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本編
第二十五話 ロマンチックじゃないプロポーズ
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「いきなり抱いちゃったけど今の俺、汗臭いんじゃ? それとも潮臭い、かな」
「ううん、そんなことないですよ」
佐伯さんの胸元に顔を摺り寄せながらそう答えた。私はイベント会場に設置された中の人用の控え室にあるシャワーを使わせてもらったけど待ち合わせをして艦からそのまま直帰してきた佐伯さんはまだシャワーも浴びてない状態だった。官舎につくなりベッドに直行した私達だけど、私は汗の臭いなんて気にならなくてどちらかと言うと佐伯さんの匂いだなあって感じてる。私この匂い好きかも。
「だったら俺が昼間に言ったことは嘘じゃないって分かっただろ?」
「昼間って甘い匂いがするってやつ?」
「うん」
「それとこれとは別な気がする。だってマツラー君の中にいると汗のかき方や蒸れ方とか半端ないし」
こまめな水分補給にもこの猛暑では限界というものがあって、そこまで考えずに作られたマツラー君のあまりの通気性の無さに、工事現場でヘルメットの中が蒸れない為にと開発された超小型換気扇を後頭部に付けようかなんて話も出ているぐらいなのに。
「でも俺が気付いたのは杏奈さんの匂いだけだ」
「それって鼻の何処かがおかしいっ……ひゃあ、くすぐったいです! くすぐったいからやめてぇ……」
覆いかぶさるようにして体を反転させて私のことをベッドに押し付けると、耳の下から鎖骨の辺りにかけて顔をうずめてスンスンと匂いを嗅ぐふりをしてきた。
「今もちゃんと石鹸の匂いが嗅げてるから何処もおかしくないと思うんだけどな。何なら他のとこでも試してみようか?」
「ややや、もう試さなくていいです! 前言撤回、佐伯さんの鼻はおかしくないです! 正常です! まったくもって異常なし!」
「素直に認めればくすぐったい思いもしなくてすんだのに、杏奈さんときたら」
そう言いながら首筋をペロリと舐めてから顔を上げた。舌の感触に思わず“うひゃっ”って変な声が出てしまって佐伯さんに思いっきり笑われてしまった。
「本当はここに頑張りましょうスタンプ押したいんだけど痕をつけたら杏奈さん怒るだろ? だからちょっと味見するだけで我慢したんだけどどうやらそれもお気に召さないようで」
「だ、だからってなんで!!」
「舐めるのもダメだったか。意外とくすぐったがり屋さんなんだな。ならどうするのが一番良いんだろうねえ」
そう言いながらちょっと『真面目に任務中』みたいな顔をして考えている……その表情もあくまでも素振りなだけな気がするけど。
「あの、別に無理に何かしようとしなくても私は一向に構わないんですけど……」
「まあそんなこと言わずに。ああ、これならどうかな」
私の言い分なんて丸っと無視して今度はカプリと首筋を噛んできた。
「だからどうしてその場所に固執……」
「だってちょうど良い場所にあるから。もちろん別の場所を御所望なら幾らでもリクエストにお応えしますよ?」
御所望しなくても勝手にキスマークをつけていっちゃうくせに何を今更。しかも今のだって結構しっかり噛んでませんか?
「あの!! 今の絶対に噛み痕がついてますよね?!」
「あー……」
あーって? 何その憐れむような表情は。自称お行儀の良い海の男さんは一体何処へ行ってしまったのやら。自分のテリトリーに入って他人の目が届かないところに戻ってきた途端にあっという間に狼さんって言うか大型犬って言うかとにかく別物に変身してしまったし。紳士的な海の男さんは基地の敷地内の何処かに転がっているんじゃないかな、無くなる前に探しに行かなくちゃいけないのでは?なんて思ってしまう。
「この暑い最中、私に髪を下ろしたままで過ごせと?」
「別に俺は見られても平気だけど」
ってことはやっぱり痕がついているってこと?!
