私の主治医さん - 二人と一匹物語 -

鏡野ゆう

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本編

第十話 一人と一匹はお引越し作業中

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 そんな感じであらためて始まった、先生と私とキャラメルの共同生活だけど、じゃあ今までとなにか変わったのかと質問されたら、なにも変わっていないとしか答えようがなかった。

 冗談じゃなくて、本当に、自分でもビックリするほど変わってない。

 先生は、相変わらず仕事が忙しくて帰りは遅くなりがちで、私は、先生が仕事で不在の間、仕事をしたり炊事洗濯お掃除をしたりと、今までと同じように家のことを任された。部屋も今まで通りベッドを使わせてもらっていて、先生はリビングのソファのまま。キャラメルはその時の気分によって、私の横だったり先生の上だったり。

 ね? まーったく変わってないでしょ?

 なんて言うか、私としては拍子抜けな感じなのね。そりゃあ先生の仕事が激務だから、毎日毎晩かまってくださいってわけにはいかないのは分かってるけど、先生が帰ってきた途端に飛んでいって、まとわりつくようにして甘えているキャラメルが、ちょっと羨ましいかな……ううん、ちょっぴり妬ましいかもしれない。

 で、私はアパートの管理会社に更新しない旨を伝えて、三月末までに退去することを伝えた。いくら小さなワンルームだったとは言え、二年間住んできた部屋には、それなりの家具や荷物が詰め込まれている。今の私は、まったく変わらなかった先生との生活を気にするよりも、退去前にしなきゃいけない選別作業で忙しい。

 ここ最近の生活パターンは、昼間はキャラメルを連れて自宅に戻り、要らないものの処分をして、仕事が終わった先生が迎えに来てくれるのを待って、必要なものを先生のマンションに持ち帰るという感じだ。

 あ、そうそう。使っていた冷蔵庫と電子レンジ、それから電気ポットは、救命救急の控室にあったポンコツ寸前の家電達の三代目として、もらわれていくことになっている。今日の夕方に、研修医の先生達が取りに来てくれるそうだ。そんなわけで、今日はもらわれていく家電達をきれいにしているところなんだけど、ちょっと電話で作業が中断中。

めぐみ、聞いてるの?』
「聞いてるよお。だから、とにかく今のアパートの更新はしなくて、住所が変わるの」

 電話の向こうは実家のお母さん。アパートの保証人としてお父さんが名前を書いてくれていたから、今年は不要ですって知らせることになったんだけど、その理由をどう説明したものかって電話をしながらまだ迷っている。

『新しいところは保証人は要らないの? 住所は? いつからなの? もう引っ越したの?』

 いきなりのことだったから驚いているのは分かるんだけど、質問がてんこ盛りで、全部に答えるのはなかなか大変。

「えっと保証人は要らない部屋で、住所ははっきり分かり次第メールで送る。それから、実はもうそこに住んでるんだけど、本格的に決めたのは最近なのね。で、今は前の部屋の不要なものを処分しているところだから、引っ越しはまだ完了してない、かな」
『あなた、そんなこと、お正月には言ってなかったじゃない』

 だってお正月にそっちに帰った時は、まさかその数日後に子猫と一緒に川に流されるなんて、思ってなかったんだもの。

「あの直後にちょっとしたご縁があって。えっと……簡単に言えば、ルームシェアすることになったってやつなんだ」

 電話の向こうで、お母さんが息を呑むのが分かった。ルームシェアって単語だけでこんな反応するんだもの、一緒に住んでいる相手が男の人ですなんて言ったら、卒倒しちゃうかもしれない。

「野良猫を拾ってね、その子も一緒なの」
『猫ちゃんはどんな柄の子? 女の子? 男の子?』

 うんうん、猫好きさんは聞かずにはいられないよね。そのまま、私の引っ越しのことは忘れてくれたら良いんだけど。

「猫、可愛いよ。まだ生まれて二ヶ月程度じゃないかな。茶トラの女の子でね、キャラメルって名前をつけたの」
『今度、猫ちゃんの写真を送ってちょうだい。それで相手の人はどんな人なの? ちゃんとした人なんでしょうね? 学生さん? 社会人さん? おいくつなの?』

 写真を見せてねと言われてうまく話が逸れたかな?と期待したんだけど、そこはやはり、猫田ねこだ家一のしっかり者の母親、ちゃんと話を元に戻してきた。

「うん。えっとね……あれ? 何歳だったかな。そう言えば聞いた覚えがないや。とにかく社会人でお医者さんなの。ほら、近くに大学の附属病院があるじゃない? あそこに勤めているお医者さん」

 電話の向こうから盛大な溜め息が聞こえてきた。

『ねえ、恵』
「なに?」
『その人、当然のことながら女性なのよね?』
「……ん?」
『…………』
「…………」

 沈黙が流れる中、玄関のドアチャイムが鳴った。あ、研修医さん達が家電を引き取りに来たんだ。

「ごめん、お母さん。お客さんが来たみたいだから、電話切るね。時間ができたらちゃんと電話するから」
『恵! 次のゴールデンウィークには……!!』

 なんかこっちに来るからねって、叫んでいたような気がするけど、取り敢えずは棚上げしておこう。急いで玄関に走って行ってドアを開けると、病院でミルクを買ってきてくれた研修医さんと、寝床用の段ボール箱をくれた研修医さんが立っていた。

「わざわざすみません」
「いえいえ。事務局長がシブチンで、なかなか新しいのが変えなくて困っていたんですよ、猫田さんが譲ってくれると聞いて、みんな、喜んでます」
「きれいに拭き掃除はしたつもりなんですけど」

 どうぞと言って、部屋に上がってもらう。あの時は青い術衣を着ていた若い先生達も、今は私服で、なんだかまだ学生さんみたいな感じだ。そしてその後ろにかなり年上、先生と同い年ぐらいであろう男の人が立っていた。その人は、私の顔を見てニッコリと微笑んだ。

「初めまして。西入にしいりといいます」

 聞き覚えのある名前。あ、もしかして?

