俺の彼女は中の人

鏡野ゆう

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本編

第二十四話 マツラー君、海の男に襲われる?

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『帰港予定は海の日イベント初日の予定。夏の長期休暇は盆以降の予定。要相談』

 佐伯さんからそんなメールが届いたのは七月に入ってしばらくしてからのこと。ハードな編集スケジュールで進めていた夏の広報誌が無事に発行されてホッと一息ついた日のことだった。その日は海の日のイベントということで去年と同様にマツラー君も参加する予定。ってことはまたマツラー君のままで佐伯さんと会うことになっちゃうのかな。

「……あれ?」

 当日の私というかマツラー君の予定をメールで返信してから首を傾げてしまった。今まで帰港日なんて知らせてきたことあった? もしかして今回が始めてかもしれない。あ、これはもしかして私の立場が少し昇格したっぽい? だったらちょっと嬉しいかな。いや、だけど良いのかな、本当に知らせてきちゃって。

「どうかした?」

 武藤さんの問いかけに慌てて何でもないですと答えると携帯を閉じてバッグの中に仕舞い込む。メールで知らせてくれたことが良いのか悪いのかの判断は私よりも佐伯さんの方が分かっているだろうから、そのことで心配するのはよしておこう。取り敢えず私は他の人に言わないでおくってことで大丈夫だよね。夏休みに関してはお盆以降の予定か、じゃあこっちもその予定で申請するつもりでいよう。

 そしてその日から海の日のイベントまでの二週間をカレンダーを眺めながら過ごすことになった。もしかしたら去年みたいに真っ黒に日焼けしているかな?とか、遊びに行った訳じゃないのは分かっているのにパイナップル君以外にお土産あるかな?とか、そんなことを考えてニマニマしながら。


+++++


 そして海の日イベントの初日。

 考えてみたら初めて佐伯さんと会ったのは一年前のこのイベントで、私も今みたいにマツラー君の中の人をしていた。あの時バイト君が熱中症で病院に担ぎ込まれなかったら私はここに来なかった訳で、来なければ佐伯さんと出会うことも無かった。勿論その後のお見合いパーティで顔を合わせることにはなったのかもしれないけど、ここで会ってなかったらこんな風にお付き合いをしていなかったかもしれない。そう考えると人の出会いって本当に不思議な偶然なんだなって思う。もちろん先輩な神様の後押しも大きかったんだけどね。

「しかし今日も相変わらずあっついなあ……」

 イベント一週間前からこれでもかって言うぐらいの雲一つ無い晴天が続いている。朝の天気予報では雷を伴った急な夕立に注意が必要ですなんてお天気お姉さんが言っていたけど、この辺一帯はその気配すら無くて日本独特の梅雨と湿気は何処へ?な状態。去年と違って今年は初日からの二日間をここで過ごすので、暑さのせいで既にちょっと萎れ気味な私としてはもう一日これが続くのかと思うとちょっと憂鬱だ。晴れているのはイベント的には嬉しいけどやっぱり中の人の立場からすると多少は曇っていてくれた方が良かったかな…。持ち込んでいたスポーツドリンクを飲みながら溜息をついてしまった。

 腕時計を見ればもうすぐ三十分。ちょっとしたサウナ状態のマツラー君の中に入ったまま炎天下に立っていられるのは長くて三十分程度で、こまめな水分補給とテントへの避難をしないとそれこそ去年のバイト君の二の舞になってしまう。マツラー君がテントの中に引っ込んでいる時にブースにやって来た子供達はガッカリしているみたいだけど、救急車で運ばれないようにするにはそれなりに自衛も必要だからその辺は勘弁してほしいかな。マツラー君、いつもは頑張っているけど夏はちょっと苦手だっていう設定を付け加えた方が良いかもしれない。

「会いたかったよ、マツラー」

 そんな声がしていきなりマツラー君ごと抱き締められたのは、何度目かの休憩を挟んだ後に子供達の相手をしていた時だった。声からして佐伯さんであることは間違いなくて、こんな寸胴な子をしっかり抱き締めることが出来るなんて本当に身長差とか体格差って偉大だなって変なところで感心してしまう。

