配はないよ、今回はね」
大臣が私の方を見てニッコリと笑う。今回はってことは厳しく言われることもあるわけだ。満足度も「おおむね」だったし、これからもきちんと情報漏れがないように気をつけなきゃ。
「では何事でしょうか」
「二佐が珍しく補佐を連れてきたと聞いたのでね。君達が帰ってしまう前に挨拶をしておこうと思って」
その言葉になるほどと部長が頷く。そして私の背中に手を回して四人の前に押し出した。いきなり大臣と陸海空の三幕僚の方々の目の前に立たされて顔が引きつる。
「門真です。まだ入省して二年目ですが“色々な面”で大いに期待できる人間だと」
「そうか。門真さん、大変だろうとは思うがこれからもよろしく頼むよ」
そう言えばあのJJおじさんとの“観光”の時、私はそこにいたはずの大臣とも三幕僚のお偉い方たちとも顔を合わせていなかった。部長の言う“色々な面”とはその時のことなんだと思う。
「は、はい。わざわざのお声がけをありがとうございます。これからも国民の安心安全のために精進いたします」
「うむ、よろしく頼む。……ところで二佐、これから我々は食事をしに行くんだが君達も一緒にどうだい?」
意外な申し出に思わず部長の顔を見てしまった。そりゃあ少しでも出世払いの借金を減らしたいのなら大臣や幕僚総監部の偉い人と懇意にしておくことは損のないことだとは思う。だけどこんなに偉い人達と一緒にご飯だなんてきっと食べた気になれないよ。私としてはもう少しの間は気心の知れた部長や高島さんと牛丼屋さんで牛丼を食べたい気分。
「お誘いは大変ありがたいのですが我々は先ほどの件の確認を含めてまだやるべきことがありますので。申し訳ありませんがお食事はまたの機会に」
「そうか。分かった。世界情勢は刻々と動いているからね。ではまたの機会に」
四人が揃って部屋を出ていくのを見届けてからホッと息をはいた。
「国会議員とお昼ご飯だなんて、皆さん、食べた気になれるんでしょうか」
「そりゃあ階級が将ともなれば政治的な駆け引きも必要になってくるしその手の人達とも会う機会が増えてくる。慣れなんじゃないかな。ま、僕にはとても出来そうにないけどね」
「私もですよ……。超高級な和牛とか食べさせてくれるって誘われても味が分かりそうにありません」
それは間違いなく。
「だったらどうかな。防衛省の近くに礼さんお勧めの小さな食堂があるんだ。そこのカツ丼は美味しいらしいよ?」
「行きます行きます! もしかして部長のおごりですか?」
「もちろん」
部屋を出たところで部長が私を見てニッコリと微笑んだ。
「それで門真さん、入省二年目にして防衛大臣と三幕僚に名前を覚えてもらう機会があったなんて待遇良いと思わないかい?」
そう言われて少しだけ考え込む。でも既に私の頭の中はカツ丼でいっぱいだ。
「それより私はカツ丼をおごってもらえることの方が待遇が良くなった気がします」
「それはそれは。門真さんの口に合うと良いんだけど」
部長はそう言って笑った。
「え、今年は本省から誰もこっちにはこないんですか?」
堅田部長からの言葉に思わずそんな声をあげてしまった。高島さんから陸海空自衛隊の制服組からは何人か新しくやってくる人がいると聞いていた。だけど肝心の防衛省からの人間はゼロだなんてちょっとがっかりだ。
「脱最下層できると思っていたのに無念だ……」
ってことは今年一年も最年少の最下層住人で決定ってことになる。別に先輩風を吹かせたいわけじゃないし上の人達に偉そうにされているわけじゃないけれど、ちょっとがっかり。
「まあまあ。年齢と勤続年数が全てじゃないだろ?」
「そうですか? だけど年功序列って言葉は今も健在ですよね?」
それに少なくとも勤続年数によってもらえるお給料の額は違ってくるわけだし。
「自衛隊は実力主義だよ、建前的にはね」