「私は平気じゃないし!」
「俺のものっていう感じがして誇らしくない?」
「ないない。佐伯さんはともかく他の人からしたら誰がつけたかなんて分からないでしょ?」
「じゃあ“誰が”というのが分かれば問題ないと?」
首を傾げながらそういうことじゃないと反論する私のことを見下ろした佐伯さんは、ベッドの脇に放り出した制服に手をのばして何か引っ張り出した。目の前に現れたのは写メにもあった軽薄なパイナップル君。写真で見るよりも実物の方が色が派手で更に軽薄な感じがする。
「パイナップル野郎が持っている物を杏奈さんが身につけてくれたら、名前はともかく“誰が”っていうのがはっきり分かるんじゃないかな」
「持っているもの?」
よーく見ると白い歯を剥き出しにして笑っているパイナップル君は何か両手に持っていた。
「指輪……?」
しかも何だかそれなりの大きさの光る石がついている。指でチョンと突くとパイナップル君が揺れて指輪についた石がキラリと光った。
「あの、佐伯さんって演習に出ていたんですよね?」
「そうだよ」
「これ、まさか航海の途中で買ったとか言わないですよね?」
「まさか。出発前にお店に頼んでおいたもので今日届けてもらったばかり」
つまりは私の返事を聞く前に既にこの指輪を頼んでいたってこと? 私がお断りしたら一体どうするつもりだったんだろう。
「もし私がやっぱり自信が無いからお断りしますって言ったらどうするつもりなんですか、これ」
「うーん、泣きながら海に捨てるとか?」
「……ドラマや漫画じゃないんだから」
「まあ俺が男らしく引き下がったとしても、恐らく杏奈さんは逃げられないと思うんだけどな」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら佐伯さんは起き上がって私のことも引っ張り起こすと、脱ぎ捨ててあった自分の制服のシャツを拾い上げて肩に着せ掛けてくれた。
「どういう? あ、まさか先輩な神様がとか?」
「いや、葛木先生はそんな小細工はしないさ。だけどお節介な同僚はどうかな」
「寺脇さん?」
「ああ」
佐伯さん曰く一隻の護衛艦に乗り合わせた乗組員というのは一つの家族みたいなものだから結束がとても強い。もちろん幹部は頻繁に異動していくからずっと一緒と言うわけではないけど、とにかく同じ釜の飯を食った者同士の絆はなかなかなモノなんだそうだ。そして佐伯さんがお見合いパーティに出たらしいという話に関しては幹部の人達だけではなくそれ以外の人達の中でもちょっとした気になるニュース筆頭になっているそうで、ここで相手の私が断ったらきっと大騒ぎになるんじゃないかって話。
「そこまで知れ渡っているのって、もしかして私だけのせいじゃなくてマツラー君のせい?」
「それもあるかな」
佐伯さんのお相手が一年前に出会ったマツラー君(の中の人)だっていうのが強いインパクトを与えたみたいで、そのせいか話がかなり知れ渡ってしまっている様子。とにかくオラが艦の上官に嫁がくるかもしれないという具合で盛り上がっているらしい。情報元は言うまでなく寺脇さん。お見合いパーティに連れ出した張本人としてそれなりに責任感を持っているみたい。少しばかりその責任の感じ方が間違った方向に向いている気はするけどね……とは佐伯さんの言葉だけど。
「ここで私が断ったりしたら物凄く酷い女だって思われちゃうってことです?」
「いやあ、そこまで身内贔屓に偏るとは思わないけど絶対に無いとは言いきれないな」
言い切れないって何それ、怖いんですけど。
「市庁舎の周りを海自の人達が取り囲んじゃうとかないですよね?」
「それはさすがに無いだろうけど明日からマツラーを取り囲むぐらいはするかもな」
「それ怖すぎる」
しかも明日からとか?! 護衛艦の人達の情報伝達の速さを嘗めてた。
「俺達はそうでもないけど先任伍長の海津さんが出張ってきたら、鬼瓦みたいな顔をしているからイベントに来た子供達が怖くて泣いちゃうかもしれないな」
「ひえぇぇぇ、なにそれ」
「だから、ここは大人しく俺のお嫁さんになるって承諾した方が杏奈さんとマツラーの為だと思うんだ」
なんでそこでそんな真面目な顔して頷くことが出来るのか私には理解できないですよ、佐伯さん。
