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第10話 コミケ出陣、山はパンケーキでできている
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――ちゅん、ちゅん。
いつもより早い。鳥が始発対応。
目を開けると、窓の外はまだ青い。空の端っこがわずかに白く、世界は「おはよう」ではなく「いざ行け」の色をしている。
「おはようございます、先輩。白湯、低温です」
右。迅蛇。
声は安定、目はちゃんと起きてる。寝癖は最小。準備の鬼。
ベッド脇に白湯とコーヒー(本採用ブレンド)、そして経口補水液が整列。今日は戦地だから。
「……おはよう。――コミケだー」
「コミケです。がんばれー、です」
互いに小さく拳を合わせる。音はしないけど、湯気が拍手する。
昨夜の前日搬入を巻き戻す。
車。段ボール。ポスター筒。名札。お釣りの小銭。養生テープ。ダブルクリップ。お品書きPOP。見本札。
助手席の迅蛇はチェックリストを読み上げ、僕はハンドルを握りながら「了解、了解」と返す。
妹からはLINEで「兄者、補給」とだけ届いて、スタンプは米と海苔のやつ。元気。
会場。
台車の海。鳴るキャスター。開くシャッター。空気はでっかい体育館の匂い。
「置く→開ける→並べる→貼る→座る」の五動作で設営。
迅蛇は初参加のはずなのに、完全に“できる”の顔でPOPの角度を1ミリ単位で修正してくる。
「この角度だと視線が流れません」
「視線、流すな。止めて」
会話がいちいちKPIになる。頼もしい。
そこへ、妹。
黒髪ショートに控えめ猫耳(キャラ的に控えめらしい)。
手には海苔パンチャーとおにぎりの箱。
「兄者、補給。――迅蛇さん、いつも兄者の靴紐ありがとうございます」
初手の挨拶から的確に刺してくる。さすが血統。
迅蛇は真顔で会釈。「こちらこそ、兄者の生存にコミットします」
妹は指をぱちんと鳴らして笑った。「コミットいいね。うちのサークル名“コミット”にする?」
「やめて。頒布物が急にエンジニア本っぽくなる」
そんな昨夜。
帰宅は早め。白湯で“居る練習”。寝不足禁止。
そして今朝。決戦の朝。
「朝ごはん、予定どおり“山”で行きますか」
「行こう。祭りだから」
約束していた“山パンケーキ”。
極小を重ねる日々だったけど、今日は“祭り”。山はOK。
ただし油は控えめ、糖はちょい。胃袋は戦力。
「議題を確認します。今日のKPIは三つ。①倒れない、②笑顔を崩さない、③水分1.5L。――付帯で“靴紐は解けない”」
「靴紐KPIは迅蛇の専管事項」
「責任を持ちます」
キッチンへ。
生地を流し、焼く。重ねる。重ねる。さらに重ねる。
朝の部屋に、小さな山脈が生まれる。
頂上にバターひとかけ。メープルは“斜面だけ”。洪水は起こさない。
「湯気が岳になってる」
「登頂許可、発行します」
ナイフをいれる前に、合図。
人差し指で、迅蛇の手の甲に“む”。
分けっこ。祭りでも基本は“半分こ精神”。
「ベースは三段、僕側に一段、先輩側に二段。戦力配分です」
「大丈夫。山の二段でじゅうぶん幸せ」
さらに“に”。
肉まんは無いけど、半分こは今日のキーワード。
僕らは半分ずつを食べて、残りは“現地補給”に備えて冷凍庫へ。祭りの後にも祭りの味が残るように。
味噌汁は昨夜のだしを薄めて梅を一個。塩分を先行で入れる。
おにぎりは小さめを二つ、梅と昆布。母の味の“しんなり海苔”を一個だけ仕込んだ。
「レビューは帰ってからにして、今は“段取り会議”。どうぞ議題を」
僕は口の中の山を飲み下してから、指で空中に書く。
①導線。②補給。③店番ローテ。④緊急対応。⑤“兄者補給”の再現性。
「①導線。入場→設営最終チェック→開場一時間は全員“迎撃”→以後ローテ。妹は中盤でコスチェンジ予定、戻り次第“呼び込み”」