 マツラー君の周辺に集まってきていた子供達はいきなりマツラー君に抱きついた見知らぬ制服を着た大きなお兄さんに驚いているようだけど、大きなお兄さんが抱きついているものだから自分達も抱きつく!なんていう変なスイッチが入っちゃったみたいでキャーキャー奇声をあげながらお腹の辺りにペタリと引っ付いてくる子が何人かいた。集団心理って怖いよね。しかも子供って意外と容赦ないからマツラー君もみくちゃです。冬場なら押しくら饅頭も大歓迎だけど真夏の炎天下にこれはちょっと辛い。それと、子供達はともかく佐伯さんの抱き締め方に問題があるのか彼の全体重がかかってきているみたいで物凄く重たいかも……。

「こうやって会うのも久し振りだよね」

 ヒソヒソっていう佐伯さんの囁き声がマツラー君越しに聞えてくる。見たところ制服を着たままなのにマツラー君に抱きつくとかそんな派手なことして良いのかしら?とちょっと心配になる。年に一度のお祭りだからある程度は無礼講なのかな。

「……(オカエリナサイ)」
「ただいま。この見てくれが可愛いっていうのもあるけど、中に大事な人がいるって分かってるせいもあって本当にマツラーが愛しいよ」
「……(アリガトウゴザイマス、デモマツラー君ハ男ノ子デスカラネ)」
「分かってるよ、杏奈さんが男の子じゃない限りは問題なし」

 かもじゃなくて真面目に重たくなってきました、佐伯さん。目一杯抱き締めてくるのは良いとして身長差があるんだから頭上からの加重が半端ないですよ!! 縮んじゃう、絶対に私の身長、一センチぐらい縮んじゃってると思う!!

「オモターイ!!」

 とうとう我慢できなくて声を上げながらジャンプしてしまった。中の私は頑張ってジャンプしたけど外から見た感じではきっとマツラー君は何か喚いて体を上下に揺らした程度にしか見えなかったと思う。それと周囲の人達には海上自衛隊の制服を着た大きなお兄さんとマツラー君が何やら面白いことをしているって思われているらしくて、飛び跳ねている(つもり)マツラー君とその頭の上に覆い被さっている佐伯さんを皆がニコニコしながら遠巻きに眺めていた……いや、あの目つきは生温かく見守っていると言った方が良いのかもしれない。ほら、そこのお客さん他人事だと思ってるてしょ? 皆さんも佐伯さんに同じことをされたら良いと思いますよ? 絶対に身長が縮んでいるだろうから!!

「マツラー君のこと、苛めちゃダメッ!!」

 そんな声が後ろからしたものだから佐伯さんは驚いて振り返る。そこにはの小さい男の子が三人。一番先頭にいるのはその中で一番お兄ちゃんらしい小学生低学年と思われる男の子だ。

「マツラー君、苛めちゃダメなんだよ、まだ小さい子なんだから!!」
「えーと、苛めているわけじゃなくて……」
「いま頭グリグリして苛めてた」
「ああ、これはね、いい子いい子してたんだよ」

 そう言いながらマツラー君の頭を撫でているらしい佐伯さんは、多分いつも以上に人畜無害な笑顔を浮かべているに違いない。だけどそんな彼のことをちょっと胡散臭げに見上げている男の子。うんうん、そうだよね、さっきのは絶対に頭グリグリじゃなくてマツラー君の身長を縮めようとしている風に見えるよね? それは苛めているのと同じだよね? マツラー君は心強い味方の出現にちょっと嬉しくなって跳ねながら男の子の頭を撫でた。

「俺、マツラー君のこと苛めてるように見える? 可愛いくて好きだからこうやって抱っこしているんだけど」
「……なんか違う……」

 そう呟いた男の子がこっちを見上げる。

「マツラー君、大丈夫? 苛められてない? パパとママは弱い者いじめはダメだって言ってるよ?」

 その問いにピタリと動きを止める。うーん、確かに重たいけど弱い者いじめとは違うかな?

「ほら、マツラー君も弱い者いじめじゃないって思ってるよ」
「本当に?」

 これ以上あれこれ話が長引くと色々と厄介なことになりそうだからそろそろ切り上げないといけないかな。それにもう三十分経つからテントで休憩する時間でもあるし。そう考えてマツラー君は佐伯さんの手を掴んで手を繋いだ状態で体を揺らして見せた。つまりは仲良しのお友達アピールってやつ。こういうのって不思議と子供達は直ぐに理解してくれるんだよね。

