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【その後】幼馴染みにかえるまで
信じる時間(3)
しおりを挟む休日にも仕事へ行かないといけないなんてと、ルイは俺を哀れむ。休める時はしっかり休むのが一番だけど、ルイが想像しているほど悪いものでもないよと俺は思う。
朝から夜まで働いたとしても、俺の勤務時間のほとんどは現場に足を運んだり調整や会議といった人との関わりに費やされる。デスクに座って何かをじっくりと考えるという時間は驚くほど少ない。それでも、法令改正についての文書の読み込み、プロジェクトの企画・提案資料の作成。工事費の算出……やらないといけないことは山程ある。
そういった「一人で考える時間」が必要な仕事については人の動きが平日よりも少ない休日に出社した方が普段よりもぐっと捗る。そのためだよと言っても今はルイを困らせてしまうだろうな、と思う。同じように会社で忙しく働いている人間として「まあ、わかるけどさ」と言いたい気持ちと、俺を心配する気持ち。
ルイの側にいる。それが俺の人生の全てだったのに、いつの間にか大きなものを抱えることになってしまった。ディスプレイの中の作りかけの資料を見てぼんやりと思う。
仕事は嫌いじゃない。何度もうダメだと思っても、いざ向き合ってみると現場の空気感と人の動きが俺を熱くする。
ルイの側から離れたくない、ルイに褒められたいという思いだけを原動力にしていた頃に比べれば、人間としてだいぶ成長しているのだろう。
「なんのためにこの会社を選んだ? なんのために働いている?」
デスクで考え事をしていると、会うたびに突っかかってくる、取引先の中国系企業の男から日本語で質問されたことが頭に浮かぶ。
世界的にも注目されて勢いのあるIT企業の、日本進出のために必要なオフィスと巨大な倉庫の建設をうちの会社が請け負っている。
プロジェクトのリーダーだとかいう男はたぶん俺とそう年は変わらない。日本に住んでいたことはなく、生まれも育ちも上海だと聞いている。俺が仕事で関わったことのある外国人達の中でも日本語が段違いに上手く、通訳だって連れているからコミュニケーションには不自由していない。
長音や促音も滑らかに発音する様子からは、ずいぶん熱心に日本語を学んだのだろうということがわかる。それこそ、ビジネスのためといった目的を越えた、べつの理由がこの男を動かしているんじゃないかと推測出来るほどに。
あの時日本語で質問されて、俺はなんと答えただろう。あえて英語で「Hey, why do you ask that?」と聞き返して舌打ちされたような気がする。
誰とでも相性というものはあるけれど。彼とはいつまで経ってもそれがよくならないような気がしている。
他の誰かがいる時は行儀がよくて善良な中国人を装っていても、二人になると豹変して暴言なんて当たり前。企画書や図面は何度も破り捨てられた。向こうにもプライドや背負っているものがあるということはわかっているけれど、お互い大人でなければ俺は腕力で全てを解決していただろう。
初めは俺の仕事のやり方や出来映えが気に入らないのかと思っていたけれど、すぐにそうではないと気がついた。理由はわからないけれど、人として嫌われているのだと。
「……恋人は」
いるのかと聞かれて、俺は笑って答えた。ビジネスと関係ない、あなたからのプライベートな質問には一切答えられないよと。なぜか胸がスッとしたし、大切な存在を守ったのだという気持ちになった。
べつにルイとの付き合いを誰に対してもオープンにしたっていいと俺は考えているから隠したかったわけではないのだけれど。じとっとした目とイライラしている神経質そうな口調から、きっとこの質問には何か意図があるのだろうと思ってあえて相手にしなかった。
楊 羅。確か、そんな名前だったと思う。もちろん取引相手の名前は、書面上ではちゃんと覚えている。ただ、「よう るお」という通訳から教えられた名前の音の響きでは一度も呼んだことがない。アイツ、今度はいつ日本に来るんだったっけとスケジュールを確認するだけで「面倒だ」という気持ちになった。
面倒だけど、あらゆることがすでに動き始めている。ここからはノンストップで目の前のことをこなしていかないといけない。
あの質問が頭に残る。ルイのためだけに生きていた頃とは違う。仕事で何かを築きあげることにも意味を感じているから、俺はあなたみたいな人間の相手もしているんですよと答えられたら。
◇◆◇
オフィスの蛍光灯がまぶしい。気づけばもう夕方だ。疲れていてもルイの待つ家へ帰るとなると、身体が軽くなったように感じられる。
その日は結局十六時過ぎに家へ戻った。ルイはすでに帰ってきていて、「おかえり」とわざわざ玄関まで出迎えに来てくれた。
「ああ……こんな時間まで働いて疲れただろ?」
「んー……すっごい疲れてるってことにしたら、甘えさせてくれる?」
「疲れててもそうじゃなくても、ヒカルはいっつもベタベタしてくるだろ」