「建前ってなんですか建前って。それにその話は制服組さんの話でしょ? こちらはお堅いお役人集団ですもの。余程のことがない限り退官するまで年功序列だと思います……」
私が憂鬱そうに溜め息をつくと堅田部長が少しだけ気の毒そうな顔をして笑った。
「まあ気持ちは分からなくもないよ。だが部署が部署なだけにそう簡単に人材を補充するわけにはいかないんだ。自衛隊からくる人間も陸海空の情報部にいた連中がほとんどで、こっちから元の部署に戻っていった人間の穴埋めとして最低限の補充しかしないんだから」
「その辺の事情は分かっていますけどね……」
情報本部は世界各地から様々な情報が入ってくる部署だ。それこそ超国家機密レベルの情報で日本の安全保障に直結するものが幾つも飛び込んでくる。だからここにくることを希望してもかなり厳しい身上調査をされてふるいにかけられるという噂だった。つまり今年度はその段階で希望者が全員ふるい落とされたってことになる。
「門真さんは既に重要な任務を任されたわけだし入省二年目にしては破格の待遇だと思うけどなあ。これって“余程のこと”じゃないのかな?」
部長が首を傾げながら言った。
「どこが破格かまったく実感できませんよ。お給料だってそんなに上がらなかったし」
「公務員の給与と昇給は法律で定められたものだから、そこに文句を言うなら国会議員に言わないと」
「分かってます。だけど言わずにはいられません。私、これから少なくとも二年間は遠距離何とかで出費がかさむばかりなんですから」
もちろんお金が惜しいから篠塚さんのところに会いに行く回数を減らそうとかそんなことを思っているわけじゃない。だけど昇給率だけ見ると「破格な待遇」とまでは思えない。あの時だって米俵みたいな扱いを受けただけなんだから。そりゃあ篠塚さんと出会えたことに対しては感謝しているけれど。
「ああ、そうだった。篠塚三尉は今年度から江田島だったね。ゴールデンウィークの新幹線のチケットは買ったかい?」
「はい。大型連休だから早めにとっておかないと立って行くことになるわよって高島さんに言われたので往復の特急券と乗車券をちゃんと買いました」
「そうか。門真さんには優秀な礼さんがついているから愚問だったかな」
「そこでさりげなく惚気ないでください」
「惚気てなんていないよ。礼さんが優秀なのは本当だから」
そう答えた部長の顔がヘニャッとだらしなくにやけたものになった。
なんで気がつかなかったのかなあ、私。二人が夫婦だったことを知った後に改めて部長が高島さんのことを話している時を注意深く観察してみたら、とにかく部長の惚気方が凄いってことに気がついた。なにがどう凄いのかうまく説明できないんだけど、惚気るチャンスは絶対に逃さないと言うかとにかく部長の惚気のタイミングは凄いの一言に尽きる。そしてそれがまったく嫌味じゃないところが摩訶不思議なところだった。
「さて、じゃあそろそろ仕事の顔に戻ろうか。こんなところを見られたら君達は遊んでいるのかって偉い人に叱られちゃうからね」
「はい」
部長と私がやって来たのは首相官邸。部長が保安ゲートで防衛省情報本部から訪問したことを告げて警備担当者がそれを確認する。それから身分証明書を提示して入館許可証をもらって首から下げると中に入った。
少し前に入館パスの発行を乱発した政権があったために官邸のセキュリティは一事期かなり酷かったらしく、今はそのようなことが二度とないようにと以前よりかなり厳重になったと聞いている。とは言え私達にとってはこの程度のことはいつものことなので特に厳しくなったとは思わないんだけど、中にはそう思わない人達もいるってことらしい。
私からしたら一国の総理が仕事をする場所なんだもの、入るのにはあれこれ複雑な手続きが必要になるのは当然のことなんじゃないの?って思うんだけどな。
「門真さんは初めてだったね、ここに入るのは」
「はい。思っていたより静かですね。もっとザワザワしているのかと思っていました」