「了解。②補給は“塩タブレット・ポカリ・経口補水”。小腹は“羊羹(半切り)”――合図“む”運用」
「③店番ローテは45分交代。列が伸びたら10分単位で前倒し。客前に出ると笑顔の筋肉が死にやすいから、裏方で回復」
「④緊急対応。両替の枯渇は渚さん(一般参加)に連絡、最寄りの両替機の位置情報を確保。救護はマップにピン。熱中・寒さ対策はカイロと冷感シート」
「⑤“兄者補給”。妹の海苔パンチャーは今回“星と猫”。撮影を求められたら“列が切れたらOK”の札でコントロール」
迅蛇は指を折って頷く。「十分です。――最後に“合図”の共有。止めは“とんとん”、進めは“手を絡める”。会場内では“OKサインだけ”。長押しは今日は使いません」
「長押し合図、イベント会場に向いてないしな」
「混雑で誤作動します」
パンケーキ山を片づけ、食器は水に浸ける。
台所の音が“行ってらっしゃい”と言っている。
リュックに救命道具と小銭。ポスター筒に“お品書き”。
財布は“お釣り財布”と“個人財布”を分ける。
そして、封筒。中には“スペース番号”と“緊急連絡先”。
うん、準備よし。
「靴、履きます」
玄関。
いつもの儀式。迅蛇がかがんで、僕の靴紐を結ぶ。
きゅっと、でも優しく。
結び終わった手の甲に“とん、とん”。
今日は“頑張れ”と“ありがとう”のミックス。
そこに小さく“に”。
「半分こで行こう」の念押し。
「送ります。今日は僕は車で搬入入口へ、先輩は電車で。合流は“いつもの柱”」
「りんかい線のあの柱な」
「はい。カラスがいる方です」
「なんでそんなピンポイントで覚えてるの」
「一昨年、鳴いていました」
「怖い記憶力」
外。
空は薄い金色。街はまだ眠い。
パン屋の香りに、今日は少し緊張が混ざる。
駅までの道、五分。
歩きながら、妹の話をもう一回確認。
「妹、今日は“低温猫耳”らしい。控えめに耳が動くヤツ」
「可動域、気になります。見学は“列が切れたらOK”で」
「そもそもサークル内で動く猫耳ってどうなの」
「兄者のメンタルに効きます」
「効くんだよね……」
笑う。
笑う余裕があるうちは、ぜんぶ大丈夫。
たぶん。
駅の手前。
今日はいつもと違って、僕が先に改札へ入る。
迅蛇は車の駐車場ルートがあるから、ここで分かれる。
“駅までの送りで終わる”我々の土曜は、戦地でも守る。
「先輩」
「うん」
「“倒れない・笑顔・水1.5”」
「うん」
「列が伸びたら、深呼吸。目線を上げて“お品書き”に誘導」
「うん」
「“ありがとう”は短くはっきり。笑顔は目で。売上よりも“次も来やすい空気”を優先」
「うん」
「昼は“兄者補給”で握り二個。梅と昆布。しんなり一、パリ一。――合図“む”で分ける」
「うん」
「帰りは無理しない。搬出は僕が車で回収。先輩は駅で座って白湯。――合図は“OKサイン”で」
「うん」
最後の“うん”は、喉の奥で丸かった。
緊張と、覚悟と、ありがたさ。
全部混ざって丸い。
僕は両手を前に出して、迅蛇の指に一瞬だけ絡める。
進めの合図。けど、今日はほんの一瞬。
すぐに離す。公共スペース。ルールは守る。
「迅蛇」
「はい」
「がんばろう」
「がんばりましょう」
互いに、小さく笑う。
小さな笑顔は、今日の一番の武器だ。
改札へ進む。
Suicaが“ピッ”。
振り返る。
迅蛇は、いつもの真面目な目で、でも温度は高く、片手で“OK”。
足元にはいつものスニーカー。
結び目は、きゅっと、でも優しく。
――りんかい線、ホーム。
電車が入ってくる風が、顔を撫でる。
ポケットの中で鍵が軽く当たった。
家は無事。恋愛は無事。だから戦に出れる。
今日は人の波と紙の海。
声を枯らして、笑って、手を動かして、合図で分け合って、白湯で帰る。
妹はきっと「兄者、補給」。
迅蛇はきっと“導線の神”。
僕は――僕で、目の前のひとに「ありがとう」を短くはっきり。
佐万里、二十九歳。
コミケ出陣の朝。
山パンケーキで登頂して、白湯で喉を温め、駅で“OK”。
ちゅん、ちゅん。鳥は始発。