「あの……こんな恰好のままで返事しないと駄目です?」
「ん? 素肌に自分のシャツだけ羽織った女の子が目の前に座っているなんてちょっとした男の夢だよな。だからその格好でないと駄目」
「えー……駄目とかどんな理屈」
「男の夢に理屈なんて無いよ。あ、それと。もし結婚となっても陸上勤務になる来年度までは待ってもらった方が良いかもしれない」
「どういうことです?」
佐伯さんは今年度いっぱいは艦隊勤務で乗っている護衛艦の特性上ほとんど海に出っ放しなんだとか。だけどそれが終わると次の二年は陸上勤務を命じられる予定。つまりは休暇もそれなりに定期的に取れて急な出港で音信不通になることがなくなるんだそうだ。その代わり勤務地がとんでもなくここから遠い場所になってしまう可能性はあるらしい。
「そうすれば少しはゆっくりと新婚生活が送れるかもしれない」
何事にも例外があるからあくまでも“かも”なんだけどねと付け加えた。
「そこまで考えちゃってるんだ」
「それなりに前の経験で学んだから」
「なるほど」
「それで杏奈さん、俺の為にウエディングドレスを着てくれる気はある?」
そこで何故だか佐伯さんが変な笑みを浮かべた。まるで噴き出すのを我慢しているかのような。
「どうしてそこでそんな顔?」
「ごめん。もうちょっと真面目にしたかったんだけど何故かウエディングドレスを着た杏奈さんじゃなくてウエディングドレスを着たマツラーが浮かんでしまった」
「……人のこと言えないかも」
実のところ私も何故か佐伯さんに尋ねられた時にマツラー君がドレスを着た姿が浮かんでしまったのだ、マツラー君は男の子だと言うのに。これっていわゆる女装というやつでは?などと思い至ってちょっと複雑な気分。
「俺たち以心伝心?」
「っていうかマツラー君の印象が強烈過ぎるのかも」
「それで? マツラー君にも着せるかどうかはともかく、杏奈さんはどうなんだ?」
しばらく考える素振りをしてみる。最初は素振りだけのつもりだったんだけどそうしている内に色々と自分が想像していたシーンと違う気がしてちょっと本気で首を傾げてしまった。エッチの後、満たされた気分の時に指輪を渡されるというのは有りかもしれないけどこのタイミングだとちょっと間があき過ぎて違う気がするし。
「どうした?」
「なんだか世間一般的なプロポーズからするとロマンチック成分が圧倒的に足りない気がする」
そんな私の言葉に佐伯さんはショックを受けるどころか何処か納得した感じで頷いた。
「確かに。俺ももう少し違う状況でこの話を持ち出すところを想像していた。だけど最初の出会いからしてユニークだったし、こういうのも俺達らしくて良いんじゃないかな」
「そう言われればそうかも……」
「もし杏奈さんが望むなら改めてきちんとしたプロポーズをするけど」
「何処で?」
「最初に出会った港で明日にでも」
「それってマツラー君にするつもりじゃ?」
「ばれたか」
私達の最初の出会い方からすれば、マツラー君の前に跪かれて指輪を差し出されてもそれはそれでロマンチックかもしれない。ただマツラー君は指が無いから指輪をはめてもらう事は出来ない。それに何度も言うようだけどマツラー君は男の子だから。
「佐伯さんは礼服?」
「そっちじゃなくてホテルで着ていたあれの夏服か冬服かな。礼服は別にあるから杏奈さんが希望するなら借りておくけど?」
「借りるの? 制服なのに?」
「礼服は普段は着用しない服装だからレンタルするのが通例かな」
「へえ。自衛官だからって全部の制服を持っているわけじゃないのね」
一つ勉強になったかも。
「それで?」
「ああ、私はわざわざレンタルしてもらわなくても普通の制服で良いですよ、充分に素敵だし」
「そうじゃなくて。俺の為に着てくれるかの答え」
「制服を?」
「杏奈さん」
駄目ですスタンプを押されたい?ってちょっとだけ怖い顔をされてしまった。
「私がマツラー君の中の人をしていて忙しくするのを佐伯さんが我慢できるなら、喜んで着ま……ちょっ、佐伯さん、早過ぎ!」
私の言葉が終わらないうちに佐伯さんはパイナップル君が持っていた指輪を私の左手の薬指にはめてしまった。そして指輪と私の指にキスをしてからニッコリと笑う。
「勿体ぶって返事するのを先延ばしにしようとするからだよ、いくらお行儀の良い俺だって我慢の限界ってものがある」
