幼馴染みが屈折している

サトー

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【番外編】幼馴染みが留学している

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 後処理のためにゴソゴソしている時はいつでも気まずいんだ、と思った。けれど、気まずいの種類が全然違う。ヒカルとのセックスの後は、気持ちよくってヒカルを求めてしまったことへの気恥ずかしさとか照れ臭さで胸がいっぱいになる。
 ヒカルがいるのにレオとこういうことをしてしまったと思いながら乱れた服を直している今は、ヒカルにもレオにも最低なことをした、という罪悪感で手が震えて、顔を上げられなかった。

 レオは俺を気遣って「タクシーで送る」と言ったけど、俺は「電車で帰る」と何度も断った。見送りもしないでいい、ここで別れたい、と言ったら渋々納得してくれた。

「……ルイ」

 怠そうな顔で立っているレオが、俺をほんの一瞬抱きしめた。友達どうしでやる別れのハグだった。

「……お前、今日のことを俺への愛だとか一瞬でも考えてねーだろうな」
「え……」

 結局、自分でもわからないままだった。レオのことは好きと言えば好きだけど、ヒカルと同じ好きかと言われたら違うような気がする。セックスは出来る……とは思ったけど、したいというより、それしか方法がないなら、ヤるしかない、という考えの方が近かった。
 レオ本人に惹かれていたというより、どちらかというとレオの抱える孤独を取り払うことに必死になっていたのかもしれない。そうすることで、男を好きになってしまった自分自身の持つ不安や、自分の中に残る異性愛主義とか、それが基になっているセクシュアルマイノリティへの無自覚な差別とか、そういうものを少しでも無くしたかったのでは、と今になって思う。

「なんのためにお前にあんなことを話させたのかわかるか? 真面目なお前は、ああでもしないと絶対自分の性器なんか見せないと思ったからだ。お前はたまたま欲求不満で、俺は好きなやつの自慰を見たかっただけだ。お前が変態野郎に心底惚れてるのもわかったし、俺はかえってせいせいした。俺を傷つけた、とかそういうくだらないことは考えるな」
「レオ、あの、俺は……」
「キスをしたのも、射精の前後に口寂しかったからだろ。単なる性欲だ。勘違いすんな」

 性欲、そう言われても否定出来なかった。なじられながらヒカルのことを思い出して、気持ちが昂った。自分がそんな人間だったことがショックだったけど、レオが被せるように「誰でも性欲くらいあるだろ。いつまでもウジウジすんな」と怒鳴りつけて来たから、慌てて頷いた。
 俺が、罪悪感で潰れないように気を遣ってるんだろうな、と言うのがわかったから「……うん、そう。メチャクチャ溜まってて夢中になってしまった」とぎこちない英語で答えたら、何も言わずに肩を叩かれた。


「いつかお前は……いや、もうすでにそうかもしれないが、今日のことを抱えきれなくなって……必ず男とケンカになる。ルイ、今から言うことは嘘だ。けど、絶対に覚えろ」

 まるで、そうなる未来を、俺とヒカルに何があったかを、見てきたとでも言うような言い方だった。

「『酔っていてその時は溜まっていたのもあって、セックスのことをしつこく聞かれた後、オナニーするように言われた。我慢が出来なかった』 ……違うな。最初に今から言うことも付け足しておけ。『テメーみたいな男のなり損ないは、一発ヤらせろと言われた。俺は、始めから終わりまでずっと不快で気分が悪かった』」
「……そんなこと、覚えたくない」
「必ず覚えろ。それとも、なにか? バレた時、お前、自分だけが傷つかないで、許してもらえるとでも思ってんのか?」

 レオは怖いくらい真剣だった。いつか、「お前なんか死ね」と言われた時と同じくらい顔が強張っている。

「もし、ケンカしたら絶対にこう言え。一字一句飛ばさずに言え」
「……言うかよ」
「言え」

 声を出さずに頷いたけど、こんなことは覚えておきたくないかった。
 俺はレオに流されたんじゃなくて、自分の意思でキスをして一人でしているところを見せた。全部、自分で決めたことだから、自分以外のせいにしたくない。けれど、レオにそれを伝えると、「テメーの意地なんかくだらねえから捨てろ。全然ありがたくねえ」と凄まれた。

「じゃ、さよなら……あの、ありがとう。俺も、会えてよかった」

 俺がそう言うと、レオもほんの少し片手を上げて答えた。帰国する友達とこんなに素っ気ない別れ方をしたのは始めてだった。

 電車で帰るとは言ったものの、とてもそんな気にはならなくて、エントランスで退屈そうに待機しているタクシーに乗った。この国で一人でタクシーに乗るのは初めてだった。大学の名前を伝えても、運転手はなかなか出発しようとしなかった。