僕らは、ほどよく。がんばれー。
また夜に、白湯でレビュー。
まずは、いってきます。
いつもより早い。鳥が始発対応。
目を開けると、窓の外はまだ青い。空の端っこがわずかに白く、世界は「おはよう」ではなく「いざ行け」の色をしている。
「おはようございます、先輩。白湯、低温です」
右。迅蛇。
声は安定、目はちゃんと起きてる。寝癖は最小。準備の鬼。
ベッド脇に白湯とコーヒー(本採用ブレンド)、そして経口補水液が整列。今日は戦地だから。
「……おはよう。――コミケだー」
「コミケです。がんばれー、です」
互いに小さく拳を合わせる。音はしないけど、湯気が拍手する。
昨夜の前日搬入を巻き戻す。
車。段ボール。ポスター筒。名札。お釣りの小銭。養生テープ。ダブルクリップ。お品書きPOP。見本札。
助手席の迅蛇はチェックリストを読み上げ、僕はハンドルを握りながら「了解、了解」と返す。
妹からはLINEで「兄者、補給」とだけ届いて、スタンプは米と海苔のやつ。元気。
会場。
台車の海。鳴るキャスター。開くシャッター。空気はでっかい体育館の匂い。
「置く→開ける→並べる→貼る→座る」の五動作で設営。
迅蛇は初参加のはずなのに、完全に“できる”の顔でPOPの角度を1ミリ単位で修正してくる。
「この角度だと視線が流れません」
「視線、流すな。止めて」
会話がいちいちKPIになる。頼もしい。
そこへ、妹。
黒髪ショートに控えめ猫耳(キャラ的に控えめらしい)。
手には海苔パンチャーとおにぎりの箱。
「兄者、補給。――迅蛇さん、いつも兄者の靴紐ありがとうございます」
初手の挨拶から的確に刺してくる。さすが血統。
迅蛇は真顔で会釈。「こちらこそ、兄者の生存にコミットします」
妹は指をぱちんと鳴らして笑った。「コミットいいね。うちのサークル名“コミット”にする?」
「やめて。頒布物が急にエンジニア本っぽくなる」
そんな昨夜。
帰宅は早め。白湯で“居る練習”。寝不足禁止。
そして今朝。決戦の朝。
「朝ごはん、予定どおり“山”で行きますか」
「行こう。祭りだから」
約束していた“山パンケーキ”。
極小を重ねる日々だったけど、今日は“祭り”。山はOK。
ただし油は控えめ、糖はちょい。胃袋は戦力。
「議題を確認します。今日のKPIは三つ。①倒れない、②笑顔を崩さない、③水分1.5L。――付帯で“靴紐は解けない”」
「靴紐KPIは迅蛇の専管事項」
「責任を持ちます」
キッチンへ。
生地を流し、焼く。重ねる。重ねる。さらに重ねる。
朝の部屋に、小さな山脈が生まれる。
頂上にバターひとかけ。メープルは“斜面だけ”。洪水は起こさない。
「湯気が岳になってる」
「登頂許可、発行します」
ナイフをいれる前に、合図。
人差し指で、迅蛇の手の甲に“む”。
分けっこ。祭りでも基本は“半分こ精神”。
「ベースは三段、僕側に一段、先輩側に二段。戦力配分です」
「大丈夫。山の二段でじゅうぶん幸せ」
さらに“に”。
肉まんは無いけど、半分こは今日のキーワード。
僕らは半分ずつを食べて、残りは“現地補給”に備えて冷凍庫へ。祭りの後にも祭りの味が残るように。
味噌汁は昨夜のだしを薄めて梅を一個。塩分を先行で入れる。
おにぎりは小さめを二つ、梅と昆布。母の味の“しんなり海苔”を一個だけ仕込んだ。
「レビューは帰ってからにして、今は“段取り会議”。どうぞ議題を」
僕は口の中の山を飲み下してから、指で空中に書く。
①導線。②補給。③店番ローテ。④緊急対応。⑤“兄者補給”の再現性。
「①導線。入場→設営最終チェック→開場一時間は全員“迎撃”→以後ローテ。妹は中盤でコスチェンジ予定、戻り次第“呼び込み”」
「了解。②補給は“塩タブレット・ポカリ・経口補水”。小腹は“羊羹(半切り)”――合図“む”運用」
「③店番ローテは45分交代。列が伸びたら10分単位で前倒し。客前に出ると笑顔の筋肉が死にやすいから、裏方で回復」