そのお行儀の良い海の男の部分は絶対に港の何処かで転がっていると思うんだけどな。
「返事は分かってたんでしょ? 指輪を用意していたぐらいなんだから」
「大変よくできましたのスタンプは未だ貰えてないから自信は半々ってところだった」
断られたらそれこそ泣きながら指輪を海に捨てていたかもなあって笑っている。
「じゃあ、これからも“大変よくできました”スタンプを貰えるように頑張って下さいね?」
「一生涯をかけて?」
「一生涯をかけて。途中棄権は認めませんから」
「了解した」
そう言って微笑んだ佐伯さんは本当に満足げだった。
「ううん、そんなことないですよ」
佐伯さんの胸元に顔を摺り寄せながらそう答えた。私はイベント会場に設置された中の人用の控え室にあるシャワーを使わせてもらったけど待ち合わせをして艦からそのまま直帰してきた佐伯さんはまだシャワーも浴びてない状態だった。官舎につくなりベッドに直行した私達だけど、私は汗の臭いなんて気にならなくてどちらかと言うと佐伯さんの匂いだなあって感じてる。私この匂い好きかも。
「だったら俺が昼間に言ったことは嘘じゃないって分かっただろ?」
「昼間って甘い匂いがするってやつ?」
「うん」
「それとこれとは別な気がする。だってマツラー君の中にいると汗のかき方や蒸れ方とか半端ないし」
こまめな水分補給にもこの猛暑では限界というものがあって、そこまで考えずに作られたマツラー君のあまりの通気性の無さに、工事現場でヘルメットの中が蒸れない為にと開発された超小型換気扇を後頭部に付けようかなんて話も出ているぐらいなのに。
「でも俺が気付いたのは杏奈さんの匂いだけだ」
「それって鼻の何処かがおかしいっ……ひゃあ、くすぐったいです! くすぐったいからやめてぇ……」
覆いかぶさるようにして体を反転させて私のことをベッドに押し付けると、耳の下から鎖骨の辺りにかけて顔をうずめてスンスンと匂いを嗅ぐふりをしてきた。
「今もちゃんと石鹸の匂いが嗅げてるから何処もおかしくないと思うんだけどな。何なら他のとこでも試してみようか?」
「ややや、もう試さなくていいです! 前言撤回、佐伯さんの鼻はおかしくないです! 正常です! まったくもって異常なし!」
「素直に認めればくすぐったい思いもしなくてすんだのに、杏奈さんときたら」
そう言いながら首筋をペロリと舐めてから顔を上げた。舌の感触に思わず“うひゃっ”って変な声が出てしまって佐伯さんに思いっきり笑われてしまった。
「本当はここに頑張りましょうスタンプ押したいんだけど痕をつけたら杏奈さん怒るだろ? だからちょっと味見するだけで我慢したんだけどどうやらそれもお気に召さないようで」
「だ、だからってなんで!!」
「舐めるのもダメだったか。意外とくすぐったがり屋さんなんだな。ならどうするのが一番良いんだろうねえ」
そう言いながらちょっと『真面目に任務中』みたいな顔をして考えている……その表情もあくまでも素振りなだけな気がするけど。
「あの、別に無理に何かしようとしなくても私は一向に構わないんですけど……」
「まあそんなこと言わずに。ああ、これならどうかな」
私の言い分なんて丸っと無視して今度はカプリと首筋を噛んできた。
「だからどうしてその場所に固執……」
「だってちょうど良い場所にあるから。もちろん別の場所を御所望なら幾らでもリクエストにお応えしますよ?」
御所望しなくても勝手にキスマークをつけていっちゃうくせに何を今更。しかも今のだって結構しっかり噛んでませんか?
「あの!! 今の絶対に噛み痕がついてますよね?!」
「あー……」
あーって? 何その憐れむような表情は。自称お行儀の良い海の男さんは一体何処へ行ってしまったのやら。自分のテリトリーに入って他人の目が届かないところに戻ってきた途端にあっという間に狼さんって言うか大型犬って言うかとにかく別物に変身してしまったし。紳士的な海の男さんは基地の敷地内の何処かに転がっているんじゃないかな、無くなる前に探しに行かなくちゃいけないのでは?なんて思ってしまう。
「この暑い最中、私に髪を下ろしたままで過ごせと?」
「別に俺は見られても平気だけど」
ってことはやっぱり痕がついているってこと?!