「……その格好で出掛けるの?」

 運転手にそう言われてから、俺はコートとマフラーを部屋に忘れてきたことに気がついた。「いいです。車出してください」と早口で答えた。取りになんか戻れない。コートとマフラーは諦める。

 ◇◆◇

 寮に着いたのは二十四時前だった。部屋で一人になると、俺は、何てことをしてしまったんだろう、という罪悪感で苦しくて苦しくて堪らなかった。もう限界だった。
 全部自分が悪いとわかっている。わかっているけど、もうどうしたらいいのかわからなくてパニックになっていた。

 倒れるようにして入り込んだベッドは、何度も寝返りを打ったせいで、ぐちゃぐちゃだ。枕だって床に落ちている。
 パーティーで皆が出払っているせいか、いつもは騒がしい寮が静まり返っていて、それが余計に心をざわつかせた。

 駄目だ、自分一人で考えていたら、頭がおかしくなる。でも、こんなこと誰に言えばいい? 誰にも言えない。結局、考えて考えて……考え抜いた結果、ヒカルしか話す人がいない、ということに気がついた。

 どう考えてもおかしいのはわかってる。浮気した、どうしよう? と自分の付き合っている相手に話すなんてどうかしてる、普通じゃない。でも、ヒカルとの間で何かあっても、俺にはヒカルしか話す人がいない。ヒカルと俺が付き合っているのを知ってるのはほんのわずかな人だし、女のジャイーやミナミには絶対にこんなこと言いたくなんかなかった。
 自分が……セックスの時に女みたいに抱かれているってことを、女の友達に察されるのがどうしても嫌だった。

 とりあえず電話をしよう。もしかしたら、もう寝ちゃってて出ないかもしれない。出たら考えればいい。たぶん、出ない……。


「もしもし……」

 ヒカルの声を聞いた瞬間、「はー……」と深く息を吐きたくなった。

「急にごめん、何してた?」
「うん? レポート書いてた」
「……ごめん、忙しい時に。本当にごめん……」
「ううん。どうしたの?」

 ヒカルの声はとても優しかった。何もかも話したくなるくらいに。何を話していいのか窓の外を見ながら考えていると、「ルイ、もしかしてお酒飲んでた?」と聞かれて、その瞬間吐きそうになった。喉にぐっと力を入れないと、うえっと言う声が出てしまいそうだった。

「……うん」
「今、部屋?」
「うん、今帰ったとこ……バイトが二十一時過ぎに終わってそれで……」

 前に、嫌な奴がいるって言ったじゃん。うん……大丈夫。いじめられてない。そう、そう……男……。バイトが終わったら、裏口で待っていて、明日、帰国するから、今までのこと謝りたいからって……。俺は…その、一緒にバーに行った。え? 向こうのビール、小瓶のやつ……二本分よりちょっと多いくらい。俺はすごく気分が悪くなって、部屋で休んで行くことになって、そしたら……セックスがしたいって……。

 ここまで、話してから俺はあることに気づいた。初めは「うん?」「え?」と相槌を打っていたヒカルが一言も喋らなくなっていることに。怖いくらい静かだった。俺が話続けてる向こう側にはもしかしたら本当は誰もいないんじゃないかと思うくらいに。喉がカラカラに乾いている。ヒカルが黙っていることが怖くて、それ以上言葉を続けることが出来なかった。

「……どこまでしたの? ん? 最後までしたってこと?」

 ようやく聞こえて来たのは、ものすごく冷たいヒカルの声だった。怒りとか、失望とか、そういったものすら一切感じ取れないような、何の感情も籠っていない声だった。

「何もしてない……本当に何も」

 駄目だ。怖すぎて嘘を吐いてしまった。こんなことを言ったってヒカルには必ずバレる。その証拠に「はあ……」という心底呆れたようなデッカイため息が聞こえた。

「あのさあ、それってクズみたいな男がフツーによくやる手段だから。酔ってよくわかんないところをホテルに連れ込む。なんでわかんないかなあ……どうして、そういう軽はずみなことをするの? 本当にガッカリする……」
「……よくわかんなくなってたんじゃなくて、俺は、自分で部屋に着いていったんだ……」
「はあ? そしたら余計にたち悪いよ。合意の上ってこと?」
「……うん」

 俺はどうなりたいんだろう。言わずにずっと隠しておくのも苦しいけど、全部を打ち明けたら嫌われてしまうかもしれないのに。

「どこまでしたのってば。最後までした?」
「最後までしてない……」
「ルイ」

 急にヒカルが今までと違う優しい声で名前を呼んだ。どうして、そういう声色になったのかと言うと、許してくれるからというわけではなく、明らかに別の意図があるから、ということを俺は察した。

