彼と私と空と雲

鏡野ゆう

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小ネタ

アグレス司令が俺の足を踏みにやってきた

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 文字通り、アグレスの司令が、俺の足を踏みにやってきた。

「なあ」
「なんだ」

 俺の足の上に乗った足を見つめながら、足の持ち主に問い掛ける。

「なんで俺の足なんだ?」
「さて。どうしてだろうな」
「理由もなく踏みに来てたのかよ!」

 思わずツッコミを入れた。

「そういうわけでもない。最初にお前の足を踏んだせいか、義足のフィット具合はお前の足で試してみないと判断がつかんのだ」
「それ、真面目に言ってるのか?」
「ああ」
八重樫やえがし桧山ひやまじゃダメなのか」
「最初に踏んだのがお前の足だからな」

 そう言いながら、榎本えのもとは真面目な顔をして俺の足を踏んでいる。まあ靴を脱いで踏んでいるのだから、それなりに気をつかってはいるんだろう。……いや、気をつかっているなら、そもそも踏まないだろ、普通。

「だからって、わざわざ横田よこたくんだりまで来るなよ」
小松こまつから横田なんて、目と鼻の先だろ」
「飛べばな」
「ああ。飛んできた」

 さんざん俺の足を踏んだヤツは満足したのか、よろしいとばかりにうなづいて靴をはいた。こいつがこんなふうに、俺の足を踏みに来るようになってかなり経つ。最初はいつだったか、新しい義足ができたと見せに来て、よろけて俺の足を踏んだのが始まりだった。

「まったく。執務室でコソコソとなにしてるんだって、噂になってんだぞ」
「別になにもしてないから問題ないだろ」
「また悪巧みでもしてんじゃないかって、あらぬ噂が流れてるんだよ」
「悪巧みと言えば」
「人の話、聞いてるか?」

 俺の言葉をスルーして、榎本はデスクの前にあるソファに座る。

「お前、副官殿を困らせてるそうじゃないか」
「は? 別に困られてないぞ。俺は真面目にここで仕事をしている」

 ここは横田にある航空総隊。どうしてそうなったか知らないが、ヘルニアの手術をして退院したとたん、八重樫に拉致されて、ここに引きずってこられた。広報課以上に窮屈な部署はないと思っていたが、ここはそれ以上だ。毎日毎日、机の上に積み上がる書類を見ているとウンザリする。これだったら、広報課にいたほうが良かったか?と思わないでもない。

「どうだかな」
「どういうことだ」

 目の前の榎本が意味深な笑みを浮かべた。

「副官殿の余計な仕事を増やしているって、副官殿自身から聞いたぞ?」
「別に余計な仕事なんてないだろ。ここで作られる書類は、すべて必要なものだ」
「お前がここの主になってから、ここから提出される飛行計画書の提出が倍増したって話だがな」
「飛行資格のためには必要な時間だぞ? 事務方になっても飛んでいる人間は俺だけじゃない」
「通常の二倍近いらしいがな」
瀬田せただって飛ぶ必要があるから、ちょうどいいんだよ」

 瀬田とは、ここで俺の副官をしている防大出の坊やのことだ。将来は空幕に行くことを目指し、早くに第一線から退いた三佐殿。一線から退いても、資格保持のために毎年ある程度は飛ぶ必要がある。だが二倍か。そこまで増えているとは気がつかなかったな。

「往復で交代して操縦桿を握っているから、問題ないだろ?」
「ここでの仕事は、飛ぶことが主体じゃないだろ?」
「お前だって飛んでるだろ」
「ほとんどシミュレーターで、お前ほど好き勝手に飛んでないぞ」
「どうだかな」

 お見通しだとばかりに言ってやったら、俺が何のことを言っているのか察したのかニヤッと笑った。

「そんなに飛びたいなら、それなりの副官をつけろよ。瀬田には荷が重すぎる」
「荷が重すぎるって、あいつだってパイロットとしては優秀だぞ? 今度、お前も後ろに乗ってみるか?」
「遠慮する。とにかく、飛びたがりのお前の副官には不向きだよ、あいつは。真面目すぎる」