「あ。もしかして、キャラメルのお世話をしてくださった先生ですか?」
「ええ。今日は東出ひがしでが抜けられないので、なぜか僕が、同伴者として派遣されてきました」
「そうなんですか、あ、どうぞ」

 西入先生にも上がってもらう。

「いつぞやは、キャラメルが大変お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ。久し振りに子猫の面倒を見ることができて、家族ともども楽しくすごさせていただきましたよ。うちのモンブランも、大変喜んでいました」

 モンブランというのは、西入先生のお宅の猫ちゃんの名前らしい。部屋に行くと、研修医のお兄さんは家電よりもキャラメルの前でしゃがみこんでいた。

「あの時はこんなんだったのに、子猫の成長すげー!」
「美人さんだなー、うらやましいー」
「おいおい、そんなところで長居をするんじゃないよ、東出にどやされるぞ」

 先生の名前が出たとたん、二人は慌てて立ち上がると台所へと向かった。なんでそこで、東出先生の名前が?

「せっかくですから、お茶ぐらい煎れますよ」
「いや、僕はともかく、彼等は夕方から当直が入っているので、のんびりもしていられないんだ」
「そうなんですか? だったらお休みの日でも良かったのに」
「壊れないうちに早く新しいのを持ってきてくれって、他の先生達からせっつかたらしくてね」

 どんだけポンコツなんだろうねえと、西入先生が呆れたように笑っている。病院って、お金がたくさん使えるところだと思っていたけど、そうでもないのかな? それともあの病院の事務局長さんが、特にお財布の紐が堅いだけ?

「これですよね?」

 小さめの冷蔵庫だけど、それなりに重量はある。ここに引っ越してきた時も、大柄な電気屋さんが二人がかりで運び込んでくれたっけ。二人の先生で大丈夫かな?

「運べますか?」
「任せてください。俺達、学生の時に引っ越し業者でバイトしていたので。西入先生はそのレンジを頼みます。ポットは……」
「あ、私が持っておりますね」
「お願いします」

 そういうわけで、キャラメルが興味深そうに私達のことを眺めている中、四人で家電を部屋から運び出す。

「キャラメル、ちょっと待っててね。これ、持っていくだけだから」

 そう言って、部屋から玄関を不安げに見詰めているキャラメルを残して玄関のドアを閉めた。とたんに部屋の中から、悲しそうな鳴き声が聞こえてきた。

「あの鳴き声を聞いちゃうと、出掛けるのが辛くなるでしょ?」

 鳴き声を気にしながら階段をおりていくと、西入先生が笑いながら話しかけてきた。

「お買い物しに出掛ける時とか、ちょっと良心が痛みます。ちゃんとお留守番はできるって、分かってはいるんですけど、落ち着かなくて」
「大きくなったら、個性が出てきて自己主張してくるから楽しくなるよ。留守番させて帰ってきたら、怒って爪とぎを激しくするとか、こっちが呼びかけても拗ねちゃって、うんともすんとも言わないとかね」

 子猫時代は短いから貴重だし楽しいけど、先生にそう言われて、大人になってからのキャラメルとの生活も楽しみになってくる。

 下におりると、アパートの前に軽トラックが止まっていた。その荷台に、二人の先生は手慣れた様子で、冷蔵庫を積み込んでいく。

「俺達、医者を辞めもて、引っ越し業者に就職できるよな」
「どっちが激務か微妙だもんなあ」

 冷蔵庫をロープで固定しながら、二人はそんなことを話している。

「なにを言ってるんだ。さんざん高い授業料を出して医者になったんだろ。ちゃんと一人前の医者にならなかったら、承知しないぞ」

 西入先生に怖い顔で言われ、先生達はすみませーんと呑気に笑いながら謝っている。どうやら、再就職の件は本気じゃなさそうだ。

「あの」
「ん?」
「先生達って、もうお医者さんなんですか? 研修医って、教育実習みたいな感じだとばかり思ってたんですけど」

 ああ、それはねと西入先生が説明をしてくれる。

「国家試験を合格して、彼等は書類上はすでに医者なんだよ。そうでないと、患者さんに対しての医療行為ができないからね。卒業してから二年間は、色々な部署を回って勉強してもらう期間で、その間は、一般の先生達と区別するために、研修医と呼ばれているんだ。教師になる行程とはちょっと違うかな」
「へえ……」
「医者に興味あるのかい?」
「今まで、まったく関係のない世界だから、ちょっとだけ」

 そう、二ヶ月前に川で流されるまでは、病院なんて自分とは縁遠い世界だった。それなのに、いつの間にか一緒に暮らすことになった人はお医者さんで、気がつけば、こんなにたくさんのお医者さんが周りにいる生活になってしまっている。もしかして、まだまだ増えるかも?

「僕は身近に猫友ができて嬉しいな。たまには、キャラメルちゃんと我が家にも遊びに来てくれると嬉しい。うちのモンブランも女の子だから、きっと気が合うと思うよ」
「ありがとうございます。でも、まだキャラメルがお世話になったこともちゃんとお礼できてなくて」
「いやいや。僕等としては、恵さんにお礼を言いたいぐらいだから気にしないで」
「?」

 西入先生の言葉に首をかしげた。私、特にお礼を言われるようなことなんて、してないのにな……。
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