「まあ今は特に何も起きていないからね。これが災害が起きたり何処かの国からミサイルが飛んだりするとそりゃもう凄いことになるから」
年末のあの事件の時もきっとここは凄かったんだろうなあと思いながら部長の後ろをついていく。会議室に入ると与党の防衛部会の議員さん達が既に席に着いて待っていた。テレビで見たことしかないような議員先生達の姿を間近に見て少しだけ緊張してしまう。
「落ち着いて門真さん。先生達は君に噛みついたりしないよ。噛みつくとしたら僕か幕僚総監部の人間にだ」
部長は囁くように言うと私達が座ることになっている席へと向かった。
「持ってきた資料を配りますね」
「頼む」
持ってきたカバンに入れてあった資料をそれぞれの議員さん達の前に置いていく。殆どの議員さんは軽く頷くだけでこちらのことを見ようともしなかった。これなら噛みつかれる心配はしないでも良さそう。配り終えて私が席に着いてしばらくすると総理が部屋にやって来た。全員がさっと立ち上がる。
「今日はこちらの部会に顔を出す予定はなかったのですが、時間が空いたので出席させてもらうことにしました。皆さん、座ってください。では防衛部会の定例会を始めるとしましょう」
総理がそう言うと横に座っていた重光防衛大臣が頷いて部長の方を見た。
「では堅田二佐、周辺諸国の軍事行動と治安状況の説明を」
「分かりました。手元にお配りした資料をご覧ください」
総理大臣と言えば与党総裁で政府のトップ。そして何か有事が起きた場合は自衛隊の最高司令官となる人だ。
だからカメラの前では愛想良くしていても、実際はもっと偉そうにふんぞり返って報告を聞くだけの人だとばかり思っていた。でも実際はまったく違う。今も堅田部長の報告を熱心に聞きながら資料に目を通し、時々横に座る補佐官に紙面を指さして何か囁いていた。補佐官はそれに合わせてペンで線を引いている様子。きっと後で何か質問をするつもりでいるんだろう。
部長が報告を終えると、次は外務省の人がそれを補足する形で現地からの大使館経由の情報を付け加えていく。途中で部長が「おいおいそんな話聞いてないぞ」と何度か呟きながら首を小さく横に振った。なんだかんだ言いながらもそれぞれの省庁の縄張り意識は健在らしい。
「門真さん、戻ったらさっきの話の裏取り頼む」
外務省の報告が終った時に部長が走り書きをしたメモ書きを私に渡しながらコソコソと囁いた。
「分かりました」
あちらの単なる伝達ミスなのかたまたま会合の直前に入ってきた情報なのか、その点はきちんとしておかないといけない。馬鹿げた縄張り意識で情報が滞ってしまうことはよろしくないのだから。
その後は議員先生達の質問タイムとなった。もちろん最初に質問をしたのは総理ご自身だ。
その話を聞いていて分かったことは、多くの有益な情報を集めて報告してもそれを正しく利用できる人がいないと宝の持ち腐れなんだろうなってこと。もちろん議員先生が無能集団だと言っているわけじゃなくて日本とその国との繋がり、日本企業とその国の企業との繋がり、とにかくそういった様々な複雑な関係が絡み合っているから自衛隊で言うところの「即時行動」は国民が考えているほど簡単には出来ないってことだ。
―― 篠塚さんがこんな話し合いに参加していたら苛々して無茶苦茶怖い顔になりそう…… ――
最初に会った時の超絶不機嫌な顔を思い出して口元がむにゅむにゅとなる。
それから数時間、話し合いは政治的レベルの段階になって、私達が口出しをする次元の話ではなくなったところで今回の会合はお開きになった。恐らくここからは議員先生達が次官級の人達と頭を突き合わせて話し合うことになるんだと思う。そろそろ解散だと言われて部長がホッと息をついたのが分かった。
「ここからは先生達の仕事だ。僕達の仕事はここまで。提出した情報をきちんと役立ててくれれば良いんだけどね」
「そうですね」