 テーブルの上に放置されている湯呑みに手を伸ばす。真面目すぎるって、いったい俺をなんだと思っているんだ、こいつは。

「お前向きの副官を見つけたんだ。しばらく使ってやってくれ」
「お前の知り合いか?」
「今年度まで防空任務に就いていた元アグレスだ。パイロットとしての腕も良いし、事務的な面でも優秀だ。お前の無茶なリクエストにも応えてくれるだろ」
「そいつも空幕を目指してるのか?」
「お前を相手に修行をすれば、上のタヌキ達とも互角に渡り合えるようになるだろう」

 そう言って、ケラケラと笑った。元アグレスか。一体どんなヤツが来るのか楽しみだ。


+++


「お前が教導隊の司令になるなんてなあ」
「まさかこの年になって、あそこに戻るとは思わなかったな」

 榎本が早々に小松に戻るというので、エプロンまで見送りに出た。こいつ、本当に俺の足を踏むためだけに、小松からここまで飛んできたのか?

「お前には似合ってるよ、アグレス」
「それ、ほめてるんだよな?」
「もちろんだ」

 現役で飛んでいた時は、よく榎本を相手に『性悪のアグレスめ』と悪態をついたものだ。

「しかしお前、足を失ってもあまり人生、変わってないよな」
「そんなことないだろ。アグレスに戻ることにはなったが、義足にならなかったら岐阜ぎふ基地に行くこともなかったし、整備畑に行くことはなかったわけだから」
「まあ、それはそうか」
「それにだ、お前がF-2に機種転換することもなかったんじゃないか?」

 たしかにあの時、こいつに声をかけられなかったら、俺は機種転換をすることなんて考えもせず、千歳ちとせ基地でイーグルを飛ばしていただろう。

「ああ、それは言えてるか」
「そして人間性はともかく、そのF-2を飛ばしていたお前に感銘を受けた但馬たじまが頑張ることもなかった。つまり、いまのアグレス部隊の編成はなかったわけだな。お前の影響力もなかなかだぞ、葛城かつらぎ
「さりげなく失礼だな、お前。但馬って、お前が釣り上げた三沢みさわのヤツだよな?」
「隊長の笠原かさはらが目をつけたんだ。俺はなにも言ってない」
「だが、お前のメガネにかなったんだろ?」

 榎本がニヤッと笑った。

「若いころのお前に似て、飛び方がトリッキーで面白いヤツだ。鍛えがいがある」
「まーた厄介なアグレスが増えるのかよ。勘弁してくれ……」

 こいつが司令になってから、どんどんアグレスが厄介な集団になっていくと、上の連中が噂している。まあ、俺はもう教導される身ではないから、気楽なもんだが。

「別に、お前のように笑いながら飛ぶわけじゃないから安心しろ」
「まだそれを言うのか」
「あれは伝説だからな」

 昔のちょっとしたおふざけが、いつのまにか尾びれ背びれがついて、大袈裟おおげさな話になっているのには驚く。俺がそう言うと、いつも榎本達は『そう思っているのはお前だけだ』と言うのだが。

「ああ、それと榎本」

 整備員からヘルメットを受け取った榎本が振り返った。

「なんだ」
「いくら元技術屋のしゅうとさんの頼みだからって、そう頻繁ひんぱんに義足を新しくするな。新しくなるたびに、お前に足を踏まれる俺の身にもなれ」

 俺がそう言うと、榎本が愉快そうに笑った。

「じゃあ、次に新しい義足の試作品ができたら、お前をこっちに呼んでやるよ。嬉しいだろ? 飛ぶ理由ができて?」
「それ、俺が足を踏まれるのは変わらないじゃないか」
「ま、そうとも言うな」

 ニヤッと笑うと、じゃあなと言ってエプロンで待機しているT-4へと歩いていく。今日のお供は、どうやら三沢から来たルーキー君のようだ。

「……俺に似てるって、一体とんな飛び方してるんだ?」

 少しばかり興味がわく。榎本の義足のことはともかく、次の行き先は決まった、小松だ。そんなことを考えてニヤニヤしながら、飛び立っていくT-4を見送った。
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