「何もしてないのに、こんな遅い時間に電話をかけてくるわけないよね。ルイ……嘘ついたらすぐわかるよ? ん? しゃぶったの? それとも俺がしてあげてるみたいに、しゃぶって貰ったの? 言ってみて」

 はー、はー、という自分の荒い呼吸が聞こえてすごく耳障りだった。言っても言わなくても殺される、と大袈裟じゃなく本気で思った。電話をして今日あったことを伝えた時点でこうなることなんて、わかりきっていた。俺にとって都合のいい部分だけでヒカルが納得なんかするはずもないってことも。

「あの、ごめん、ごめん……」
「ルイ、さっき俺が言ったこと聞いてなかった? 何をしたのか言って」
「あ、キスして、その、俺が一人でしてるとこ……見られて」
「へえー……キスね……。何回?」
「な、何回か……」
「何回か? ……気持ちよかったんだ? よかったね」

 まだ派手にキレないのが逆に怖すぎる。ヒカルの心の奥底で想像も出来ないような怒りがメラメラと静かに静かに燃え広がっている気がした。

「あの、ヒカルとのことを話してたら、俺がすごく欲情して、それで、ヒカルのことを考えながら、一人でしてるとこを見せろって……」
「……なにそれ。どういう状況? よくそんな変態野郎と……。あー、もう本当に気色悪い」

 気色悪い。そうか、俺がいろいろ考えた結果、部屋に着いていって、ああいうことをしたのは、ヒカルにとっては気色の悪い性欲でしかない。
 何か変えられると思った。レオの孤独をわかったつもりになっていた。
レオに言われたことを思い出す。俺は結局は自分が正しいと思っているだけの甘ったれた偽善者だった。

「ソイツと初めて会った時から、今日まで何があってどんな会話をした? その時、ルイは何を思ったのか、一から全部話して」
「……出来ない」
「どうして出来ないの?」
「出来ない……」

 そしたら、レオが自分がゲイなんじゃないかと悩んで育ったことを話さないといけない。「死ぬまで誰にも話さない」と、俺にだけ打ち明けたことを勝手にヒカルに話すなんてとてもじゃないけど出来なかった。せめて、そうすることが誠意だと思った。

「俺にも言えないことを共有したってことだよね?」
「……俺にもヒカルにもわからないようなこと」
「ねえ、答えになってないよ?」

 ヒカルの声の後ろでジャッという独特の鋭い金属音がした。……カーテンを閉めたのか、開けたのか。数ヵ月前まで一緒にいた部屋の窓辺でヒカルがひどくイラついた顔で、立っている光景が鮮明に浮かんだ。

「さっきからさあ、ずっと事情は言えないって言うけど、事情も聞かないで俺は何を許すの?」
「うん、ヒカルが正しい、ごめん……」

 もう話し合いだけで許されなくてもいい、と強く思った。ヒカルの気がすむまで、どれだけなじられても何十回とみっともなく泣いて謝って許しを請うしか方法が思い浮かばなかった。

「なんで、それをわざわざ俺に電話してくるの? 本当に意味がわからない……」
「……ヒカルはなんで俺がいても女と寝たんだ? それで、平気だった?」
「はあ? なんで今さら……それ今、関係ある? 俺は俺のために女と寝たけど、ルイは相手のために浮気をしたってことだよね。そっちの方がよっぽど悪質じゃない? まさか、挿入されてないからセーフとでも思ってる?」
「挿入って、俺は……」

 他の言葉には言われた瞬間、恐怖と罪悪感だけが常に纏わりついていたけど、「挿入されてないからセーフ」という発言には、なぜか自分の心の内の触れてほしくない部分を踏みにじられるような苦痛を感じた。

「あのさあ、俺もうすぐ本命企業の面接があるんだよね。どれだけ俺にとってそれが大事かわかる? こういうの本当にヤメテ」

 心底迷惑そうな声でそう言われてやっと気がついた。俺のことばっかりだったヒカルが、もういろいろなものを抱えていることに。俺の想像もつかないような、大変なこと、大事なことをたくさん。

「こんなことヒカルに言うべきじゃなかった……俺は自分が許されて楽になりたいから、話してしまった。ごめん、ヒカルごめん」

 ブツッと通話を無理やり切った。ヒカルの方が辛いから泣くのを堪えたけど、その日はいつまでも眠れなかった。暗くて狭い部屋のベッドでずっとヒカルのことを考えていた。

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