「仲良しだと男同士でもたまに肩を組んだりするだろ? あれと同じだよ。俺とマツラー君は仲良しだから。な?」

 どうやら佐伯さんにも私の切り上げるという意図は伝わったみたいで、その問い掛けに体を揺らして頷いた。

「だったら良いけど。だけど苛められたらちゃんと言わなきゃいけないんだよ、マツラー君。えーっと……苛められた時は市長さんに言うのかな」
「君みたいな友達がたくさんいてマツラー君は心強いよね」
「僕はお兄ちゃんだから」
「なるほど。弟君達のことを守ってるんだ?」
「うん」
「心強いね」

 隣のブースでお買い物をしていたらしいお母さんが三人のところに慌ててやって来た。どうやら佐伯さんとマツラー君を困らせていると思ったらしくて佐伯さんに謝っている。そんなお母さんにいえいえ大丈夫ですよしっかりした息子さんですねと言いながら、佐伯さんは憮然としてお母さんのことを見上げていた男の子の頭を撫でた。それから手を振る三人を見送ると私は佐伯さんの手を引っ張ってテントの方へと向かう。

「もしかして休憩?」
「……(日陰ニ行カナイト倒レマス)」
「すまない、もしかして休憩するのを邪魔していたのかな、俺」
「……(ソレハナイノデ安心シテ下サイ)」
「……」

 佐伯さんが何だか微妙な顔をしているのがマツラー君の目玉越しに見えた。

「?」
「……杏奈さん、なんだか声色と口調がいつもと若干違う?」
「……(マツラー君モードデス)」
「なるほど」

 ……そこで納得しないで欲しい。

 テントに行くとそのまま奥に置かれているマツラー君専用のパイプ椅子に向かう。横幅の広いマツラー君がウロウロしても大丈夫なように荷物や備品は避けて置いてあるので安心して歩くことが出来るし、椅子の前にはちょっとしたパーテーションが置かれていて目隠しになっている。これも二年目の知恵ってやつ。

「あら、こんにちは」

 武藤さん達はマツラー君が佐伯さんをテントの中に引っ張ってきてもさほど驚く様子もなく、当然のようにどうぞごゆっくりと言って他のお客さんの応対に戻っていく。

「もしかして顔を覚えられている?」
「……(ソンナトコロカモ)」

 椅子に座るとやれやれと一息ついた。それから後ろに手をのばしてチャックの金具を探る。この前の修繕の時に中からでも簡単にファスナーを下ろせるように金具をつけてもらったのだ。

「待って。俺が開けるよ」

 そんな事情を知らない佐伯さんが後ろに回って来てファスナーを下ろしてくれた。外は相変わらず暑いけどマツラー君の中に比べたらまだマシ。マツラー君から上半身を出して手で顔をあおぎながらスポーツドリンクを飲む。

「あっつーい」
「大丈夫?」
「佐伯さんは船の上で焦げるとか言ってましたけど、私はマツラー君の中で蒸されちゃってます」
「お互いに大変だな」

 ニッコリ笑って顔を近付けてくるものだからその意図を察してちょっと待ったと開いている手で佐伯さんを押し戻す。押し戻された佐伯さんは戸惑った表情で私のことを見た。

「どうして?」
「だってほら、私、汗臭いですし、スッピンだし……っていうか、ここ外ですよ。ただでさえ制服で目立つのに何をしようとしているんですか」
「だってここは仕切りのお蔭であっちからは見えないし? それからスッピンに関しては初めてじゃないしその方が可愛いから問題ないし、汗臭いとか言ってるけどそんなことないよ、杏奈さんの甘い匂いがしてるだけだ」

 いやいや、仕切りのこととスッピンのことはそうかもしないけど汗臭いに関してはどう考えても嘘でしょうと。だってかなりの汗をかいていて本当なら休憩ごとにシャワーを浴びたいぐらいなんだもの、汗臭くないなんて嘘に決まってる。ましてや甘い匂いなんて有り得ない。もしかして潮風に晒される長期航海のせいで嗅覚がおかしくなっているんじゃ?とちょっと心配になる。

「とにかく、ちゃんとただいまの挨拶をしないと落ち着かないから杏奈さん諦めなさい」

 そう言って佐伯さんは私の顔を両手で挟み込んで逃げられないようにしてからキスをしてきた。……しかもディープキスとか。暑いのに更に顔が火照ってきてそのまま頭に血が昇って倒れたりしたらどうするつもりなんだろう。

「ただいま、杏奈さん」
「……お帰りなさい」

 佐伯さんは予想通りしっかりと日焼けしていた。
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