「堅田二佐」
そう言いながら立ち上がったところで、三幕僚の方々を引き連れた重光防衛大臣が声をかけきたので二佐はやれやれと顔をしかめてみせた。もちろん大臣には見えないように私の方に顔を向けて。
「重光大臣、何かお持ちした情報に不備でも?」
「いや。情報本部が提出してくれた情報にはおおむね満足している。外務省との連携がたまに断線しているところが気にはなったが」
「単純な連絡ミスだとは思いますが戻りしだい確認させます」
「よろしく頼む。こちらからもあちらの担当者に念押しをしておくそうだ」
大臣がチラリと視線を向けた先では、外務大臣の先生が外務省から来た担当の人に何やら厳しい顔をして話しかけているのが見えた。
「私はあそこまで厳しく言うつもりはないから心配はないよ、今回はね」
大臣が私の方を見てニッコリと笑う。今回はってことは厳しく言われることもあるわけだ。満足度も「おおむね」だったし、これからもきちんと情報漏れがないように気をつけなきゃ。
「では何事でしょうか」
「二佐が珍しく補佐を連れてきたと聞いたのでね。君達が帰ってしまう前に挨拶をしておこうと思って」
その言葉になるほどと部長が頷く。そして私の背中に手を回して四人の前に押し出した。いきなり大臣と陸海空の三幕僚の方々の目の前に立たされて顔が引きつる。
「門真です。まだ入省して二年目ですが“色々な面”で大いに期待できる人間だと」
「そうか。門真さん、大変だろうとは思うがこれからもよろしく頼むよ」
そう言えばあのJJおじさんとの“観光”の時、私はそこにいたはずの大臣とも三幕僚のお偉い方たちとも顔を合わせていなかった。部長の言う“色々な面”とはその時のことなんだと思う。
「は、はい。わざわざのお声がけをありがとうございます。これからも国民の安心安全のために精進いたします」
「うむ、よろしく頼む。……ところで二佐、これから我々は食事をしに行くんだが君達も一緒にどうだい?」
意外な申し出に思わず部長の顔を見てしまった。そりゃあ少しでも出世払いの借金を減らしたいのなら大臣や幕僚総監部の偉い人と懇意にしておくことは損のないことだとは思う。だけどこんなに偉い人達と一緒にご飯だなんてきっと食べた気になれないよ。私としてはもう少しの間は気心の知れた部長や高島さんと牛丼屋さんで牛丼を食べたい気分。
「お誘いは大変ありがたいのですが我々は先ほどの件の確認を含めてまだやるべきことがありますので。申し訳ありませんがお食事はまたの機会に」
「そうか。分かった。世界情勢は刻々と動いているからね。ではまたの機会に」
四人が揃って部屋を出ていくのを見届けてからホッと息をはいた。
「国会議員とお昼ご飯だなんて、皆さん、食べた気になれるんでしょうか」
「そりゃあ階級が将ともなれば政治的な駆け引きも必要になってくるしその手の人達とも会う機会が増えてくる。慣れなんじゃないかな。ま、僕にはとても出来そうにないけどね」
「私もですよ……。超高級な和牛とか食べさせてくれるって誘われても味が分かりそうにありません」
それは間違いなく。
「だったらどうかな。防衛省の近くに礼さんお勧めの小さな食堂があるんだ。そこのカツ丼は美味しいらしいよ?」
「行きます行きます! もしかして部長のおごりですか?」
「もちろん」
部屋を出たところで部長が私を見てニッコリと微笑んだ。
「それで門真さん、入省二年目にして防衛大臣と三幕僚に名前を覚えてもらう機会があったなんて待遇良いと思わないかい?」
そう言われて少しだけ考え込む。でも既に私の頭の中はカツ丼でいっぱいだ。
「それより私はカツ丼をおごってもらえることの方が待遇が良くなった気がします」
「それはそれは。門真さんの口に合うと良いんだけど」
部長はそう言って笑った。
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