「私は平気じゃないし!」
「俺のものっていう感じがして誇らしくない?」
「ないない。佐伯さんはともかく他の人からしたら誰がつけたかなんて分からないでしょ?」
「じゃあ“誰が”というのが分かれば問題ないと?」
首を傾げながらそういうことじゃないと反論する私のことを見下ろした佐伯さんは、ベッドの脇に放り出した制服に手をのばして何か引っ張り出した。目の前に現れたのは写メにもあった軽薄なパイナップル君。写真で見るよりも実物の方が色が派手で更に軽薄な感じがする。
「パイナップル野郎が持っている物を杏奈さんが身につけてくれたら、名前はともかく“誰が”っていうのがはっきり分かるんじゃないかな」
「持っているもの?」
よーく見ると白い歯を剥き出しにして笑っているパイナップル君は何か両手に持っていた。
「指輪……?」
しかも何だかそれなりの大きさの光る石がついている。指でチョンと突くとパイナップル君が揺れて指輪についた石がキラリと光った。
「あの、佐伯さんって演習に出ていたんですよね?」
「そうだよ」
「これ、まさか航海の途中で買ったとか言わないですよね?」
「まさか。出発前にお店に頼んでおいたもので今日届けてもらったばかり」
つまりは私の返事を聞く前に既にこの指輪を頼んでいたってこと? 私がお断りしたら一体どうするつもりだったんだろう。
「もし私がやっぱり自信が無いからお断りしますって言ったらどうするつもりなんですか、これ」
「うーん、泣きながら海に捨てるとか?」
「……ドラマや漫画じゃないんだから」
「まあ俺が男らしく引き下がったとしても、恐らく杏奈さんは逃げられないと思うんだけどな」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら佐伯さんは起き上がって私のことも引っ張り起こすと、脱ぎ捨ててあった自分の制服のシャツを拾い上げて肩に着せ掛けてくれた。
「どういう? あ、まさか先輩な神様がとか?」
「いや、葛木先生はそんな小細工はしないさ。だけどお節介な同僚はどうかな」
「寺脇さん?」
「ああ」
佐伯さん曰く一隻の護衛艦に乗り合わせた乗組員というのは一つの家族みたいなものだから結束がとても強い。もちろん幹部は頻繁に異動していくからずっと一緒と言うわけではないけど、とにかく同じ釜の飯を食った者同士の絆はなかなかなモノなんだそうだ。そして佐伯さんがお見合いパーティに出たらしいという話に関しては幹部の人達だけではなくそれ以外の人達の中でもちょっとした気になるニュース筆頭になっているそうで、ここで相手の私が断ったらきっと大騒ぎになるんじゃないかって話。
「そこまで知れ渡っているのって、もしかして私だけのせいじゃなくてマツラー君のせい?」
「それもあるかな」
佐伯さんのお相手が一年前に出会ったマツラー君(の中の人)だっていうのが強いインパクトを与えたみたいで、そのせいか話がかなり知れ渡ってしまっている様子。とにかくオラが艦の上官に嫁がくるかもしれないという具合で盛り上がっているらしい。情報元は言うまでなく寺脇さん。お見合いパーティに連れ出した張本人としてそれなりに責任感を持っているみたい。少しばかりその責任の感じ方が間違った方向に向いている気はするけどね……とは佐伯さんの言葉だけど。
「ここで私が断ったりしたら物凄く酷い女だって思われちゃうってことです?」
「いやあ、そこまで身内贔屓に偏るとは思わないけど絶対に無いとは言いきれないな」
言い切れないって何それ、怖いんですけど。
「市庁舎の周りを海自の人達が取り囲んじゃうとかないですよね?」
「それはさすがに無いだろうけど明日からマツラーを取り囲むぐらいはするかもな」
「それ怖すぎる」
しかも明日からとか?! 護衛艦の人達の情報伝達の速さを嘗めてた。
「俺達はそうでもないけど先任伍長の海津さんが出張ってきたら、鬼瓦みたいな顔をしているからイベントに来た子供達が怖くて泣いちゃうかもしれないな」
「ひえぇぇぇ、なにそれ」
「だから、ここは大人しく俺のお嫁さんになるって承諾した方が杏奈さんとマツラーの為だと思うんだ」
なんでそこでそんな真面目な顔して頷くことが出来るのか私には理解できないですよ、佐伯さん。
「あの……こんな恰好のままで返事しないと駄目です?」
「ん? 素肌に自分のシャツだけ羽織った女の子が目の前に座っているなんてちょっとした男の夢だよな。だからその格好でないと駄目」
「えー……駄目とかどんな理屈」
「男の夢に理屈なんて無いよ。あ、それと。もし結婚となっても陸上勤務になる来年度までは待ってもらった方が良いかもしれない」