「④緊急対応。両替の枯渇は渚さん(一般参加)に連絡、最寄りの両替機の位置情報を確保。救護はマップにピン。熱中・寒さ対策はカイロと冷感シート」
「⑤“兄者補給”。妹の海苔パンチャーは今回“星と猫”。撮影を求められたら“列が切れたらOK”の札でコントロール」
迅蛇は指を折って頷く。「十分です。――最後に“合図”の共有。止めは“とんとん”、進めは“手を絡める”。会場内では“OKサインだけ”。長押しは今日は使いません」
「長押し合図、イベント会場に向いてないしな」
「混雑で誤作動します」
パンケーキ山を片づけ、食器は水に浸ける。
台所の音が“行ってらっしゃい”と言っている。
リュックに救命道具と小銭。ポスター筒に“お品書き”。
財布は“お釣り財布”と“個人財布”を分ける。
そして、封筒。中には“スペース番号”と“緊急連絡先”。
うん、準備よし。
「靴、履きます」
玄関。
いつもの儀式。迅蛇がかがんで、僕の靴紐を結ぶ。
きゅっと、でも優しく。
結び終わった手の甲に“とん、とん”。
今日は“頑張れ”と“ありがとう”のミックス。
そこに小さく“に”。
「半分こで行こう」の念押し。
「送ります。今日は僕は車で搬入入口へ、先輩は電車で。合流は“いつもの柱”」
「りんかい線のあの柱な」
「はい。カラスがいる方です」
「なんでそんなピンポイントで覚えてるの」
「一昨年、鳴いていました」
「怖い記憶力」
外。
空は薄い金色。街はまだ眠い。
パン屋の香りに、今日は少し緊張が混ざる。
駅までの道、五分。
歩きながら、妹の話をもう一回確認。
「妹、今日は“低温猫耳”らしい。控えめに耳が動くヤツ」
「可動域、気になります。見学は“列が切れたらOK”で」
「そもそもサークル内で動く猫耳ってどうなの」
「兄者のメンタルに効きます」
「効くんだよね……」
笑う。
笑う余裕があるうちは、ぜんぶ大丈夫。
たぶん。
駅の手前。
今日はいつもと違って、僕が先に改札へ入る。
迅蛇は車の駐車場ルートがあるから、ここで分かれる。
“駅までの送りで終わる”我々の土曜は、戦地でも守る。
「先輩」
「うん」
「“倒れない・笑顔・水1.5”」
「うん」
「列が伸びたら、深呼吸。目線を上げて“お品書き”に誘導」
「うん」
「“ありがとう”は短くはっきり。笑顔は目で。売上よりも“次も来やすい空気”を優先」
「うん」
「昼は“兄者補給”で握り二個。梅と昆布。しんなり一、パリ一。――合図“む”で分ける」
「うん」
「帰りは無理しない。搬出は僕が車で回収。先輩は駅で座って白湯。――合図は“OKサイン”で」
「うん」
最後の“うん”は、喉の奥で丸かった。
緊張と、覚悟と、ありがたさ。
全部混ざって丸い。
僕は両手を前に出して、迅蛇の指に一瞬だけ絡める。
進めの合図。けど、今日はほんの一瞬。
すぐに離す。公共スペース。ルールは守る。
「迅蛇」
「はい」
「がんばろう」
「がんばりましょう」
互いに、小さく笑う。
小さな笑顔は、今日の一番の武器だ。
改札へ進む。
Suicaが“ピッ”。
振り返る。
迅蛇は、いつもの真面目な目で、でも温度は高く、片手で“OK”。
足元にはいつものスニーカー。
結び目は、きゅっと、でも優しく。
――りんかい線、ホーム。
電車が入ってくる風が、顔を撫でる。
ポケットの中で鍵が軽く当たった。
家は無事。恋愛は無事。だから戦に出れる。
今日は人の波と紙の海。
声を枯らして、笑って、手を動かして、合図で分け合って、白湯で帰る。
妹はきっと「兄者、補給」。
迅蛇はきっと“導線の神”。
僕は――僕で、目の前のひとに「ありがとう」を短くはっきり。
佐万里、二十九歳。
コミケ出陣の朝。
山パンケーキで登頂して、白湯で喉を温め、駅で“OK”。
ちゅん、ちゅん。鳥は始発。
僕らは、ほどよく。がんばれー。
また夜に、白湯でレビュー。
まずは、いってきます。
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