靴を脱いでからすぐに、雪崩れ込むようにしてルイに抱きつく。重っ、という声は聞こえないふりをしていたら、俺を引き摺るようにしてルイはそのまま歩き始める。
「いい匂いがする」
「え? どれ? どれだ?」
「ルイからいい匂いがする」
ああ、と納得した様子でルイが頷く。
キッチンからは何かを炒めたり煮込んだりした後の匂いがしていたから、そっちのことを言っているのだと思ったんだろうか。すでにほとんどの調理工程が終わっているのか、出しっぱなしになっている食材や食器が一つもないため、何を作っているのかまではわからない。
ルイの髪とうなじから石鹸のいい香りがする。いい匂いだね、ともう一度俺が呟くと「風呂、入ったから」と素っ気ない答えが返ってきた。
「出掛けてたの?」
「うん、適当に」
「一人?」
「え? うん」
リビングを素通りして、ルイの足は寝室へと向かっている。先に着替えてくれということなんだろうか。「昼飯食べた?」というルイからの問いに頷きながら、俺の意識は別のことに向けられている。
玄関に、仕事用とも普段の遊び用とも違う、オシャレ着に合わせるためのルイの靴が出ていた。深いバーガンディーの革靴は、お正月に出掛けた先でルイが思いきって買ったものだ。「こんな高い靴初めて買った。履くのがもったいないな」と言うルイに二人で笑った、ルイのとっておきの靴だ。
適当に出掛けていたというのはたぶん嘘なのだろう。綺麗な靴じゃないと行けない場所に、何かしらの目的があってルイは今日出掛けた。……俺にわかるのはそこまでだった。朝、大丈夫だって思ったじゃないかと自分に言い聞かせる。
「ほら、上も脱いで」
「うん」
寝室でルイに促されるまま着ていたものを脱ぐ。インナーとパンツだけという格好になった俺をまじまじと見つめてから、「あー、風呂入る?」と首を傾げた。
「そうしようかな? 夕御飯ってなに? 俺がまだ手伝うことはある?」
「カレー……、あとはルーを入れるだけ。……もし、今日もまだヒカルにその気があるんだったらさー……、食事は後にしたいなーって思ったんだけど、でもやっぱり、お腹空いてるよな? あー……どうしよう、俺があんまり食べ過ぎなければいいのかな……」
「……セックスする約束のこと?」
「そー。でも、ヒカルだって腹が減ってたら、そんな気にならないよな」
照れているようで、ルイは真剣だった。食事とセックスの順番に対して。「食後すぐとか、満腹になるまで食べた後にするのはしんどいし不安な気持ちになる」と前に言っていたからそのことなのだろう。だから石鹸のいい匂いがしたのか、準備をして待ってくれていたのかと、納得すると同時に「触れたい」という思いが込み上げてくる。
「する、する。今したい、ルイも待っててくれたの?」
「え……だって昨日約束したから……」
準備して待ってた。そう言ってからニッと笑う様子は、どこか懐かしかった。たぶん、子供の頃「あそこの棚に、お母さんがクッキーを隠していたからこっそり取って食べよう」と俺を唆してきた時もこんな表情をしていたと思う。
「嬉しい、めちゃくちゃ元気出そう」
ルイが覚えていてくれたことが嬉しい。「今したい」と、言葉が自然にこぼれる。
俺の正直な感想に、ふっとルイが笑う。大袈裟だって思われているかもしれないけれど、本心だった。なにせ一ヶ月もルイの中へ入れていないのだから。
「うん、俺も」
そっと手を握ってくるルイも本当に嬉しい時の顔をしていた。喧嘩をしたわけではないのに、仲直りをした後のような雰囲気だ。目が合うだけでなんだかくすぐったいような気持ちになる。ルイはどんな気持ちでいるんだろう。それを確かめるために、ルイへ触れたかった。
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みんなの感想(10件)
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ゆうな様
コメントありがとうございます。嬉しいです。レオが「アメリカで一緒に暮らす」とルイに言うエピソードも書きたいと思っているので、アナザーストーリーとしてまた投稿したいです。ありがとうございます。
すごい好きな作品でした!
徹夜で読んでしまった笑
これからも応援してます!
るか様
コメントありがとうございます。
徹夜で読んでしまった、とのお言葉とても嬉しいです。これからも、二人の恋をコツコツ書き続けたいと思います。コメントありがとうございました!
久しぶりに長編を読み返そうとこちらに来てみたら、、続きがある!!
大喜びで読んでます!
これからの執筆を楽しみにしてます。
dayaさま
連載再開後にもコメントありがとうございます。
二人の子供の頃の記憶や、大人になった様子、ヒカルを受け入れるルイの体のことについて、ゆっくり書いていきたいなあ、と思います。
「久しぶりに読み返そう」というお言葉、とても嬉しかったです。とても励みになります。
少しずつではありますが、頑張って書いていきますね。コメントありがとうございました。