「どういうことです?」
佐伯さんは今年度いっぱいは艦隊勤務で乗っている護衛艦の特性上ほとんど海に出っ放しなんだとか。だけどそれが終わると次の二年は陸上勤務を命じられる予定。つまりは休暇もそれなりに定期的に取れて急な出港で音信不通になることがなくなるんだそうだ。その代わり勤務地がとんでもなくここから遠い場所になってしまう可能性はあるらしい。
「そうすれば少しはゆっくりと新婚生活が送れるかもしれない」
何事にも例外があるからあくまでも“かも”なんだけどねと付け加えた。
「そこまで考えちゃってるんだ」
「それなりに前の経験で学んだから」
「なるほど」
「それで杏奈さん、俺の為にウエディングドレスを着てくれる気はある?」
そこで何故だか佐伯さんが変な笑みを浮かべた。まるで噴き出すのを我慢しているかのような。
「どうしてそこでそんな顔?」
「ごめん。もうちょっと真面目にしたかったんだけど何故かウエディングドレスを着た杏奈さんじゃなくてウエディングドレスを着たマツラーが浮かんでしまった」
「……人のこと言えないかも」
実のところ私も何故か佐伯さんに尋ねられた時にマツラー君がドレスを着た姿が浮かんでしまったのだ、マツラー君は男の子だと言うのに。これっていわゆる女装というやつでは?などと思い至ってちょっと複雑な気分。
「俺たち以心伝心?」
「っていうかマツラー君の印象が強烈過ぎるのかも」
「それで? マツラー君にも着せるかどうかはともかく、杏奈さんはどうなんだ?」
しばらく考える素振りをしてみる。最初は素振りだけのつもりだったんだけどそうしている内に色々と自分が想像していたシーンと違う気がしてちょっと本気で首を傾げてしまった。エッチの後、満たされた気分の時に指輪を渡されるというのは有りかもしれないけどこのタイミングだとちょっと間があき過ぎて違う気がするし。
「どうした?」
「なんだか世間一般的なプロポーズからするとロマンチック成分が圧倒的に足りない気がする」
そんな私の言葉に佐伯さんはショックを受けるどころか何処か納得した感じで頷いた。
「確かに。俺ももう少し違う状況でこの話を持ち出すところを想像していた。だけど最初の出会いからしてユニークだったし、こういうのも俺達らしくて良いんじゃないかな」
「そう言われればそうかも……」
「もし杏奈さんが望むなら改めてきちんとしたプロポーズをするけど」
「何処で?」
「最初に出会った港で明日にでも」
「それってマツラー君にするつもりじゃ?」
「ばれたか」
私達の最初の出会い方からすれば、マツラー君の前に跪かれて指輪を差し出されてもそれはそれでロマンチックかもしれない。ただマツラー君は指が無いから指輪をはめてもらう事は出来ない。それに何度も言うようだけどマツラー君は男の子だから。
「佐伯さんは礼服?」
「そっちじゃなくてホテルで着ていたあれの夏服か冬服かな。礼服は別にあるから杏奈さんが希望するなら借りておくけど?」
「借りるの? 制服なのに?」
「礼服は普段は着用しない服装だからレンタルするのが通例かな」
「へえ。自衛官だからって全部の制服を持っているわけじゃないのね」
一つ勉強になったかも。
「それで?」
「ああ、私はわざわざレンタルしてもらわなくても普通の制服で良いですよ、充分に素敵だし」
「そうじゃなくて。俺の為に着てくれるかの答え」
「制服を?」
「杏奈さん」
駄目ですスタンプを押されたい?ってちょっとだけ怖い顔をされてしまった。
「私がマツラー君の中の人をしていて忙しくするのを佐伯さんが我慢できるなら、喜んで着ま……ちょっ、佐伯さん、早過ぎ!」
私の言葉が終わらないうちに佐伯さんはパイナップル君が持っていた指輪を私の左手の薬指にはめてしまった。そして指輪と私の指にキスをしてからニッコリと笑う。
「勿体ぶって返事するのを先延ばしにしようとするからだよ、いくらお行儀の良い俺だって我慢の限界ってものがある」
そのお行儀の良い海の男の部分は絶対に港の何処かで転がっていると思うんだけどな。
「返事は分かってたんでしょ? 指輪を用意していたぐらいなんだから」
「大変よくできましたのスタンプは未だ貰えてないから自信は半々ってところだった」
断られたらそれこそ泣きながら指輪を海に捨てていたかもなあって笑っている。
「じゃあ、これからも“大変よくできました”スタンプを貰えるように頑張って下さいね?」
「一生涯をかけて?」
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